沖縄の人と親しくしてはいけない

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山川穂高は以前から今一つ好きではなかった。陽気な人物であり、いい人というオーラはあるのだが、むしろ、そこに空々しい違和感があった。わたしは沖縄の人と関わって嫌な思いをしたことがあるので、おそらく似たような虚無を山川穂高に感じたのだと思う。沖縄が大好きで移住する人たちも、失敗して戻ってくることが多いようだ。フレンドリーに見えて、根っこの部分では断絶がある。琉球処分で日本に組み込まれたのは1879年である。国民国家という統一的な概念も近代的なものだし、この頃の田舎はどれも独特な風土や因習があろうし、日本の田舎と沖縄でたいして違いがあったとは思わないが、太平洋戦争に負けてから1972年まで占領されて返還されなかったのが大きく、どうも日本語がネイティブに浸透してないというか、文化的断絶は間違いなくある。人間知性の最高峰は数学だとしても、やはり読み書きが基礎として大事である。本土復帰してから50年経っており、段階的に解消されるのかもしれないが、読み書きは親から教わるので、文化資本が蓄積されて日本語が血肉化するまでには時間がかかるかもしれない。世界的に見て、暑い地域は発展しないという強い傾向があり、寒さによる淘汰がないと、貧困でもなんとなく生きているみたいな状態になりやすい。ともかく沖縄人は「いい人」なのだが、やはり傍若無人なところが確実にある。表面的に接しているうちは愉快であるが、近寄ってしまうと鼻が曲がるほどの俗臭がある。親しくならなければいい人だが、頭のネジが何本か外れているのは間違いないので、現実に関わったら大変である。
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