渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

埼玉快速ロードマップ ~最高速試験場~

2023年06月03日 | open

40数年程前、ここは最高速
試験場だった(笑)
風景はまったく変わってい
ない。
速度超過150km/hコース。
一発12点ボーナス。
新大宮バイパスで二人乗りで
160km/h巡行TOB-UP
が普通だ
った時代。それとて110km/h
オーバー
だ。
宜しくない。やったらダメだ。
 
ただ、集団危険行為禁止が登場
したのは
1978年からで、それ
まではマル走の集会
に出て
路上封鎖の一斉検問で全員
検挙され
ても、信号無視と
停止指示違反の4点プラス
のみだった。免許が綺麗な
らば免停にさえ
ならなかった。
そして、土曜の夜は、1チーム
だけで2輪
が300台、4輪400台
とかが集会をして
都内を走り回
っていた。実は4輪のほうが多い。
バイクはほぼ全部2ケツ。4輪も
複数乗る。
数えきれない数のチームが信
号を旗持ちが止めて、
環七、
環八、R20甲州街道、山手
通り、
R246青山通り、R1
ニコク、R15イチコ
ク、下町
域の幹線道路を走り回る。
もう、「首都騒乱」というのは
まさに
メトロポリタン・サタディ
ナイトの事
だった。
信号は旗持ちが踏切遮断機のよ
うにして
完全に止める。
新宿で合流してルート20を八王子
まで。
ルートとペクターが合体合同走行
した時などは、
八王子から大井
埠頭まで全コースがノン
ストップ
だ。
1970年代の首都の週末はそんな
事が都内
どこでも繰り返された。
対立チームと出会うと、千人単位
同士で
乱闘だ。
交機だけでは足りないので、モノ
ホンの
機動隊がよく出て来ていた。
交機も機動隊も、警棒で平気で
バイクの
タンクをベコベコにし
たり4輪のボンネット
や屋根や
ミラーを叩き割って破壊する。
人体に対して
は走行運転者目掛
けて警棒を野球バッティ
ングの
ように振り当てて来る。車両も
人体
も完全に破壊を狙って来る。
警察が。記録
映画にあるような
のは嘘まみれの綺麗事の
シーン
ばかりだ。暴力装置はまっとう
暴力そのものを徹底的に使う。
まさに暴力
というものを行使し
て来る。
車を破壊しておきながら、「故
障」の紙
シールを貼って「整
備不良」とする。
マル走の集団走行は、信号無視
に蛇行運転
と騒音のみで、別
に商店街に火炎瓶を投げ
た訳でもない。麻薬やった
りシンナーやり
ながら走っ
ているのでもない。
恐喝も暴行
もやってない。
対立チームと遭遇しなけれ
ば、
暴走行為はあっても暴力行為
は一切
無い。
そら深夜にジェット機のような
轟音が街道
でするのだから、
かなり迷惑ではあろう。
しかし、
2分もしないで通過
する。ジェット機のよう
に。
実際にやりたい放題だったの
警察だった。
あまりに警察の暴力がひどいの
で、検問
封鎖付近の住民たちは、
こぞって集団で、
「この先、
検問やってるよ!」と道まで
すずなりに出て来てまだ走行
中の後続の
少年たちに教えて
くれ
た。新聞やテレビに書
かれている事と現実
は全く
異なり、
多くの東京市民たち
は、かつて
機動隊にやられ
いる全学連たちを応援し

よう
に、マル走の少年少女
たちに好意的
だった。これ
本当の話。
環七大森陸橋南での道路を
封鎖して全員一斉
検挙の時
もそうだった。近隣住民た
ちは、
警察にではなく、
しろ暴走少年たちに
こそ好
意を見せて、どこから来た
の?お腹すいてい?何か
食べる?遠慮な
く言えよ、
無理
はするなよ、とおっ
ちゃんやおばちゃんたちが
話しかけてくれてた。東京
のジモチー
の人たちはそれだ
った。
いつも、どこでもそれだっ
た。深夜2時は
回ってるの
に。
こんなことは、警察白書など
には出て来な
い。生の歴史の
裏側の本当の真実だ。
 
戸田と板橋の荒川を挟んでの
夏の花火合戦はかなり面白い。
かなりの人手になる。



この記事についてブログを書く
« 東京快速ロードマップ ~新... | トップ | 東京クラッシュロード 〜直... »