マイ・ランド

子供のときに、日本に住んでいて、東京でパラダイス生活を送っていたのは前にも書いたことがある。

おとなたちの会話の影響もあったのかも知れないが、そのころは、あたりまえのように日本という国は、通常の国ではなくて、会社という「国」の集合体だとおもっていた。

考えていた、とは言えない。

感じていた、のほうが適切かも知れません。

国家、というようなものとは異なって、国は、

「ここが自分たちの国なのだ」と考える人たちが規定している集合なのは、言うまでもない気がする。

ここは自分たちが生活している場所なのだから、自分たちの手で、行動して、なんとかしなければならない、と日本の人が最も切実に感じているのは自分が「属している」日立製作所であり、本田技研工業であって、とにかく昨日よりは今日、今日よりは明日と、少しでもよい状態にするために頭を砕いて、砕いてしまっては使いものにならないか、頭を絞って、いや、絞ってもカチカチ豆腐みたいになってしまいそうだが、表現なのだからやむをえない、懸命に考えて、刻苦精励するのは、たいてい、自分が給料をもらっている組織体に対してであるように見えました。

これは子供心にも驚くべきことで、英語人は、会社にそこまでのコミットメントを感じるなんてありえない。

「日本型」と言っていいような企業もあるにはあります。

例えばアメリカならばヒューレットパッカードなどは、長い家族主義経営の歴史で有名で、終身雇用で、人事の会議で、

「それでは彼の家の息子はハンディキャップがあるから彼に気の毒だ」

というような発言が役員の口から出るほど運命共同体であるような会社だった。

もうやってないけどね、そういうやりかた。

さすがのHPも。

冷酷になれないので無駄が増えて、その他にも、いわばHP型の日本の歴史が古い会社の人なら「言われなくてもわかる」理由で、だんだん生産性が低下していって、マッドマックス世界化した21世紀のアメリカ企業世界では、通用しなくなってしまった。

ヒューレットパッカードのような会社は少数派で、というよりは例外で、金銭面だけでいえば、企業はマネーメイキングマシーンで、貢献に応じて、集めたオカネの分配に預かる。

その機能の権化が「会社」で、そんなものと一体化してしまうとブタさん貯金箱になってしまうので、当事者意識は、町であり、都市であり、それにおおきな影響を与えるものとしての国家ということになる。

ニュージーランドの人口を知ってますか?

むかしは350万人と言っていた。

イギリスなどで人口を聞かれると、めんどくさいので300万、と答えていたような記憶がある。

ちょっと国の経営が傾くと、たちまちオーストラリアを始めとした英語国に人間が流出する一方で、イギリスやインドや中国というような国々から、毎年怒濤のように移民が入ってくるので、いまは「われわれ500万人のチーム」などと言います。

イメージとしては首相がスキッパーで、国民は櫂をにぎって、えんやさっさと漕いだり、観光ブームや仔羊(ラム)ちゃん高騰の順風に恵まれると、帆をいっぱいに張って、滑るように世界を渡っていく。

誰もが、自分の幸福のために、わがままな生活を送るいっぽうで、どう改造すれば生活が向上するのか議会という名前の生活向上委員会を開いて、

生向委に没頭する。

だから人口が増えすぎたのではないか?

日本は、見ていると、ニュージーランドでは国にあたるものが会社どまりであるよーだ、というのがコドモわしの観察で、その周りの町であるとか、まして国になると、「さあ、誰かがやってんでしょう?誰がやってるのか知らないけど、ろくでもないやつらだよねえ」というようなことを述べて、涼しい顔をしている。

紅旗征戎吾事に非ず、と顔に描いてある。

しかし、そんなになんでもかんでも他人事で、わしゃ知らんわ、政治家なんて、どうせろくでもない人間がなるんだから、ほっとけばいいのさ、をやっていて、うまくいくものなのだろうか、と時々、不思議な気持ちで考えた。

それから幾星霜。

ミレニアムゴジラで少年が疾走する白州の森の径や、東京物語で、「将来は医者になるのだ」と述べる、よちよち歩きから、やっと脱したばかりの孫を見つめながら、

「あんたが医者になるころまで、わたしは生きていられるかねえ」と呟く、東山千栄子演じる、やるせない老女を観ていたぼくは、突如、すっくと起ち上がって、よおし、日本に住んでやる、と考えます。

なにをしに行くのかって?

遊びに行くんですよ。

東京のラーメンのおいしさやクラブの面白さは、それでなくてもかねて聴いている。

第一、他の人は知らないが、東京がパラダイスなのは、子供時代を過ごしたわしはよく知ってるけんね。

当時は、よもや東京があんなに面白いところだとは、誰も知らなかったのです。

決めると早いのが、ものをちゃんと考えない人のいいところで、いくらバカでも、バカはちょっと我ながら言葉がきついな、おちょこでも、おちょこ、違う、えーと、オッショコショイでも、いやオッチョコチョイでも、いきなり違法滞在して1年住む、というのは賭けとして割が悪いのは判り切っているので、まず2ヶ月いて、現地(←ここでは日本のことですね)でいろいろ検分して準備するとして、と決めたときは実はロンドンとニューヨークを行ったり来たりして、南半球の夏になると、ふらふらとクライストチャーチの両親の家に出かけるという、あんたはボーフラか、な生活をしていて、日本に「移住」というわけには到底とどかなかったが、一念勃起して、おいらの人生ビンビンだぜ、と考えながら成田に降り立ったのでした。

いやあ、楽しかったです。

だって日本だもん。

なにもかもクレージー(←悪い意味はありません)で、昼はBGMに箏曲が流れそうな端整な礼儀正しさで、夜は、いえーい、GOGOGO!のcome undoneと言いたくなるほどのアナーキーで、すごい、やっぱり東京は東京でんねん、と満足した。

結局、5年間11回の日本遠征計画と称して、軽井沢の夏の家の裏庭に

「十全外人顕彰碑」を建てたのは、前にも話したことがありそうです。

滞在最後のほうは、いま考えるとホームシックだった。

やたら機嫌が悪くなって、イライラするようになって、主にネットの水面に浮かんでいるひとびとが不愉快に見えて、日本が半分以上嫌いになっていた。

それで、2010年に、日本にいるのをやめちったんだけどね。

そのころになると、初めの、いえーい、が、やがて悲しき鵜船かな、

寂寥に変わって、そんなんだったら日本にいる意味ないんじゃない?と、最終遠征で長い長い長ああああい新婚旅行の一環として一緒に東京と軽井沢を往復して日本に住んでいたモニさんに言われて、

考えてみると、それもそうか、で、

そこからまた世界をくるりんと一周したりしながら、結局は、子供のときから毎夏訪れて馴染みがあるニュージーランドに本拠を定めます。

いまはネットを通じてしか日本との繫がりはありません。

好きな国だとはいうものの、他の好きな国、例えばスペインとは異なって、勘で、距離をつくったほうが、うまくいくような気がした。

なんだか日本人のような気持ちになって、一緒に侃々諤々していた場所から、毎年毎年、遠くなって、水平線の向こうの陽炎のように、蜃気楼のように、見えるか見えないか、野守は見ずや君が袖振る、のいまくらいのほうが、予想どおり、ずっと日本が好きなままいられるようです。

さてやっと、本題にもどると、

そのくらいの距離が出来ると、あらためて、日本の人の、自分の国に対する当事者意識のなさが、いまの日本社会の凋落の原因であるように考えました。

一般に日本の人の「政治話」がヒョーロンカ風で、悪くすると、新橋の焼き鳥屋でオダをあげている中年サラリーマン風になるのは、どうも、この社会は自分たちがつくった社会なのだ、という意識が欠落しているからに見えてしかたがない。

いいとしこいたおとなが、21世紀の民主社会に生きていて

「オカミも、もうちょっと、ちゃんとやってくれないと困る」というようなことをいう。

幕末も、いよいよ押し詰まった日本を訪問したヨーロッパ人に江戸幕府の政治力のなさをどうおもうか問われて、

「さあて、困ったことで、このままいくと、この国も終わってしまうかも知れませんが、それは幕府の問題なので」自分たちは預かり知らぬことだ、と述べて質問者を驚かせた当時の豪商を思い出させます。

誰も自分たちが暮らしている社会に参加していない不思議な社会が日本社会の特徴でしょう。

誰だって知っている現実として、なにごとかを述べることと、なにごとかをやってみることとは、何光年というような物理単位で言い表せない質的な違いがある。

やってみない人が、やってみる人に対して、なんとでも言えるのは、まさに自分では絶対になにもやってみないという事実によっている。

国民がヒョーロンカばかりになってしまうと、いかに社会の文明度が高かろうと、あえなく亡びてしまうのは古代ギリシャ人が歴史のなかで嫌というほど証明している。

古代ローマ人が子弟にギリシャ語を学ぶことを義務として課したのに、ギリシャ人の生活を真似る事を厳禁したのは、そのせいです。

唐様で書くのが上手な三代目が家産を食い潰してしまったのも、そのためでしょう。

英語の世界でよく知られた日本人の逸話でいうと、本田宗一郎は、理論を述べ立てて技術の優劣を論じる社員を見つけると

「理屈で考えるなバカヤロウ」と社長にしては、甚だお下品な日本語を叫んでスパナを振りかざして逃げ惑う社員を追いかけ回したという。

英語人がやっていることは相変わらずデタラメで、言わないだけで、考えることは、もちろん意識すらされない差別意識にも満ちてめちゃくちゃだが、美風も残している。

ひとつには、そつのない人間や第三者批評のようなことを述べる人間が相手にされないことです。

必ずしもいいことではないのは当然だが、当事者ではない意見は、聴いても聴かなくても、どっちでいいことになっている。

逆のいいかたをすると、例えば本人がトランスheやトランスsheの人間の言い分は最大限の敬意と真剣さで耳を傾けなければないことになっているが、

そうでないすべての人間の意見は、どんなにもっともらしくても「参考意見」にしか過ぎない。

ついでに言えば韓国系の友だちに日本でも韓国人「慰安婦」問題で講演したり本を出したりしている人はいるみたいよ、と述べたら、

「そのひと、在日の韓国の人なの?」と言うので、いいや、日本の人、と答えたら、

名状し難い苦渋に満ちた表情を浮かべていた。

日本語では最近「主語がおおきすぎる」と相手をくさすのが流行っているが、当然のことながら、外国人は日本のことを考えるときには「おおきすぎる主語」でしか考えてはくれないのです。

その南京虐殺について述べる日本人は、自分が虐殺した側の人間であることを総括した上で述べているのか、と中国系人が言うのも、同じ考え方の文脈に立っているのでしょう。

そういう日本人の「進歩的」な人間たちは、自分が「慰安婦」や南京虐殺を否定することによって、意識するにしろ意識していないにしろ、免罪符を手に入れたつもりになっていることがわかっているのか。

自分が日本人でないとでも言うつもりか。

ネパールレストランで、料理がおいしくて、ワインも予想外に旨くて、だいぶん酔っ払ってもいたので、

「彼らが日本人「慰安婦」についても同じくらい述べているかどうかを調べてみれば、いい気になって正義漢を演じているのか、実際人間性の問題として、いたたまれない気持ちに動かされて疑義を述べることにしたかどうか判るだろうから、調べてみるよ」と言って、いつものことで、そのままになっているが、

やっている人たちの「当事者意識の欠落」は以前に呆れたことがあっておぼえているので、将来も、あんまりマジメに調べる気にはならなさそうです。

岡目八目という言葉には傍観者には当事者よりも少し事態がクリアに見てとれるものだ、という以上の意味がある。

当事者でない人間に見える余分の「八目」は有害なのだ、と、この言葉をつくったひとは言いたかったのではないか。

かつてケネディ政権に参集した自我がはちきれそうなほどのエリート意識で自分たちの社会への当事者意識など持ちようもなかったThe Best and Brightest が収拾の目途も立たないベトナムの泥沼にアメリカを突き落としたとき、この国をなんとかしなければ自分たちの人生などなくなってしまうのだという焦慮からたちあがって、やがてワシントンDCを埋めつくすデモになっていった若い人たちは、まさに、ダッサイ言葉で述べれば、「当事者意識」によってアメリカ合衆国を破滅の淵から救いだした。

いったんは。

ひゃあああ、長くなってしまった。

もう、このへんで、やめましょう。

端折ってしまおう。

ヨソモノにしか過ぎないぼくに目には、いまの日本に必要なものは明らかです。

「この国は自分たちがつくったものなのだ」と、はっきり意識に持つことです。

ダメな国だとして、そのダメな国をつくったのは、ダメダメ人に反対だった自分も含めて、自分たちがつくった作品なんです。

それが判る所からしか、なにも始まらない。

聡明な日本の人たちのことだもの、きっと、判ってくれると思っています。

Kia Kaha 日本人!



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