1984年夏。
東京湾上の京浜島をガンマと
友人のFXの2台で走っている時、
この年の5月に出たばかりの
ヤマハFZ400Rに乗って流して
いる女の子を見た。女優の滝川
真子ちゃんだった。
その前に、蒲田のむげんの店内
で見かけた時もFZ400Rで来て
いた。
サバゲ用の狙撃銃を作りに来て
いたようだった。
「所さんとかの銃はあたると
もう痛くて」なんて言ってた。
店長は銃を組み立てながらも、
「真子ちゃんは仕事柄、顔だけ
はちゃんとガードして気を付け
てよ。ほんとに」と言っていた。
「は~い」と真子ちゃんは答えて
いた。
実物は滅茶苦茶かわいかった。
目をそらさずにじっとこちらを
ずっと見る(笑)。
映画とかの映像で見るよりも遥か
に実物は可愛かった。
年は私の3つ下だったが、いつの
間にか5つ下のプロフィールに
なっていた(笑)。
背は私よりも10センチ位低かった。
バイクではピンクのヘルメット
を被っていた。
京浜島で見た時、すぐに滝川さん
だと判った。
女性特有の背骨がそっくり返って
お尻を後ろに突き出す変な乗り方
ではなく、上体を脱力させて背中
も自然に曲げて、きちんと乗れて
いた。
ただ、思った。
映像作品で見るよりも実物のほう
が遥かに可愛いというのは、映像
監督は何やってるのだろう、と。
ヤマハFZ400R-FⅢマシン。
SPタダオステージ3フルチューン
FⅢマシン。滅茶苦茶仕上がりの
良い車だった。塩森の車を組む人
が組んでくれた。
1秒の間に数百人がいる時代。
GP125もGP250もFⅢも、1カテ
ゴリーのエントリーで各500台。
鈴鹿4時間耐久などは1500台=
3000人がエントリーする時代
だった。