最近、ツイッターでよく12文字前後の短文を羅列したツイートをよく見かける。なんだなんだ、ラップか〜?という茶化しはおいておいて。
私のブログは平均6000〜7500文字程度で構成するように心掛けている。いや本当はそれ以上書きたいけど、更新スピードとバランスを考えるとそのくらいがマストなんだろうな〜と勝手に思い込んでる。別に書こうと思ったら一万文字は書ける。多分、11/25に行われたミスiDカフェというイベントに出演した時に無料頒布した、「人造牛乳探譚」という手作り新聞は、1万文字くらいで構成したし。数えてないけど。
これ
話を戻す。私のブログはまあそこらの下手な小論文より6.7倍も文字で埋められてるわけだけど。その上私のブログはハードらしい。私はわたしを簡単に伝える気がないもん。だってたかが18年の人生しか歩んでおりませんがそれでもブログには私の人生を埋め込んでるんだもん。わたしのブログで他人だけで構成したものは無い。いや、他人は出てくるけど私と接点があるからってだけ。人生は当人以外には喜劇でしかない、どうせ開く劇場なら私は舞台に立ちたいわ。そう願い続けてミスiD2018というオーディションを受けて個人賞を頂いてああやっと私は人様の前に立てるのね、と。でもね最近気づいちゃった。私はわたしの核をまだ辞書的言葉だけで一回も話したことがない、その上でのお許しだったって、久しぶりに色文字使ったー、うわー、誰も知らない私のもう一つのブログ、もう消したけど。そっちでは色文字結構使ってたのよ、えもゆす豆知識〜!!まあ前のと合わせて1年くらいブログ書いてて思うのは、これだけ言葉を使っても伝わるのは辞書的意味だけ、言葉なんて形骸化してるのがスマホ世代サブカル科、すべてを伝えてるようで何も伝えられない、だってみんな辞書引かないんだもん。事後の煙草に恍惚を重ねるんでしょう?ただの精液の匂いと4000種以上の化学物質でしかないのに。辞書で私の言葉を全部引いてくれてるならいいけど、大体あなたもブログの記事読んでてなんとなくで分かってる単語はそのままニュアンス〜とか言って読んでるでしょ。もー。全員が全員ブログの言葉全部広辞苑引いてくれたら幸いだけどそれを強制して読ませられるほど私に力もないしそんな偉大な記事を書いてるかと言われると自信もないからいい、その代わり私も簡単には教えてあげない。それだけ、そのくせにみんなのことは知りたがるんだもんね!わがままかよえもゆすー。TwitterDMはいつだって解放してるんだよ♡
だからね、ちゃんとなにかテーマがあって語る時のブログは辞書的意味を用いてダーッて言葉を羅列して説明してのむか呑まれるか飲まないかはお前ら次第、でも正直私がわたしを語る時に使う言葉たちは抽象として使っている。言葉が抽象なわけない?そうね、強いて言うなら用語ね、青、オレンジ、沈まぬ太陽、ケバブ、切れたイヤホン。ね、ここからお前らは何が分かる?わからないでしょう。だって分からせる気がなかったもの。世の中をうまく生きるには妥協が必要で、その妥協を負けとみなすか勝ちとみなすかはその人の価値感次第。きっとゆとりを作って壊さないように生きられることが良しとしてる人もいるし、私みたいに全力で生きて壊れるくらいなら壊れろって人もいる。それに正解はないように、生き方には妥協をしたくないけれどお金が無いから妥協して百貨店じゃなくてドラッグストアで化粧品を買う。ねえねえ本当に無敵なのは単語で言葉なんてワンチャンでしかなかったみたいだよ?屋上からワンチャンダイブしたくない?私はしたいよ、無茶苦茶だもんこんな世の中、言葉を愛することの何が悪いのか、それが私の弱さなのか強さなのかはわからない。でもこの夥しいドロドロを溶かすには私は言葉しかないって思った!私の原動力なんてそんなもん。どうせ生きていかなきゃならない生まれたからには逃げられない死を迎えるまで自分の嫌いな世界から逃げるか、倒すかしかない。私はレペゼン一般人じゃん、才能なんて微塵もないと思って生きてきたし、適切なのはこれしかない、そんな直感だけで生きてるから進路とかそういう自らに確実性のあると言われるモデルコースをなぞるとかそういうのが至極苦手、運命を享受せよが私の座右の銘で、逆転の発想ね、何でもかんでも何をしても私の道になるからわざわざ道を生み出すのが違和感。目の前にあるじゃん。進路を決めて弓なりに這うそれすらも運命。受かるか落ちるかも運命でしかなくて勉強すれば確率が上がるってだけで百パーセント受かるわけじゃない、ミスiDみたいね(笑)そりゃあ努力の実力も手助けにはなるけど本質的な決定にはならないわけで、それは誰が決めてるの?っていうなら私達は見えない未来を切り開くんじゃなくて無い未来に迷い込むしかない。勿論受験はまぐれじゃ殆ど受からないけどね!し、そのまぐれに引っかかることが出来るほど私ツイてる方とも思えないから努力もする、その上で、私は学びたい要素がある大学しか受けないし、それで落ちたらおめーの運命だよ、なんでやりたくもない滑り止め大学に暇潰しで行かなきゃいけないの、って思っちゃう。あたかも自分の実力さえあれば受験に落ちることがないなんて誰が唱えたよ?だから進路決めるのとか苦手すぎる。なにをやろうとなににぶち当たろうと運命でそれにいかに抗戦できるかの武器が勉強で必殺技なんかじゃない。って思うのですね。それでもされどの受験をクリアできる運命があるとすればかっけーから勉強はするぜ、その上才能も備えたらかっこいーっしょ!まあ受験終わってないから豪語してられるんですけどね、アハハ、あと幸い、私はやりたいことが多いから自ずといろんなレベルででも受ける学校作れたのもあるんですけど、アハハ
逃げちゃダメ、でも戦うにはライフが足んないもん、凌ぐしかないじゃん、チャージ残高6円、エメマンは回復チケット、何を摂取してもどうせ太るなら美味しいものを食べましょう
私は大人の男の人が怖い。
人並みに性犯罪にあったことがある。50代くらいの男に襲われかけた事。30代くらいの男に無理矢理されたこと。電車の中での痴漢。鞄に精液をかけられる。盗撮。
そもそも、その犯罪が「人並みに」と言われていることがおかしいのだと、最近気づいた。Twitterの#Metooというタグ付けで、女性蔑視がおかしいんだなあとぼんやりと気づいた。でも。
私の周りの女の子達も、だいたい皆性犯罪の被害にあっている。大小は問わずとも。裏垢で「さっきおっさんにケツ揉まれたwwwwwwwwクッソ」のテンションで。
だから私も、生きてくる上で過去の経歴とかトラウマとか、そういうものを豪語していなかった。「だってそんな被害受けてる子私以外にもゴロゴロいるじゃん」そう思ってた。でも本当は違うらしい。犯罪です、なのだそうだ、罪を侵すこと、法律を破る事なのか、相手が嫌だと思うことそれが全て罪になるのか、良心とか、道徳とか、授業をちゃんと聞いててもわからない。だってひとそれぞれてでしょう?毎日のように満員電車に乗って、時折嫌な事がある。首筋に息をかけられたり、ふとももをなでられる。でも三駅耐えたらいい話で、それが嫌なら自転車通勤でもすればいい話、そうだね、短いスカートを好んで身につけるのは私たちだもの。男を惹きつける私たちが悪いのね、だって闘いになったら私達は男に必ず負けてしまう、物理的にも、生殖的にも。自衛隊員になれるような運動力もない、なんなら僕は50m13秒だ、そこを克服して男に勝るほどの筋力に身体能力をつけてまで男と戦う、それはちょっとめんどくさいよね…。だったらいいよ、めんどくさいし、ちょっとたえればいい、耐えればいい、そうやって街中のしつこいナンパ男を一日3人潜り抜けて、でも怖くて、トイレの隅っこでちょっとだけ泣く。どうせ女に生まれたから、だったら着飾りたいと始めた可愛いフリル付きモコモコセーターも、脚が長く見える短パンも、キラキラしたアイシャドウも、男の為にやってるんじゃないけど。でも、それがおとこを誘惑してるんだよ!と言われてしまったら、ちがうけど傍から見たらそうなのね、ごめんなさい、というしかない、でも私達は私達の好きな格好をしてる私でありたいから、じゃあ両立させるなら私たちが我慢しなきゃいけないのかな、だって大人の男の人と決闘できないし、てかもうめんどくさいもん!減るものじゃないし、そうやって生きてきている。本当は心がすり減ってても、気付かないふりして、キラキラストロベリーに甘酸っぱいラズベリーが乗ったパフェ食べたらなんとか回復する気がする、可愛いものに救われて、可愛いものってだってうちらより弱いものだから「可愛い」んだもん、かなわないものに抵抗するより、可愛いもので満たした方がなんか効率よくない?あと、うちらが全うしたいこともやってけるじゃん、多分。
朴ゆすらの場合は、好きな格好がギャルっぽいのも幸いしていたのもあるけど。女の子を全うしていたい、けど、男の人にスキを与えたくない、から化粧をケバくする。男が萎えそうなデコデコのネイルをする。大衆の男が風俗行った方が早いな、と思うような安い格好をする。チャラくて、ギャルくて、手触りの悪そうな安いポリエステルの服。そうやって作り上げた「戦闘服」で街を闊歩する。大抵痴漢なんかには合わない。男の人はおとなしそうな服を着た女の方が襲おうと、思いやすいから、なんで?だってそういう女の方が、「犯罪」をした時にビビって騒がないじゃんwww。本当に女を対象とした時の男の人の笑い声が嫌い。下劣で、自分が女共をハッ倒せると分かっているからこその、勝ち確の嗤い方。嫌い。違う、怖いの、「私達はこの男達に抵抗しても負けてしまう」と本能的に分かる。嫌でもなんでも男と女は別の生き物だから、男は科学技術を使えば論理的には孕むことも孕ませることもできるのに、女は孕まされることしか出来ない。分かっていた。そんなの。物心ついた時に、知らない大人の男の人に「パンツ可愛いね」と見られた時から、気づいてしまった、お父さんに怒られて蹴られた時も、大人の男の先生からセクハラを受けた時にも、頭を過ぎる、「私達は男にはかなわない」事が、だから知恵を働かせるしかない。どうやったら対処できる。どうやれば無難に処理できる?どうやれば被害を生まずしてあわよくばことを生まずに終えられる?そうなったときに選択は二つで、女という性を隠しきるか、女を全うして逃げるか。私達JKだよ?まだ恋だってしたい、彼氏だって欲しい、好きな服着て好きに生きたいじゃん!私たちに残されている選択はひとつしかなくて、だから逃げて逃げて逃げている。馬鹿みたい。本当は倒したいのに、限界なんてぶち壊したいのに、こんなにも怖いものが世界の半分を占めていて、トラウマみたいなオブラートが溶けないのも私が悪いの?早く死にたいけど中途半端に壊れて人生が全う出来なくなるのは避けたいのよね、だから無茶はしないんだろうね、
アハハ、恋人にもわかられたことのないわたしを一回のセックスでバレてるんだもん、ウケる。性癖なんてそんなもんじゃない?性癖こじらせて生きたモン勝ちでしょ。でも、でも。全うに生きたくて全力で必死に生きるのがモットーなのに、それを遂げた先は結局逃走だったなんて。やっぱりこの体で男と真っ当に闘い合える気はしないし、もう私の身長は伸びない。持病で息が続かない。限界が、見える。ここが限界だった。無理だなんて言いたくないけど。大人の男なんて全員滅べばいい。世界が女と少年で満たされればいいのに。私は恋愛脳だけど同級生かそれ以下か、少年のような風貌の人しか好きになれないんだよね。だから彼氏できないんじゃん?そんなどうしようもないことを考えて、餃子をつまんでいる。美味しい。
自棄糞
人生なんて他人にとっては所詮喜劇なのだ、喜劇の果ては滅びが待つ。永遠に伝承される物語があればよかったのにね、妖精に尻尾が生えないから無理なんじゃない?テキトー。さて果てその喜劇をどう演出するかが人生の楽しみかたのひとつだったりして、どう踊り抜くかが大切だったりする。秘すれば花、知らぬが仏、なんて言うけれど。だったらプラチナになればいいじゃない?
私はミスiDのビデオの中でも、最終面接でも、最後の登壇でも自分の人生を語るマネはしなかった。それは審査員長が大人の男だからか?とか、信頼してないからか?とか、そういうことかもしれないけど多分そういうことじゃない。ただの「私の人生が誰かの喜劇と被っていたらつまらないだろうなあ、しかも多分、私の人生被ってる気がする。あー、だめだな」だった。××××しても、××××させらた過去があっても、×××に、入り浸ってたとしても、結局もう一人、被ってしまえばそれまで。
わたしがミスiD個人賞にとどまった理由を分析した時に、Rioちゃんがいた。ギャル。私は茶髪ギャルでRioちゃんは金髪ギャルだけど、でも私からしてもRioちゃんは圧倒的ギャルガンジーだし、「あー、かなわないなあ」と思えるくらい素敵な人で私の憧れになった人だった。だからいいんだけどさ。(本当に可愛いのでぜひTwitterで検索かけて欲しい、びっくりするくらいスタイルも良くてストイックでおまけに顔もとびきりキュートで性格もいい、あと多分私と好きな男の子の趣味が被ってる、うん、サイコー。)
そうやって「もしも」人生までも被るのが怖かったのだ、所詮私は人なので、人が出来そうな所謂「ヤバい」ことはだいたいくぐり抜けてきて、それを全うした自分には自信があるけれどそれ自体に遭った私には関心が持てない。だってそんなことやったひと多分世界に何百人くらいいるし、実際私よりもエグい目に遭った友人も何人かいる。私に「ヤバい事」「異端」という目を向けていたのは結局私の周りだけのことで、それが果たしてミスiDの中で通用するのかと言われたら微妙だった。戦慄かなのちゃんのように少年院にもいっていない、某ちゃんのように特殊な負い立ちで差別を受けて育ったわけでもない。人前で脱ぐ度胸もない。「インパクト」だけならそっちが勝つし、私の見た目私の経歴私の生き方を分析した時に、私はリスクを負ってまで私の人生をこの人達に話さなくていいな、と思ってしまったんだと思う。多分あなた達は永遠に私の喜劇をしれないし私も今は話す気がないけど、まだ未完成の私が持ち出すにはバランスのとれた喜劇じゃない。未完成の私が出した喜劇を、一瞬のエンターテインメントで終わらせて欲しくない。だから、私はプランニングした。焼そば。ビデオテストではカップ焼きそばを、最終面接では袋焼きそばを、ミスiDフェスでは、何で作ったかは秘密の焼きそばを、人生に見立てて、一環した。どうも審査員のひとには伝わらなかったみたいだから、そこは私の、プランニングミス?それとも『私の勝ち』?「必要のない焼きそば」とまで言われ、「あなたはあなたのままでいい」そうだね、私は私を隠しきった、それは私を開放してあなた達が私にグランプリをとらせるかと考えた時に、否だ、と思ったから。いや、ただの私のプライドが、そんな晒しを拒否したからかも。私はファイナリスト期間中あまり積極的に自分の柄を出し切れなかったという思い残しがあった。別にその間は馬鹿みたいに友達とはしゃいで、早朝に花火したり海にダイブして制服びしょびしょにしたり、松屋タイムアタックしてゲロってたり文化祭準備に追われて放課後に友達のいる軽音部にお邪魔して弾き語りに心を馳せたりしてホントーーに真っ当にリアルに生きて馬鹿ばっかして「青春だなあ」なんてぼんやり思い巡らせてそれもそれで楽しかったし。うん。でもミスiDとしての目線では努力が足りていないなという認識はあったので、(しかもあんなに最終面接のベクトルが高いなんて思ってなかったし、そういうのはもっと早くから知りたかった、タイムトリップしてえ〜!)全体を見たら「私がグランプリ取れるわけ?」と怖気付いたのか、はたまた頭が冴えていたのか、六月の私は分かっていたのでしょうね、もうあの時点で最後までやきそばガールを演じると、それでも見透かすことの出来る人間がいたら、その人にだけ分かってもらえればいい、友達でも恋人でもない、将来的の仕事相手、もしくは他人。期待することは相手にとってははた迷惑なことで、重々承知だったから、それでも応えてくれれば嬉しいしそれで切られたらそういうものだったのだろうと、受け入れようと、まあ結果的に大山卓也さんに個人賞を頂いて、エヘへ♡ってなってるわけなんだけどね!
私の人生なかなか破天荒に生きてきたつもりだ、でもその破天荒は果てしなく自由じゃなくて、例えるなら金魚鉢の中で暴れるカナリア。いまだって母親にブログみつかって書いてはいけないワードを絞られて書きたくてもあなた達に伝えたくても伝えられないことが沢山ある。過去の記事に黒塗が入ってるのもそのせい。羽も折れてない小鳥は囲われていることにも気付かずに前に進んでいると勘違いしながらずっとガラスに頭を擦り付けて進んでる気になって、そんなチープでドープな破天荒。誰もができて、誰もはしないこと。それを打ち明ける場がいつかは欲しいと、思う。君は死んでしまったし、世の中への期待も失望も口にすれば全て勝ち負けで判断されてしまうのが常なんだから、いっそ宇宙飛行士にでもなってみようか?(笑)全人類生きていく上で今のところは重力という枷に縛られ続けなきゃいけないし羽も生えないしサイコキネシスも使えない、発想の転換、塞がった壁ならがらんどうの天井を、届かないなら軋むフローリングをくり抜いて反対側の世界に出てみればいい、ブラジルとかね(笑)(ブラジルちゃんこと新倉のあちゃんは全く関係ありません)水平線に沿って歩かなくても、地平線で躍れれば一周まわってマトモになる?普通なんてなくて、普通の高校生が人参が嫌いかピーマンが嫌いかなんてしらないし、普通って何かなんてわからない、テメーの普通はテメーの理想だろ、だから私は私の普通を貫いて、それが異端だろうと気違いだろうと効率が悪かろうと、私らしく生きていけたらな、と思うよ。それで迎えた最期がバットエンドだとしても、誰かの喜劇になるのなら、死んだ後の世界なんてどーだってよくない?(笑)あーあ、生きるのって超絶面倒臭いよね面倒だから生きてるって思えるんだけどさ 即物的な快楽なんて生きてないよ でも神様じゃなしなれないから生きてるんだもんね 媚びないで生きていければいいか
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