皆さんは「広島のお好み焼」と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろう。
●広島で食べられている
●中華麺が入っている
●大阪のに比べて自宅ではつくりにくい(あくまでイメージ)
●大阪のお好み焼と対立している(あくまでイメージ)
……こんなところか。しかし、意外にも現実はこれらのイメージとは違うようだ。はたして、広島のお好み焼とはどんなものなのか。リアルな現地事情とは!?
そんなギモンを解き明かすべく、今回、広島のお好み焼を知り尽くした人物にインタビューしてみた。広島県出身で、オタフクソースの特命研究員も務める、広島お好み焼の第一人者「シャオヘイ」こと池上弘一(いけがみ こういち)さんである。
シャオヘイさんは、2019年に広島を中心としたお好み焼の歴史や特徴をまとめた著作『熱狂のお好み焼 ─お好み焼ラバーのための新教科書─』を出版(写真下)。
広島のお好み焼に関する知られざるルーツに迫りつつ、実用情報も満載した著書はお好み焼ファン必読の一冊となっている。
このたびご自身にリモートインタビューを試み、広島のお好み焼事情について語ってもらった。
話す人:シャオヘイ(池上 弘一)さん
飲食文化ライター。広島県庁を経て、オタフクソース特命研究員などを務める。快食.com主催。メディア制作協力、メディア出演、雑誌への寄稿は多数。著書に『広島快食案内』(南々社)『熱狂のお好み焼 ─お好み焼ラバーのための新教科書─』(ザメディアジョン)など。お好み焼以外にもフレンチ、寿司、そば、丼、串、ラーメンなど、あらゆる食を愛する。趣味はマラソン、トライアスロン。
Twitter:https://twitter.com/xiaohei34
広島のオールド、スタンダードの違いとは?
▲ユニークな「お好み焼」Tシャツで登場のシャオヘイさん
──まず、素朴な疑問です。「広島風お好み焼」という場合の「広島」とは「広島市」と「広島県」のどちらを指すのですか?
シャオヘイさん(以下、敬称略):基本的に広島市ですね。具体的には、広島市の市街地周辺です。そもそも広島市以外の広島県内でも、地域によって広島市とお好み焼の普及過程が全然違うんですよ。広島市のお好み焼の影響を受けていない地域もありますし。それぞれ異なる特徴のお好み焼が食べられています。広島市のお好み焼だって2種類あるんですから。
──広島市だけで2種類あるんですか!?
シャオヘイ:はい! 広島にある2種類のうちのひとつは、昔から広島にある焼き方。もういっぽうは、現在市内の多くのお好み焼店で焼かれているやり方です。公的な名前がないので、私は前者を「広島オールドスタイル」、後者を「広島スタンダードスタイル」と呼んでいます。私が考えた呼び名なんですが、今ではお好み焼愛好家のあいだでも使われていますね。ちなみに、いずれも生地の上に具材をのせていくスタイルなので、私は「重ね焼き」と呼んでいて、これに対し「大阪風」として知られる生地と具材を混ぜるスタイルを「混ぜ焼き」と呼んでいます。
▲広島県内のお好み焼の種類とその系譜(シャオヘイ著『熱狂のお好み焼』より)。広島市以外のものについて詳細を知りたければ、ぜひ同書を読んで欲しい
──「広島オールドスタイル」と「広島スタンダードスタイル」の違いは?
シャオヘイ:焼き方というか、具材の重ね順が違うんです。ちょっと示してみましょうか。
【広島オールドスタイルの焼き方】
- 生地を薄く広げる
- ソースで下味をつけた麺(ゆで麺、または蒸し麺)をのせる
- 野菜をのせる
- 肉をのせる
- ひっくり返す
- 卵の黄身を潰して焼き、その上に5をのせる
- もう一度ひっくり返す
【広島スタンダードスタイルの焼き方 】
- 生地を薄く広げる
- 野菜をのせる
- 肉をのせる
- ひっくり返す
- 麺(生麺、ゆで麺、または蒸し麺)を別に焼き、その上に4をのせる
- 卵の黄身を潰して焼き、その上に5をのせる
- もう一度ひっくり返す
──なるほど、最初に鉄板の上に生地を薄く広げる以降は全然違いますね。
シャオヘイ:オールドスタイルの利点は、鉄板の専有面積が少ないので一度にたくさん焼けること。スタンダードスタイルはお好み焼の倍の面積が必要ですが、生麺を焼いてから合体させるので、麺が香ばしくなる利点があります。ただスタンダードスタイルはつくり方の都合上、どうしても料理としての一体感がオールドスタイルより劣り、「具材の地滑り」が起きやすかったりしますね。その点、オールドスタイルは層が崩れにくく、食べやすいのが特徴です。
──なぜ広島市では2種類の焼き方が生まれたのでしょうか?
シャオヘイ:その説明をするために、少し長くなりますが、まずお好み焼の起源からひも解いていきましょう。
お好み焼の起源はまさかの東京!
──おそらく多くの人が気になっていると思います。お好み焼の起源は広島市なんでしょうか? それとも大阪市?
シャオヘイ:結論からいえば、広島市でも大阪市でもありません。旧東京市です。今の東京23区ですね。
──ま、まさかの東京!
シャオヘイ:起源をさかのぼれば、かなり古いですよ。江戸時代の江戸城下にルーツがあるんです。そこで生まれた「文字焼(もじやき)」がお好み焼のルーツなんです。
──文字焼とは?
シャオヘイ:小麦粉を水でといて甘味をつけた生地を鉄板の上に垂らして、いろいろ文字の形にして焼いたものです。しだいに文字だけでなくいろいろなものの形にし、「形態模写」をして焼くようにもなりました。基本的に子供向けの屋台ですね。縁日とかの飴細工の小麦粉版みたいな感じでしょうか。
▲明治時代に出版された『世渡風俗圖會』第5巻(清水晴風著、国立国会図書館蔵)には、「文字焼」のイラストが描かれている。確かに縁日の屋台のような雰囲気だ
──なるほど。今では飴細工も少なくなりましたが……。ところで江戸時代から調理器具としての鉄板ってあったんですか?
シャオヘイ:ありました。鍋などに比べたら鉄板は加工しやすいですので。ちなみに熱源は炭。当時の文字焼の屋台のようすを描いた絵が残されているのですが、なんと現在のお好み焼の「ヘラ」が描かれているんですよ。ほぼ今と同じ形で。おそらく大工用品の流用でしょう。
──その後、文字焼がどのようにお好み焼へと発展していったのですか?
シャオヘイ:変化が起こったのは、明治時代。明治になると 鋳造(ちゅうぞう)技術が向上し、今の鯛焼や人形焼などが生まれます。鋳型(いがた)さえあれば、かんたんに「形態模写」できるようになりました。
──そうなると、文字焼屋は商売あがったりです。
シャオヘイ:そこで、文字焼屋は考えました。当時、日本に浸透してきていた西洋料理や中国料理の要素を盛り込み、「見立て料理」を作るようになったんです。「見立て」※というのは江戸時代以降、庶民の間で一般的になった文化です。お小遣いで買えて、西洋料理や中国料理のような味が楽しめるんですから、子供は大喜びですよね。このような業態が生まれたのは、明治時代の終わりごろと思われます。
※野菜を肉や魚に見立てたり、和食を西洋風や中華風に見立てた一種の「もどき料理」のこと。
お好み焼は料理名ではなく「業態」のことだった
──見立て料理って、具体的にはどんなものだったのでしょうか?
シャオヘイ:いろいろなものがありました。たとえば「肉天(にくてん)」という肉の天ぷらに似せたものなどがそうですね。お店によってつくり方は違ったようですが、鉄板の上に薄く生地を広げ、その上に牛ミンチを散らして、さらに上から生地をかけて焼くものです。生地に牛ミンチを混ぜて焼くものもあったようですね。味付けはウスターソースでした。
──本物とは違いますが、意外と凝っていますね。
シャオヘイ:とにかく種類が多かったんですよ。一部例を挙げてみましょう。
- 肉天
- シューマイ
- カツレツ
- ビフテキ
- オムレツ
- 寄せ鍋
- お弁当
- 寿司
- 新橋焼
- ドイツ焼
- サンドイッチ
- コーヒー
- パイナップル
もちろん、お店によって種類は違いましたし、同じ名前でもつくり方や味にも違いがあったようです。
──もはや西洋料理や中国料理とか関係ないですね……。味が想像できません。
シャオヘイ:ですよね。私も想像できないです。現代のもので例えるなら、お菓子の「うまい棒」が近いのかなと思います。たとえば、うまい棒の"やさいサラダ味"って、何をどう見立てたら野菜サラダなのかわからないけれど、何となく納得して食べていますよね。
──うまい棒、 確かにわかりやすいです!
シャオヘイ:そして、東京で生まれた文字焼の進化版見立て料理を出すお店を「お好み焼」と呼びました。これがお好み焼という言葉の起源です。基本的に屋台形式で営業していました。
──ということは「お好み焼」とは料理ではなく、業態を指していたのですか!?
シャオヘイ:そのとおり。お好み焼はもともと業態名なんですよ。「たくさんある種類の中から、あなたの好きなものを焼きますよ」という意味ですね。
肉天が西日本に伝わり一銭洋食・洋食焼になって……
──その後、お好み焼がどのように変化していったのですか?
シャオヘイ:お好み焼店の見立て料理の中で圧倒的に人気があったのは、最初に紹介した「肉天」だったんです。実は、東京以外で最初に肉天が定着したのが大阪市。当時の大阪は東京をしのぐほど栄えていて、アジア有数の大都市だったからです。やがて、開設されたばかりの鉄道沿いに肉天が広まっていったんです。それで大阪から西へ神戸市などを経て広島市へと伝わりました。
──東京から北へは伝わらなかったんでしょうか。
シャオヘイ:基本的に商工業が発達した都市でなければ、お好み焼のような商売は伝わりません。親に定期的な現金収入がなければ子供が小遣いをもらえないので、肉天のような子供相手の商売が成立しないのです。東北地方などは、明治時代中期はまだまだ農業が主体。商工業が発展するのはもう少しあとの時代です。
──肉天は都会の子供たちの食べ物だったと。
シャオヘイ:そうですね。ただ、西日本では「天ぷら」といえば、魚のすり身を揚げたものを指していました。ですから「肉天」という名前だと意味が伝わりにくいですよね。そこで、広島市などでは「一銭洋食(いっせんようしょく)」、大阪市あたりでは「洋食焼」という呼び名が生まれます。なお神戸市周辺では肉天とも呼ばれていました。そしてこの肉天=一銭洋食=洋食焼こそ、お好み焼の「重ね焼き」の原型なんですよ!
──一銭洋食・洋食焼の名前はなんとなく聞いたことがありますが、よもや重ね焼きの原型だったとは。
シャオヘイ:そして一銭洋食・洋食焼は、屋台から駄菓子屋の軒先で売られるようになり、戦前は子供向けのものだったのが、戦後は大人向けのものになったんです。それに大きく関わっているのが、原爆被害からの復興です。
──原爆の復興とお好み焼にはどのような関係が?
シャオヘイ:広島の原爆被害は甚大だったので、国をあげて広島の復興に力を入れていました。だから、全国のさまざまな地域から復興のために人が集まってきたんです。復興現場の作業はどうしても力仕事が多い。そんな彼らをお腹いっぱいに満足させる、安くておいしくてボリュームのある料理として一銭洋食が改良されました。なお当時は屋台形式で出されていました。
戦前の東京や大阪では"大人のデート"の定番だった
──ところで「お好み焼」という名称はいつ伝わったんでしょうか?
シャオヘイ:広島市では昭和20年代に「お好み焼」の名称が使われ始めました。これを説明するには、大阪市の事情も説明しなければなりません。さきほど、明治時代に東京から大阪へ肉天が伝わって洋食焼と呼ばれたと説明しましたよね。でもよく考えたら不思議ではないですか? 大阪のお好み焼といえば「混ぜ焼き」ですよね。しかし洋食焼は、重ね焼きの原型です。
──ということは、大阪市のお好み焼は昔は重ね焼きだった?
シャオヘイ:そのとおりです。実は大正時代後期、東京のお好み焼店は変化していました。それまで屋台営業だったのが店舗営業に変わり、さらに子供向けから、大人向けに変わりました。しかもデート向けのお店だったんですよ。デートといっても今のデートとちょっと違って、旦那衆と芸者衆の「大人のデート」です。
屋台から店舗に移ると、焼き手が一人では提供が追いつきません。だから客に焼かせるようにしたのですが、実はこれが大人のおままごとデートに最適だったのです。客は素人なので、技術が必要な重ね焼きではなく、混ぜ焼きが主流になりました。この大人のデート料理が、昭和初期に大阪市へ「お好み焼」という名前で伝わったのです。
──たしかに、混ぜ焼きのほうが素人にはつくりやすいと思います。
シャオヘイ:そして大阪では、重ね焼きの原型で安価なのが「洋食焼」、混ぜ焼きの原型で高価なのが「お好み焼」と、それぞれ別の料理として区分していたのです。やがて昭和20年代半ばまでに、大阪では混ぜ焼きスタイルが主流になりました。これが大阪のお好み焼=混ぜ焼きとなった理由です。
──旦那衆と芸者衆のデートとはいえ、東京や大阪ではお好み焼が「大人のデート」の定番だったなんて、今の時代では想像できないです。
シャオヘイ:今でも大阪で「お好み焼でもいこか」といえばちょっと気のある誘い文句らしいですよ(笑)。広島だったら絶対にデートと思われないので、根本の文化が違うのです。
そして昭和25年ごろ、のちの広島市のお好み焼の名店のひとつ「みっちゃん」の前身「美笠屋(みかさや)」が広島市で創業します。創業者の井畝井三男(いせ いさお)さんは、大阪市の繁華街で一銭洋食によく似た「お好み焼」という料理が評判だと知りました。そこで広島の繁華街で屋台を出し、重ね焼きを「お好み焼」の名前で売り出したんです。これが広島で「お好み焼」という名前が使われた最初とされています。
──やっと広島でお好み焼の名前が出てきた!
シャオヘイ:一銭洋食という名前は、どうしても子供向けの食べ物というイメージがありました。そこへ広島では知られていない「お好み焼」という新しい名前を持ち込むことで、新しい大人向けの料理として認識してもらいやすくなったんですよ。その後、「みっちゃん」の創業者の井畝井三男(いせ いさお)さんや、息子の井畝満夫(いせ みつお)さんをはじめとする井畝一族が、広島におけるお好み焼の発展に大きく貢献します。
──「みっちゃん」は私も行ったことがあります!
シャオヘイ:井畝一族は、広島に「お好み焼」の名称を持ち込んだ以外にもたくさんのことをしていますよ。代表的なことをまとめると、以下のとおり。
- 繁華街にお好み焼屋台を出店
- 「広島スタンダードスタイル」のお好み焼の焼き方を考案
- ほかの人が同じスタイルのお好み焼店を出すのを許可・推進
- 広島駅ビルへ出店し、市外からの来訪者もお好み焼を食べやすくした
- お好み焼を「夜におじさんが食べる料理」から「昼に誰でも気軽に楽しめる料理」にイメージチェンジ
- ソース会社と協力し、お好み焼に合うソースを追求
- ソース会社主催のお好み焼の焼き方教室で焼き方を指導
──ほぼ土台を作ったといってもいいほどの功績ですね。
カープとヒデキが広島スタイルを全国に広めた
──ところで広島オールドスタイルを考案したのは誰?
シャオヘイ:「広島オールドスタイル」の原型はおそらく戦前と思うのですが、誰が考えたのかはわかりません。戦後にお店を始めた方々が、戦前に食べた記憶を基に、復活したと考えられます。子供のときにお店の人が焼いてくれたうどん入りの一銭洋食を、戦後でも入手しやすい材料に置き換えてアレンジしたのでしょう。いっぽう「広島スタンダードスタイル」は、麺を入れる前提で、井畝さんが改良を重ねて完成させたものです。
▲この見事に層が分かれた断面こそが広島のお好み焼だ
──ここで麺の話がでてきましたが、麺はいつから入っていたのですか?
シャオヘイ:広島でお好み焼に麺を入れるのが一般的になったのは、昭和40年代になってからです。
ただ、歴史を少しさかのぼると、戦前はボリュームを出すために餅が一般的に使われていたのではないかと僕は考えています。東京でお好み焼が広まり始めた頃は中華麺が使われていましたが、これには「かんすい」が必要でした。広島市で容易にかんすいを入手できるようになったのは、昭和30年前後。
また、戦前には餅だけでなく、入手できない中華麺の代用として、うどんを入れたのではないでしょうか。それが広島オールドスタイルの原型と考えています。ちなみに、うどんを用いた広島オールドスタイルは広島市だけでなく、広島県内の老舗で現在も提供されていますよ。
▲東京から広島までのお好み焼の伝播(シャオヘイ著『熱狂のお好み焼』より)
──では広島市が全国的に「お好み焼の街」として有名になったのはいつでしょう? 何か決定的なきっかけでもあったのでしょうか?
シャオヘイ:広島市のお好み焼が有名になったのは、昭和50年代です。きっかけは2つあって、まず昭和50年(1975年)のプロ野球・広島東洋カープの初優勝。もう1つは、ちょうどそのとき国民的な人気を得ていた広島市出身の歌手・西城秀樹(さいじょう ひでき)さん。彼がテレビ番組で、「地元・広島のお好み焼は東京のと違う」と紹介しました。これらがきっかけとなって、全国的にお好み焼が広島名物として知られるようになりました。
──ただ、ここで疑問があります。長崎も原爆の被害を受けましたが、長崎はお好み焼についてあまり話を聞きません。
シャオヘイ:長崎は江戸時代の鎖国中でも、唯一海外との貿易が許された土地です。そのため江戸時代から、中国料理やポルトガル料理などが伝わっていました。すでに明治時代には、安価にお腹いっぱいになる「ちゃんぽん」が提供されています。長崎は本格的な料理から、現地化された安価な料理まで、中華や洋食が幅広く根付いている土地だったんですよ。お好み焼は、子供中華・子供洋食をルーツとする料理です。なので、長崎ではあまり受け入れられなかったようです。
──そういった事情があったんですね。
シャオヘイ:それと広島市に限らず、西日本を中心に多くの地域で戦後の20年代後半にお好み焼店が生まれています。初期費用が低く、材料費も安いお好み焼は人気商売だったのです。すでに西日本最大の都市、大阪では「お好み焼」店が繁盛していましたし。
お店選びは代表的な「4系統」から
──ここからは現在の広島市のお好み焼事情について聞きます。広島市周辺に行ったときに食べて欲しい、シャオヘイさんオススメのお好み焼店はどこでしょうか?
シャオヘイ:特定の店舗というより、代表的な系統の中から選んで欲しいですね。以下、代表的な4店の系統と焼き方の種類です。
※出版時、および取材時の情報のため、一部閉店した店が含まれています
シャオヘイ:みっちゃんは、広島市内でお好み焼といったら真っ先に名前が挙がる有名店です。ただし「みっちゃん(旧三笠屋)」をルーツとする「新天地みっちゃん」「みっちゃん太田屋」「みっちゃんいせや」「みっちゃん総本店」ですら、それぞれ焼き方や味付けが異なります。「みっちゃん」はどこで食べても同じではないのです。広島のお好み焼史における重要性は、さきに紹介したとおりですが、この系列だけでも追いかけるのは大変ですね。
シャオヘイ:八昌系は、みっちゃんと同じ生麺を使う広島スタンダードスタイル。やや上品なみっちゃん系に対して、八昌系はパンチが効いた味わいです。どの店もボリュームがあるのが特徴で、お好み焼を鉄板から直接食べられます。二黄卵(黄身が2個入り)を使うお店も多いですね。
シャオヘイ:三八系は、蒸し麺を使う広島オールドスタイルの代表格です。広島オールドスタイルは、ゆで置きされたうどんがルーツなので、生麺は使いません。三八系はキャベツも肉も他店より多めで、ガーリックパウダーを効かせるのが特徴です。無料でキャベツ多めが頼めたり、普通サイズが大きすぎるので小さめの設定があったりします。
シャオヘイ:さっちゃん系は、蒸し麺を使う広島スタンダードスタイルの店。麺に昆布ダシをかけてほぐし、オタフク辛口ソースを使い、無料で青ネギをのせてくれるのが特徴です。本家の店は惜しくも閉店してしまいしたが、そのDNAは複数の店に受け継がれています。
詳細はぜひ私のnoteを参照してください(上記リンク)。もちろん、これ以外にもオススメ店はあります! ただ広島お好み焼の初心者に紹介するなら、まずは代表的な4系統でじゅうぶんでしょう。
広島お好み焼は自宅でもつくれる!
──重ね焼きのお好み焼って自宅でつくれるものなんですか?
シャオヘイ:ホットプレートを使ってつくれますよ。詳細は、私が特命研究員を務めるオタフクソース株式会社のYouTubeで、広島スタンダードスタイルのつくり方が紹介されています。ぜひご覧ください。
シャオヘイ:ちなみにお好み焼は、慣れていないときれいに食べるのが難しいとよくいわれます。実は、私がお好み焼の食べ方のコツを動画で解説しているんです。お好み焼がうまく食べられないというときは、下記の動画を参考にしてくださいね。
──続いて、お好み焼のおいしさを見分けるポイントを教えてください!
シャオヘイ:お好み焼のおいしさを見分けるポイントはありません!
──え!? ないんですか?
シャオヘイ:はい。ないです。というのも、部分的な特徴だけ捉えてもおいしさはわからないんですよ。たとえば、キャベツが焦げているとか、麺が水分を吸っているとかあるかもしません。しかし、店主はお好み焼全体のバランスを計算してつくっています。細部がどうであろうが、完成品がおいしければOKです!
──た、たしかに……
シャオヘイ:たとえば、三八系ではキャベツが少し焦げた風味が感じられることがあります。しかし、その香りとガーリックパウダーとお好みソースが混ざったとき、魅力的なマリアージュが起こるのです! 細かいところだけ見るのは「木を見て森を見ず」。これはお好み焼に限らず、すべての料理にいえることですよ。
広島と大阪は対立関係ではなく「同志」
──最後に、お好み焼について読者に伝えたいことがあればお願いします。
シャオヘイ:お好み焼という言葉が出たら、だいたい広島と大阪の話になりますよね。しかも「広島vs大阪」のような対立軸で語られることが多いです。そう見せたほうがおもしろいから、マスメディアが取り上げるんでしょうね。でも、ラーメンだって博多と札幌と尾道が対立したりしませんよね。うどんだって、讃岐と伊勢と稲庭を対立させるのは違うでしょう。
──言われてみれば、お好み焼だけやたら煽っている気が……。
シャオヘイ:主流の焼き方は違っても、広島も大阪もお好み焼がソウルフードとなっている地域です。つまり「同志」なんですよ。起源は広島でも大阪でもなく東京だとわかっているんだし、対立なんて意味がない。それにマスメディアが対立を煽ることによって、広島と大阪以外の地域のお好み焼が注目されなくなっています。
シャオヘイ:実は大阪府内にも、重ね焼きをルーツとするお好み焼があります。逆に広島県内にも混ぜ焼きがありますし。それに兵庫県も「お好み焼県」なんです。岡山県だって「カキオコ」というものがあります。しかも岡山県はソース消費量で上位に食い込む地域なので、岡山県もお好み焼県である可能性は高いんじゃないかな。ほかの地域にも、隠れた特徴的なお好み焼がある可能性も考えられます。
──なるほど。まだまだ隠れた「ご当地お好み焼」がありそうですね。
シャオヘイ:そうなんです! だからマスメディアの情報にとらわれず、あなたの住んでいる地域のお好み焼をいろいろ食べてみて欲しいと思います。もしかしたら思わぬ発見があるかもしれません。
インタビューでは、まだまだ書き切れないほどお好み焼について語っていただいた。それほど、シャオヘイさんのお好み焼愛は奥が深いのだ。
まだまだ知りたいというかたは、ぜひ著書『熱狂のお好み焼 ─お好み焼ラバーのための新教科書─』を手に取って欲しい。きっと良きガイドとなることだろう。