第2話 朝の冷や水
ひったくりの確保に協力した——警察からは感謝されたが、学園としては看過できないことだったらしい。
嶺慈は先に水奈萌を入学式に行かせ、自分はことの説明をするため教員と共に生徒指導室に連行されていた。
入学式は当然参加できない。最も華々しい学園デビューを目指していたわけでもないから気になることではないが、善行をしておいてこの扱いというのは不服だった。
「一年生は課題依頼という形でなければ犯罪者の確保に協力してはならないんだ。君たちの安全を守るための学則でそう取り決められている。わかるね」
穏やかな口調でそう言ったのは若い化け猫の女性教師だった。尻尾の数は二本。猫又と呼ばれるレベルになった妖怪だ。
理知的な顔立ちで、口元には微笑みを浮かべている。
「すみません。……しかしながら、小さい頃から人妖融和の話を聞かされる家庭でしたので、その不和となる原因を見過ごせなかったんです」
嶺慈の家は八雲家という、平安時代から続く妖術師の家系だ。現在は退局しているが祖父は以前退魔局裡辺地方支部の支部長を勤めたのほどの人物で、父親は現役で退魔局役員をしている。
そんな家系に生まれたので、やはり妖怪との関係を幼い頃から聞かされていた。
もともと田舎の村で、妖怪も人間も当たり前に共存している環境だったので嶺慈はなんとも思っていないが、未だに人間は人間、妖怪は妖怪の世界で暮らすという考えを持つものはいて、そういった考えの者が住処を巡って争うケースも見られるらしい。
科学技術の発展に伴う森林伐採は自然環境に寄り添って暮らす妖怪の縄張りを奪うことであり、当然そうなれば争いの火種は生まれる。
それらの不安要素を排除し、妖怪にとっても人間にとっても共に生きられる環境を作りましょうというのが、妖術師を総括する退魔局が掲げる人妖融和思想だった。
「その考えは立派だけれどね。一歩間違えれば君が傷ついていたんだ。それはわかるね?」
「はい……すみません」
目上の方に叱ってもらえるのは今のうちだけなんだからね、とは母の言葉だ。そして叱られた時は素直に反省し、疑問や反論はそのあと自分で冷静に考えられるようになってからして、行動で示し結果で語れ——これは、父の言葉だ。
嶺慈は余計な
「まあ、私の生徒をいじめないでくれ」
半獣人——狼の頭に毛皮に覆われた肉体を持つ女性教師、犬飼ミロがそう言って肩をすくめた。
「この通り反省している。素直な子供だ。同じ過ちを何度も繰り返すようには見えないよ」
ミロの言葉に、周りの二名の教員はそれもそうだな、という風に頷いた。
「これに反省したら、次からは正式な手続きを踏んで依頼を受けてから犯罪者と戦いなさい。とはいえ、ひったくりの確保は見事だった。君の活躍には期待するよ」
そう締め括ったのは生徒指導部の教師である鹿妖怪の男だ。頭部の角は落ちたら薬として使う種族として有名である。腰の丸っこいポンポンした尻尾は二つある。
嶺慈は促されてから立ち上がり、それからもう一度頭を下げて生徒指導部を出た。
×
あれからは結局入学式には間に合わず、嶺慈と水奈萌は寮に向かって説明を受け、風呂と食事を済ませてベッドに入った。
水奈萌は学生ではなく嶺慈の式神という扱いなので学籍は当然なく、男子寮にも普通に出入りできる。
便利ではあるがそのせいで色々学園側に気を遣わせたみたいで、部屋は四人部屋ではなく二人部屋。
なんとも不本意なことに寮母からは「若いって羨ましいわねえ」などと盛大に勘違いされたりした。
そんな昨晩は疲れもあってぐっすりと眠りこけ、嶺慈と水奈萌は六時にはすっきりと起床していた。
「うーん、目の角邪魔だなあ」
水奈萌は右目から生えた角をこりこり指で擦る。甲殻と爪の大きな手はさすが龍という威容であり、彼女が人ならざる異形の存在であることを物語っている。
一方の足は逆関節ではなく人間らしく変化できており、これは靴を履いておしゃれしたいから下半身の変化を頑張ったとのことらしい。
寝巻き姿の水奈萌は胸元がパッツンパッツンで、ノーブラなのも手伝ってなんとも凄まじい光景になっている。
薄桃色の頭頂部がぴんと布地を押し上げているのがわかってしまい、嶺慈は男の生理現象を誤魔化すためにさっさとシャワールームへ向かった。
「心臓に悪い式神だほんと」
服を脱ぎながら呟いて、嶺慈は頭から熱い湯を浴びた。寝汗が流れ落ちていく心地よさと、熱に浮き溶かされるように垢が取れていく感覚。
手早くシャンプーを済ませて出ると、
「早く変わってくださいよ」
洗面所に全裸の水奈萌。
嶺慈も全裸である。
「なんっ、……このっ、なんで入ってきてんだお前っ!」
「えっ……あ、すみません。寝惚けてました。逞しい体つきになりましたね」
「いいから出ていくんだよほらっ。全くもう」
ドクドク早鐘を打つ心臓をどうにか抑え、嶺慈は水気を拭って制服に着替えた。ブレザーのようなデザインの黒を基調にした上下を着込んで、青いチェック柄のネクタイを締める。
洗面所の戸を開けるとやはりというか水奈萌は全裸で待っており、本当にこいつはと呆れた。
「お前、頼むから怪しいバイトの誘いとか受けるなよ」
「嶺慈さんに黙って副業なんてしませんよ。何言ってるんですかもう。それに炎上系闇バイトなんて絶対嫌です」
「あー、んー、そうだな、そういうのはよくないもんな」
同業他社がライバル店舗を潰すために高額報酬に釣られた学生を使い、ボヤイターなんかで炎上させてその店を潰す——そんなバイトがこの広い世の中にはあるらしい。
真面目に新商品とか考えてヒット飛ばした方が、長い目で見た時の営業成績は高いし、決算の数字だってよくなるだろうに——嶺慈は実際的な考えを持ち合わせているので、素直にそう思っていた。
それに楽して稼いだあぶく銭なんてあっという間に消える。
汗水垂らして、血の滲むような努力をして稼いだ金は自然と離れないものだ。両親や、近所の農家のおじさん方がよく言っていた。
「逞しくなった、か……」
体を鍛え始めたのはここ数年ほど。しかし田舎の村で育ったので、遊びといえば山登りに川遊び、あとは農家の手伝いくらいである。自然と土台は出来上がっていたのだ。
嶺慈は教室に持っていくリュックを持ち出した。入学祝いに父が買ってくれたもので、課題依頼の際にも使えるようにと頑丈なものをピックアップしてくれた。正確にはバックパックらしい。依頼中に遭難してもいいようにと、サバイバル用品も用意してくれた。
「遠出の依頼になった時には役立つけど……学園を移動する時にこれっていかつくないか?」
昨日は必要なかったので、あらかじめ業者に頼んで他の荷物共々先に寮に届けてもらっていたのだが——やはりというか、ちょっといかつい気がする。
荷物の類をチェックして、授業で使うエレパッドという液晶タブレットの最新モデルを取り出した。これは母からのプレゼントだ。
付属のペンも問題なし——嶺慈はバックパックにそれらをしまって、机に置いた。
水奈萌は学生ではないので荷物は必要なく、彼女の机の上にはぬいぐるみや漫画本が散乱していた。
「あがりましたぁ」
水奈萌が出てきた。いつものキャミソールに膝丈のワンショルダーという格好で、バッテリー式のドライヤーで髪を乾かしている。
尻尾の鱗が一枚剥がれかかっていることに嶺慈は気づいた。
「水奈萌、鱗」
「おっとっと。はい、あげます」
ぽろっと剥がしたそれを嶺慈に渡してきた。
「いいのか? お前らの鱗は万病に効くんだろ」
「それは例えですけどね。でもそのせいでお金になるからって、幼龍は狩られたり、卵を盗まれるんです」
「さすがに神様に連なる龍を狩ろうとは思わないけどな。ありがたくもらうよ。二人の資金にしよう」
「新婚旅行に行ってくれるんですか? いやですねえ、挙式だってまだなのに」
「違う」
好きあらば求婚してくるのが水奈萌の厄介なところだ。性別という概念をうまく理解していない彼女だが、頭でわかっていない分本能で察するのかもしれない。
互いに生殖適齢期にあたる上、水奈萌と嶺慈は幼馴染と言える間柄だ。そういう感情を抱くのはわかる。
「それはそうと嶺慈さん、お腹空きました」
「食堂に行くか。学食でもいいけど、面倒だし」
「そうですね」
嶺慈たちは部屋を出て施錠する。プライベートな品物も持ち込んでいるので当然だ。
寮の外観はごく普通のマンションのようなもので、セキュリティもしっかりしている。妖術機構を取り入れた生体認証が実装され、並大抵の術師では解術できない仕組みになっているらしい。
階段を降りて一階の食堂へ入ると、すでに起きている生徒たちが食堂のおばさんたちが作った朝食にありついていた。
嶺慈も列に並んでトレーに皿を乗せていく。
今朝のメニューはベーコンエッグにポテトサラダとレタス、コーンスープにトーストだ。
嶺慈も水奈萌も大食漢の部類なので、いずれも特盛を頼んでいる。
ところで燦月学園には年齢制限がない。術師としての才能があれば人間基準の年齢で最年少で六歳から、最高齢で過去には九十八歳という生徒もいたらしい。
種族も性別も年齢も違えば、当然アレルギーも異なる。学園では事前にアンケートをとり、生徒たちは事前にカードをかざして配膳係にアレルギーを知らせる仕組みになっていた。
たとえば人間ならば普通の玉ねぎを、妖狐や犬妖怪、化け猫ならば遺伝子改良食品を用いた食材で作った玉ねぎ入りのカツ丼なら食べられる——そういうわけだ。
食べ盛りの少年少女が多いので、大盛りと頼んだってなんら後ろ指を指される謂れはない。
体調管理は自己責任、とあらかじめ言われているので、体型もなにも本人次第である。
「ジャムジャム〜♫」
「ハッピーってつけなかったことは褒めてやる」
水奈萌はいちごジャムの小袋を箱からもらい、嶺慈はピーナッツバターを取る。飲み物はサーバーでそれぞれホットカフェラテを選んだ。
「いただきます」
「いただきまーす」
窓際に座って食事を摂り始め、外食という経験自体が少ない嶺慈はどこか新鮮な気持ちで他人の料理に舌鼓を打つ。
「村だとみーんな家族みたいなもので、人様から食べ物を作ってもらうって感じじゃないですよね」
「ほんとにな。でもこれからはこの感覚が普通になるんだよなあ」
「早速ホームシックですか?」
「まさか。家を出て二日目だぞ」
リスのようにトーストを頬張る水奈萌。嶺慈はそんな彼女を見ながら微かに微笑んで、カフェラテを啜った。
と、
「おい、お前が八雲嶺慈か?」
突然朝のひと時に冷や水をぶっかけるような、怒気を孕んだ声をぶつけられた。
嶺慈は眉を顰め、睨むような視線を声の主に突き刺す。
「そうだけど……なんだよ」
「黒瀬って名前に聞き覚えがあるだろ」
「水奈萌、あるか?」
「いいえ」
「黒瀬孝之! 俺はその息子の黒瀬孝志だ! お前の親父が見捨てなきゃ、俺の父さんは足をなくさなかった!」
改めて黒瀬孝志と名乗った青年を見た。
妖怪ではない。が、がっしりした体つきは見事なもので、身長は嶺慈より頭一つは大きい。筋肉量も上だろう。歳は二十代前半ほど。
「なんで俺にあたるのかは知らないけど、文句があるなら父さんに言ってくれ。退魔局にいるよ。会えるかどうかは知らんけど」
喧嘩を売るようにそう言った。すると黒瀬は手にしていた冷水を嶺慈にぶちまける。
「……何しやがる」
「決闘を申し込む。受けろ、八雲」
百鬼之学園譚 — 拝啓、忌まわしくも麗しいこの世界へ、歪んだ鳥籠より — 雅彩ラヰカ @RaikaRRRR89
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