上記2作品は黒人差別をあつかっているが、メル・ギブソン初監督作品『顔のない天使』の原作は1972年に出版された児童文学『顔のない男』で、同性愛を題材にしている。
少数派がフィクションの題材にされることは、題材にすることが許されないよりは差別的ではないが、現実における差別が解消されたことを意味しない。
多数派だけが少数派を題材にできて、その逆が存在しないのであれば、むしろ異なる差別のあらわれといえるかもしれない*1。
……そのようなことを、藤栄道彦氏の下記ツイートを読みながら思った。
1981年の日本の「少年誌」の漫画でアニメ化もされています。
あなたたちは日本に少なくとも50年は遅れていますし、今後追いつけるとも思えません。
藤栄氏が引用リツイートしているドイツ大使館のツイートは、暴力や差別を許すべきではないという意見であって、フィクションの題材になっただけで相殺できるものではない。
「性的指向や性自認に基づく暴力や差別が許されてはなりません。これは基本的な人権です」#EU4HumanRights
ドイツでは同性婚が法制化されていることから、少なくとも法制度は追いぬかれていると認識するべきだろう。
そもそも藤栄氏がもちだしている漫画『ストップ!!ひばりくん!』は昔に全話読んだが*2、あくまで主人公の少年や周囲が性的少数者へ拒否感をもつことを前提にしたギャグだった。
主人公が女装少年へ魅力を感じる場面もあるが、女装しているのに魅力に感じてしまうというギャップの表現にとどまっている。偏見をもたずに関係をつくるようなドラマにはいたらず、物語は途中で終わっている。
どちらかといえば当時に全盛をほこったラブコメを茶化す作品だ。それだけなら、老若男女が同じ姿のヒロインとしてふるまう吾妻ひでお『ふたりと5人』という先行作品もある。
たぶん藤栄氏は異性装者がメインキャラクターの人気作品を深く考えずに提示しただけなのだろう。他の少年漫画にはトランス女性の苦難を描いたものも、トランス女性を特別視せず描いたものもある。
もちろんそうした作品群も時代などの限界は見られるし、やはり現実の差別や暴力が解消された根拠にはならない。フィクションが啓発としての効果をもつことはあるが、安易に期待するべきではない。
*1:映画『グリーンブック』で議論が起きたことを感想エントリで言及した。 hokke-ookami.hatenablog.com