12月5日(土)、三輪山セミナーを聞いてきた。
三輪山セミナー、12月は桜井市纒向学研究センターの主任研究員、橋本輝彦さんが、毎年「三輪山周辺の考古学」と題して講演される。

今日は思う所もあり、久しぶりにお話を聞いてきた。
「銅鏡百枚…難升米、牛利に付す」(魏志倭人伝)のことである。
橋本さんは、「この鏡は三角縁神獣鏡?それとも画文帯神獣鏡?」がテーマで、「邪馬台国ヤマト説の方でも率直にみて半分・半分である」とされ、「僕は画文帯神獣鏡だと考えている」とされた。
「等彌神社に収蔵されていた画文帯神獣鏡は付近の金ヶ崎古墳出土のもの(今はなく茶臼山と並んだ状態の古墳、しかし小型の古墳)とわかった」。
「鏡は失われているが、拓本が残っている」、とのことである。
話はそこから入って、県内の画文帯神獣鏡、上牧町の九度古墳群の三号墳、ホケノ山古墳、黒塚古墳、天神山古墳の画文帯などがあげられた。
画文帯神獣鏡は中国では3世紀頃に盛んに作成されたこと、それに比して三角縁神獣鏡が魏の地域では出土していないこと、国内でも卑弥呼の時代から遅れて出土するなどが紹介された。

これは黒塚古墳の画文帯新儒教
鏡の問題では今年のニュースとして、「三角縁神獣鏡が中国で発見された」と朝日新聞が報道(3月2日付)していることが紹介された。
王という研究者が「洛陽の骨董市で洛陽の白馬寺付近の農民から買った」との報道である。
「これが本当なら、三角縁神獣鏡は中国発・・色めき立ったが、この鏡の真偽は不明で、学者はもちろん、他のマスコミも追随していない」とのことである。
だけど・・・・
上田正昭先生は、この発見を「古代の日本と東アジアの心研究」(10月30日刊行)で評価されていました。
魏からもらった三角縁神獣鏡は、同笵鏡として大量にコピーが作られてヤマト朝廷が支配地に配った。これが小林行雄説であるが、「肝心の中国からみつかっていない・・・魏の洛陽で三角縁神獣鏡が発見されたということで、小林説が改めて注目を集めている」(同上28ページ)とされているけど。
さて、そこで
卑弥呼が「鬼道」として使った道鏡は・・魏から・・それはなんだったか。
画文帯か、三角縁か・・・
しかし、鏡問題はどう転んでも、邪馬台国ヤマトに圧倒的なアドバンテージがあるが・・・画文帯神獣鏡であれば、いよいよ決定的にヤマト有利であろう。
橋本輝彦さんは、「等彌の金ヶ崎とか上牧の九度古墳群三号墳とか地方豪族が画文帯神獣鏡を手に入れている。纒向政権から支給されたものと見たい。
発掘された鏡を見ると纒向王権(邪馬台国のことであるが)は国の連合、地域の支配と二段階構造になっていた可能性が感じられるとされた。
ところで、今日からブログのカテゴリーを増やした。
題して邪馬台国(やまとこく)である。
邪馬台国、しばらくガンガン書いていきますので、よろしくお願いします。

黒塚古墳館