プロ棋士の強さの秘密を知りたい。
どんな方法で強くなったのか。
どうしてその方法を選んだのか。
そしてなにを目指して、どこまで強くなろうとしているのか。
「将棋講座」の好評連載 『わが道をゆく ――強くなるためのメソッド』。今回は、2022年7月号(第15回)より、数々の試合を観戦してきた松本哲平さんが、佐藤天彦さん(九段)をご紹介します。
佐藤天彦 九段
物腰柔らかな容姿には「貴族」の愛称が似合い、対局となればむき出しの闘志に勝負師の顔がのぞく。形勢を数値化する将棋ソフトが広く普及し、上達に有用なツールが最善手を指せたか否かの監視装置としても働く状況を「評価値ディストピア」と表現する言語センスも非凡の一言。華やかな優美さと野性的な力強さ、知性と教養――。色とりどりの印象が佐藤天彦という棋士の魅力を奏でている。
趣味のクラシック音楽やファッションで将棋界の枠にとどまらない注目を浴びている佐藤。これまでの足跡を追うとともに、ソフト全盛の現代将棋について思うことを大いに語ってもらった。
道場で育った少年時代
佐藤は5歳のとき、母が教育のためにと買ってきた本に入門用の棋書があったことで将棋と出会った。最初の頃は父や兄と盤を挟み、またパソコンでも将棋を指していたが、強い相手を求めて道場に通うようになる。
最初の棋力認定は2級だったと佐藤は記憶している。道場では実戦を重ね、自分より強い人と指すことが成長につながった。詰将棋にも興味を持ち、難問ぞろいで知られる『将棋無双・将棋図巧』に小学生のうちから触れていたというのだから驚かされる。
両親が共働きで鍵っ子だった佐藤にとって、道場は学童保育の代わりにもなった。後にこの道場は場所を移すのだが、その移転先が師匠となる中田功八段の実家があるビルだ。佐藤は小学3年生のときに中田と初めて顔を合わせ、二枚落ちを指すことになる。師弟にとって重要な出来事でも、意外に佐藤の印象は薄い。「道場ではアマ四段、五段の人に教わっていましたから、プロが相手でもさすがに二枚落ちでは負けるはずがないんじゃないか、と思っていました」
中田門下として奨励会試験を受けた佐藤は、2回目の受験で合格。小学5年生でプロへの道を歩むことになる。
「普通」に憧れる
奨励会での歩みは順調で、入会から約4年、中学3年生で三段に昇段した。
「自分が思った以上に勝てたイメージがありました。それまで関西、関東の強豪と指したことがなく、井の中の蛙(かわず)というか、本州にはもっと強い子がいるんじゃないか、なかなか勝てないのかなと思っていたので。ただ、親に負担をかけて出てきているので、タダでは帰れないという覚悟は最初からありました」
実戦の場は道場から、次第にインターネットでの対局が中心になった。有名な話として若手棋士だった頃の渡辺明名人とよく指していたことが知られるが、実戦だけに傾倒していたわけではない。学校から帰って夕方は詰将棋や棋譜並べに取り組み、ネット上に人が増える夜に強豪と戦う。実戦のスリル、詰将棋の芸術性、棋譜並べで味わう手順の面白さ。どの勉強も苦にはならなかった。
将棋に明け暮れていた佐藤にとって、高校進学は一つの転機になった。千葉県の高校に進んだ佐藤は、県内に住んでいた兄と同居するようになる。それまでの人生を振り返って思うことがあった。
「奨励会員は小学生のときから人に勝って自分の居場所を獲得していきます。ただ、このまま勝負師としての観念しか持たずに生きていくのは偏りすぎかな、と。いわゆる普通の高校生がするようなことをしたかった。学校に行けば友達と話をして、文化祭で役割を担って……。中学生のときは修学旅行なんか行かなくていい、将棋に差し障るようなら学校行事は容赦なく切る、という感じでしたから。特別なことはしなかったですけど、いい意味での普通を大事にしました」
中学生のときに比べると勉強を詰め込むことはなくなったが、深浦康市九段が主宰する研究会で意見を交わし、木村一基九段とのVS(一対一の練習)で腕を磨くようになる。学校でも将棋界でも人との出会いが貴重な財産になった。
高校時代の三段リーグでは2回の次点を取り、フリークラスでの四段昇段の権利を得たが、行使しなかったことで話題になる。それから約2年後、高校を卒業した2006年の9月、14勝4敗の2位で四段昇段を決めた。佐藤の胸中にあったのは、遅れを取り戻したいという思い。ゴールにたどり着いた安堵どはなかった。
戦法の盛衰とソフト研究
2008年、佐藤はプロ入り3年目で新人王戦優勝の栄冠を勝ち取る。竜王戦では昇級を重ねるが、順位戦はC級2組から抜け出せない時期が続いた。状況打破のために注目したのは、勉強法ではなく戦法だ。佐藤は後手番では矢倉や角換わりを主軸に研究していたが、2010年から再流行していた横歩取りも指すようになったのである。この頃の矢倉と角換わりは長手数にわたって前例をたどる戦いが多く、細かい知識が勝負を分けていた面がある。それに比べて新しい横歩取りは自由な空気に満ちていた。
「これは面白いと思ってやり始めました。以前に比べてラフな姿勢になったというか、気持ちの面で新鮮さがありました」
横歩取りは佐藤のエース戦法に成長し、足踏みしていた順位戦では5年で一気にA級まで駆け上がった。そして2016年、A級1年目で名人挑戦を決めると、羽生善治名人を破って名人位を奪取。念願の初タイトルを獲得したのである。
将棋界を代表する棋士になった佐藤だが、過酷な試練が待ち受ける。叡王戦で優勝した翌年の2017年、電王戦で将棋ソフト「ポナンザ」と戦い、2連敗。この出来事は「現役の名人がコンピュータに敗れる」と大きく報じられた。
「いよいよ名人が負けたとあって、ソフトを使うことが普通になりました。ソフト由来の戦法や価値観を取り入れる棋士が増えましたね。戦法的に横歩取りが苦しくなったり、ソフトの使い方でギャップを感じたりという変化もありました」
佐藤は名人3連覇を成し遂げた。が、2019年には豊島将之二冠に4連敗して名人を失冠する。
「2018年の秋頃には、トップ棋士と戦うと自分が遅れているな、と感じました。ソフトの価値観にプラスアルファを加えている豊島さんについていけない。読みの質、勢い、いろいろな要素があるんでしょうけど、序盤の精度、ソフトの価値観についていけているかで差があった」
近年の将棋ソフトの進化は劇的だ。価値観の変容は、これまでにも藤井システムや一手損角換わりに代表されるように繰り返されてきたことではあるが、そのスピードが昔とは段違いになった。最近の将棋を鑑賞する難しさについて、佐藤が語ったメタファーが面白い。
「以前は思考のオリジナリティが見た目に表れていました。現在は端歩の突いてあるなしで30手後、40手後にどういう変化が出てくるかを調べるようになっていて、同じように見える手のバックグラウンドを掘り下げないとオリジナリティが理解できないんです。今は新手を生み出すよりも、ソフトの思考をどれだけ理解して血肉にするかにリソースが割かれている。クラシック音楽の世界でたとえると、モーツァルトが生きていた時代では演奏会ごとに発表される新作を楽しんでいましたが、現代は同じ曲を何度も聴き、指揮者の解釈の違いを味わっています。将棋も音楽と同じように、一局だけでは見えてこないものがあるわけです」
理解するために
そんな現代において、佐藤はソフトの評価が低い振り飛車や横歩取りにも手を広げている。プレイヤーとして、主流から離れる不安はないのだろうか。
「仮に同じ戦法を選ぶのでも、いろいろな選択肢を排除されて『ここにいるしか
ない』と思うよりは、『やろうと思えば振り飛車もできる』という精神状態のほうが心健やかに指せます。勝率が落ちる戦法を採用するのは効率がよくないかもしれないけれど、長期的なモチベーションを支えるには大事な要素。自分の性格的にそこは捨てられないですね」
――将来のビジョンは?
「序盤がラフな人は淘汰(とうた)され気味になっているのが現状です。自分は中終盤型という意識がありますが、序盤に注力しないといけないので試行錯誤しているところですね。そしてソフトの価値観が加わった将棋の技術論を理解したい。ソフトの出す点数が何を基準にしているのか、いろいろな戦法を指して観点を得ることでその力学が捉えられると思うんです」
佐藤の実践はソフトが示す数値を機械的に受け入れるのではなく、経験を通して肌身の感覚へと置き換えることを意味している。時代の流れに逆行するような選択は反ソフト的だが、その先には拒絶ではなく理解がある。
「ソフトそのものの存在は避け得ない。人間が咀嚼(そしゃく)し、バランスよく考えて評価を下すのが大事なのでは、と思います」
佐藤天彦 自分年表
―1988年 1月16日、福岡県福岡市に生まれる。
―1993年 母が買ってきた入門用の棋書で将棋に出会う。
―1996年 中田の実家があるビルに入っていた将棋道場で二枚落ちを指す。
―1998年 2回目の挑戦で奨励会試験合格。
―2003年 高校進学を機に福岡県から出て千葉県で兄と同居する。「普通」の高校生活を謳歌した。
―2004年 三段リーグで2回目の次点を取るも、フリークラスで四段昇段の権利は行使せず。
―2006年 9月、14勝4敗で四段昇段を決める。
―2008年 新人王戦で優勝。
―2010年 順位戦で昇級できない時期が続き、横歩取りを指し始める。後のエース戦法に。
―2011年 新人王戦で優勝。2度目の新人王に輝く。
―2012年 竜王戦1組に昇級。5期連続昇級を成し遂げる。
―2015年 1月、順位戦でA級昇級を決める。7月、王座戦でタイトル初挑戦を決める。五番勝負では羽生善治王座に2勝3敗で敗れた。12月、棋王戦の挑戦者に。
―2016年 2月、名人挑戦を決める。3月、棋王戦五番勝負で渡辺明棋王に1勝3敗で敗れる。5月、名人戦七番勝負で羽生善治名人に4勝1敗で勝利。初タイトルを獲得するとともに九段昇段を果たす。12月、叡王戦で優勝。2016年度の将棋大賞では最優秀棋士賞を受賞した。
―2017年 横歩取りの採用が減り始める。電王戦で将棋ソフト「ポナンザ(ponanza)」と戦い、第1局と第2局ともに敗れる。「現役の名人がコンピュータに敗れる」と話題に。直後の名人戦では稲葉陽八段の挑戦を4勝2敗で退け、防衛を果たす。
―2018年 名人戦で挑戦者の羽生善治竜王を4勝2敗で破り、3連覇。銀河戦で優勝。
―2019年 豊島将之二冠に4連敗を喫し、名人失冠。
―2020年 7月、中継の解説で話した「評価値ディストピア」が話題に。10月、藤井聡太二冠との対局で中飛車を指す。
さとう・あまひこ/1988(昭和63)年1月16日生まれ。福岡県福岡市出身。
中田功八段門下。98年に6級で奨励会入会。2006年10月四段、16年九段。タイトル獲得は名人3期、棋戦優勝は4回。将棋大賞は2016年度に最優秀棋士賞、ほか多数。
2009年、フリーの記者として活動を始める。日本将棋連盟の中継スタッフとして働き、名人戦・順位戦、叡王戦、朝日杯将棋オープン戦、NHK杯戦、女流名人戦で観戦記を執筆。
日本将棋連盟:将棋コラム⇒
https://www.shogi.or.jp/column/writer/matsumoto/
◆NHK「将棋講座」2022年7月号より抜粋