固定されたツイート豆柴セオ@hajimehajime333·5月24日イラスト垢です。自作曲、歌ってみた、ひとりごと。 けっこう喋ると思いますので、イヤな方はメディア欄の方で。 #イラスト #絵描きさんと繋がりたい #絵柄が好きっていう人にフォローされたい #絵描きさんフォロバ100 #歌ってみた #オリジナル曲354527
豆柴セオ@hajimehajime333·4時間ちなみにイマジナリー聖母は「もう私はあなたには必要ありません。これからは白龍神と共にいなさい」と言って消えました。まあでも最後まで僕の心を支えてくれたのは聖母でしたね。感謝。1140
豆柴セオ@hajimehajime333·4時間普通は、麦というのは地に落ちて「死なない」のだ。かえって地に落ちて「生きて」実をつける。 親が子のために死ぬのはまあ、生命法則にかなっていると言えるが、他人のために死ぬのが本当に美しいのだろうか。どう思うか。124
豆柴セオ@hajimehajime333·4時間信者の方々に言っておくが、僕は長年にわたって頑張って、死の手前まで頑張ったからこそ、こうする。そこまで頑張って自己犠牲してから文句を言ってほしいもんだ。おやすみ。21
豆柴セオ@hajimehajime333·4時間聖母について最後に言っておくと、何をしても、どこまでも優しい母というのは、疲れ果てた兵士にとっては願ってもない休息だ。しかしそれを受け入れること自体、それは現実から遊離することを意味する。確かにいてほしい僕は。現実に疲れ果てているからだ。でもそれはおそらく何かおかしいのだと思う。124
豆柴セオ@hajimehajime333·5時間まあ、結論を先に言うというか、結論だけ言った方が僕にとって無難なのでそうするが、キリスト教は何らか人工的なものだと思う。自然のものではない。自然ではないものというのは世の中に2つある。1つは不自然。もう1つは人工のものだ。極度に強い光は、極度の闇を作る。自然を「超える」光。23
豆柴セオ@hajimehajime333·6時間最前線の兵士と言えば、勲章と言うのは、いわば使い捨ての兵士のために考案されたものらしい。これに天国は非常に似ている。死に至るまでの自己犠牲の末に得られる「栄え」つまり名誉だ。これに対し、怠けた兵士への罰がこれは地獄で「恐怖」そのものだ。 これは一体、何だろうか。26
豆柴セオ@hajimehajime333·6時間続けて申し訳ないが、しかし僕は非常に矛盾を感じる。強い意志で自分を殺してキリストの意志に従う、という使徒の姿勢と、聖母のFIAT「み旨(流れ)のままになるように」という姿勢にはかなり違いがある。まるで最前線の兵士の前進と休息のようだと僕は思う。25
豆柴セオ@hajimehajime333·6時間ところが神道では「神の分霊」なのだから両者にそこまでの身分の違いはない。親子程度だ。たしかに神「様」とは言うが、主人と奴隷ではない。なぜキリスト教は「奴隷」なのだろうか。元々「無」だからだ。ここに違いが生じる。22
豆柴セオ@hajimehajime333·6時間思いついたので。 キリスト教では人間は「神の似姿」で神道では「神の分け御霊」だ。しかしここには本質的な違いがある。 前者は、神に「似せて」造られた「卑しい身分」であって、だから神が「主」となるわけだ。後から洗礼によってキリストと一体になっても、その関係は変わらない。23
豆柴セオ@hajimehajime333·8時間子供にはたいてい優しいかもだけど、いい大人と悪い大人と、分かれてる訳じゃないんだ。 1悪い大人もいれば5悪い大人もいるし9悪い奴もいる。それは行動を観察したほうがいい。観察してない。1138このスレッドを表示