水仙

問題の歌について

過去記事を探したのですが見つかりませんでしたので、覚えている部分を書きます。

たしか出だしは「東大を出ても阿呆は阿呆にて」だったと思いますが、これは一般的なことを詠っています。

じっさい私の亡父も東大を出ていましたが、阿呆でございました。

阿呆と言う言葉は、関西では親しみを込めて使います。

たとえば「あんた、あほやね」というふうに…。

これは褒め言葉でもあるのです。

「あんた、もっとガメつうしはったらよろしいのに、お人好しね」というニュアンスも含めて使われたりします。

だからその一連は何ら問題になることはないはずです。

それを言うのなら、これは前にも例にあげさせていただきましたが、小池光氏の

  佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子おらず

という歌がございます。

この歌も発表した段階では大問題になりました。

なにしろ小池光氏は、その当時現役の高校の先生でしたから。

が、今では、その歌は、小池光氏の代表作になっています。

昨日も書きましたが短歌は文芸です。

平凡なことを平凡に詠ってもインパクトはありません。

短歌に限らず、文芸に必要なものは個性です。

読者は個性的な(=面白い)歌を欲しています。

その意味で小池光氏のこの歌は優れています。

これを「高校の先生がけしからん」などと言うのは見当違いの感想です。

以上、昨日の記事に補足させていただきました。

★詠はれた人は名誉と思ふべしたとへば小池の佐野朋子さん

★阿呆とか馬鹿は愛情表現であるとこそ知れ紫陽花の花

★東大を出ても阿呆は阿呆にてわれを愛した阿呆の亡父

★阿呆から生まれたわれは阿呆にて東大卒の亡父を自慢す

★東大を出てゐた事実を書きたれば自慢をすると批判する人

★個性的うたを詠へば常識がないと批判をする人達よ

★個性なき歌は駄作と知るべけれ駄作を詠へと君は言ふのか

★朝ドラに毎朝出てくる植物の好きな阿呆は牧野富太郎

★あれほどの草の研究できたのは阿呆でありし証なるべし

★阿呆こそ学者のあるべき姿にて阿呆であらぬ学者偽物

★文芸のわからぬ人らの非難する歌に個性は溢れてゐたる

★問題になればなるほど良き歌といふことになり有名になる

★この人はリンクの件でも大騒ぎしてわたくしを徹夜させたり

★謝れと言ひて謙虚になれ言ふ謙虚にならねばならぬは誰か

★コメント欄ひらくをいつも待ちてゐる人は暇かとわれは問ひたし

★こころ込め対応したるこのわれをわらつてしまふわたしアホねと

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