狭山茶の基礎知識
さわやかな香りと、こくのある狭山茶
狭山茶は埼玉県下全般に生産されますお茶の総称で、ここ入間市が主産地です。その生産量、栽培面積も県下一を誇っています。
「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」
と謳われる狭山茶は、熟達した製茶法と「狭山火入」と称する古来の火入の真髄を発揮し、丹念に選りすぐった自然の風雅が、深みのある濃い味わいとなって、私たちの心をやさしく和ませてくれます。
茶摘み唄
- そろうたそろうたよ お茶摘み娘
日傘かわりの姉さんかぶりよ
赤いたすきの 17、8がよ - お茶の若さよ 色香のよさよ
鬼も十八 番茶も出花
茶摘み娘の花ざかり - お茶の狭山か 狭山のお茶か
ここは武蔵野 お江戸に近い
狭山茶どころ 名のあるところよ
狭山茶の歴史
狭山茶の起源「河越茶・慈光茶」
茶は、1200年くらい前に遣唐使として唐(当時の中国)へ渡った僧が日本へ伝えました。この時代の茶は、沸騰した湯に茶を入れて煮出す「煎じ茶」で、寺院や宮廷の儀式でお供えなどに用いられました。
その後、800年くらい前、宋(当時の中国)に渡った僧が、茶の粉末に湯を注す「抹茶」の飲み方を日本へ伝えました。このころから、茶は寺院での儀式や修行で用いるほか、武士たちも飲むようになり、日本各地に産地が広まります。埼玉県内でも、有力寺院で茶の生産がはじまり、南北朝~室町時代の史料には、「河越茶」(川越市の中院が拠点)と「慈光茶」(ときがわ町の慈光寺が拠点)の名が武蔵国の銘茶として登場します。しかし、その後の戦乱によって有力寺院が衰退すると、これらの茶産地も荒廃してしまいました。
「狭山茶」の誕生と発展
280年くらい前の江戸時代中ごろ、宇治湯屋谷(京都府宇治田原町)の永谷宗円(そうえん)は、蒸気で茶葉を蒸してから揉んで乾かす「蒸し製煎茶」の製法を発明し、この煎茶が1750年代頃から江戸で多く飲まれるようになりました。
江戸時代後期の1800年代初め、狭山丘陵の北麓に住む吉川温恭(よしずみ)(入間市宮寺)と村野盛政(東京都瑞穂町)は、江戸で蒸し製煎茶が高値で取引されていることを知り、本格的な蒸し製煎茶の製造技術を導入します。二人は、狭山丘陵北麓の村々に製茶技術を広めて量産体制を整え、文政2年(1819年)、山本山をはじめとする江戸の茶問屋と、本格的な取引を開始します。茶の販売が軌道に乗った天保3年(1832年)、二人が茶作りを始めた狭山丘陵の麓にある出雲祝(いずもいわい)神社(入間市宮寺)に、茶作り復興の記念碑「重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)」が建てられました。いにしえに武蔵国の銘茶といわれた「河越茶」が衰退した後、数百年間にわたって廃れていた武蔵国の茶作りを、ここ狭山丘陵の麓で復興したことを、高らかに謳った石碑です。「狭山茶」の名称は、このとき誕生しました。
その後、幕末・明治期に茶がアメリカに輸出されるようになると、狭山丘陵を取り囲む周辺の武蔵野台地一帯で、茶が広く栽培されるようになります。明治8年(1875)、埼玉県域の製茶業者によって輸出会社「狭山会社」が設立されると、それまで狭山茶(狭山丘陵北麓)・根通り茶(加治丘陵南麓)・八王子茶(横浜港から輸出する茶の集散地)など、さまざまな名称で呼ばれていた茶名を、茶作り復興の地での名称である「狭山茶」に統一しました。現在、「狭山茶」の名称は、埼玉県および隣接する東京都で栽培される茶の総称となっています。
重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)
8 重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうのひ)及び茶場後碑(ちゃじょうこうひ)
現在の狭山茶
現在、北は秋田県から、南は沖縄県までいろいろな地方でお茶が生産されています。
埼玉県のお茶の畑は、全国で6番目の広さとなっていますが、出来るお茶の量は、全国で11番目です。県内では、入間市、所沢市、狭山市で多く作られています。
お茶の木にとって埼玉県は寒いところなので、お茶の葉は1年に2回しか摘みとりません。
埼玉県より南の地方では、お茶の葉を1年に3回、九州地方などのとても暖かいところでは4~5回も摘むことが出来ます。
お茶の木の育て方
お茶の葉がたくさん摘めるようにするためには、お茶の木を植えて木を大きくしなければなりません。茶の栽培は、苗木を植えることから始まります。この苗木は、6~7年で一人前のお茶の木になり、毎年お茶の葉が摘めるようになります。
お茶の木を育てるためには、次のような作業をします。
- 肥料を畑に蒔いて、お茶にする葉がたくさんとれるようにします。(3・6・9月)
お茶を収穫すると木が弱ってしまうので、お茶の木の勢いを保つためにたくさんの肥料をあげます。
お茶の品質は、化学肥料だけでなく、有機質肥料や推肥をあげることで高まります。
堆肥をあげることで土を和らげたり、通気性がよくなり根の成長もよくなります。 - 葉を食べてしまうような害虫を退治します。(4~10月)
- 雑草を取って、畑をきれいにします。(6~9月)
わらや山草などを敷くことで草の発生を抑えたり、干ばつや土の凍結を防いだりします。 - 枝を切りそろえて茶の木の形を整えます。
お茶の収穫や品質を高めるため、古い葉が入らないようにします。(株ならし) - 茶の木を寒さや霜から守ります。(12~4月)
お茶の新芽は、非常に冷気に弱いため、茶畑に扇風機を設置して冷たい空気になると扇風機がまわりだし、霜から守るようにしています。(防霜ファン)
トンネル式や棚が式囲いを造り、お茶の木の上に覆いをしたりして霜から守ります。
お茶の葉の摘み取り
茶の葉は、昭和30年ごろまでは手で摘み取っていました。その当時は、何人もの婦人が摘み取りの手伝いを行い、世間話・よもやま話などをしていたそうです。その後植木などの剪定に使う鋏に袋をつけて刈り取ったお茶の葉が袋に溜まるような仕組みのものが普及するようになり、手摘みよりはるかに効率よく摘み取るようになりました。
機械メーカーも省力化を目指し、発電機・畜電器を使った刈り取り機を製造し、現在の主流は、2人でお茶の木の畝の両側に立ち、刈り取る小型エンジンの搭載されたものとなっています。また、最近では一人で刈れるような機械やお茶の木の畝の両側にレールをひいてリモコンで動く機械も市内でも、稼動してきています。しかし、品評会に出品するお茶・高級茶の製造をするためには、手摘みがいまも主流です。
手摘みには、こき摘み・おり摘み・三葉摘みなどがあります。
- こき摘みは、しごき摘みともいい、新葉の軟らかい部分をしごいて採る。
- おり摘みは、新芽の出ているところからおり採る。
- 三葉摘みは、上から三番目のところまでの新芽を採る。
摘み取りの量
- 手摘み(1日) 約10キログラム
- はさみ摘み 約100キログラム
- 可搬式エンジン摘み取り機械(2人1時間) 約300キログラム
- レール式エンジン摘み取り機械(1人1時間) 約400キログラム
茶摘み時期
狭山茶は比較的冷涼な台地や丘陵地帯で生産されます。摘採は春夏2回行われています。
- 一番茶 4月下旬~5月下旬
- 二番茶 6月下旬~7月中旬
お茶について いろいろ
もっとくわしく狭山茶を知りたい方は…
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更新日:2023年03月31日