「おはよう。とりあえず守護神には当分大人しくしてもらう事に
開幕の第一声から凄い事を簡単に言ってのけたな、この人。
開ききった扉からは穏やかな風が流れ込み、ダイゴさんが全身に纏わせていた炎と灰の匂いが部屋に漂う。多少服を焦がしてはいるものの、目に見えるような大きな怪我はしていないようだ。
煙の匂いを感じ取ったウインディが顔を顰めたのが視界に入った。あまり好みな炎の匂いではなかったらしい。ついさっきまで揺れがあったし、事が終わってから直接ここに来たのだろうか? それにしては身が整い過ぎている気もするけど。
ただ、既に一仕事終えた感を全身から出しているのは事実だ。
――――やっぱりチャンピオンってすごい……いや、これで済ませていいのか少々疑問が残る。
「先程内線で朝食を頼んでおいたので、食べながら話しませんか?」
量は問題ないはずだ……たぶん。
「いいのかい? なら、相席させてもらおうとしようかな」
返ってきた反応がとても軽い。やはりそこまで負傷していないのか、座布団に座る仕草も違和感を覚えないぐらい自然だ。昨夜のこの世の地獄めいた光景的に考えて、あの場所では死闘が起きていたはずなのに。いくらダイゴさんと言えども鋼使いである以上、炎タイプが弱点である事は揺るがない筈。対策を練っていたとして、あれ程の業火の中でどうやって勝利をもぎ取ったのだろうか?
とはいえ、雰囲気的にあんまり聞けそうにないかも。今はまだ知る必要がないってこと?
「当面の訓練メニューについてなんだけれども、まず先に今まで行ってきたメニューを見せてくれないか? 参考にするから」
すぐに手元のファイルから記した紙を取り出す。そう言われると思って既に昨日の夜、寝る前に見やすくなるように清書しておいたのだ。
「はい、これです。どうぞ」
「どうも」
内容に目を通し始めたダイゴさんの顔が、少し眉をひそめる。
「……ふむ…………思っていたよりもがっつりと言うべきか…………この訓練内容が基本だとすると、公式戦を主軸にしていない……ルール無用の非対称戦に偏っているんだね。座学の内容もそんな感じかな?」
質問に対して大きく頷いた。
「そうですね。キョウヘイ先生曰く、公式戦……特にジム戦は基本的に事前情報が出回っているのだから対策しやすい。寧ろ事前情報に対してどう対策を練ってきたのかを確認している面が強いので、態々その為に長期間訓練をするのは時間が勿体ないと。そんなのよりも地味な基礎訓練で体幹やスタミナを重点的に、追加でトレーナー自身の身体能力向上や判断能力を上げるトレーニングをすべきだって言っていました」
「シャモ!」
同意するようにワカシャモが頷く。今なら何となく理解できるけれど、最初の頃は何言っているのか分からなかったかも。
「なるほど。確かにジムはそういった面もある。資格として存在している以上、ジムリーダーが全身全霊をかけて、挑戦者を攻略不能にするなんて基本的にできないからね……とはいえ、ここまで割り切った上で偏らせているのは想定外だな。技の精度や早さを優先した訓練、無音で指示するためのハンドサイン……君達ゲリラでも目指していたの?」
呼吸法から始まり、中腰で足音立てないように走り続けたり物陰に隠れる訓練、道具の使用訓練まで……と顔を顰めながら記した内容を呟いている。基礎トレーニングはポケモンもトレーナーもほぼほぼ同じ事を行ってきた。お陰で昔に比べて体力はかなり上がったと自負している。
同時に、体型を崩さずに鍛える方法を教えてくれたあのレンジャーの人には本当に感謝しています。でも、最近になって腹筋が割れ始めてきたので、戦々恐々としているのも事実である。
「手が器用な子ならしっかり教えたら使えますから……キョウヘイ先生の
「……作る?」
「砂漠に行く少し前でしたけれども、落ちていた竹と蔦を使って釣り竿モドキを作り、川でコイキング釣りしてましたよ」
餌の食わせ方にコツがあるとキョウヘイ先生は言っていた。大賀は説明を聞いてから順応するまで時間もかからず、所々自分なりに工夫しながら。お酒片手にのんびりと釣りをしており、偶に
それ以外だと、事前に噂で聞いていたミロカロスやシザリガーは釣れなかったが、釣り上げた良いサイズのコイキングとナマズンは魚拓を取ってあったはず。生態調査の一環という名目で粘膜や鱗と一緒に、誰が釣り上げたのかを記して研究所に送った記憶がある。
「えぇ……」
あれこれ考えながら物を使ったり作ったりするのが好きになったらしい。作った物はかなり渋い趣味をしていた記憶がある。わたしも自分なりにいい物が出来た時の感動は知っているから、気持ちはよくわかるかも。しかも、その際消費されるのは基本的にキョウヘイ先生の財布だけだ。誰も損しない。
思うに、あの子はキョウヘイ先生の影響を最も受けたポケモンだろう。作戦会議でも積極的に参加してどう動くのか、なぜそう動くのかの確認をしている事が多い。最早あれは副指揮官のようなものだ。キョウヘイ先生に何かしらの問題が発生した場合、臨時で指揮を執るのは恐らくあの子だろう。
「仮想敵がマグマ団やアクア団でしたし。一番最初に挑んだ森が森でしたから……あの時は、普通に挑戦しても絶対に無理だなって思いしりましたもの」
森へ突入する為の訓練を行っている時は、旅ってこんなに厳しいものなのかと若干後悔したけれど。でも実際は眠りの森が難易度高いだけだった。他で酷いと思ったのは今のところ砂漠ぐらいだ。お陰で修羅場に対しては、メンタル的にある程度の耐性もできた……と思いたいけど、その結果がアレではまだまだ足りていなかったのかも。
「何となくは把握した。その結果が流れ流れて治安維持トレーナーモドキになった、と。なら気を付けるべき部分も大まかには勉強している感じか」
「そうですね。初手先制技でトレーナーを直接狙って来る相手への対処方法から始まって、範囲攻撃からの身の守り方、奇襲を受けた場合の立ち直り方、罠の解除方法、逃げる為にすべきこととかは座学で毎日やってました」
ダイゴさんはどこか納得したような表情のまま紙を眺めている。
……それにしても、料理はまだ届かないのだろうか? もう頼んでからそれなりに経つのだが。そろそろお腹が背中に引っ付きそうかも。
「ふむ……なら僕から出せる課題は二つだね。一つ目がポケモン同士の連携を鍛える事。二つ目が――――リミッターを外す事」
リミッター? 聞き覚えのない単語だ。いや、単語の意味は知っているけれども、ポケモンで関連するような単語だっただろうか? 機械系の単語といったイメージがある。
「その反応だとやっぱりあいつも知らないのか。ポケモンって一匹一匹が凄い力を有しているよね? よくその辺を飛んでいるポッポ単体でも【たつまき】を起こせたりするんだから。でもポケモンバトルをする際、常にフルスペックを引き出しているという訳ではないんだ。当たり前だけれども、トレーナーに合わせている部分が多い」
…………ああ、ポケモン的にも年齢の低いトレーナーがパートナーの時や、認めてすらいない相手に完全に任せるのは怖いよね。本当にコイツの指示に従っていいのかって思ってしまうのは理解できるかも。
「一番大きな理由として挙げられるのは、自分のパートナーを巻き込んだ場合に大怪我をさせてしまうという心理的な障壁……これが通称リミッターだ。ポケモンを捕まえた時より弱く感じる原因とも言われているね。逆説的に絶対に巻き込まないという自信を持っていたり、技に巻き込んでも問題ないと判断されている時、ポケモンから放たれる力は一回りから二回り程強くなる」
「それが、リミッター?」
右横に居たナックラーを見てみる。ナックラーは
「そしてこの論文を書いたのが、若い頃のオダマキ博士だ」
「お父さんが?」
知らなかったかも…………あれ? でもキョウヘイ先生、研究所に居た時に研究所内の目ぼしい論文の勉強をしていたはずなんだけれども。それはつまり、あの時研究所内にその論文がなかったって事? それとも単純にキョウヘイ先生が見落としていただけ?
「そういえばこれから先の事、ご両親には説明したのかい?」
「はい。ダイゴさんが来る少し前に連絡を入れました」
ダイゴさんが帰ってくる少し前に現状と今後についてを朝っぱらから電話で話し合ってきた。
とは言っても、伝えた内容はキョウヘイ先生関係である一部を除いてありきたりな内容でしかない。どういう訳か、わたしが精神的に死にかけていた件は家に届いていなかった。大方、銀狐様が手を回していたのだろうと考えているが。だからと言って、全てを自白して態々自分から交渉を不利にする気もない。ここについては濁して伝える程度に留めた。
まぁ……勘のいいお母さん辺りは気が付いているかもしれないけども。喋り方や雰囲気が変わったとか、その程度の事しか聞かれなかった。結局、最後までソコには触れてこなかったのだから、何の問題もない。
その分キョウヘイ先生に関してはだいぶ話し合う事になったが。
「あ、そうだ。ダイゴさん、聞いてくださいよ。キョウヘイ先生が失踪する前にわたしの実家宛てに手紙を出していたみたいで、そこに自分が消えた場合の指針を書いてやがったんですよ!」
事前に辞表を提出しておくとかあの野郎、本当にこういう余計な事ばかり無駄に裏から手を回しやがる。話を聞いた瞬間に、お母さん相手にあ”? って濁音の付いた低い声が飛び出てしまった。
結局、保留で止めてくれている事にしてくれたらしい。向こうとしても急すぎて、いったい何言っているんだコイツ状態だったのだろう。
「……だろうね」
そう言いながら、ダイゴさんもカバンから一枚の封筒を取り出す。宛名の筆跡に見覚えがある。奴の字だ。今の一連の流れから何となく、書かれている内容を察した。
「……わたし、ソレは見る気ないですよ?」
もう天丼は御免だ。
「わかっているさ。でも、その上で確認してもらいたい部分があるんだ」
ダイゴさんがそう言いながら封筒を開くと、中から8枚程の手紙が現れた。内、最後の2枚を懐へ戻す。この6枚がどうしたというのだろう。
内容を読んでいくと、砂漠遺跡や古のもの達と
ここまではいい。わたしも一部ではあるが尋ねられたし、書いているのは知っていた。問題はその中に紛れるように存在している一枚。そこにはレジ系と称されるポケモンについての情報と考察。既にレジロックの封印が解かれている事。更に、残りの2体であるレジアイス、レジスチルのおおよその封印地点について。
――――そして何よりも、ソレ等3体を揃えた上でシンオウ地方にあるキッサキ神殿の内部を探索すると、レジギガスの封印が解かれると書かれていた。
当たり前だが、そんなことあの石碑には書かれていなかったはず。いや、やはりと言うべきか、キョウヘイ先生は誰も知らないはずの情報を事前に認識し、理解していたということだ。
やっぱりあの野郎、
「こういった知識を持っているキョウヘイを、長期間マグマ団に確保させるわけにはいかない……知識を引き出されて利用される前に全力をもって探す必要がある」
――――今はあえて、キョウヘイ先生が人間かどうかは取っ払って行動してくれるようだ。まぁ、内容が荒唐無稽すぎて、今はまだ思考の隅に留めて置く程度なのだろう。キョウヘイ先生って情報源としては貴重かもしれないけれども、確証が得られないものばかりだし。
「その為に強くなろう」
「……はい!」
たとえどれだけ過酷な結末が待ち受けていようとも、必ず見つけ出して捕まえてやろう。必ず。わたしが
口角が歪む。この
――――――――この感情はわたしのだ。わたしだけの
深呼吸をするように大きく息を吸い、内から溢れ出かけたモノを飲み込む。ゆっくりと顔を上げると、電源の入っていないテレビ画面には、瞳孔が開き切り、半月状の狂気じみた笑みを張り付けた女が居た。
◇ ◇ ◇
まさか銀狐様が一時的に倒れた事で、旅館の運営にあそこまで多大な影響が出るとは誰も思っていなかっただろう。まさにダイゴさんの大誤算という奴だ。この旅館でああなってしまうのならば、恐らく町の方でも大きな混乱が発生しているはず。
……まぁ、真夜中からあんだけドッカンドッカンやっていたのだから、問題が発生している事は間違いない。それにしても守護神……というか地主神が倒された事をこんな形で実感するのもどうかと思うのだが。存外、神話と現実の境界線なんてものは、わたしが思っていた以上に曖昧なものなのかもしれない。
この件についてダイゴさんは知らんぷりをしている。それでいいのかとも思うが、原因をこっちに被せられたら溜まった物じゃないからだろう。旅館内でも混乱のせいで食事が届くまで1時間の遅れがあった。まぁ、その分ダイゴさんと今後について予定を詰められたから、こちらとしては文句もない。わたしにとってはメリットしかないし。
何よりも、こうして今から広場でチャンピオン直々に軽く稽古をつけて貰えるようになったのだから、文句を言ったら罰が当たる。
それにしても、旅館裏の森を軽く進んだ場所にこんな広場があるなんて……何のための広場なのだろう? かなり広いのに普段から使われているようには見えない。にも拘らず、野焼きの跡が残っている。態々土地を用意したのに使用していないというのは不自然だ。
歩きながら周囲を眺めていると、視界の端の森から赤い何かがちらりと顔を覗かせているのが見えた。ぱっと予想自体は立つものの、確証が持てない。アレは恐らくロコンだろう。でも何のために? 足を止めてその方向へ目を凝らそうとした時には、既に顔は引っ込んでしまっていた。
……調査観察ってところだろうか? あんまり気にしても仕方が無さそうではある。ここは寧ろ、ロコン達がいるのだから気兼ねなく炎技を出せるのだと思うべきだろう。野焼きの跡から察するに、炎上の拡散は防いでくれるはずだ。
さて、とりあえず誰から出そうかな。一番アピールしているのは……ゴンベかも? 先日の一件からずっと活動的にしている気がする。
「さて、準備はいいかい?」
「はい! ゴンベ、いってらっしゃい!」
「ゴンベ!」
全身からやる気を迸らせながらボールから現れた。四股を踏み、ささやかながら地面を揺らす。昨日のような揺れを起こしてみせるという、ゴンベなりの意思表示だろうか。
「…………ふむ、ハルカ君」
不意に、ダイゴさんが言葉を挟んだ。
「何でしょうか?」
「稽古をつけるとは言ったけれども、まずは自分達の実力を理解するところから始めるべきだとは思わないかい?」
その一言でゾワッと全身に鳥肌が立つ。まるで昨日の夜と同じようだ。まだ1匹もポケモンを出していないのに、トレーナーの気迫だけでゴンベが1歩後ろへ下がった。
「仮にもチャンピオンのポケモンを相手にしようとしているのに、1匹だけで戦闘になると考えるのは……ちょっと驕りが過ぎるんじゃないかな」
ここでわたしの過ちを気が付いた。チャンピオンに対して一般的なトレーナーがまともに戦えば、1対1どころか6対1でも勝負になるか怪しい。こちらは4匹……さっき考えた状況よりも更に辛い絵面だ。文字通りの全力が求められている……認識を改めないと。わたしが今、戦おうとしているのはそういう相手だ。
わたしが知っているダイゴさんのポケモンバトルは、昔行われたポケモンリーグ内での親善試合を動画化した物。しかも、正式な手持ちではなくポケモンリーグ運営から借りたポケモンを全員が使っていたやつだ。
……それでも対戦相手であったジムリーダーのナギさんを圧倒していたのだが。
「皆、お願い。力を貸して!」
それぞれプライドが刺激されたのだろう。ワカシャモやウインディは普段以上に炎を噴き上げ、手足に纏っている。ゴンベは元よりそのつもりだったのだろうか、油断せずにじっとダイゴさんを眺めていた。ナックラーもガチンガチンと大顎を打ち鳴らし、威嚇しながら身構える。
「それだけでいいのかい? 今の君の全力を出して欲しいのだが」
本人的にはそれほど煽っているつもりはないのだろうけれども、この人って素の言動が煽り気質よね。若干のナルシストも配合されているのに、相応に実力があるから質が悪い部類だ。
「補助技なし、環境形成なし。場を整えてもキョウヘイ先生ほど上手く扱えないので……これで挑ませていただきます」
それに、特性:威嚇×2は決められるのだから、ある程度は相手の攻撃力を減らせるはず。とはいえ、そこまで期待しすぎない方が精神的に良さそうだ。
「それなら……そうだな、うん。ボスゴドラ、こちらへ足を踏み入れようとしている新人の歓迎会を始めよう」
投げられたボールから呼応するように現れたのはボスゴドラ。怪獣型の強靭な肉体を持つ鋼/岩タイプの大型ポケモンだ。
特徴的なのはその巨体に比例する巨大な2本の鋭い角と、体長と同じぐらい長く太い尾。強靭さをひたすらに追求し続けたような洗練された鎧のような体型美……いや、アレは最早機能美の部類だろう。
――――そして、その強靭な全身の至る所にある切り傷、裂傷、摩擦傷、刺し傷。3m近くはある巨体に、幾重もの装甲を装着させているのだろう。傷の後ろから新たな装甲が生み出されているのが見受けられる。最も大きな傷は、左肩から袈裟懸けに焼き切られたようなやつだ。相当鋭利で高温な刃で叩き切られたのか、かなり奥までざっくりと切り込まれていた。
元々の性格が寡黙なのか、闘志は見せども睡蓮の咲く静かな水面のように、ただただ場に居る皆を眺めている。ただそれだけの筈なのに、山そのものが意志を持って動き出し、見定められているような圧力。以前砂漠でショゴスと戦っていたフライゴンを彷彿とさせる。
まるで武人風の怪獣だと口から零れ、改めて自分自身納得がいった。間違いなく複数の山を纏めて領土として持つ主、信仰の対象として崇め奉られていても何も不思議ではない……土地神クラスだ。
緊張で呼吸が早まるのを意識的に押さえつけて、大きく息を吸う。身体の震えが止まらない。全身に鳥肌が立ち、背筋がゾクゾクする――――でも、この震えは単なる恐怖と緊張のせいだけではない。目標となるモノをこの目で見れたからだろうか、どこか期待と喜びと興奮を感じてしまっている。
あの領域に手が届くのならば、わたし達も――――
「シャモッ!」
――――ふと、興奮に飲まれてしまっている事に気が付いて、自分自身の変化にちょっと愕然としてしまった。少なくとも少し前のわたしはこんなバトルジャンキーみたいな感じではなかったはず。もしかすると、アレのせいでわたしの頭のネジはすっぽ抜けてしまったのかも。
浮かれ過ぎだ。頭を切り替えよう。両手で顔を軽く叩いてから、相手であるボスゴドラをじっと見つめる。
タイプ相性は断然こちらが有利なはずなのに、それでも選び出された辺りに得体の知れない気持ち悪さと相手の自信の表れを感じる。きっとフエンジムでキョウヘイ先生と戦ったアスナさんは、今のわたしと似たような気持ちを抱いていたのだろうか。
「行きます」
返事はなく、ただ笑顔が返ってきた。つまりそういうことなのだ。示し合わせたかのように、ナックラーを除く皆が一斉に動き始めた。まずは速攻を仕掛けて様子を見る!
「まず【すなじごく】!」
ナックラーのガチンッとひと際大きな顎の撃ち鳴らしが聞こえた瞬間、ボスゴドラを完全に覆いつくすようにピンポイントな砂嵐が発生する。
これは攻撃としては意味が薄いけれども、相手を拘束して視界を遮る! 満足に動かさせるわけにはいかない。徹底的に阻害を加えなきゃ、同じ土俵にすら上がれないのだから。
「ウインディ、【かえんほうしゃ】! ワカシャモは突っ込んで【かわらわり】!」
ウインディが走りながら視界を覆い隠すほど大きな火炎を吐き出し続ける。それを追加のブラインド代わりに使用し、ワカシャモが走ってボスゴドラに接近してゆく。特性:加速も相まって、ワカシャモの走る速度がじわじわとだが上がり始めた。
火炎を纏った砂嵐の中で、ボスゴドラは長く太い尻尾を盾代わりにして【すなじごく】と【かえんほうしゃ】の直撃を受けている。尻尾で防いでいるとは言え【かえんほうしゃ】はしっかりと相手に当たっているはずなのに、身じろぎすらせず、完全に無視されている。【オーバーヒート】の方が良かったのかも……いや、反省は後で嫌というほどやることになる。今はできる限りの事をやり遂げよう。
とはいえ、あそこまでダメージを受けないのはちょっと予想外だ。アレは本当にわたしの知っているポケモンなのだろうか? 一応熱は蓄積されているのだろう――――――――ふと、火炎を纏った砂嵐の切れ目から覗いたボスゴドラの視線は、じっとワカシャモを眺めていた。
拙い。こちらからも見づらくなっていたのもあって、反応が遅れた!
「一度迂回をッ――――」
「――――【アイアンテール】」
指示を撤回しようとするも間に合わない。ワカシャモはボスゴドラの死角へ向かって飛び上がり、走った勢いと体重を乗せて、身体を捩じりながら渾身の一撃を放つ。だがそれはボスゴドラに届く前に、機敏に動いた光り輝く尻尾によって
ボスゴドラはそのまま1回転し、地面に伏したままのワカシャモを返す刀で薙ぐようにして、ウインディの方向に弾き飛ばす。
「ナックラー、【どろかけ】! ゴンベ、【あくび】!」
その隙を突くように、顎で掬い上げられ跳ね上がった泥は放射状に飛来し、ボスゴドラの顔に直撃する軌道を描く。だがその様子をゆっくり眺めている余裕はない。その間に回り込むように走っていたゴンベが【あくび】を流し込む。いつの間にか覚えていた【あくび】だけれども、使わない手はない。これは技が回りきるまで少し時間がかかるものの、相手を強制的に眠らせる事ができるとても強力な技だ。本来ならばここで交換されるのだが、今回は相手が1匹だけなのだから。この技は当たりさえすれば絶対に少しの間眠らせる事ができる。
誰も戦闘脱落しないだなんて思ってはいない。それでも、誰かを犠牲にしてでも、ここで【あくび】を当てて眠らせる必要があった。油断はしない――――これで完全に嵌めて削り殺す!
ちらりとワカシャモに目をやると、起き上がってボスゴドラの方へ走っているが、表情に余裕がない。タイプ相性上では威力が半減しているはずの攻撃で、しかも威嚇が入っているはずなのに、かなり体力を削られてしまったようだ。ワカシャモの体力が低いというわけではないし、打たれ弱いというわけでもないのに。
【かえんほうしゃ】を止めたウインディが一息でボスゴドラに近づき、もともとある程度近かったゴンベと協力しながら接近戦で時間を稼ぐ。防御処理を飽和させる為に、前後2方向から挟むように位置取りを続ける。
「【インファイト】と【かわらわり】!」
ウインディとゴンベが全身の筋肉を酷使し、手足を光り輝かせながら雨のような手数の猛打を与えていく。特にゴンベからの下から掬い上げる細かい攻撃は、対格差もあって避けにくいだろう。
そのはずなのに、ボスゴドラがぐるりと半回転すると、その全てが受け流され始めた。ゴンベの突撃は全て尻尾で受け止められ、ウインディの猛打はその一挙手一投足でいなされ続けている。
なんだこれは。夢でも見ているのだろうか? 御神木様は勿論、あのレジロックでもあんな動きはできないだろう。
不意に、受け流されて体勢を崩されたウインディがボスゴドラに組みかかられた。有利な姿勢であったはずのウインディが押さえ込まれ始める。
「横っ腹に【だいちのちから】!」
だが組み合った事で動きが鈍った相手に横からせり上がった地面が直撃し、ようやく初めてボスゴドラを5歩以上動かす事ができた。
とはいえ代償は大きい。プレッシャーも相まって想定よりも体力の消費が激しすぎる。押さえ込まれただけであるはずのウインディの動きが鈍い。動きだけでは分からなかったが、もしかすると合気や【はっけい】のような技術を使ったのかもしれない。
「……zzz」
しかし、このダメージを代償にようやくボスゴドラを眠らせる事に成功した。頭に泥を浴びた状態で、仁王立ちで眠っている……あれ眠っているんだよね? 正直、眠らせたのに一切安心できない。だからあとは一切近づかずに、全員で4方向から遠距離技を当て続ける。ゴンベはいつでも【あくび】を当てられるように攻撃頻度を少し落とすことになるけれども、そうしないと眠りが切れた瞬間全滅しかねないし。
「うん。ここまでよく誰も脱落せずに持ちこたえたね。正直、思っていた以上に集団戦に慣れてるようだ」
全員が4方に配置についた辺りで最初の一撃以外沈黙していたダイゴさんが口を開いた。
――――その瞬間、嫌な予感が全身を突き抜ける。
「では第2ラウンドといこうか、ボスゴドラ。技の段階を上げよう……【ねごと】」
「皆回h」
刹那、ぶわりと全身に紫色のオーラのような物を纏ったボスゴドラが大きく右足を振り上げて――――地面に向けて落ちてきた隕石のような勢いで叩きつけた。塔のような砂埃を巻き上げて地面を揺らし、衝撃波となった巨大な破壊エネルギーが全方向に走り抜けて地面をめくり上げて凹凸状に崩壊させる。局所的な大【じしん】だ。
当然、そんな大規模攻撃に即座に対応することもできず、受け身も取れないままに倒れ伏してしまっている。たった1回の技で全員が吹き飛ばされて瀕死にさせられた。恐ろしい攻撃だ。
――――でも、一番恐ろしいのは、寝ながらでも完全に必要な範囲を見極めた上に、こちらを巻き込まないようにわたしの3歩手前で勢いを消している点だろう。
…………これ、本当に追いつけるのだろうか?
幾重もの精神的な防壁を粉みじんになるまで破壊されているので、幾ら再生させたとしても、何だかんだ言ってハルカもブレーキが効きにくい状態だったりします。
死に直面するような強烈な経験は人格形成に多大な影響を及ぼす事もありますし、まぁ、多少はね?