「愛子天皇論14 回、家政婦よしりんは見た!」拝読しました。
「穢(けが)れ」とは、人の心が生み出すもの。「男の血は尊い、女の血は穢れ」と考える人が尊いとは、とても思えません。心の穢れがあちこちから滲(し)み出ています。
日本にいるのは、天皇と皇族と国民。準皇族なんていません!旧宮家の子孫は、憲法で基本的人権と自由を保障された国民です。国民は法の下に平等です。
「我こそは宮さまなり」
そんな恥さらしやらかす人物なんて一人しか心当たりありませんよ。表現の自由を謳歌されまくって暴言を吐きまくり、とても皇室にふさわしい品格を兼ね備えているとは言えません。他の旧宮家の子孫の方々は、国民として静かに暮らされています。その生活を脅かすことは誰にも許されません。
これ以上男系派の「いるいる詐欺」に付き合ってる暇はありません!
国民が皇族になる方法は、皇族との婚姻のみ。その場合なるのは、“皇位継承権の無い”皇族。人柄によって選ばれるので、憲法違反の門地による差別には該当しません。
「側室が無くても、現代医学でどうにか出来る」訳ではありません。医学は万能ではありません。万能なら、子を望むすべての夫婦がお子さまに恵まれているでしょう。男女の産み分けなんてしたら妊娠率が下がりますよ!
皇位継承者を男系男子に限定したままでは、悠仁さまのご結婚相手に「男子を産め圧力」がのし掛かることは避けられません。「男子産め圧力」のせいで適応障害になられてしまった皇后さまは今も療養中です。決して過去のことでは無い以上、悠仁さまがどんなに素晴らしいお方でも、ご結婚は困難になってしまいます。
男系男子は、皇族として生まれ育たれた方であれば男女問わず皇位継承が可能だった時代が長かったゆえに選べた贅沢な選択肢です。現代で側室復活が不可能な以上、悠仁さまだけでなく皇族方の幸せな結婚と皇位の安定的継承実現を願うなら、一刻も早く女性・女系皇族へ皇位継承資格を広げる必要があります。
皇統とは天皇の血統です。それを父親または父方の親族から継げば男系に、母親または母方の親族から継げば女系になるのです。両親のどちらかから受け継いでいればいいのですから、どっちでもいいのです。大事なのは、皇室という聖域で皇族として生まれ育たれたことなのですから。「男の血優先」なら、それは皇室ではなく男の王朝です。
男系派は現実に目を向けましょう!
2 件のコメント
Dr.U うさぎ
2023年5月16日
反応なしですか。やはり、「元明→元正」を男系継承と言う者たちはサイコ、こんなものは問答無用で女系継承に決まっている、で通しますか。
「トマトは野菜に決まってるだろう、馬鹿じゃないのか、カルトか何かなのか?」
たくさん、勢いよく、水をかけたほうが、勝ちということですね。
Dr.U うさぎ
2023年5月15日
そうですね…。
男系派は男系派で、旧皇室典範以来の「男系」概念の定義(父子関係のみを遡って皇祖・神武にたどりつく男女を皇祖の男系子孫と呼び、そのような男女のみが皇位継承することを男系継承と呼ぶ)に即して、「男系」概念の反対概念として「女系」という概念を定義しているので、私たち双系派(いわゆる「女系派」)がそれとは異なる定義(「母親または母方親族からの皇位継承」を「女系」継承と呼ぶ)に基づいてこの概念を使用しているのを目撃すると、鬼の首でもとったかのように「それはおかしいじゃないか」と非難してきます。これが、現状ですね。
実際のところ、双方が異なった定義で「女系」という用語を用いているために、水掛け論になってしまっているんですよね。
例え話をします。トマトは日本では野菜とみなされますが、これをフルーツの一種とみなす国もあるそうです。アメリカでは、トマトがどちらに属するかを巡って、裁判が起きました。そこでは、一方の人々は「多年生の植物であり、(茎や葉ではなく)実を食べる」という理由でトマトはフルーツであると主張し、他方の人々は「野菜畑で育てられデザートにはならない」という理由でトマトは野菜であると主張しました(ちなみに最高裁まで争われた結果、「トマトは野菜」で決着したそうです)。
この裁判が示しているのは、つまり、定義次第でトマトは野菜とも言えるし、フルーツとも言えるということです。どちらが客観的に正しいか、というのは、そんなにクリアーに決められるものではないということです。
そうしますと、皇位継承問題における「元明天皇→元正天皇」の例も、それが「女系」であるかどうかという問題は、結局のところはどちらの定義をとるかという問題であって、どちらが明確に正しいとか誤っているとかの話ではないと思うんです。
それなりに長期にわたって、自分たち自身の定義で「トマトはフルーツだ」と言ってきた人たちに対して、違う定義をする人たちが「何を馬鹿なことを言ってるんだ、トマトはどう考えても野菜だろう」と批判し、それに対して「いやフルーツだよ」と言い返して、延々と口喧嘩を続けるのは、すごく不毛なことのように思われます。
「元明→元正」の継承をどう呼ぶかについては、結局、二つの解決法があるでしょう。
一つは「私たちの定義ではそれは『女系』だけれど、君達の定義ではそれは『男系』だね」と、お互いに定義の違いを確認し合うこと。その上で、どちらかの定義に統一できるなら、それに越したことはありません。ただ、現実問題として、これは難しいでしょう。
もう一つの方法は、より現実的であると思います。それは、初めから「女系」という言葉の争奪戦をやらないこと。例えば、もしも私たちが、「元明→元正」のような「母親または母方親族からの皇位継承」は「母方継承」と呼ぶことにする、と初めから宣言していたなら、現状はどうなっていたでしょうか。「女系」継承とは呼ばずに、「母方」継承と呼ぶ。そして、「母方」継承によって即位した天皇を「母方天皇(ちょっと響きは悪いですが)」と呼ぶ。
このような「母方継承」や「母方天皇」という用語は、意味自体は明確ですし、「元明→元正」の継承をそう呼んだからと言って、私たちがとくに何か損をするわけでもないですし、男系派も別に損はしませんから、これを非難してくる理由もないはずなのです。
そもそも私たちにとって最も大切なことは、「元明→元正」を「女系」継承を呼ぶべきかどうかということではなく(そんなことは二次的な事柄です)、むしろ、この継承においては「母方の血筋が大きくものをいった」こと、つまり「新天皇はその実の母親が女帝であることを自らの権威の大きな源泉とした」こと、このことに他ならないはずなのです。
「女系」という言葉をめぐる、男系固執派との不毛な争奪戦を回避するには(揚げ足取りのようなことをされて、時間を無駄にしないためには)、私たちは初めからこう言えばよかったのではないでしょうか。「男系固執派は父方の血筋だけが重要だったと誇張するが、実際は『元明→元正』のような『母方継承』においては、母方の血筋が父方の血筋と同等以上の意味を持ったことは明らかだ。そうである以上、典範を改正して、愛子様や佳子様の(将来の)お子様が皇位を継承できるようにしたとしても、日本の伝統的価値観から大きく外れるわけではない。」
小林先生や高森先生は、おそらくは、もう今から「元明→元正は定義によっては男系とも女系とも言える」とか、これを新たに「母方継承と呼ぶことにする」などということは、言えない状況にあるのだろうと思います。
しかし、私たちはこれについて自由に議論してもいいはずです。どうでしょうか。この私の意見に対して、忌憚のないご批判をいただければ、とても有難く思います。