現代人の消費量は50年前と比較して2倍に増加しているのだそうで、その結果、平均的な現代の家庭には約30万個のモノがあり、テレビの数は人の数よりも多く、それら大量のモノを収めるための家の大きさは3倍になったとも言われています。
では、私たち現代人が50年前と比較して2倍幸せになったのかと言えば、むしろモノが増えれば増えるだけ満たされない気持ちが大きくなり、家が広くなればなるほど心は狭くなっているというのが現実ではないでしょうか。
↑持ち物は2倍になったけど、不満な気持ちも2倍になった現代人
現代人は1日に約5000もの広告を目にすると言われており、その中で「モノを持つことで豊かになれる」という価値観を無意識のうちに刷り込まれるため、人々は所有することこそが豊かさだ信じてきました。
そのため、私たちは豊かさを追い求めて猛烈に働き、テレビ、パソコン、そしてステレオなどあらゆるものを買い揃えることで、快適な生活を送ろうとしますが、実はそれほど暮らしが豊かになっていないことは言うまでもありません。
↑ホントめったに使わない家具を捨てて、もう少し狭い部屋に引っ越せば、もっと早く帰れるのに
1日は24時間と決まっているので、働く時間が長くなれば必然的にそれらのモノを使う時間は短くなってしまいますし、モノが増えればもっと広い家に引っ越さなければならなくなり、そうなればさらに高い家賃を払うことになるため、労働時間はさらに延びて、結局、せっかく買い揃えたモノを使う時間はほとんどなくなってしまいます。
このように現代人は、生活をちっとも豊かにしない大量のモノを家の中に飾っておくために高い家賃をせっせと払い、その家賃を稼ぐために長時間働くなど、無意識のうちにモノに振り回される生活を送っているのです。
↑めったに使わない家具を捨てて、もう少し狭い部屋に引っ越せば遅くまで残業する必要はなくなる
そうした彼らの消費行動は、まるでレストランの食べ放題を見ているかのようです。食べ始めは誰もが美味しそうに食事を楽しんでいたのに、だんだんお腹が膨れてきて、明らかに苦しそうな表情をしているのにも関わらず、それでもまだ食べ続けようとする姿と重ね合わせてしまいます。
確かに、まだ貧しかった頃の日本では、幸せになるための方程式は得たり拡大することなどの「足し算」で成り立っていたのかもしれませんが、現状を見ればもうこれ以上足したところで幸せになれないことは明らかですし、そもそも私たちが幸せになるために本当にそんなにモノは必要なのでしょうか。
↑せっかく食事を楽しむために来たのに、気付いたら元を取るために苦しんでいる
そもそも、私たちが「これが無いと暮らしていけない」と思い込んでいる冷蔵庫などの家電製品の多くは、東京オリンピックが開催された昭和39年以降になってやっと一般家庭に普及し始めたと言われており、実は昭和30年頃までは冷蔵庫無しで暮らしていた家庭のほうが圧倒的に多かったのです。
冷蔵庫が無かった時代は食べ物を蓄えておくことができなかったので、その日1日に必要な食材を毎日買いに行く必要があり、現代人からすれば相当不便な生活だと感じてしまうかもしれません。
でも、それは裏を返せば、当時の人達は自分たちが食べていくために、どれくらいの食料とお金が必要なのかをきちんと理解することができていたと言うことができます。
↑いつか使うものを溜め込むことが、生きる力を弱め、将来の目標を徐々に腐らせる
「食っていく」とは「生きていく」ことであり、当たり前ですが、毎日最低限食べていくことさえできれば人間は生きていくことができるのです。
そのため、一体いくらあれば自分は食っていくことができるのかを見極めることができれば、将来に対する「食っていけないかも」という不安を感じる必要はありませんが、冷蔵庫という存在が食べること、つまり生きていくことの本質を見えなくさせているのかもしれません。
冷蔵庫が登場したことで、私たちは明日、明後日、もしくは1週間後のことまで視野に入れて買い物をすることができるようになり、さらに冷凍庫に入れてしまえば1ヶ月先まで見越して買い物ができるようになりました。
そして、「いつか」食べるだろうとアレもコレも冷蔵庫に溜め込むことによって、人は今日食べるための食料を買うのではなく、「いつか」食べるものを絶えず購入するようになった訳ですが、それは食べ物だけに限らず私たちの生活全般にも当てはめることができます。
↑現代人は冷蔵庫を手に入れることで、未来のことまで考えて買い物をするようになった
家に帰って自分の部屋を少し見渡してみてください。恐らく、いつか着るつもりの服、いつか読みたい本、そしていつか使うかもしれないと放置しているモノなど、部屋が「いつか」で溢れかえっているはずです。
私たちは、冷蔵庫を通じて「いつか」に思いを巡らせるクセが付いてしまい、こうやって「いつか」を溜め込んでいくことで、自分が生きていくために「本当に必要なもの」と「ただの欲望」との境界線がどんどん曖昧になってきています。
そうしているうちに人はぼんやりとした欲に支配されるようになり、次第に得ることだけが絶対的な価値観になるため、ただただ失うことを闇雲に恐れるようになるわけで、それこそが今の世の中における不安の正体なのではないでしょうか。
↑「いつか、いつか」と溜め込んでいる間に食べ物、モノ、夢、そして希望まで全部腐らせてきた
東日本大震災の時に、スーパーやコンビニで日用品の買い占めが起きましたが、買い占められたモノの多くは、それぞれの家庭で持て余されてしまったのだそうです。
これはまさに、現代人が将来のことばかりに気を取られ、今日のことがほとんど目に入らなくなってしまったがために、その日1日を乗り越えるために何がどれくらい必要なのかを見極める目を完全に失ってしまっているということの何よりの証拠だと言えます。
でも結局のところ、人生は「今日」の積み重ねであるため、今日必要ないものは明日も必要なく、逆に今日必要なものは明日も必要である場合が大半なのですから、今日その日に必要なモノをきちんと見極められれば将来を恐れる必要は全くありません。
↑最新の洗濯機やテレビなど、余分なものが不安を連れてくる「もうそろそろ頑張るのをやめれば、日本人は幸せになりますよ!」
現代の住宅はお風呂、洗濯機、そして冷蔵庫などあらゆる家電が設置され便利になっていく一方、便利になればなるほど孤立して他人との接点が無くなってしまうことも事実です。
家にお風呂や洗濯機がなかった時代、共同の洗濯場や街の銭湯は近所付き合いの場として機能していて、そこにはもちろん争いごとや揉め事もそれなりにあったに違いありませんが、そういう小さな付き合いを積み重ねながら、日々お互いに支えながら生きていくのがその頃の豊かさだったのかもしれません。
それに、今でも田舎ではおすそ分けの習慣が残っている地域が少なくないように、冷蔵庫がなかった時代は作りすぎたおかずを近所におすそ分けするなどして、人と交わるキッカケや理由がたくさんありました。
しかし、私たちは便利な家電によって自分たちが出来ること以上の力を手に入れることで、人の助けなしに生活することができるようになり、ウチとソトとを分けて差を付けることで豊かさを競い始めたのです。
↑何かと不便だった時代は人と関わる理由がたくさんあって、それがその時代の豊かさだった
ある調査によれば、人間は1日に6万回も考え事をし、そのうちの95パーセントは昨日と同じことで、さらにそのうちの80パーセントはネガティブな事を考えているということが分かっています。
でもよく考えてみると、人間の悩みは基本的に、お金、人間関係、そして病気の3つに分類することができ、それらの問題を分解してみると多くの場合、豊かになるためにモノを手に入れようとした結果、引き起こされた問題がほとんどなのではないでしょうか。
そういった意味では、余分なモノが連れてくるのは、贅沢や満足感でもなく、悩みや心配事だけだったのです。
↑やっと手に入れたモノが連れてくるのは悩みだけで、気が付けばモノに人生を乗っ取られている
私たちの体は残念ながら5万年前からほとんど変わっていないハードウェアであるため、他人の目線を気にしながらモノを追いかけ、管理することに夢中になっていては体が対応しきれず、本来の大切なことが見えづらくなるのも当然だと言えます。
アレもコレもと色んなものに手を出しすぎてしまった現代人は、まるでアプリを開きすぎてフリーズしかけている重いパソコンのようで、5万年前からハードウェアが変わらないのであれば、いらないものをどんどん減らすことで新しい答えを見つけるしかないのです。
↑モノに振り回されていたら、必要なものとそうでないものの区別ができなくなるのも当然だ
最近ではミニマリストと呼ばれる、ほとんど消費をせず家にあるものを片っ端から捨てていくという生き方が注目されています。でも、私たちは生きて毎日変化する生き物であり、生きることと消費することは直結しているのですから、消費を全くしないというわけにはいきません。
いまの世の中はとにかく極端で、どうしても0か100か、白か黒かの二者択一にしたがる一方、大切なのはその間のグレーゾーンを見つけることなのです。
野生動物に肥満が無いのは、本当に必要なものだけを食べ、過剰に摂取をしないからですが、現代人は明らかにカロリーオーバーをしているため、多く持ちすぎている贅肉の部分を少しずつ削ぎ落とすことで、足るを知る必要があります。
↑ミニマリストになる必要はない。ただ、必要なものを必要な分だけ買えばよいだけのこと
世界一貧しい大統領として知られる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領は、2012年のブラジル・リオ会議でのスピーチで日本人に向けて「もうそろそろ頑張るのをやめれば、日本人は幸せになりますよ!」と語っていました。
現代人はモノを手に入れることで豊かさを手に入れようとしてきましたが、よく考えてみれば、私たちは自分が幸福になるためよりも、むしろ自分が幸福だと他人に思わせるために、ひたすらモノを集めてきたと言っても過言ではないのかもしれません。
それに、「あったら便利」だと思って集めたモノは、時間が経つと「なければ不便」に変化し、今まで必要でなかったものが、それが無いと生きていけない状況に追い込まれ、次第にモノに合わせて生きていくことになります。
モノを手放すという行為には大きな不安と恐怖がつきものですが、少しずつモノを減らしていくことで、モノに盗まれていた人生を徐々に取り返すことができるのではないでしょうか。