おかっぱに黒縁めがねが印象的なタレント・大木凡人(77)は、2015年1月に大動脈解離を発症した。一時は危篤状態に陥ったが、2日に及んだ大手術は成功。あらゆる武術に精通しているだけあって超人的な回復をし、病室から何度も脱走を図る“脱獄王”となった。現在の体調は安定しているが、コロナ禍で激減した司会業に歯がゆい思いを抱いているという。(高柳 哲人、水野 佑紀)
友人の医師から「大動脈解離は世の中で一番痛い病気」と聞いたことがあった。空手家でもある大木は「痛いのには慣れている。平気だよ」と答えたが、後悔する日は突然やってきた。
15年1月、自宅トイレで胸に強い痛みを感じた。
「体中がバリバリバリと引き裂かれるような痛み。生まれて初めて『ギャー』と叫びました」。叫びながら壁をつたってリビングまで行き、自ら119番。「(オペレーターに)住所を聞かれても、いて~このやろう、と言いながらしかしゃべれなかったので『もう一度お願いします』なんてことも言われた」
血圧は184を示し、目黒区の東京医療センターに救急搬送された。心臓病を扱う4階に運び込まれ、「司会業だから、死界に近いから4階なのかな」と笑って振り返るが、手術は2日間にも及んだ。目を覚ますと大阪在住の弟が病室に駆けつけていた。「退院した後に『実は危篤だった』と教えてもらいました」
死のふちをさまよったが、驚異的な回復を見せる。空手の練習として毎日腕立て伏せ200回、突き蹴り300本、組み手をやり「体は丈夫」なのが功を奏したのか、術後10日ほどで体を動かせるようになった。
ここから退屈をしのぎたい大木と、安静にしてほしい病院側の攻防戦が繰り広げられる。大木が病室から脱走し、カレーライスを食べていると、看護師3人に囲まれ「もう一度あの痛みを味わいたいんですか」と雷を落とされた。それでも雑誌を買いに行ったり、病院内で日本司会芸能協会の会議を行ったことも。防止策でカメラをベッドの上に設置され、約1時間50分おきに監視された。
「とにかく退屈だった。病院食は味がなく、しょっぱいものが恋しかった。このまま外に飲みに行くんじゃないかと思われていた」
いち早く入院生活から抜け出そうと、医師に「退院を10日ほど巻けませんか?」と自ら相談。結局5日早まり、23日間で病院を去った。
退院し、久しぶりに得た自由。根っからの酒豪だった男がおとなしくしているはずはなく、「お酒は控えるように言われましたが、退院してすぐに焼き肉屋とお寿司(すし)屋で食べて、お酒を飲みました。やっぱり人間は焼き肉とお寿司があれば大丈夫」と笑った。
自由人のように見えるが、医師の指導を守り、病気になる前と現在では暮らしに大きな変化があったという。
食生活で守るべき3か条〈1〉水をたくさん飲むこと〈2〉野菜中心の食生活にすること〈3〉塩分を控えめにすることは、今も守り抜いている。「もともとは3つともダメでしたが、今は水はボトルで買って、6本はストックしています。お酒を飲むときも水と一緒に飲んでいます。缶入りの野菜ジュースも飲むようになりました」
激しい運動も控えるように言われ、お風呂につかりながら体を動かす程度にしている。空手のシニア大会への出場を誘われることもあるが断っている。「大動脈解離をしていなかったら出てもいいかなって思いますが…」。少林寺拳法、沖縄空手、極真空手に精通している武闘派は、沈んだ表情を浮かべた。
一方で、やめられないのが飲酒だ。「お酒の量はだんだん(病気をする前に)近づいている気がする…」と後ろめたいのか、小声に。それでも、お酒のたしなみ方は変わったと主張し「多いときは7~8軒は飲みに行きます。ただ、できるだけ1軒につき1~2杯にしています」。
生活習慣を変えたのは、大動脈解離の激痛を二度と経験したくないから。「ケンカを売られることが多く、包丁、のこぎり、石で殴られ、ボクサーとやってボコボコにやられたり、あばらにヒビが入ったり。それでも、大動脈解離の痛さは別格。絶対にならない方がいい」と言葉を強めた。
「早く元に戻ってほしいな」と繰り返し言ったが、これは体についてのことではない。コロナ禍で大打撃を受けた仕事のことだ。
大病を患い、本調子に戻ってきた頃にコロナ禍を迎えた。大木にとって主戦場は司会業。大人数が集まることを制限するコロナの感染対策は、司会者にとって天敵だった。
「小池百合子さんは会食は4人まで、と言いましたが、司会者は1対4でやれますか? やれませんよね。全部キャンセルになりました」
新型コロナが5類感染症に移行したところで、司会業が厳しいのに変わりはない。以前は3日に1本の司会業とテレビ3本を抱えていたが、「4月のイベント数は、ほとんどないに等しい」。この日も古くからの仲間に仕事がないか確認。必死にもがいている。
苦しむ司会者は大木だけではない。日本司会芸能協会の会長を8年間務め、現在は名誉会長を務めるという立場があるだけに、仲間からの困窮の声が集まる。
「会長、女房と子どもを養っていけません。このままでは私のお葬式をあげないといけません」。命に関わる相談まで受け「俺が頭おかしくなりそうだ」と心はむしばまれていった。
「逆に聞きたい。コロナはいつになったら終わるんですか?」と苦しさをにじませた場面もあったが、それでも前を向く。「仕事に対する意欲は落ちるけど、私は生涯現役でやるのが絶対目標。体が良くなった分、もっと動きたいです」
その決意の表れが昔から変わらない黒髪おかっぱ頭とだてめがねだ。「本当は老眼なのに今もガラスは入っていない。この髪の毛も本当は変えたいんです。でも(テレビ)局が嫌がるから。イメージが変わってしまう」。柔らかい空気感でお茶の間のアイドルとして活躍したあの頃のように―。トレードマークを維持しながら、また活躍できる日を待つ。