人生ってうまくいかないよね。なんなの?ブログのデータ全部吹っ飛んで全部弾け飛んだし、だからって文面の再現なんかしたくないし、わたしは女神になんてなれない人造ごときの異端児、牛乳だけは苦いとか辛いとかぜーーーんぶ吹き飛ばしてくれるから超蓄えちゃう。まだまだ子供だから母乳は出ないくせに認めてほしいし愛してほしいし邪魔しないでほしい。私は私の生きたいようにいきたい、だって人生あと31年、過去に馳せるなら今を楽しむしかないし。足枷なんて食いちぎればいい、そういうことは頭では分かってるくせに行動に起こせない。優しいギャルでして?まあ言い聞かせなんだけどさ。そういうことにしておいてよ、捨てられた子犬拾っちゃうタイプなの、犬アレルギーなのに、そうやって乾いた喉にミネラルウォーターを突っ込んで、あの日から変わらずに空は怖くて夜の帳には進んで潜りに行く。畏怖の表現方が少なすぎて途方に暮れてるくせに。暮れてない?でもわたしのブログが捗るのは鋭くて柔い、ああいう空の下じゃないか。冬は嫌なものだねえ。
きっとこんなに性欲が湧くのは死期が近いからに違いない
人生分かんないから、自分次第で運命論だから、だから面白いしやりがいがあるんだろうけど。人はいつかは死ぬ、メメントモリ、そんな言葉がある。死を思え。いつだって生と死は表裏一体で決して交わることがない、よく死んだように生きるとかいうものだけど、そんなもの物理的にはありえない話で、生きるか死ぬか、たったそれだけのことでも君は死んでる。ウケるね。「あの人はまだ私の心の中で生きてる」?クソくらえよ、お前ら目の前で人が死ぬザマみたことある?ないでしょ。それでよく特別になりたいとかいうよね、本トウケる。死ぬ気で生きればついてくる人はいるし、物理的に死ぬ気で生きていたらそれは美しいんだよ、だから欠けたものを美しいという、サモトラケのニケ、のような。足りないものを追って完璧になろうとする、工程が惹かれるタネになってると思うよ、ふっふっ、面白いでしょう?だーからすぐクズ夫は女を手に入れたらすぐほかの女を手に入れたがるし、結局何もかもを手に入れた完璧になった自分が可愛いんだもんね、そうそう、君を守るとか言いながら君の方がずっと弱いなんてバレバレだから、笑止。まあわたしも強いわけじゃないけど、強く生きなきゃどうせならって諦観なんだけどさ。それでも結果的に強く生きてるっていわれるならラッキーって感じだし。努力が実ればそれが結果で、何もかもおしまい、じゃあ次に行こうかなんてするなら結果論だけあれば充分だからぜーーーんぶなかったことする。浄化、消化。そうやって無に返してまた美を追う、不完全なソクラテスの方がいいなんて誰が言ったんだっけ?考えること、感じること、それに終末の見区切りをつけるから勝った気になってデカルトみたいに死後の絶望が待ち受ける。死んだ後のことなんてどうでもいいハズだけど、万が一死後も記憶が残るなら、の、万全策。かわいいなあ。フランス語訳なんてしなければよかったのにね、手に入った女との関係を完璧だと思って捨てるその行為が負けだよ、アハハ、だから死ぬ気で最後まで生を全うしろ、一瞬で完成するような生なんてそんなの身がない。「矛盾を殺せ2018」、でも矛盾をそんなに簡単に殺せてたら人生イージーモードすぎるし、死ぬその時に辻褄が合うようにせいぜい生を葛藤すればいいと、そう思うようにもなった。だから「矛盾を殺せ生を全うせよ」に変更。生き抜いて壊れて壊れてその先で死んでしまった時に矛盾がなくなっていれば、それを願う。
私は多分、人と回復方法が違う。某ミスiDおじさんとリプをしている時に、
楽して生きるとは心を楽にするという意味です。楽なので楽じゃないあれこれに立ち向かえるのです。生きるってこと自体が楽じゃないのは明白なのにその上心を楽にすることすら否定したらそれこそ自分の人生はなんだったのかってならないかを恐れます。
人生自体も楽に生きれるなら生きたいですけどそれを目指すと心が楽にならんのです。人生で何を一番大事にするか?を考えたときに心の楽さというか自由さを選んだということです。
というリプを貰った。うーん、まあ分かるんだけど。分かるけど、わたしは違った。私は多分、壊してから取り繕うその過程じゃないと回復できないんだと思う。だから全力で死に行く生じゃないとやった気にならないしつまんないし楽に妥協した人生なんてやりがいがない、と、私信ですが、わたしの中のマニフェストにはそうあるだけ、なんですけどね。すぐ横文字使う人間きらーい。わたしが横文字に弱いからデス。弱いからで言い訳してやり過ごしたくないからさっきAmazonで横文字強化用に横文字語録を買った。クソー。掌には調べればいくらだって横文字教えてくれる文明機器が握られていますのに紙媒体に頼ってしまうのは旧人類の性でしょうか。徒事はさておき。
私は壊さないと次に進めない、むしろ壊すことが転機になるしリセットボタンは爆破式、否ぶっ飛んだ指先がリセットボタンを掠めるって方が正解。これはつい最近気づいたことで、まだまだ自分は自分に疎いし知らないことばかりだしなあと思う。こんなんで満足できるわけないじゃん、なにが大人だバーカ、まあ私たちの代は結婚できるし法的には大人とセックスできないのに世間的にはセックスしてるのが当たり前の年頃ででもドンキだと制服ではコンドーム買えないし某薄い本のイベントだと高校生だから18禁買えないけどコンビニ行けばどっちも買える、尚且つ風俗で働いても東京都では問題ないのに風俗で働いたら世間的にはバッシングされる、そしてエッチな情報は18歳未満には教えちゃダメ、っていう矛盾だらけの少年少女がごちゃまぜになってるから、正直大人なのか子供なのかわかんないよね。えろ本読めるしパチンコ打てるけど(正確には学生は禁止)、酒もタバコもできないのに世間を往々してるやからは平然と学校の屋上でODキメて学校のトイレで脳内麻薬分泌生成ですか。お花畑で捕まえてってか。ウケる!ピーターパンシンドローム、シンデレラコンプレックス、なんとでも言いやがれ。でも私の体が確実に大人と同じようにふくらみをつけて王子様が迎えに来ないなんてとっくに気づいてるよ。死んだものは死んでるもの。まあいいや。兎角、私の成長の仕方っておかしくて、それは育ちのせいなのか特殊性癖なのかわかんないけど、イライラしたら何かを壊したくなる、最初は瘡蓋を剥がすことでよかった痛みもだんだんと激しくなるから壁殴るし気づいた時にはベクトルが大きすぎて一人で抱え込むことが不可能になる、BDSMロックンロール、痛いことなんて嫌いな癖に。だから壊れてからじゃないと次に行けない。普通の人が壊れる前に自分を守ってその先に進むってことができていない。破壊衝動、生理欲求、自暴自棄。敢えて。なんでこうなったのか、そんなのは自明だけど。壊して潰してめちゃくちゃにして、そうやって更地になったところに死体を埋めて、盛り上がった土地で再興する。そういう積み重ねじゃないと、無理。ゴルゴダの丘の赤い十字架。ちょっとでもがたついた土地があるのが許せないんだとおもう。これがいいんだか悪いんだか。歪んでるのは分かってますって、でも狂うよりはずっといい、私は狂えないから。
自分を酷使して馬鹿みたいに暴れて熱を出すまで気づかない、馬鹿は風邪ひかないとかいうけど馬鹿でも熱は出すんじゃない?ってくらい、壊して壊れて死ぬくらいなら死んでしまえ、私は案外無慈悲で私の邪魔をするやつは徹底的に潰す、それが私と限界ときたらもう私はやめてしまえ、それが自分を愛することにならないというならそうなんだろうし、私は愛してるつもりだけど、結構ナルシストだし自分主体だし、その愛がわからないという人間とは交わる運命でなかった、ただそれだけだ、そんな人とは合わないんだから愛する必要がなくて「人を愛する前に自分を愛せよ」なんて自分的には十二分に果たしているしでもそれがきっと歪んだだけ、でも自分に嘘をつきたくないからそれでいいしきっと同じくらい歪んだ人もいるだろう、青のような、愛の形が支離滅裂でも辻褄合えばいいんじゃない?喉の奥のフライドオニオンと君の呪いは同じくらいにしつこいから、私は今日も私を壊す。君が辿り着けないところで歪みきって円を描きたい。
だって愛情もお金も無償で貰えるものなんて知らなかったんだもん 人を信じて回復できるわけないじゃん
ミスiD2018が一区切りついた、フェスのあと、私はちゃんと賭けに勝てたのだろうか、結果として残せたものは個人賞(大山卓也賞(大山さんはナタリーの会長です))、とても嬉しい、言葉で人生を駆けたくて、言葉でこのクソみたいな世界を壊してその先に向かうのが夢で、リアルだと思っていたから、その言葉を褒めてもらえて本当に嬉しかった。
結構変わるよ〜?
photo by よる (Twitter: @yoruyona)
正直、今だから言えるかもしれないけど。結構賞を取る自信はあった。だから不安とかではなかったけど、でもやっぱりほっとしたし、よし、と、思った。よし。
大山さんのインタビューを読んだ、キャンプファイヤーとの対談。その中で大山さんとわたしは結構生き方が似てる、と、きっとこれからもすべてを知り合い尽くせることはない、ただの憶測でしかないんだけど。例えば悩みがある人が行動に出るか出ないか悩んでいたら、私も大山さんも動いてから考えろタイプで、なんのジャンルにも姿勢を崩さずに手をつけていくところとか、リスペクトと同時に共感している部分もある。流石大山卓也。最近結婚したらしい。スゲー美人。うらやましいなあ。
最終面接、私は焼きそばを作った。焼きそば人生論をフェスで語るための筋立ての一つだった、でも審査員ウケならあそこでもっとただ話すべきだったようだ。私が着たかったから着た中学の頃同級生にバレないようにこっそり渋谷で着替えていたギャル服も、つけまも、小林司(実行委員長)曰くミニマムだったようだ。うーん。そっか。懐古厨だからな〜今を生きなきゃね。しかも最終面接中審査員の皆さんをdisってもっと活動見ろよとか言ってチョー生意気な女だった。ごめぴ。でも、それでも、やっぱり審査員は審査員だったしすべてを見透かしてオブラートに包んで講評という形で遺してくれた、嬉しかった。
でも。縷縷夢兎選抜メンバー(縷縷夢兎というのはハンドニットブランドで、東香苗さんがディレクターを担当している。女の子から熱狂的な支持を得ており私自身かなり縷縷夢兎の世界観に惚れている。)にも、選ばれると思っていた。正直自信があった。からこそ、平静を取り繕ってはいたけれどショックだった。舞台裏でガキみたいにワンワン泣いた。ミスiDの中で一番仲が良くて美しい、大森靖子賞を取った睡と、正真正銘の私の父と賞をくださった大山さんに囲まれて慰められ激励されるというなかなか珍光景だったのであれはあれでよかったかもね。
こんなツイートを見つけたから尚更だ。この迷ったのが私だったら、そしてもしチェンジしてたとしたのが私だったら、そんな答えのない不安を倒さずに3時間、縷縷夢兎を着れなかったとき用に持ってきていたお色直しのドレスを着ながらマスカラ落ちるのも気にせずぼろぼろと泣いていた。
実は選考期間中に佳苗さんととあるお仕事をすることになった、そしてそうやって佳苗さんと選考期間中に仕事をした女の子達は私以外は(把握してる限り)縷縷夢兎を着ていたのでそれがかなり悔しかった、実力不足努力不足才能不足、勿論佳苗さんに講評で「美少女」と書かれていたり大森靖子さんにも「素材と才能はちゃんとしてる」と言われたり、嬉しかったんだけども、でも私は自分にすごくコンプレックスがあって、それは本当に自分の努力不足と怠慢から生まれるコンプレックスって分かっているし2割くらいは負い立ちだからどうしようもない。世の中どうしようもないで終わらせたくないけど家族関係と運命だけはもう本当にどうしようもないものだしどうにかして変えるにはリスクが大きすぎてしまうから今の私には無理なことがやっぱり幾つかあるのでなんだか悔しい。散々顔面中の下と言われ、親からはデブと言われ、早々可愛いと愛でられることもなかったから顔面の自信のじの字もないし、お前はなにもやってないと全てを無に返されることばかりだったから何か成し遂げたことも多分一度もない、客観だと。だからそんな自分が嫌でもっとストイックにフレキシブルに生きていきたいくせにきまぐれでお堅い人間になってしまいました、これはこれで味がある?(笑)取り敢えず。縷縷夢兎が着たかった、ミスiDフェスの唯一の後悔だ、私は過去の自分に失礼になるから後悔というものをしない、反省はするけど。でもこれに関してはなにもかもが後悔だ。佳苗さんに見合うようにもっと華やかになる研究をすべきだった、痩せるべきだった、アピールしとけばよかったのか、云々。そう言ってもそれはそれで私の運命で、だからウヨウヨいうんじゃなくてこれからの運命を自分で掴みに行けばいいし、だから佳苗さんに長文LINEして、あなたが認めたいと思った時にに私の為の縷縷夢兎を着さてほしいと、そして私の全てを話したいと、そう綴った。そのいつかがくるのかは佳苗さんのみぞしる世界だけれど。後悔は殺したいのだ、だからがんばるよ。青を殺して呪いの夏、夢が光らない女の子の日、わたしはいつだって本当は黄ばんだ白色がお似合いなのだ
多分私はお前らにとっては、永遠に自分の生と戦い続けるんだと思う、人生がいつだって戦場で、死を厭わず戦うのが当たり前だから戦ってることに気づいていない、否気づいてない振りかも、兎角て、私には守りたいお国も恋人もいないけれど、まだ幼い私には自分を守るのに必死くらいでもちょうどいいのかもしれない。余裕が無いから、いや余裕を作らないようにしているのだけど、まだ未熟な発達途中の胸の膨らみ、そういうようなそれが駄目なんだよ。私は私のためだけに生きる。優しいギャル自称してるけど、私の領域を冒す人間は誰振り構わず徹底的に潰す易しいギャルです。自分が目指しているラインでその自分が甘えてしまったらそんな裏切りないだろう。その代わり欲は少なめに。「女の子は上書き保存男の子は別途保存」なんていうから寂しーよね。だから男と女は根本的に違う生き物なんだってー。それなのに分かり合えるわけないのに分かり合おうとして体を重ねて中出ししたって自分たちの集合体とかいう子供作って証明しようとしたって結局全てをわかりきれないからか不安だし浮気するしすぐ離婚するし、現代になってやっと離婚率が上がったのはある程度の自由の幅が現代で拡張して保護されることができたからであって。世間が昔からずっと離婚に寛容だったらきっと同じくらいの離婚率を保ってたはずだよ、だってカレカノだってすぐ別れるじゃん、私の嫌いなカップルもお互いにもう恋愛感情はないけど世間体とか長年の情でまだ付き合い続けてるらしいしそういうことだよ、うん。レズビアンにでもならない限り、私達は分かり合うことなんてできない。でもレズビアンは子孫繁栄が出来ないし世間的には、まだ普及してる途中だし、そこまで距離がちかくなってしまったら隠したいことも全て見透かされるのが怖い、人間は無知で無学だから、そんな自分を開け透かされて飽きられるのが怖い、万が一が怖い、分かりきったその最後に理解し合えないくらいなら見えている一部分だけでも共鳴していたいから今日も女はベッドの上で善がり啼く。人間は本当に感情を吐き出したい時、話すのではなく叫ぶらしい。キャーとかウワーッとか、そうやってダイレクトに全てを包含してぶつける。鼓膜に叩きつける。突き破ってでも海馬を揺らそうとする。だったら喘ぎも嗚咽も叫びなんだろうし、言葉に具現しきれていない感情たちも叫びで、その叫びを形にできない人が多いからもやもやするし苦しくなる。でもね、言葉をつかってみようよ。言葉は無限で、なんだって表せる。日本語がダメならフランス語、たとえばごちそうさまって言葉は英語にない、zestyという単語も日本語じゃあ一言で表せない。きっと青と貪りあったあの果実と取り巻いていた空気はそれこそzestyなんだろうけれど、日本語では表せないのが残念。でもこうやって英語を使えば表せる。しかも嬉しいことに日本語は表現の幅が広い。もどかしいとか、切ないとか、そういう表現は外国語だとほとんど表現出来ないらしい。日本バンザイ、それでも午後6時45分にバス停から見えたらあの桃色の空の雰囲気とか、ベッドルームで見上げた提灯のゆらぎとか、あの○○感をなんて表せばいいのかわからないし、それは私の日本語力の欠如かもしれない。でもきっと死ぬ気で生き続けて観点を壊し続けて学び続ければ、いつか。
pupa