百鬼之学園譚 — 拝啓、忌まわしくも麗しいこの世界へ、歪んだ鳥籠より —

雅彩ラヰカ

第1話 少年、強盗に出くわす

 小さい頃、兄の怒鳴り声を一度だけ聞いたことがある。

 物静かで聡明で、妖術の素養に溢れる優秀な兄。穏やかな性格は家のお手伝いさんからも受けが良く、当主になるべく育て支えようと大切にされていた。


 そんな兄が一度だけ怒鳴ったのは、深夜のことだ。

 当時中学二年生だった兄が何が理由で怒鳴ったのかは知らないし、誰に声を荒げたのかもわからないが、以前から口喧嘩が絶えなかった父と激しくやり合ったのだろうとなんとなく察した。


 トイレに行くのも忘れ、怖気付いた自分はそのまま寝室に戻って、大人しく眠りについた。

 兄が行方不明になったのは、それから間も無くのこと——八雲嶺慈やくもれいじが十歳の時のことだった。


×


 芽黎がれい三十二年 四月五日 木曜日

 裡辺りへん地方 法泉ほうせん県 燦月さんげつ


 私鉄とバスを乗り継いで青池村から燦月市にやってきた嶺慈と、その式神である少女・潤巳水奈萌うるみみなもは慣れない都会の喧騒に閉口した。


「凄いな」

「ええ。学術指定都市、ですからね。人口は七十八万人です。その大半が、何かしらの学園関係者です」


 学園生、その家族、関連企業で働く者——つまりはそういうことだ。

 日本国の東北地方はそのさらに東洋上に浮かぶ、北海道と同程度の面積をもつ裡辺地方。

 そこは古くから妖怪の都と言われ、行き交う人々の中には妖怪の特徴を持った人間や、あるいは二足歩行する獣、空を見れば怪鳥とも言えるほどに大きな鳥が遊弋ゆうよくしている。


 嶺慈自身は黒髪の平凡な人間だが、祖先に妖怪を持ち、水奈萌は龍の角がこめかみから一対と、腰からは群青色の鱗に覆われた尻尾が生えている。

 豊満な乳房を、青灰色の落ち着いた色合いをした和装に押し込んだ水奈萌は水面のような青髪を揺らし、


「お腹空きましたし、時間もありますし、ちょっとコンビニ行きません?」

「そうだな。余裕があるし、行こうか。……コンビニまでチャリで一時間掛かってたのが夢みたいだ」


 バスに乗っている間に目にした、これでもかと短いスパンで並ぶコンビニには度肝を抜かれた。一体、なぜそんなにいるのかと。

 しかしこれほどヒトが行き交う都市ともなれば、あれほどの店舗がないと回転率が悪いのかもしれない。

 体の不自由な者や、歩行に適さない体を持つ妖怪向けのトラベレーターが敷設されているのも都会ならではの光景だ。田舎だと適した姿に変化しろ、というスパルタだし。


 嶺慈は都会の景色に目と頭を白黒させる。隣の水奈萌は素直に楽しんでおり、ビラ配りのお姉さんからポケットティッシュを三つも四つも受け取っていた。


「楽しいですねえ。これからはここが新生活の舞台ですか」

「目が回りそうだよ俺は。……ついた」


 嶺慈は裡辺ローカルなコンビニチェーン店である、タマモマートの駐車場に入った。己の尾に顔を埋めて目を閉ざす金色の狐をモチーフにした看板に、カタカナでタマモとある。その下には「24」と、二十四時間営業を知らせる表記があった。

 酒、タバコ、ATMとお決まりの文字列を横目に、嶺慈たちはコンビニに入った。


「田舎とは品揃えが違いますねえ。商品が山積みですよ」

「あんなにあってもあっという間になくなるんだから凄いよな」


 普段からあまりコンビニを使わない嶺慈だが、月に二回利用する知識くらいはあるので、お上りさんよろしく狼狽えることはない。

 二人は——人間などとカウントする際、便宜的に妖怪にも一人二人と、人の字を当てることはままあることだ——冷凍コーナーに向かい、嶺慈は抹茶フラッペを、水奈萌はイチゴフラッペを選ぶ。

 買うことは確定しているので、それを揉みながらレジに並んだ。後ろに金髪の、学園の制服を着た少女が並んだが、燦月市なら燦月学園の生徒くらい多いだろう。


 レジに人が並ぶなんて都市伝説かと思ってた。そんなことを思いながら、嶺慈はぼけっと突っ立っていた。と——、


「動くんじゃねえ! このカバンに金を詰めろ! 早くしやがれ!」


 突然そんな胴間声が響き渡り、客がどよめいた。すかさず「黙れ、食い殺すぞ!」と怒鳴られ、蛇に睨まれた蛙のように静まり返る。

 嶺慈は水奈萌と後ろの少女を下がらせ、自分は冷静に犯人を見た。


 額の一本角と、口裂け女のように耳まで裂けた口部。

 鬼一口だ。平安初期の歌物語である伊勢物語などで語られる妖怪で、蔵に隠れていた女を一口で食った鬼として知られる。

 当然人間社会で暮らす鬼一口は、せいぜい大食いだとか一口がデカいとか、その程度であるが——未だ完全に妖怪と人間の融和が出来ていない以上、脅されれば恐ろしく思うのは当然である。


 店員は焦りながらもレジを開けて中の金を詰め込んだ。電子決済が進んだ時代、現ナマは消え去ると言われていたが、決してそんなことはなかった。

 クラッキングによる金の不正な増減、盗み出し、改ざん——そういったセキュリティ面の脆さを露呈し、現金と電子マネーの複合化が芽黎現在では主流だ。


 なので当然、強盗という悪行が成り立つ。


 一時期は個人を番号管理し、徹底的に社会秩序を守ろうとした国もあったが国民の不満が爆発し、政策は破綻していた。その反省から、ある程度の遊びとガス抜きは容認される流れとなったのだ。


 しかしいつの時代にも社会に不満や、楽をしようと安直な手段で金を貪る悪は出てくるものだ。


「なんだガキ。なに見てやがる!」

「燦月学園の学生だ。見過ごせない」


 水奈萌が慌てて「ちょっと!」と声を出した。


「黙ってろ。……そんなことやめて、自首した方がいい。今時強盗なんて宝くじ当てるより難しいぞ」

「うるせえ! ……てめえ、何年坊だ」

「一年」


 男が目を丸くし、笑い出した。


「バッハハハハ! じゃあ犯罪者の捕縛なんざできねえじゃねえか! 課題依頼って形じゃなきゃ、こういうことには介入できねえんだろ、一年坊は!」

「入学式前だから、ギリギリ学則違反にはならねーだろ。いいからとっとと警察に、」

「うるせえっつってんだ!」


 男がぶん、と拳を薙いだ。嶺慈は瞬時に腕を交差して妖力を込めてガード。ミシッ、と骨が軋み、嶺慈は咄嗟に受け止めてくれた水奈萌と共に後ろへ吹っ飛ぶ。金髪の少女は悲鳴をあげ、頭を抱えて伏せていた。

 ドリンクコーナーのドアを破砕し、水奈萌が嶺慈を放す。彼女自身は尻尾をクッションにしていたのと、龍の強靭な肉体で平気そうだった。


「やってくれる……」


 嶺慈は式符を一枚抜き、妖力を込めた。瞬時に鎖となったそれが鬼一口の足に絡みつき、開け放たれた入口から外に放り出した。

 嶺慈もすぐに飛び出し、姿勢を崩しているそこへ拳を叩き込む。

 起き上がりかけていた左頬に打ち下ろした右拳がめり込み、たたらを踏んで下がり、左のレバーを打つとすかさず右腕でブロック。

 鬼一口は嶺慈の脇腹に組みつき、そのまま突進して停車していた軽自動車に突っ込んだ。


「ぐぁっ……」

「このまま圧殺してやる!」


 ガシャッと窓ガラスが割れ、ドアが歪む。

 妖怪は、たとえ小柄なイタチやテンのようなものでも、術を持っていれば肉食獣とタメを張るほどに強大だ。

 鬼ともなれば、程度が低くともその膂力は馬並みかそれ以上。

 次第に車が潰れ始め、後ろに下がり始める。


 嶺慈はもがきながら式符を一枚抜き、すぐさま火球を形成。妖力の練り込みが甘くボッ、と発火しただけだったが、拘束は解けた。


「なめんじゃねえっ!」


 身体強化による、電撃的に鋭い膝蹴りが繰り出された。狙いを逸らすことなく顎に激突し、鬼一口は大きくのけぞった。そこへ鳩尾を狙う渾身の正拳突き。

 ゴッ、と鈍い打撃音と共に吹っ飛んだ男は、反対側の軽トラに激突して昏倒した。


 集まっていたギャラリーが湧き立ち、嶺慈は悪い気はしないが、ただ少しうるさいなと思いつつ適当に会釈だけしておく。


「嶺慈さんっ、なにやってんですか!」

「人助けして叱るのかよ!」

「違いますよ! 式神の私を頼れってことです!」

「そこかよ!」


 スーツに似たデザインの、黒と差し色に青を用いた制服についた埃やらを水奈萌は落としながら、


「だって、一年生だとアウトでも、式神ならまだセーフって判定が出たかもしれないじゃないですか!」

「あっ……」

「このバカー! 第一私の方が強いですし、捕縛も上手ですよ!」

「うるっさい! 人前でバカ呼ばわりすんな!」


 などと文字通り馬鹿騒ぎする二人を、金髪の生徒は眺めていた。


「あの」


 割って入るようで申し訳ない。そんな顔をしながら、少女は顔を出し、


「私はガブリエラ・ベルモンドといいますの。此度は助けていただいたことを、ありがたく——」

「ああ。別にそういうのは……」

「なりません! 我がベルモンド家の家督を継ぐ者として、受けた恩を曖昧にしておくなどプライドが許しませんわ!」

「家督……」


 嶺慈はどこか苦々しげな顔で、水奈萌が、


「ベルモンドって、どっかで聞いたことがあるような……」


 と、誰かが通報したのだろう。パトカーのサイレンの音が近づいてきて、嶺慈たちは居住まいを正した。

 さて、事情聴取だ。


 ……入学式までに間に合うといいのだが。

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