各駅停車でさして近くも遠くもない東京へ
音楽をつくる人には敵わないなあと思う
勝てないんじゃなくてかなわないのだ
そしてこれはネガティヴではなく、重い胸のなかの最もきらきらした類
憧れ、どうかずっと解らないで
わたしは描く人でいたい
描くことは見つめること
暗い人が好きだ。
気付かないふりをすればいくらでも楽に生きられるのに、暗いところを見つめてしまって、あまりにも真っ直ぐ見つめ続けて、その度ぐるぐる考えたりちゃんと傷付いたりして、それでも見つめることをやめられない人が愛おしくて仕方ない。
捻くれているというより純粋過ぎるのだ。故の多感。
逆に苦手な暗さもある。
鬱々とした音楽や映画や漫画、煙草や酒や薬とか、覚えたての蝕んでくれるものへの憧れで、わざわざ薄汚い生活を目指していって、そこでやっぱり世の中はクソだみたいな顔していじけている人。つやつやの体に分かりやすい傷を自ら付けて見せびらかす人。そうすることに陶酔している人はどうも仲良くなれそうにない。好きでそうしているんでしょう、と思ってしまう。
やたらめったら暗さや弱さが肯定されてしまう風潮は怖いなと思う。弱い自分を許してくれるのはごく近い大切な人だけでいい。 よく知らないのになんとなく傷を舐め合ってるだけじゃ、よく分からなくなってなんとなく辛いままだ。そうしてるうちは多分ずっと。
ぬるま湯の中で飽和して、足掻くことも忘れたら腐ってしまうよ。暗いから、弱いから、それに焦がれていられない。絶望の模倣をロックと呼びたくない。
楽しくお喋りしたり真面目な話が出来る人と食べるご飯はおいしいけど、お互い無言で食べていてもご飯がおいしく感じられる人は特別だなあと思った。
絵でも小説でも映画でも、食べ物が丁寧に描かれている作品は愛を感じる。
よくある君が30しか無いのなら僕が70で100にする、というのはあんまり優しくないなあと思う。
溢して抑えて精一杯30で振舞ってやっと保てる関係があって、そのぴったり天秤が釣り合った所の穏やかさを守ること。
押し潰さないよう、振り切れないよう。
だからどうか許して欲しい。