渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

タコの町

2023年05月18日 | open



広島県三原市は海でタコが
れる。
タイとタコは湧くように獲れ
る。
タイは自然に獲れるので職漁
以外は地元の釣り人の手柄で
も何でもないが、タコはタコ
壺を沈める漁師さんの仕事に
よる。
まあ、夜にジギングしていた
ら、エビに模した擬似餌に
タコが寄って来るのだが、
それは珍しい。
食卓を満たす程のタコは、や
はり漁業権を持つ専門家の仕
事だ。

三原のタコはかなりうまい。
明石よりうまい。
なぜか。
潮流が急流だからだ。
しがみついて頑張るタコさん
は身が引き締まって美味い極
上タコさんになる。
潮の流れはまるで川のような
速さだ。信じがたいが。
そして、三原市というのは
戦国時代に海を埋め立てた
土地なので、現在の河口か
ら20キロ近く奥行きまで
満潮時に潮が上る。
そこが本来の地球の河川の
河口、海岸線だからだ。
すべて埋め立て地。
今の東京お台場のような場所
が今の三原市である。

タコがなぜ多くいるのかは
分からない。
タイは海流の関係だろう。
タコが多いのは、餌が豊富だ
という事が背景にある筈だ。
そして、タイも餌が豊富なの
で三原沖に多いのだろう。
江戸時代も三原の人たちは武
士も上下の町人たちもタコは
好んで食べていた。
包丁の入れ方が武士と町人で
は違ったが、タコは多く食さ
れていた。
今も三原はタコが名産の町と
なっている。
こうした海の幸は、人が拵え
たものではなく、天からの授
かり物であり、人の手柄では
ない。
なので、それを自慢したり誇
らしげによその土地の場所の
人に言えるものではない。
海がそこにあるのは自分の手
柄では無いからだ。
そこを勘違いすると、かなり
滑った自己中自己褒めお国自慢
のイナカモンになってしまう。
地場の産業などは人の英知で
あるので誇る事はできる。
だが、風光明媚だったり、山海
の自然が豊かな事は誇りでも
なんでもない。自分が山や川
や海を作ったのではないから
だ。勘違いの心得違いをして
はならない。地球ができたの
は自分の力ではない。
そして、自分が生まれたのも
自分の力ではない。
人間というものは、考え違い、
心得違いをしてはならない。

三原のタコと輸入物を食べ比
べるとまるで違う。
これは食べてみるとすぐに判
る。
本当においしい。

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