INTERVIEW

これからお送りするのは、『Portrait in Rock'n'Roll 2』(2022)のリリースにあたって、2022年8月2日に、ウワノソラ’67のいえもとめぐみと角谷博栄に対して行ったインタビューをまとめたものだ。

『Portrait in Rock'n'Roll 2』は、ウワノソラ’67としては、『Portrait in Rock'n'Roll 』(2015)ぶりの新作となる。

ただひたすらに、音楽的な欲求に基づいて制作を続けてきたウワノソラ/ウワノソラ’67。

インタビュー前半は、角谷との対談、後半はいえもとを交えた鼎談となっている。

このインタビューを通して、今作についてはもちろん、人としての彼らについて、少しでもお伝えすることができれば嬉しく思う。

Interviews &Photographs : Keisuke Sugano

Supervision & Proofreading : Kohei Yoshikawa

Transcribe & Design : Megumi Iemoto


2022年 8月2日 インタビュー(角谷)

菅野:よろしくお願いします。

角谷:お願いします。初の対面のインタビューかもしれないね。

菅野:リリースおめでとうございます。

角谷:ありがとうございます。アルバムとしては、2019年の『夜霧』以来で、ウワノソラの作品としては2020年のマキシシングル『くらげ』の後に、2021年の秋に7インチ『ハートの手鏡/無重力のフォトグラファー』を出して以来ですね。

菅野:改めて伺うのですが、無印のウワノソラと今回のウワノソラ’67、これの違いというか、区分けみたいなものは一体どういうところにあるんですか?

角谷:元々、ウワノソラ’67っていう名義になったのは、無印ウワノソラの1stを出した後に、桶田くんと共に60’sに重きを置いたアウトプットをしたアルバムを作りたいっていう話になったんです。そこで作り方とかサウンド、方向性でそれぞれ違うプロジェクトをやろうってことになって、僕はウワノソラ’67として作って、桶田くんもいえもとさんをメインヴォーカルにおいた作品を作ろうってことで別れたプロジェクトだったんですね。で、僕のリリース(『Portrait in Rock’n’Roll』(2015))の後に、桶田君はソロ名義として『丁酉目録』(2016)っていうアルバムを出したんですが、その後に桶田君はウワノソラ自体を脱退しました。なので、要は3人でやっていたのが「ウワノソラ」、僕といえもとさんでやっていたのが「ウワノソラ’67」という感じだったのが、結局はどちらも2人でやることになって……つまり、狙っていた訳ではなく、流れでなってしまったんです。基本的にウワノソラって、フュージョンだったり16ビートだったり、ちょっとジャズが入っていたり……70年代中盤以降の感じというか、そういう分かりやすく技巧的だったりしていて、今回は’67の1st寄りなアウトプットの仕方とか、その時代の良さから影響を受けたものを作りたいっていう思いだったんで、名義はどちらでもという感じでしたが’67名義にしようという感じでした。

菅野:なるほど。ちなみにこのタイトル(『Portrait in Rock’n’Roll 2』)、「2」って聞くと、やっぱ続編かな? みたいな印象があるのですが、聴いてみると、必ずしもこう……続編っぽい感じでもないのかなって思いました。

角谷:根底には地続きのものっていうのはあるんですが、あんまりそこも意識せずに作ったっていう感じの方が大きいかな。

菅野:なるほど。……ちょっと話戻すんですけど、1stを作った時とは拠点が違ってますよね。1stの頃は関西が拠点で、それが関東に変わって……まぁその間にも何箇所か変わっていたとは思うんですけど、制作する環境によって、曲作りに限らず何か変化はありましたか?

角谷:やっぱり’67の1stを出した時は、大学の裏に住んでいたので、深夜に大学に行って朝まで録音したり、友達(深町)の家に行って編曲を一緒にやったり、すごくフットワークが軽かったんです。それが、段々とみんなそれぞれの生活があって距離が空いてきて……だから今回は、深町くんとかはリモートでコーラス録音をお願いして、編曲もリモートで相談するというか。ミックスの玉田くんも『陽だまり』辺りまでは立会いでやってたんですけど……。

菅野:それは角谷さんが大阪に行って?

角谷:そう、大阪に行って。『陽だまり』の時は伊豆に住んでいたんで。ミックスの立ち会いのために友達の家に居候していたんですけど、そうするとそこに遊びに来た人たちと仲良くなって、その人の家にも泊まって……それを繰り返すうちに段々と泊まれるところが増えていったという。で、一番最終的にその人たちづたいに、玉田くんのホームスタジオの最寄り駅に住んでいる人まで辿り着いて、徒歩圏内にまで到達したという(笑)。

菅野:ウワノソラが学生時代に結成されて、演奏してくれるメンバーも大学時代の繋がりがほとんどだった。それが、拠点を移したことで実際にすぐ会える距離じゃなくなったわけで、そこにおける変化みたいなのってなんかありますか?

角谷:実際は大学時代の繋がりでのミュージシャンはもうおそらく半数ぐらいで、半数はウワノソラの活動を通してお声がけした人たちなのですけど。

今回でフルアルバム5作目ってなると、たとえ距離はあってもみんな自分がやりたいことっていうのを理解してくれているし、今回はよりこういうサウンド狙いたいっていう擦り合わせをうまくできたかなとは思います。特にそのサウンドメイク、録音の部分で玉田くんとそういった打ち合わせを何回も重ねて、そこで大変になるという部分はあんまりなかったですね。

菅野:やっぱこれまで経てきた年数が……。

角谷:そうそう。だから、どちらかというと作業が終わった後に、音楽の話をしたりお酒を飲んで語ったりとか、そういう時間がなかったっていうのが寂しかったかなっていう感じですね。お互い。

菅野:確かに。

角谷:長時間で何年もかかっちゃう制作だったから、ガス抜きというか、学校の休み時間の雑談みたいなものが少なかったような気がします。

菅野:今ちょっと話が出たんですけど、制作期間は今回どのくらいだったんですか?

角谷:2020年の10月くらいからですね。まぁ8月にはもう『Portrait in Rock’n’Roll 2』を作りたいとは思ってたんですけど、実際に乗り出したのは9月後半からって感じです。

菅野:多分その時期って、もうコロナが流行ってた時期だと思うんですよね。ちょっと全体的な話になるんですけど、コロナ禍はどう過ごしていましたか?

角谷:コロナ禍になっちゃったのは、Kaedeさん(Negicco)の制作をしている時でした。ただ、制作ってあんまり人に会わない時間の方が多いんで。1人で考えないといけない時間の方が長いし、基本は引きこもりなんであんまり影響がないっていうか。Kaedeさんの「さよならはハート仕掛け」って曲でサックス&フルートの安藤さん(MELRAW)のレコーディングだけは、ちょうど緊急事態宣言で遠隔でしたけど、それぐらいで。……あー、でも、河川敷を散歩してる時とかに人とすれ違うとすごい嫌な顔されながら避けられるというか、わざわざ傘を開いてガードされたりしたのが傷つきましたね。俺はウィルスかって。

菅野:じゃあ、生活の上ではあまり変わらなかった。

角谷:正直、影響はあまりなかったですね。

菅野:話を戻します。制作期間ですが、2020年の10月くらいから、2022年の……。

角谷:2022年の7月10日くらいですね。

菅野:丸2年弱。今までの制作に比べて長いとか、短かったとかはありますか?

角谷:まぁ、同じくらいですかね。

菅野:具体的な時間配分を聞いてみたいんですが、作詞、作曲、レコーディング、アレンジ、ミックスと様々な工程はあると思うんですけど、どれに一番時間を割きますか?

角谷:やっぱり一曲作るのに、ベーシックの曲書きと歌詞で頑張っても一ヶ月は絶対かかっちゃいますね。

菅野:それはやっぱり、角谷博栄の作り方だからってことですか?

角谷:多分そうだと思います。もっとかかる人もいるだろうし、数分ですごい良い曲を作る人もいるし……自分のペース的にはこれが限界ですかね。ミックスも10曲だと一日8時間で30日ぐらいはかかっちゃうかな。

菅野:ではもうちょっと今作について。前にシングルを出した時のインタビューでは、「五目味みたいに、コンセプチュアルな作風じゃなく制作できたから、割と気楽に作れてそれが楽しい」というようなことをおっしゃっていたんですが、今回はアルバムじゃないですか。となるとやはりコンセプトはあったのでしょうか。

角谷:やっぱりサウンド面、ミックスとか、録音状態だったりというものではコンセプトはありました。どうしても、もう今サブスク全盛の時代で、シングルとかEPがメインになっていて……僕もそっちにちゃんと迎合しないと、この先続けられないんですけど、最後にこういったコンセプトでやってみたかった。こういったフルアルバムを作りたかったっていうのがありますね。今作では、もう最初に帯文が「すべての夏に感謝する。」っていうワードで決まっていて、そこに向けて夏のアルバムを、と思っていました。

菅野:まず最初に帯文がいたというのが気になるんですが、これまでもそういうことはあったんですか?

角谷:いや、全然こんなの初めてで、なんかちょっと、「すべての夏に感謝する。」ってちょっとウザいじゃないですか(笑)。ちょいウザだけど、ちょいエモっていうか、全体を表せるなって。要はコロナの夏もあったけど、その時代を肯定したかったというか。人生とか、そこに向けてポジティブにね。まぁ悲しい曲は多いですけど、その悲しさを含めて、そういったものを表現できたらっていう感じです。あと、やっぱり夏って始まりがあって終わりがあるじゃないですか。それってピアノの鍵盤でもそうだし、ギターでもそうだけど、音に終わりがあるんですよね。そういうものって耽美的に感じるし、それが美しいと僕はいつも思っているんです。永遠っていうものにも限りがあるっていうか。だから耽美主義な感じかもですね、今作に関わらず。儚さとか至らなさとか、そういったものは大切にしていましたね。

菅野:もう一つ、「最後のフルアルバム」というようなことをおっしゃっていましたが、それはどういう意味でしょうか。

角谷:要は、まとめて10曲を作るっていうことには相当なバジェットがかかっちゃって、手伝ってくれる人たちもみんな年齢が上がって、ギャランティも上げなくちゃならない。なのにCDというメディアはもう年々ありえないくらい捌けなくなってきていて、そうなると作る事自体が難しい。僕らのような自主制では。もう一つは、60年代とかは逆にそうだったんですよね。シングルメインの時代だったというか。今はまたシングルの時代になっていっているし、コンテンツの多さから回転率、どれくらいのスパンで出せるかとか、そういう風になっていっちゃってる。で、僕らは音楽的にも売り方的にも時代に迎合していない。そしたら作れなくなるのは当然ですよね。だから、どこかしらはちゃんと時代に寄り添わないといけない。じゃないと音楽が作り続けられない。だから、こういうスタイル、つまり全部生音で、とかはもしかしたら最後になるし、次からは全部打ち込みになっているかもしれない。やっぱりどこかしらは大きな流れに合わせていかないと難しいっていう話ですね。でもそれがまた面白くも感じるし、それが大きく一括りの“時代の音楽”が形成されていく過程であると思っているんです。大御所とかバズってる人とかバックに資本いる人とかバンド形態の人とかいろいろ抜きにするとね。だいぶ抜きにしすぎか(笑)。

菅野:制作方法が変わっていくだろうっていうのは、経済的な面が大きいですか? それとも単純に興味の方向が変わってきたということもあるんですか?

角谷:経済的な面がまずありますけど、興味も変わってきたとは思いますね。本当に興味がないことってできないと思うんで。

一曲単位とかEPの方が「そんなに予算かけて失敗するんじゃないか」とか、そういう不安とかで神経症みたいにならなくて済むかなと。もっと気楽に、もっとラフにウワノソラの音楽はあっていいと思って。やっていくうちにノイローゼみたいになるような作り方は、もうやりたくないですね。

菅野:なるほど。今作の話に戻りますが、今までと違うと最初に思ったのが、角谷博栄の歌が多いなと。これには何か理由はあるんですか?

角谷:女性目線の曲が少なくなっているっていう点もあったりして、要は詞の世界をいかに表現できるかという事からです。聴いたことのない音を2人で作りたかったっていうのはありますし、声ってオリジナリティが一番出るところだと思うので、ずっといえもとさんメインで歌ってたものが、もう1人男性ヴォーカルが歌うことによる変化を無意識に出したいと思ってそうなっていったのかもしれないですね。

菅野:前回のライブのパンフレットでは「歌える身体を天から授からなかった」と語っておられるんですが、曲を作っている時から自分で歌うつもりだったのか、後天的にそうなったのか。その順番ってありますか?

角谷:「ラストダンスは僕と」と「未来世紀ヨコハマ」は、作っているうちに詞が男性の曲だったんで、自分で歌った方がいいかなっていうのはありましたね。歌えるとは思っていないんですけど、なんか独特のよさってあるのかもしれないって思って。結局は、ミックスの時に全く自分の声が抜けないとか、倍音が強すぎてとかで大変だったんですけど。

菅野:評判はどうですか?

角谷:なんか意外といいっていう(笑)。意外と需要はあるのかもしれない、みたいな。まぁ全部が全部自分1人だったらきついことにはなっちゃうけど、たまにスポーンと入っていくっていうのは、アルバムとしてはいいんじゃないかなと思っています。

菅野:今作から、ペダルスティールを購入されて、実際に曲でも使われています。そのきっかけだったり、使ってみてどういう効果というか、どんな作用を目指したのかを教えてください。

角谷:やっぱりペダルスティールって、ギターと違って弦のテンション、張りが強いんですね。なので弾いた時にバーンって伸びるんです。それはコンプレッサーっていうエフェクターをギターにかけた時とは違う伸び方をしていて、ほかにもバイオリン奏法とかで和声のパッドっぽい効果を出せたりして、良いなぁと思って沢山使いました。

菅野:そもそもこれまでにペダルスティールをやったことはあったんですか?

角谷:やったことないですよ。教本とか教則DVDとかをYouTubeで探したんですけど、弾き方をレクチャーしているものってないんですよ。なので、自分でコードを解析して、こういうポジションはこうっていうのを全てメモしていって。一応、独自のチューニングで全てのコードを網羅できるようにはなりました。

菅野:すごいですね。

角谷:だから僕が教えるとしたら、僕のチューニングで誰かに伝えるしかないです。

菅野:逆に、そんなに多くは使っていないけど、あの曲でちょろっと使ってよかった、みたいなものはありますか?

角谷:「未来世紀ヨコハマ」で三線を使いたくて買ったんです。沖縄三味線。それはちょっとトゥーマッチだったから残念でした。あとは、1stの時もカスタネットを使っていたんですけど、当時はお金がなくて買えなかったカスタネットを買えて、使えたのが嬉しかったですね。

菅野:やっぱり違うものですか?

角谷:まぁどっちの良さもあるんですよね。ただ「あぁ、これこれ」っていうのができて良かったです。

菅野:なるほど。あとは、「未来世紀ヨコハマ」のコーラスが特徴的だなと。あれは何がなされているんでしょう。

角谷:今回のアルバムって全部生なんですけど、「未来世紀ヨコハマ」だけ、唯一コーラスの部分にボーカルシンセっていうものをかけていて、最初のサビに行くまではボコーダーっていうものでコーラスしているんです。その上で、後半で出てくるコーラスはボコーダーではなく、自分達で和声をボコーダーっぽく組んで歌っているという。曲の中でも和声の組み方が変わっていくんですね。伸ばしているところでは、語尾に……フリークエンスだったかな? プラグを回すとボワワワワワってなるような、そういったものをかけて独特の質感を作ってみました。それはもちろん60年代にはなかったものなんですけど、面白いかなと思って取り入れていますね。

菅野:なるほど。今回のレコーディングには僕も何回か行かせてもらいましたけれど、ピアノの渡辺翔太さんだけ初めてで、あとは何度か一緒にやっているメンバーですね。

角谷:そうですね。

菅野:今回、渡辺翔太さんにお願いした理由みたいなのはあるんですか? そこに限らず、今回の編成の……まぁ今までの流れっていうのもあるとは思うんですけど、そういうところの意図というか。

角谷:やっぱり(ドラムの)越智さんはプレイももちろんですが、タムの鳴り方がすごく綺麗で、自分の考えもすぐに理解してくれて柔軟に対応してもらえるっていうのが大きいんです。(ベースの)熊代くんも同様にそうで。翔太さんは、同録をしたかったというのが大きいところですね。もう一人の鍵盤の宮脇くんだって、同録をするに十分なクオリティなんですけど、僕の印象としては、ややトラックメーカー寄りというか。なので、今回はメインを翔太さん、2ndキーボードを宮脇くんにお願いしたという感じです。贅沢でしたね。

菅野:やってみて実際どうでしたか?

角谷:いやもう、最高でしたね。

菅野:想定を超える良さみたいなのがあった?

角谷:前作『夜霧』は杉山さんっていう鍵盤の方がいたんです。杉山さんは大阪を代表するピアニストの一人で、翔太さんは名古屋・東京を代表する、若手では相当実力派のピアニストで、ちょっとこう、お二方は超えてますよね。次元を超えた天才的な方々だったなぁと思いますね。情熱的でもちろん人柄もいいし。

菅野:ベーシックのメンバー以外、弦とかブラスは大阪で録っていたと思うんですけど、その面々以外にも参加した人はいましたか?

角谷:ハープ王子ですかね。ハープの人を探していて、関東でポップスも対応できる方がいないかなって時にハープ王子を見つけて。でも、王子だからこんな庶民が頼めるのかなと思ったんですけどね。プロフィール欄に「日本一腰の低いハープ奏者です」って書いてあったんで、腰の低い王子だったら頼めるかもって思って頼んだら、全然OKしてくださって。……ただ、レコーディング中にディレクションするんですけど、「王子、ここはこうして欲しいんですけど」って伝える時に「中世だったら不敬で処刑されてるな。現代でよかったな」と思っていました(笑)。演奏前に色々メロ譜とかコード譜とかを渡すのですが、”砂の惑星”をハープで演奏してくれて。あれは忘れられないです。

菅野:あと、ギターのリフが弾けなくて、田中ヤコブさんに弾いてもらったというエピソードがあったと聞きましたが、元々どういう繋がりだったんですか?

角谷:Kaedeさんのレコーディングの時に初めてお会いして、それから家も近かったり、住んでるところも小学生時代に入っていた少年野球チームも近かったりして、ふらっとたまに遊びに来てくれて、雑談したり飯食ったりしていたんですよね。ヤコブさんの曲も、僕自身好きな曲が多くて、ああいうゲインの入った歪んだギターサウンドって、僕は演奏するのが結構苦手なんです。そういった時にかなりかっこいいプレイをするの知っていたんで、「そうだ! この曲はヤコブさんに頼んだら大丈夫かもしれない」と思って電話したら、すぐにバイクに乗って来てくれて。「こんな感じですかね」ってバーっと弾いてくれて終わりましたね。僕の好きなギターの音の一つにジョージ・ハリスンとか鈴木茂さんのギターサウンドがあって、その人たちがどいうエフェクターを使ってるのかなと思って調べてみたら、TS系っていうオーバードライブ、チューブスクリーマーっていうものを使っていて。ヤコブさんが使っているのを後々聞いてみたら、その系統のものだったんで、なるほどなと思って。結局僕はこのサウンドが好きだったのかって、辻褄が合ったっていうのがありましたね。

菅野:そのほかだと……。

角谷:あとは、ポルトガル語でアナウンスしてくださったマルセロ木村さん。ほかはバイオリンのチームだけが初めての人たちでしたね。

菅野:今まで一緒にやってきたメンバーがいて、新しくお願いする人たちもいて、弦の人たちはどんな印象でしたか?

角谷:今までは一人ひとりバラで録ってたんですね。それは、ピッチのずれが気になったりして、そこを調整しやすくする為にだったんです。今回は、そういったピッチの揺れとかも許容して使っていくっていうので、一般的な普通の、全員まとめた録り方をしました。要は4人みんなで演奏して、それを録る。オンマイクも立てて、何度か弾いてもらって、それを重ね合わせていくっていうスタイルでした。本来はそういう録り方が一般的で、なんならもっと人数がいて、一気に録ると厚みが増すんですけど、予算的にも限られているんで、そういった多重録音方法で作りましたね。

菅野:ところで、今作は1stと比べると、トータルボリュームが結構上がっていませんか? 無印ウワノソラ1stとか、『夜霧』とかに近いんじゃないかと。

角谷:実は、’67の1stは、あれでも音圧上げてる方なんですよ。あれ以上上げると音が割れていくんですよね。要は崩れていく。今回は『夜霧』とか『ハートの手鏡』まではいかないものの、音が小さすぎてもやっぱりだめかなというのもあって。聴覚的には、高音と低音がちょっと丸くなっているんで出てないようには聴こえるんですけど、実質的には結構出てるんですよ。一般的にラジオでかかっているような流行歌とか、あの音圧レベルではないんですけど、出てる方ではあるんですよね。

菅野:これは意識的にそうした?

角谷:うーん、そうですね。ただ、上げ過ぎるとやっぱり潰れていっちゃうんですよ。要は圧縮しているので、全体的に音の綺麗さは損なっていく。劇薬みたいなものでパンチはあるものの、ちょっと聴いていられないというか。そういう大衆音楽とは違う考え方で、美しさを大事にしましたね。商売としてはあんまり良くない考え方だとは思うんですけど。

菅野:それはどういう意味ですか?

角谷:その、なんだろう……。いろんなスタイルの音楽があっていいと思っていて、商売っぽいものって必要だと思うんですよ。たまに聴きたいし。時と場合に応じて楽しいものを聴けば良いだけなんで。ただ自分は、ゆったり聴いたり、1人で聴くことが多いんで、そこに対応できるものというか、刺激物……聴覚的な刺激の部分で、耳に残らせようというとか迫力をだそうという考え方は全くないっていう感じですかね。言い方に語弊がありそうですが。雑に言うと、大衆に向けているか、自分だけに向けているかの違いですかね。好みなんでね、ここら辺って。正義がどっちかにしかないというような、簡単な二極論ではないんです。

菅野:なるほどね。なんかその話でちょっとおもしろいなと思うのが、角谷さんはマーベル好きじゃないですか。マーベルって結構、そういう要素をふんだんに含んでいるなと思いませんか? 観るものと作るものとの違いというか。

角谷:マーベルの場合って、ディズニーに買収される前までの話なんですけど、プロデューサーがどういうものが映画かっていうものを一つ捉えていた気がするんですね。映画は音楽とは違って、より産業とか資本の中で作られている、元々が産業ありきのジャンルなんで、そこには共感できるというか。もちろんポピュラーミュージックもそうなんですけど、映画の方がそういう部分がかなり強いイメージ。単純に時間を消費できるもの、エンタメとしてそういうものは好きなのかもしれないです。

菅野:今作の制作中に、音楽・映画・文学でもなんでもいいんですけど、なにか影響があったものってありますか?

角谷:映画自体は、2020年にkaedeさんの制作が終わった後に、けっこう観れる時間が作れたんですよね。確かインスタにまとめたような気がします。見てね。文学では安部公房さんの小説「砂の女」に影響されています。あと、「真夏のエコー」に関しては村上春樹さんの雰囲気とか、わたせせいぞうさんのハートカクテルとか、そういうものに影響されてるかなって感じですかね。

菅野:その他、生活とか物でもいいんですけど、今回のアルバムに影響を与えた要素ってありますか?

角谷:やっぱり60’sばっかり聴いていたから、そのサウンド感にはかなり影響を受けましたけど……。あとは大きな時勢には影響は受けますね。

菅野:個人的な印象ですけど、『陽だまり』とか『夜霧』の頃のウワノソラ、それこそ’67の1stもそうですけど、それらのアルバムの曲よりも、なんとなく元ネタ感が中和されているというか、そんな印象を抱きました。

角谷:サウンド的に、「あ、これ何かにも感じるな」とかはあると思うんですけど、そこはどんどんどうでも良くなってきているというか。やっぱり作る上でルーツとかを大切にしたくて、リスナーとしてもバックボーンを感じる楽曲っていうのが根本的に好きだったんですよね。

無意識下での記憶の寄せ集めのものを「降ってきました」「自分のオリジナルです、発明です」って出すのではなくて、バックボーンを明確に意識したものがあってもいいかもっていう解釈で、わりと表現してきた部分はあるんです。それが薄まってきたかなっていう感じはあるかな。映像だとストレンジャーシングスとか、ああいうバランス感は理想の一つですね。

菅野:なるほど。今作は、バンド感っていうよりも、宅録っぽい感じが強くなった印象……というか、これまではウワノソラの2人プラス他のミュージシャンという印象だったのが、今作は「ウワノソラの2人が作った」みたいな、そういう意志みたいなものを強く感じました。

角谷:狙ったサウンドというか、「こうやりたいんだ」ってものをうまく表現できるっていうか、こなれてきた部分があったりするかもしれないなと。あとはドラムの録り音の部分なのかもしれないですし、やっぱり上物、ストリングスとブラスが、他のアルバムでは全部入っていたので、それが少なくなってコーラスが中心にいる。そういう部分がそう感じさせているのかもしれないですね。

菅野:それは、意識的にそうしたっていうよりは、そうなっていったんですか?

角谷:そうなっていった感じです。今まで結構マッチョだったと思うんですけど、肩の力が抜けているように感じられるものになっている部分もありますし……わかんないですけど、そこは。素材があって、料理して盛り付けて、その盛り付けの部分の差異な気がします。どの皿を使うとかね。

菅野:確かに、今おっしゃった感じは、感じたかもしれないです。

角谷:派手さが取れた分、こじんまりとして聴こえて、そう感じているのかもしれないですけど、作り方的にはあんまり変わっていないですね。

菅野:では、今度は歌詞について聞いていきます。どれも時間がかかったという話だったんですが、歌詞に関して、スッと書けた曲の方が良い出来だったりするのか、別にそんなことは関係ないのか。

角谷:あんまり関係ないですね。

菅野:うまくいったなって思う曲はありますか?

角谷:「真夏のエコー」ですね。自分なりには上手くいって。ただ、ああいうものがウケるとは思っていないんで、相変わらずそこは上手くいかなかったです(笑)。

菅野:自分の中の手応えっていうのはどういう部分ですか?

角谷:うまいこと言えたとか、自分がイメージしている風景を表現できたな、とかはありますね。

菅野:逆に、苦戦した曲はありますか?

角谷:「八月の波」ですかね。最後のサビの歌詞をずっと悩み続けていたんで。でも、結果的に一番言いたいことというか、どういう言葉をはめたら一番いいかというか……。僕の曲はメロディーが少ないんで、ラップのように言いたいことをガーッと言っていけないんですよね。ラップがどういうものか知らないので語弊があるかもしれないですけど。童謡の世界みたいなメロディーの置き方なんで、その中でどういった言葉を置けば良いのかなっていうのは結構悩みましたね。

菅野:考えている間に、悩んでいた部分とは他の部分が変わったりしますか?

角谷:全然変わっていきますね。こっちの方がいいとか。

菅野:一発で書き終わった、というものはほとんどないですか? 遂行していく感じ?

角谷:そうですね。書き終わって次の日見て、「うーん、ここはこうしよう」とか試行錯誤の連続です。

菅野:以前に角谷さんから、「経験が歌詞になるから、どうしても限りがあって難しい」という話を聞いたことがあるのですが、それについてはどうでしょうか。

角谷:それ1stのときかなぁ……。自分にないものは出ないと思うんで、今でもそれはあるのかもしれない。なんか空想上の話のほうが多いようなイメージはありますね、自分の中で。

菅野:そうですよね。ちょっとSFっぽい世界観の曲が、何曲かに一曲出てくるじゃないですか。あれは意識して作っているんですか?

角谷:どうやら、マーベルでいう所のサノス的思想が僕にあるような。指パッチンすると半分人口が消えちゃうみたいな破滅主義な一面もあって。前作だったら隕石が落ちてくる(「隕石のラブソング」)し、今作だったら波に飲み込まれる街があって(「未来世紀ヨコハマ」)、でも、その中で一瞬生まれる愛の形っていうか、人情模様というか。要は耽美主義の延長線上にある、終わりがある瞬間にどうなるかっていう、人の気持ちの動きとその風景が好きなのかもしれないですね。あとは、やっぱり至らなさっていうものが出るかな。至らない、やるせないっていうところで、それがあるものが作品としても好きですしね。

菅野:全体的に歌詞の面で、カラッとした夏というよりかは、ちょっと別れっぽい曲だったり湿気のある感じが多いのかなっていうのが印象としてあるんですが、そういうのは意識していましたか?

角谷:湿気はあるかもしれないですね。カラッとした、ビーチボーイズ初期のパリピ感とかもないですし。「イエー」って、「常夏サンシャインベイべー」って言ってるよりは、ウワノソラ的にはこういう表現になっていくのかなっていう。そーゆー感じなのでもちろんシュルレアリスム的な語彙感もしたくなかったですし。

菅野:やっぱそれは角谷博栄の人間性における部分が大きいのか、「こういう曲をやるならこういう歌詞になるよね」みないなことなのか、どんな感じなんですか?

角谷:僕の中にはパリピ的な要素もあるんですよ。でも、オタクっぽいナードな部分もあって、それを曲に入れ込むと、パリピはあんまり出てこなくなるっていう(笑)。

菅野:ナードがちょっと勝つ?(笑)

角谷:そうそう。圧倒的に勝つね。曲にパリピ要素も無いし。だから、自分がきっとあると思っているパリピ要素も、実際にはパリピじゃないんだと思う。

菅野:今作ではテーマとして夏というのがあって、歌詞の面でずっと「終わり」が続きますよね。例えば、「雨になる」では「夏の終わり」。「ジョルノ」では「終着点」。「冷めたカルディア」では「思いの果て」。「ラストダンスは僕と」は「ラスト」。「未来世紀ヨコハマ」は横浜が、地球が終わっていう。「真夏のエコー」ではひとりになる。……終わりっていうのがモチーフとしてあるのかなっていうイメージを抱いたんですが。

角谷:そうそう! それは、夏には終わりがあるっていう、そこだったんですよね。さっきから話していた耽美的な部分をずっと描き続けてきたんです。夏が終わりになると切なくなるじゃないですか。今までのウワノソラのことを言うと、人間の変わらない心っていうのをずっと描きたかったんですね。要は、変わっていって新しいと言われるものにどんどん包まれていく事については肯定はしているし、好きなんだけど、それでも昔から変わらない人間の心象部分ってあると思っていて、それを大事に描きたかったんです。だから、サウンド面では「何々風」とかよく言われるけど、そういうのは表層であって、正直作品の表現としては一部分でしかないっていうか、本当は全体としてそういうものをずっと描き続けたかった。夏の終わりに切なくなるとか、夏が始まる時にワクワクするとか、別れる時に切なくなるとか、そういったものをずっとテーマにしているんです。だから、僕自身のウワノソラとしての活動が夏だとしたら……「冷めたカルディア」は恋愛のことを歌っているけど、実は「思いの果てに何もないのか」=「ずっとやってきたけどこの後もう出来ないかもしれない」みたいな“終わり”という想いも入っていたりするんです。「八月の波」では、「夏はいつでもここにあると」って、この作品だけには夏がずっとあったっていうようなトータル的な意味合いで、概念的に夏っていうものをずっと使っていて、それが終わるっていう瞬間に、至らなさが出てくるっていうのを表現したかった。そういったことが帯文の「すべての夏に感謝する。」に繋がってくる。

菅野:さらにそこから発展して、「宇宙」が裏テーマではないかとも深読みしてしまいました。地球視点・宇宙視点の二つから終わりっていうのが語られて、宇宙視点の「砂の惑星」があって、地球視点の「八月の波」で締めくくるっていうような印象……。そこまで考えているかどうかはわからないですけど。

角谷:答えになるかわからないんですけど……。「未来世紀ブラジル」の歌詞の中では、愛もキャッシュカードもいらない惑星に行くくらいだったら、自分達は残る、海に飲まれたヨコハマを泳ぐつもりでいるよ、という物語ですよね。

「砂の惑星」では、その惑星に行ったけど人間っていうのは戦争をしていたと。恋人を失った女性を冷笑する人達もいるし、でもそんな君を見ている自分もいるし、という感じの物語。

たとえ舞台をSFにしたとしてもきっと変わらない人の心があるんじゃないかなって。

結構プロコル・ハルムの「青い影」から影響を受けているんです。ベトナム戦争をテーマにした1967年の曲なんですが、今はそこから50年以上経っているんです。彼氏がベトナム戦争に行っちゃって、残された君は薬でラリって顔がどんどん青ざめていくっていう詞で。

結局は今も戦争をやっていたりして、変わらないな、と。

初めて戦争を裏テーマで書いたような詞になっていて、ただ戦争はダメだとかって簡単に詞にすることもできなくて。自分自身そういう強いメッセージは作品に取り入れたくないというか。戦争は全く肯定はできないけど。現実の自分は流れてくるニュースを眺めているだけのね。ただの傍観者でしかいられないという。そんな感覚を含ませて書いたり。

ただただ頭で想像してみた風景でそこに生まれる一瞬の美しかった光景を、言葉にスケッチしている感じかな。マクロもミクロもどちらも世界を終わらせにかかっているという印象は受けると思います。詞を自分で説明しちゃうのはちょっとこれ、結構野暮ですけどね……。まあいいや(笑)。簡単に言うと、散歩していてふと風に乗って漂ってきた金木犀の香り、それを嗅いだときの薄らとしたときめきを、いろんな方面からただ言葉にしているだけというような、そんな感じ……う〜ん。感覚的な事だから、やっぱり言葉にするのは出来ないですかね。

菅野:曲順はどの段階で決めたんですか?

角谷:作った順ではあるんですよ。ただ一曲目は「雨になる」にして、最後の曲は「八月の波」にしようっていうのは決めていて、そのあとは大体作った順ですね。

菅野:いつもそんな感じですか?

角谷:基本的にはいつも、いつかレコードにしたいなと思いながら作っているんですね。B面にひっくり返した時に、やっぱりアップテンポから入りたかったから、そこで「真夏のエコー」を入れたいなと。アップテンポからバラードに、1曲目から5曲目でだんだん変化していく。で、6曲目から10曲目で一気にバラードになっていく、っていうのは考えていたりしますね。詞も含めてトータル的に考えるという感じです。


2022年8月2日 インタビュー(角谷&いえもと)

菅野:では、大分振り返りますが、前回のライブ「ウワノソラ/ウワノソラ’67 7 YEARS LIVE」(東京・青山 月見ル君想フ)について。

角谷:2019年の8月3日のライブですね。

いえもと:ちょうど2年前? 今日は8月2日やから……。

角谷:あ! 明日でちょうど3年じゃない?

いえもと:あ、そっか。3年かぁ。

角谷:たった1回のライブを振り返ろうっていう人もいないけど(笑)。

いえもと:(笑)。

菅野:でも、ライブの感想とかどこにも出てないよね?

角谷:ちょろっとラジオに呼んでもらった時に言ったけど、他には出てないかも。

菅野:どうですか? 今だに印象に残ってることとかありますか?

角谷:いやほんとに、今だに余韻が続いてるというか、3年経っても(笑)。だってそれ以上ライブが更新されないから、それだけを覚えてるんですよね。そのライブ動画を観ながら1人でお酒飲んだり。もうみんな記憶の中にも胸の片隅にも消えてるであろうものを、僕だけはずっと想い続けてる。そういう状態です。

菅野:なるほど、いえもとさん的にはどうですか?

いえもと:そうですね。本当に緊張したので、もっと余裕を持って歌えたらよかったなぁとか、沢山反省点もあったけど、すごく楽しかったですね。でも、わたしは角谷くんほどまだ余韻に浸ってるとかはなくて(笑)。

角谷:僕はまだ「ライブ終わった〜!」って気持ちだもんね(笑)。これで一生いけるんじゃないかと思う、この余韻のまま(笑)。


いえもと:ふふふ(笑)。それはすごいな。私はそこまでではなくて。角谷くんよりも割とすぐ日常生活に戻ったし。

菅野:逆に角谷くんは戻れなかった?

角谷:もうもぬけの殻。人間の抜け殻、魂がどっか行っちゃったみたいな。ずっと窓の外をぼーっと見てて、自分という意識だけが空中を浮遊してる感じでした。

菅野:どれくらい? 未だに?

角谷:ん〜。とにかく終わってから半年くらいはやばかったです。音楽を聴いても全部同じに聴こえるし。結局リズムがあって和声があってメロディーがあるっていうだけで、全部同じじゃんとか、そんな下らない事を考えちゃったり。全部ネガティブ思考。「あ〜僕は何をやってきたんだろう」とか。これから作る意味とかね。だから終わった後は疲弊したし、でもあれだけ死ぬほど頑張ったから、直接来て頂いた方から「よかった」って一言言ってもらえた時には、それはやっぱり込み上げてくるものがすごくありました。

菅野:確かに、直接的にお客さんと関わることってほぼほぼそれくらいしかないですよね。

いえもと:来てくれる人がこんなにいるんやっていうのもあったし。

角谷:やっぱりずっと録音したものを出してるだけだけど、その空間で2MIXではない音を直接聴いてもらえる瞬間というのは良いなと思いましたね。不思議な体験、もう出来ない気がしてるかな。こういうスタンスだとね。

いえもと:あとは、みんなで寝泊まりして合宿生活だったから、今ライブしたらどうなるんかなって。また合宿してもらうわけにいかないし、難しいなと。

角谷:ギャラとしていくら払えるかっていう部分もあるしね。情熱だけでやってるって言うとかっこいいかもしれないけれど、このやり方だと到底回っていけないですよね。前回のライブも結果的にはSOLDOUTだったけど、発売してから5ヶ月くらいでようやくだったから。すぐに売り切れてたら、「あぁ次もやったら人が入ってくれるんだ」って思えるけど、正直思えない。怖くてできないというのが現状です。

菅野:なるほどね。まぁ、何らかの形でね、あるといいですけど。……ライブについてはこんなところにして、いえもとさんに質問なんですけど、今までと今作で何か違ったことってあったりしますか? それとも基本的には同じスタンスでやってきている感じですか?

いえもと:基本的には同じスタンスですね。何か変えたこともないし。でも全体的なイメージとしては……何て言うんでしょう。前作が「夜霧」で大人っぽい感じだったから余計に思うのかもしれないですけど、若返った感じかします(笑)。でも私らしく、作品に合ったように歌いたいっていうところは変わらないです。

菅野:今作で歌いやすかった曲とかはありますか?

いえもと:「1週間ダイアリー」とかは楽しく歌えたし、大好きですね。あとは「八月の波」とかも歌っていてすごく気持ちよくていい曲だなぁと思います。

菅野:僕は歌のレコーディングは見たことないんですけど、2人でやる時のやり取りも今までと比べて特に変わりないですか? それとも、年々アルバム重ねるごとにちょっと違ってくるとかあるんですか?

角谷:特になく、変わらないですね。

いえもと:年々厳しくはなってきてるかもしれないです。

菅野:厳しくっていうのは例えばどういう点が?

いえもと:やっぱり付き合いが長くなってくるから言いたい事も言える。ぶつかり合う事もあるっていう感じで。それは良いことなんですけどね。作品がよくなるように言い合えるっていうことだから。

菅野:例えばどんなことを? 印象に残ってることってありますか?

角谷:なんだろう。覚えてないんですよね。

いえもと:具体的にってなると難しいですけど……。もう「違う!」ってピシャンって感じ。良かったら、今の良かったって言ってくれますけど、角谷くんは褒めて伸びるタイプで、私も褒めて伸びるタイプ。

角谷:叱られて伸びるタイプなんていないでしょ(笑)。

いえもと:だけど、叱られるからそこの耐性は付いたかもしれないです。

菅野:耐性はつきますよね、長くやっていると。あとは2人が出てるMV(「雨になる」)があるじゃないですか。MVについての感想はありますか?

角谷:あれは、2021年の5月くらいから阿部友紀子監督と打ち合わせして、これだけ時間があるから、季節感を変えていこうっていう話をしていて。本当は残暑の9月に撮影したかったんですけど、曲のタイトルに引かれちゃったのか全部雨が降って9月に撮影できなくなっちゃったんですよね。それで、10月になってススキが出ているという。10月の朝霧高原(撮影場所)は前日から行ってみんなで泊まって、朝の6時から日が沈むまで撮っていました。そして後日、11月に、横浜の根岸公園とか山下公園とか、イチョウがあるところで撮って、今年(2022年)の5月後半くらいに代々木公園とか東京あたりで撮影して終わりっていう。初夏、夏の終わり、秋っていう3シーズンで撮っています。

菅野:長期間に渡って撮っているんですね。あとはジャケットですが、緑が印象的です。毎回ジャケットの感じは違いますが、ジャケットは2人が主導で作っているんですか?

いえもと:ジャケットは角谷くんが参考資料としていろんなジャケット画像を集めてくれて、それを参考にわたしが何パターンかデザインしてみて、最終的に「これでいこうか」って決まりました。

菅野:結構難航しましたよね。

角谷:一緒に行ったもんね。

菅野:そうですね、撮影自体には。

角谷:大変だったね、カメラが壊れちゃったり。

いえもと:写真自体はいい写真が沢山ありすぎたくらいで。

角谷:おかげでね。何でも使えていたとは思うんですけど。

菅野:何か決定打はあったんですか?

角谷:構図がいいなと思ったのと、なんかちょっと古い感じが出てるなぁと思ったり。夏なのに夏の海が写っていなくて。所謂夏をイメージさせる写真ではないと思うんですけどね。そういうのはズラしというか。一発でプールサイドとか撮っておけばそういうイメージになるけど、ちょっと色物になっちゃうなとか思って、それよりは地に足がついたものの方がいいなと。詞の中の世界とリンクさせたいというのもあって、浮ついた夏っていうよりは湿気があるものという部分にジャケットも通じているかなと。

菅野:なるほど。あと角谷さんへの質問で、曲のイメージが固まらない時や、アイデアが出ないことはありますか? そういう時はどうしますか?

角谷:ひたすらやり続けるしかないですね。いろんな曲を聴きまくってインプットを膨大にして、頭を壁に擦り付けながら出す。ギターを持ったりして始めないと進まない、そんな感じです。

菅野:いえもとさんは、うまくいかない時にこうするとかはありますか?

いえもと:とにかく練習するしかないですけど、初めにデモを録るのでその時にこんな感じってイメージを掴んで、レコーディング中にも詰めていって、これだっていうのを見つける感じですね。

菅野:それはレコーディング中にすぐ見つかるものですか? 

いえもと:今回のアルバムは難しい曲もあるけど、そこまで歌いにくいと思う曲はなかったし、’67の1stの時と比べると、わたしが歌いやすいようにも作ってくれているし、最終的にうまく歌えたんじゃないかと思います。

菅野:やっぱりいえもとさんのヴォーカルが1番良く聴こえるようにという意識はあるんですか?

角谷:うん。でも、正直なところとしては、曲が出来るまではなかなか狙えないんですけどね。曲作りで精一杯で。キー合わせとかで、ハイが強すぎる部分があるから半音落とした方がいいとか、そういうのは経験を積むごとに出来てきているのかなと思います。「冷めたカルディア」とかでも、最初ずっとAメロのBPMで進行していたんですけど、サビでそのままいくと音が詰まりすぎて聴きにくいなと思って、サビだけBPMを落としたり。AメロBメロはそのままなのにサビでテンポが落ちてたりするのは、もうちょっと歌が伸びやかに聴こえた方がいいかなっていう、そういう部分で寄せたりしてますね。

菅野:それは長年やってきて段々と身についてきたこと?

角谷:単純にその場で聴いて、あぁ詰まってるなって。そしたら歌のためにも、こういう編曲をやってみたら面白いかもって総合的に考えてって感じです。

菅野:では今回の歌を録るにあたって、いえもとさんへのオーダーはあったんですか?

角谷:ありますね。力強くなくとか。どうしてもメインヴォーカリストが表に出過ぎるものが作る上では好みでは無くて。ディーバ系とか、そういうものにはしたくないなと。

菅野:それは以前からずっとそうなんですか? いえもとさんも、そういう意識は共通で持ちつつ?

いえもと:当初から一貫してそうですね。

菅野:では、今後何かやりたい事とか、今後のビジョンはありますか?

角谷:ライブは実はやりたいんです。さっきああいう事言ったけど(笑)。アルバムも喜んでもらえるっていうのは結構嬉しくて、SNSとかでコメントもらえたらやっぱり嬉しいし、ライブで楽しんでもらえるのも嬉しいし。でも最近本当に辞めるモードだったから(笑)。次回作を作れたとしても、全然違うようなサウンドになる可能性も感じています。

菅野:それはそれで面白そうですけどね。

角谷:自由に、ラフに、構えずにこれからは出来たらいいなと思います。

菅野:いえもとさんはどうですか?

いえもと:やっぱりライブはしたいかな〜。皆さんの顔を見て歌うっていうのはわたし達にとっては特別な事だから。声をかけてもらったりっていうのも本当に貴重なので。

角谷:ライブ会場限定のCD-Rとかを頑張って作っても、高額で転売されたりするんですよね。それで、転売した人はチケット代も取り返してるし、儲けまで出てる。そういうのではすごく萎えましたね。だから、そういうのはもうできないですよね。そういう事をする人もいるって分かったから。ライブに来てもらうため、喜んでもらうためにやっていた事だったので残念に思いました。でも、ほぼ趣味という原動力だけでアカペラは作っているんで、CD-Rではなくてダウンロードカードとかならいいかなぁ、なんて思います。実はライブ云々という言い訳の元、本心はただアカペラがしたいというだけというね(笑)。転売はCD-Rにも書いていましたが悲しいのでしないで欲しいです。とにかくまたライブができるように頑張ります。

菅野:では、今回のアルバムを買って今聴いている方にメッセージをお願いします。

いえもと:まずはCDを買ってくださった方、ありがとうございます。この時代にCDを買ってくださるのは本当に貴重だと思うので、そうまでしてわたし達の曲を聴きたいって思ってくれたことに感謝だし、励みになります。少しでも楽しんでくれた人がいたならそれだけで幸せだなと思います。

角谷:本当にその通りで、やっぱり本当に好きじゃないとCDは買って頂けないと思うし、予約を開始したのも音源が出る前で、なのに結構予約して頂いていたりしたし。さっきの転売の話じゃないけど、そういうことをしているのはほんの数人で、ほとんどの人は応援してくれていると思うので。曲作りの努力とか、裏の部分は見えないから、ダサいかもしれないけどあえて言うと、毎回死ぬ気で作っているんです。人生の時間を注いで。当初は自分のために作っているような感覚だったのが、段々とそういう情熱だけではガソリンが足りなくなっていく。そういう時に、やっぱり楽しみにしてくれている人達もいるのかなぁと思ったりすると活力になるし、よかったっていうコメントとかを見ると、「また頑張ろうかな」と思ってきたり、不思議だなぁって思います。自分のためだけに生きてきたはずなのに。とにかく感謝しかないですね。もちろん2人だけでは完成できないし、失敗とかいろんな事を繰り返さないと僕の場合は納得するものって作れないから、携わってくれた人やCDショップの人とか、買っていただけるリスナーの方も含め、全ての人が影響しているっていうものになっていると思います。毎度の事ですが、全ての方々に感謝しています。

菅野:あと、「すべての夏に感謝する。」って帯分にもあるように、夏に出したいっていう話を聞いていたんですが、それについては何かありますか?

角谷:制作が押して、「7月の頭に夏に出せないかもしれない」ってなりそうだったんですが、8月1日から1週間の事を日記のように歌っている「1週間ダイアリー」っていう曲があるんですよね。7月には出せないかもしれないけれど、この曲は8月から聴いてほしいっていう想いになって、エンジニアの玉田くんと相談して、行けるところまで行ってみようって。そこでより僕らのバイブスが上がったりして。何故かっていうと、その季節に聴いていた曲っていうものが人生の中で想い出になっていくというか、そういった経験が僕の中で結構あるので。「あの何年の夏にこの曲を聴いてたな」とか、そうやって今度は僕らの手から離れた時に、聴いていただいている人達の中で曲が生きて行くような事を大切にしたくて。もちろん遠くの何十年後とかの人に作っている部分もあるけど、そうやって今生きている人達と一緒に曲が生きていく、育っていくっていう考え方もあって、そこを大切にしたかったから、なんとか夏に間に合うように頑張って作りました。

菅野 : 最後に、今作と同時並行して作っている映像記録についてお聞かせください。

角谷 : これは元々友達にウワノソラの曲も聴きたいけど、その工程も同じぐらい知りたいと言われたことがあって。それ面白いかもと思って、制作中にずっとカメラを回していたんです。できる限り全工程を録画しとこうということでね。ただし、2年間(2020年〜2022年)の映像記録なのでとにかく膨大で。編集も、観る方も大変だろうなと。途中でアコースティックライブを挟んだり、この映像作品だけに収録する曲もあったりと、ウワノソラファンには必須アイテムになるのではと思っています。それと自分が大学生の頃、この時代の他の日本でポップスを作る作家さんやバンドの細かい制作ドキュメンタリーが観れていたならどんなに助かったかと思って。

ウワノソラはずっとセルフプロデュースだったので、最初は右も左も分からない。それからあーでもないこうでもないと試行錯誤の時間が長くて。その時に誰かのHow to を観れていたならもっと助かったのかもと感じていて。だから少しだけ、これからかっこいいポップスを聴かせてくれる未来の音楽家への手紙、というか本当の意味での資料、一例にしてもらえたら、という側面もあるんです。この時代に音楽をしていた僕らはこうやってアルバムを作ってるよって。いちいちマイクの説明とかね。60年前のスターの音楽ドキュメンタリーもいいですけど、よりリアルがあると思うし。うーん…。まぁだから見どころは、2年間で徐々に僕の髪が伸びて最終的にロン毛になる所ですかね(笑)。

いえもと :このドキュメンタリー作品を観終わった後に、もう一度アルバムを聴くとまた新しい感動があるというか。聴こえ方がまた変わると言いますか。是非楽しみにして頂けたらと思います。

菅野 : ありがとうございました。