今回は金曜日の配信の内容のまとめです。
金曜日の配信では、暇空が請求し盛大に全敗した住民監査請求の結果を読み解きました。
例えば暇空は、『東京都若年被害女性等支援事業委託について契約が十分に履行されていないなどとして、受託者の活動実績等の監査を求める住民監査請求』において、法人Aがある別の法人に自身の会計処理や報告書の作成などを委託したことを、『報告書や会計というのは、本来法人A当然に自身で行うべき基本業務であり、これを再委託する事には合理性がない』として委託が不当であると主張します。
しかし、『報告書や会計というのは、本来法人A当然に自身で行うべき基本業務』というのがそもそも、暇空の脳内にしかない前提であり、監査委員を含め他者には共有されていない前提でしかありません。事実、監査はこの点について『本事業における主要な業務とは、アウトリーチ支援・居場所の提供に関する支援・自立支援であり、報告書の作成・会計業務は主要な業務の範囲外である』とばっさり切り捨てています。
まぁ、暇空自身が、報告書の作成や会計業務を委託事業者の主要な業務だと評価し、そう考えるのは自由です。しかし、世の中にはそうは考えない人も相当数存在するのであり、自身の考える前提が妥当であることはきちんと説明する必要があります。彼はそうした作業を欠き、論証するまでもなく自明であるから主張が通るだろうと思い込んだのでしょう。
同様の失敗は至るところで行われています。同じ監査請求では、法人Aの報告書において、相談人数と相談者の年齢の累計人数が合わないことをもって『この人数は合致するはずである』と主張します。しかし、性質の違う2つの数字が食い違う可能性は無数に存在しており、監査でも相談人数が各相談形態の延べ人数であり1人が複数の相談形態で対応された場合は重複してカウントされると説明されています。これも、数字の定義や計算方法の前提を根拠もないところから勝手に思い込んだためでしょう。
例えば、先ほどの会計業務等の委託について、暇空は230万円という金額が高額であり、『言語道断と言うしかない』とまで主張します。しかし、この金額がなぜ高額と言えるのかについては全く論証していません。彼は業務内容について『本事業における報告書とされるものが実施状況報告書くらいしか見当たらず、また、会計についても特段複雑な会計処理があったわけでも』ないとしていますが、これも「この程度の作業量なら230万は高額」という暇空の主観的な評価の域を出るものではなく、「それあなたの感想ですよね?」という内容になっています。
繰り返しですが、230万円を高額だと思うのは暇空の自由です。しかし、他の人がそう考えるという保証はどこにもなく、ましてや監査請求という場面であれば、第三者にも納得してもらう必要があります。そのためには、例えば同様の業務をほかの企業がいくらで請け負っているかという情報が必要になるでしょう。同じ業務を多くの企業が50万円程度で請け負っているにもかかわらずこの委託だけ230万円でした、というようなことがあれば少しは説得力が増します。
同様の失敗は『令和4年度東京都若年被害女性等支援事業委託に関する住民監査請求』でも行われています。この結果によれば、暇空は法人が実施している研修の受講料が高額であるという主張しているようですが、この金額も所詮彼の評価に過ぎず、実際に高額と言えるのかどうかは論証されていないようです。
例えば先ほどの監査請求において、彼は委託費で費用が賄われているシェルターハウスについて、所有者が法人の代表者の親族であるから利益誘導であると主張します。しかし、監査委員は『請求人の摘示する物件は本件事業におけるシェルターハウスとして使用されているものではなく』として暇空の主張が誤りであることをしてきます。つまり、彼の主張の前提がそもそも誤りだったわけです。
監査が行われない場合、暇空の主張は要約でしか明かされないため、彼が何をどう読んでそのような主張に至ったのかは不明です。しかし、事実関係すら正しく掴めていないことは確かであり、この程度の調査で監査請求を求め、あまつさえ法人に不正があると主張することは暇空自身の調査・読解能力、あるいは問題に対する真摯な姿勢を疑うに足るものです。
同様の失敗もまた、複数で行われています。『令和3年度東京都配偶者暴力被害者等セーフティネット強化支援交付金に関する住民監査請求』において、彼は法人の提出した領収書の宛名の多くが同一人物の筆跡によるものだと主張します。しかし、監査委員はこの領収書がセルフレジから発行されたものであり、元々宛名が空欄で発行されたものに後から名前を書き足して処理したものだとして暇空の主張を否定します。
暇空がどのようなかたちで領収書を目にしたかはわかりませんが、宛名の筆跡に言及できる以上、領収書全体の写しのようなものを見たと解釈すべきでしょう。であれば、それがいかにもセルフレジから発行される見た目のものであることも分かったのではないかと思えてなりません。少なくとも、セルフレジの性質上、手書きの領収書と同じ形や書式のものが出力されることはありません。あと、検索するとすぐに写真が出てくるので利用したことがなくてもわかります。
そうであれば、彼はわざわざ情報開示請求で資料を手に入れながら、領収書の形状の特徴を一切考慮することなく、宛名だけに注目してこのような主張を行ったということであり、手元にある資料の情報を十全に活用しないまま、自身に読み解ける範疇だけを切り貼りして主張を組み立てているとしか考えられません。
(ちなみに、ここでの暇空の主張は筆跡が同じであるという主観的な評価の自明視もしています。なお、監査によれば領収書は金額を決定する証拠の1つに過ぎず、それだけで金額が決まるものではないため、領収書に不備があるだけでは不正などの証拠になるわけではないようです)
恐らく、予備的調査は「監査ではないけど、その前段となる調査」くらいの立ち位置だと思われます。監査委員がどういう意図で予備的調査を行ったのかは不明ですが、考えようによっては「なんだかんだ言っても疑義が指摘されているのも事実だし、監査はしないけど確認できるところは確認しておこう」という調査だとも解釈でき、これはある意味では暇空に寄り添った対応であるともいえます。監査委員は『都の公金の支出が違法・不当であるとする事由を主張・疎明しているものとは言えない』として暇空の主張を全部突っぱねてもよかったところ、わざわざ調査したわけですから。
(もっとも、喧しいアホがこれ以上監査請求してこないように徹底的に潰しておこうと考えていた可能性もありますが)
しかし、そんな監査委員の温情も暇空には伝わっていません。彼は以下のように書いています。
まぁ、浅野文直のような暇アノン議員の振る舞いが普通だと考えてしまえば、そのような解釈になるかもしれませんが……少なくとも監査委員は暇アノンではないはずで、もちろん責任をもって調査をしているはずです。
また、自身が『わからんけど、多分』のレベルで、実質的に特定の個人を名指ししながら『内容に責任は持たない調査』を行っていると主張できると思っているのも常識はずれであきれ果てる言動です。誰かが適当な仕事をしていると主張したいなら、それ相応の証拠なり根拠なりを用意すべきところですが、彼は自分の主張は『わからんけど、多分』の水準で正しいと理解してもらえると思い込んでいるのです。
裏を返せば、暇空のこれまでのColaboなどに対する主張も全て、『わからんけど、多分』のレベルで行われてきたということが露呈したということでしょう。そんな監査請求が通るはずもありませんし、名誉毀損で訴えられるのも当然というほかありません。
金曜日の配信では、暇空が請求し盛大に全敗した住民監査請求の結果を読み解きました。
脳内前提の自明視
暇空が監査請求に全敗した理由は2つに大別できるでしょう。1つは自身の脳内にしかない前提を自明視し、相手もそれを共有していると思い込んだことです。例えば暇空は、『東京都若年被害女性等支援事業委託について契約が十分に履行されていないなどとして、受託者の活動実績等の監査を求める住民監査請求』において、法人Aがある別の法人に自身の会計処理や報告書の作成などを委託したことを、『報告書や会計というのは、本来法人A当然に自身で行うべき基本業務であり、これを再委託する事には合理性がない』として委託が不当であると主張します。
しかし、『報告書や会計というのは、本来法人A当然に自身で行うべき基本業務』というのがそもそも、暇空の脳内にしかない前提であり、監査委員を含め他者には共有されていない前提でしかありません。事実、監査はこの点について『本事業における主要な業務とは、アウトリーチ支援・居場所の提供に関する支援・自立支援であり、報告書の作成・会計業務は主要な業務の範囲外である』とばっさり切り捨てています。
まぁ、暇空自身が、報告書の作成や会計業務を委託事業者の主要な業務だと評価し、そう考えるのは自由です。しかし、世の中にはそうは考えない人も相当数存在するのであり、自身の考える前提が妥当であることはきちんと説明する必要があります。彼はそうした作業を欠き、論証するまでもなく自明であるから主張が通るだろうと思い込んだのでしょう。
同様の失敗は至るところで行われています。同じ監査請求では、法人Aの報告書において、相談人数と相談者の年齢の累計人数が合わないことをもって『この人数は合致するはずである』と主張します。しかし、性質の違う2つの数字が食い違う可能性は無数に存在しており、監査でも相談人数が各相談形態の延べ人数であり1人が複数の相談形態で対応された場合は重複してカウントされると説明されています。これも、数字の定義や計算方法の前提を根拠もないところから勝手に思い込んだためでしょう。
論証の失敗
もう1つの敗因は、論証に必要な情報を網羅しておらず、シンプルに論証に失敗したことです。例えば、先ほどの会計業務等の委託について、暇空は230万円という金額が高額であり、『言語道断と言うしかない』とまで主張します。しかし、この金額がなぜ高額と言えるのかについては全く論証していません。彼は業務内容について『本事業における報告書とされるものが実施状況報告書くらいしか見当たらず、また、会計についても特段複雑な会計処理があったわけでも』ないとしていますが、これも「この程度の作業量なら230万は高額」という暇空の主観的な評価の域を出るものではなく、「それあなたの感想ですよね?」という内容になっています。
繰り返しですが、230万円を高額だと思うのは暇空の自由です。しかし、他の人がそう考えるという保証はどこにもなく、ましてや監査請求という場面であれば、第三者にも納得してもらう必要があります。そのためには、例えば同様の業務をほかの企業がいくらで請け負っているかという情報が必要になるでしょう。同じ業務を多くの企業が50万円程度で請け負っているにもかかわらずこの委託だけ230万円でした、というようなことがあれば少しは説得力が増します。
同様の失敗は『令和4年度東京都若年被害女性等支援事業委託に関する住民監査請求』でも行われています。この結果によれば、暇空は法人が実施している研修の受講料が高額であるという主張しているようですが、この金額も所詮彼の評価に過ぎず、実際に高額と言えるのかどうかは論証されていないようです。
シンプルに資料が読めていない
ここまでいろいろな敗因を見てきましたが、そもそも暇空が単純に資料を読み違えている、情報の整理が出来ていないことを示唆する記述もあります。例えば先ほどの監査請求において、彼は委託費で費用が賄われているシェルターハウスについて、所有者が法人の代表者の親族であるから利益誘導であると主張します。しかし、監査委員は『請求人の摘示する物件は本件事業におけるシェルターハウスとして使用されているものではなく』として暇空の主張が誤りであることをしてきます。つまり、彼の主張の前提がそもそも誤りだったわけです。
監査が行われない場合、暇空の主張は要約でしか明かされないため、彼が何をどう読んでそのような主張に至ったのかは不明です。しかし、事実関係すら正しく掴めていないことは確かであり、この程度の調査で監査請求を求め、あまつさえ法人に不正があると主張することは暇空自身の調査・読解能力、あるいは問題に対する真摯な姿勢を疑うに足るものです。
同様の失敗もまた、複数で行われています。『令和3年度東京都配偶者暴力被害者等セーフティネット強化支援交付金に関する住民監査請求』において、彼は法人の提出した領収書の宛名の多くが同一人物の筆跡によるものだと主張します。しかし、監査委員はこの領収書がセルフレジから発行されたものであり、元々宛名が空欄で発行されたものに後から名前を書き足して処理したものだとして暇空の主張を否定します。
暇空がどのようなかたちで領収書を目にしたかはわかりませんが、宛名の筆跡に言及できる以上、領収書全体の写しのようなものを見たと解釈すべきでしょう。であれば、それがいかにもセルフレジから発行される見た目のものであることも分かったのではないかと思えてなりません。少なくとも、セルフレジの性質上、手書きの領収書と同じ形や書式のものが出力されることはありません。あと、検索するとすぐに写真が出てくるので利用したことがなくてもわかります。
そうであれば、彼はわざわざ情報開示請求で資料を手に入れながら、領収書の形状の特徴を一切考慮することなく、宛名だけに注目してこのような主張を行ったということであり、手元にある資料の情報を十全に活用しないまま、自身に読み解ける範疇だけを切り貼りして主張を組み立てているとしか考えられません。
(ちなみに、ここでの暇空の主張は筆跡が同じであるという主観的な評価の自明視もしています。なお、監査によれば領収書は金額を決定する証拠の1つに過ぎず、それだけで金額が決まるものではないため、領収書に不備があるだけでは不正などの証拠になるわけではないようです)
予備的調査は『内容に責任は持たない調査』?
ところで、ここまで見てきた監査請求の結果には度々、「予備的調査」という言葉が登場します。これが具体的に何なのかの説明はありませんが、実際に行われているのは関係者への確認や制度の解釈の確認などであることがわかります。恐らく、予備的調査は「監査ではないけど、その前段となる調査」くらいの立ち位置だと思われます。監査委員がどういう意図で予備的調査を行ったのかは不明ですが、考えようによっては「なんだかんだ言っても疑義が指摘されているのも事実だし、監査はしないけど確認できるところは確認しておこう」という調査だとも解釈でき、これはある意味では暇空に寄り添った対応であるともいえます。監査委員は『都の公金の支出が違法・不当であるとする事由を主張・疎明しているものとは言えない』として暇空の主張を全部突っぱねてもよかったところ、わざわざ調査したわけですから。
(もっとも、喧しいアホがこれ以上監査請求してこないように徹底的に潰しておこうと考えていた可能性もありますが)
しかし、そんな監査委員の温情も暇空には伝わっていません。彼は以下のように書いています。
な「予備的調査ってなんですか?」そもそも、常識的で考えればわかるように、都議を含む監査委員が、予備的調査とはいえ『本調査じゃないから内容に責任は持たない調査』なるものを行うはずがありません。実名を出して監査委員として調査する以上、内容が正確であることは保証しているはずです。
ひ「説明がないからわからんけど、多分「本調査じゃないから内容に責任は持たない調査」のことじゃないかなと思う」
な「あほくさ・・・」
住民監査請求令和4①若草
まぁ、浅野文直のような暇アノン議員の振る舞いが普通だと考えてしまえば、そのような解釈になるかもしれませんが……少なくとも監査委員は暇アノンではないはずで、もちろん責任をもって調査をしているはずです。
また、自身が『わからんけど、多分』のレベルで、実質的に特定の個人を名指ししながら『内容に責任は持たない調査』を行っていると主張できると思っているのも常識はずれであきれ果てる言動です。誰かが適当な仕事をしていると主張したいなら、それ相応の証拠なり根拠なりを用意すべきところですが、彼は自分の主張は『わからんけど、多分』の水準で正しいと理解してもらえると思い込んでいるのです。
裏を返せば、暇空のこれまでのColaboなどに対する主張も全て、『わからんけど、多分』のレベルで行われてきたということが露呈したということでしょう。そんな監査請求が通るはずもありませんし、名誉毀損で訴えられるのも当然というほかありません。
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