ファン

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僕にとってファンはもちろん大切な存在である。

しかし僕とは違って血の気の多い方はほとんどおらず、むしろ冷静に見守ってくださっている存在でもある。

ちょっとその辺歯痒い時もあるのだが……。

 

 

しょうがない事情もある。

僕のことを擁護すれば、忽ち半狂乱のアンチに取り囲まれ、執拗に攻撃されるからだ。

 

『薄暮』の時、僕は試写会で廃業宣言をした(後に撤回)。

すると試写が終わって駆け寄ってくる青年がいた。

彼は涙目で、

「どうか辞めないでください!僕は嫌です!」

と懇願してきた。

僕はその時、ちょっと塩対応をして、

「君がその気持ちをTwitterで訴えてくれれば、だいぶ状況は変わったろうにね」

するとその青年は、

「いや、もう無理なんです。頑張ろうとした時期はあったんですが、本名やら学校やら家の住所までアンチに晒されて……」

 

アンチ、ここまでやるのか。

唖然とした。

 

 

僕が代表を務める「日本フィルアニマチオン」でも度々「行動あるべし!」と檄を飛ばすのだが、会員の行動は限定的だ。

決まって言われるのが、

「だっていくら会話しても、相手に話が通じないんです」。

 

 

今日も友人の弁護士と会話していたのだが、「Twitterは言論の場であるどころか、遊び場としても終わっている」。

弁護士業界でも「なぜこの人が!?」という人が次々と凍結に遭っているらしい。

間違いなく「通報祭り」のせいだろう。短時間で大勢が通報に押し寄せるのだ。

その辺Twitter社の運営には呆れ返るしかないのだが、しかしながらこのプラットフォームでは、数としては少数派のはずだが、その狂気で辺り構わず襲い掛かるキチ〇イが確かに増えたのだ。

それに対し、常識を持つ「サイレントマジョリティ」は、やはり沈黙を守るのみだ。

 

しかしながらそれを民意だと勘違いする人間はどこにでもいる。

僕もいろんな人の助けを受けて仕事をしているが、中には「いやぁ……ヤマカンのTwitterでの評判が……」とか言って断られた例もある。

僕はそういったクソプロデューサーを「2ちゃんねらの成れの果て」と断定して、一切の縁を切るのだが。

 

 

僕のファンになるのは今、相当ハードルが高いようだ。

誰が何を愛してもいい時代は終わり、一部のキ〇ガイどもによって「ヤマカンを支持するとは何事だ!」と襲撃を受けるからだ。

たまに「公には言ってませんけど、ヤマカンさん、応援してますよ!」と声をかけてくれる人もいる。

僕はそんな方々のことを「隠れヤマカン」と呼んでいる(笑)。

 

 

こんな世の中にして、純粋に僕の作品を愛してくれる方々まで攻撃して、あのクソオタクどもは何を考えているのだろう?

オタクは「表現の自由戦士」とかイキってるくらいなら、直ちにその「言論弾圧」をやめるべきだ。

何が「表現の自由」だぁ!?

 

お前らはこの世の支配者でも何でもない、ただのオタクだ。

俺だけならいざ知らず、他人に迷惑かけるのだけはやめろ。

どんな躾を受けてきたんだ?人間としての最低限のマナーは守れ。

 

それができない輩を、僕は人間扱いするつもりはない。