うつ病とコンプライアンス

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精神的な病気は、治ったら困るというのがあるわけだ。病気になれば休めるとか、そういう発想である。うつ病に関しても、そういう側面はある。誰かが鬱になったら、自殺の心配をしないといけない。そこには、自殺したら誰かが責任を問われるというコンプライアンスが内在している。コンプライアンスの時代だからこそ、うつ病になるのである。コンプライアンスもクソもない世の中だったら、鬱になっている暇はないし、ならないのである。昨今においては、人生の苦痛がうつ病に昇格すると、それによって特権階級となる。やはりメンタルヘルスには流行り廃りがあり、かつてあれだけ隆盛を極めた強迫神経症(強迫性障害)も時代遅れである。強迫神経症よりはうつ病になっておいたほうがいい、というのがある。怠けたり休んだりするのに使いやすい方便はなにか、それがうつ病なのである。人生が辛い・苦痛でしかたがない、というのは万古からの人類の悩みである。生きていて苦しいというのが人生であるが、その苦しみを〇〇病として発病するのはなんぞや、ということだ。うつ病だから苦しいのではなく、人生そのものが苦痛なのであるが、苦痛だから苦痛という当たり前のことが等閑に附されている。うつ病とは他人の自殺に責任を持つ、そういうコンプライアンス文脈のパワーワードなのである。ともかく人生は苦しい。その苦悩の安直な表現方法が精神疾患なのであるが、なにかしら疾病利得が背景にある。うつ病になると得するからうつ病になるわけだ。
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