渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

舘ひろしさんのゼッツー

2023年06月02日 | open

舘ひろしと愛車ゼッツー

舘ひろしさんは原宿で岩城滉一
さんのオートバイを見て店の中
に入った。
そして、初対面なのに、「外に
停めてるオートバイ、君の?」
と話しかけて交友が始まった。
免許も取り、オートバイにも
乗り始め、原宿の二輪乗り仲
でチーマーのチーム「クールス」
を作った。暴走族でもMC(厳格
な規則と組織性のあるモーター
サイクルクラブ。誰でも入れる
普通のツーリングクラブやオー
ナーズクラブでもなければ、暴
走族でもない鉄の規律の組織)
でもない。その20年後に東京に
発生して呼称されたチーマーの
出始めだ。最初かも。
そうしたチームはアメリカには
あって、『ウエストサイド物語』
や『グリース』などで描かれて
いた。不良少年団たちだ。
デビューしたてのキャロルを
応援支援していたが、キャロル
の手下ではない。同列同等。
1975年のキャロルの開催コン
サートでは親衛隊としてクール
スは警備を任されて、ステージ
上から舞台に上ろうとする客を
ボッコボコに蹴り倒していた(笑

そんな舘ひろしさんの最初の
オートバイはカワサキZII、
通称ゼッツーだった。
ララバイの研二くんのような
スタイルにしていた。

舘ひろしさんも岩城滉一さんも、
なんか軽い(笑
ていうかチャラい。
当時、暴走族からは嫌われて
いた。
理由は、金持ちボンボンのただ
の不良で、世の中に抵抗する事
もしない「道楽」だったからだ。
そして、ティーンエイジャーでは
なく、あまりにも年齢が行き過ぎ
たおっさんたちだったから。
これ、首都圏では現実で、キャロ
ルは好きだがクールスはなんだ?
あいつら、みたいな感覚が当時の
ティーンの一般的認識だった。
大学生であれ?みたいな。
似たような感覚は横浜銀蝿にも
あった。大学生があれ?という。
滑り過ぎだろ、みたいな。
1975年当時、東京の暴走族少年
たちはクールスなどは端から
鹿にして相手にしなかった。安
全地帯で調子こいてる金持ちの
ボンボンでしかなかったからだ。
正直なとこでは「カッコ悪い」
と思っていた。
俺はそんなに嫌いではなかった
が、周囲では蛇蝎のように嫌う
連中がとても多かった。


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