帝王学には人間でなくなるための訓練が含まれる。
当たり前といえば当たり前で、近世以降の巨大で複雑な機構の操縦者としての「帝王」が人間のような感情の生き物であっては困る場面が、いくらでもあるからです。
ところが帝王として君臨するのは、一般に上流階級の人間で、
一国のなかでも、最も個人主義的で豊かな人間性を獲得しやすい条件が揃ったなかで育つ人が多いので、個人としては、洋の東西を問わず、懊悩する。
日本でいえば昭和天皇が、良い例で、この人は弱さとしての「人間性」を抱えたまま世界でも指折りの独裁者として君臨して、自分を神格化された国家の部品として徹底しようとしたが、矢張り、無理なものは無理だった。
帝王としての「綻び」のような逸話に、それが見え隠れしていて、
例えば宮廷の禁を犯して、一庶民に過ぎない南方熊楠への敬慕を和歌にしてしまっている。
あるいは、時々、唐突に「牧野は、どうしているか?」
と牧野富太郎の消息を尋ねたりして、要するに、この人は、出来うるものならば、南方熊楠や牧野富太郎のように人生を送りたかったのだ、と、後を追っていくと容易に想像がつきます。
そういう憧れを終生持っていた昭和天皇には、現人神という擬制のバカバカしさも、こんなやり方では国家など運営できない、という厳然たる事実も、両方、よく判っていたでしょう。
アスペルガー性格も手伝って、帝王として、原爆投下に触れて、マスメディアの、カメラも回っている前で、
「広島の人たちは気の毒だったが、まあ、戦争なんだから仕方がない」と述べてしまったりする姿には、腰を抜かしそうな個々の国民への冷淡さと共に、国家というものは、どうしようもないものだ、という帝王として、絶対的な権力を伴った為政者の側から見た国家の冷酷さへの「諦めの気持」が滲んでいて、観ていて、まさか共感は出来ないが、まあ、そうだろうな、という気持ちになります。
ウラジミル・プーチンによって、世界は襟髪をつかんで引き戻されるようにして20世紀で終わったはずの時代に引き戻されている。
日本のように元々戦争に向かない、戦争を遂行できる条件が極端に乏しい国と異なって、ロシアは元来、まるで戦争を長期間実行するために出来上がっているような国なので、ウクライナへの侵略戦争は、到頭、誰もが
「どうやっても年内には終わらない」と考えざるをえなくなって、
欧州の賢人と目される一群の優れた知性のなかには、悪くすると十年を越えるかもしれない、というひとびとも多く現れて、いちどは確かに手につかんだはずの、平和と繁栄を前提とする、個人を「次の地平線」につれてゆく21世紀像のほうが、かえって、須臾の夢と化しそうな形勢になってきてしまっている。
太平洋圏は、なにしろ現場が遠いので、案外暢気で、日本でもオーストラリアでも、なんとはなしに他人事で、いくら力んでもプーチンも、もう好い加減力尽きて諦めるだろう、くらいの気分が抜けないが、
欧州人は、緊迫の度が上がる一方で、片手でウクライナを壁と頼んで、兵器を始めとする戦争物資を送り込み続けながら、自分たちの戦備を急速に整え始めている。
歴史的に「次は自分たち」と理解している北欧諸国に至っては、徴兵制を復活させて布き、敵の攻撃が始まったときの市民行動マニュアルを配布して、
臨戦体制を固めつつあります。
ロシアに似ていなくもない、伝統的に西欧コンプレックスに悩まされて、わがままな西欧人への違和感を抱いてきたフィンランドが、あっという間にNATOへの加盟を決めてしまったのも「他に選択肢がなかったから」が実感でしょう。
ドイツに至っては、嫌だ嫌だ、とおもいながら、ほら、歴史的にあんたのとこが対ロシアの主役だから、で、本人も望んでいないのに、対ロシア戦の仮想主役としてリングの上に押し出される趣で、おもわぬところで、「戦争になると滅法強い民族」という古代ローマ時代以来の周囲の民族に偏見に、うんざりしているようなところがあります。
面白がっては、いけないが。
プーチンを眺めていて、はっきり判るのは、この人には現代の世界の複雑さを必要な解像度を伴って理解するのは無理だ、ということで、
21世紀の現実を、20世紀の頭で理解するための鋳型に嵌め込んでしまうので、
考えれば考えるほど出口のない真っ暗な部屋に迷い込んで、頭を壁にぶつけて、ゴンゴンと苦痛に満ちた鈍い音を響かせている。
事態の本質を理解する能力に欠けた独裁者が建設していると思い込んでいる夢は、ほんとうは、ただの破壊で終わる宿命なのは、当たり前で、
世界中の時代遅れ知性の声援を浴びながら、ただもう一生懸命、人間が築き上げてきた世界を壊しているだけなのは、
いまごろになって食料チェーンやエネルギー供給ネットワークの働きの複雑さに驚愕している様子を観ても明らかです。
食料やエネルギーの需給にかけては、自国だけですんでしまう国の独裁者の悲しさで、食料とエネルギーのチェーンを壊してしまえば、結局は、自国の孤立を招いて、自爆するか世界と無理心中する以外には、未来がなくなることが、まったく判っていない。
現代の「帝王」にとっても、個人の頭で理解できて、運営できる「世界」は、すでに存在しなくなっていて、原発と似ていると言えばいいのか、屋上屋に無理を架してつくられている複雑さを極めた現代世界の運営は、個人の閉じた認識の手には負えなくなっていることをプーチンは証明しようとしている。
無理に無理を重ねて、プーチン個人からすれば「自分では望まない非情な判断」を繰り返して、行き着く先は、歴史の上では、毎度おなじみの、気が狂いそうになる猜疑と狂気で、その個人の人間性の限界に達した人の手の直ぐ先に核ボタンがあることを考えると、
やっぱり無理かなあ、という未来があるだけの気がして、南半球だけの世界になってもやむを得ない、という論文を思い起こしたりする。
この記事は日本語で書いていて、日本の人の観点をいつも考えて書くことにしているが、日本からは同じアジアと言っても、特に「ロシア人は、世界中どこに住んでいても欧州人だ」と常に強調するのを忘れないプーチンの意識の上ではロシアが顔を向けているのはヨーロッパで、日本が間近に観ているウラジオストークのロシアは、いわば恐竜の尻尾の先で、お話全体が遠くの遠くの話で、切迫して感じられないのは当たり前です。
それは丁度、欧州人が台湾危機を考えるのと似ている感覚でしょう。
しかし影響がないわけはなくて、このくらいの物理的距離がある「危機」は、どういう顕れ方をするかというと、まず物価が上がってゆく。
戦争が続けば、いまは序の口で、
「むかしはビーフステーキを食べられる日があったんだよなあ」とぼやきながら、人工なのか合成なのか、ホルモン注射をして血色をよくした屑肉なのか、得体の知れない「肉」で出来た「ハンバーグ」を食べながら、目の前の皿の出自素性は考えない習慣を身に付けるくらいしか対策がない日常になっていくでしょう。
その「怪しい肉」さえ手に入らなくなって、今年中にも、日本は食糧不足に陥るはずだ、とジャック・アタリなどは述べているが、
これはどういう形で顕れ始めているかというと、消費者が見ている小売業者が日本の食料チェーンでは圧倒的に強いので、眼前の書割に似たコンビニやスーパーだけが健在で、その楽屋裏にあたる卸業者や生産者、特に大元の生産者は、すでに、どんどん潰れている。
生産社を補っているはずの輸入業者は、買い付けに失敗しつづけているのが、海外でも話題になっているくらいで、こちらは買い付け先を転々と変えて、バイヤーの腕に頼ってなんとか手に入れていた食料が、「ひょっとしたら国家戦略として日本を食料の面でも干そうとしているのか?」とぼやきが出るくらい積極的に日本を「買い負け」に追い込んでいる中国政府の大攻勢になって、例えば海産物を例にあげれば、いまでもすでに、大衆寿司店に行けば、「これ、鯛って書いてあるけど、ティラピアだよね」
と直ぐに判る魚片が酢飯の上に載ってコンベア上を回っています。
おもわぬ要素として生成型AIと呼ばれたりするLLMが史上初めてAIという呼び名に実際に値する実力を身に付けて登場して、これが発展進化すれば
いまの古色蒼然たる帝王が支配する国権国家(例:ロシア、中国)
衆知を結集することに失敗して衆愚に陥っている国家(例:日本、連合王国、イタリア)に統治の上で予想外の救済をもたらす可能性はあるが、
よく知られているように、まだまだテキトーを極めていて、
考えに詰まると、あっさりウソをついたりして信用ならないので、
いつもと同じといえば同じで、「とにかく、なんとかうまく解決が見つかるまで壊れないで保ってくれ」と皆で祈っている状態だが、さて、どうなるのか。
帝王支配にしろ、民主制にしろ、だいたい500万人くらいの小国はうまく機能しているが、それ以上の5000万、1億というようなサイズの国なると、たちまち麻痺に陥っておかしな状況に陥るのは、明らかに現代世界が複雑を極めて、社会を構成している要素の、おもわぬところが関連していて、風が吹けば桶屋が儲かるどころか、自然世界ですら、牛にトウモロコシを食わせると人間が脳に病変を起こしてバタバタと死んでしまう、訳の判らない世界で、実感としてCOVID19のようなものも、別に人民軍がハイテクぶりを発揮して製造しなくても、森に新しい除草剤を撒いたら、自然のほうで、COVIDという刺客を送り込んで来たのかも判らない。
人為の世界においておや。
多分、解決は、いまの「国家」と呼ばれる単位を、別の形に仕立て直して、
例えば日本ならば20個くらいの単位に分けて、それぞれ機能させるくらいしか根本的な解決はないようにおもえますが、例えばAIにお任せしたら、もしかしたら、もっとずっと良い解決に導いてくれるかも知れなくて、
人間のほうで良く判らないなりに、ああせいこうせいとAIのご指示のまま現実を処理してみたら、人間を根こそぎ地球上から消滅させるための深慮遠謀だったということになるのかも知れません。
まあ、文句言えないよね、と新聞サイトを読んで溜息をつきながら考えます。
自分の手に負えない文明をつくってしまうなんて、こういう筈ではなかったんだけど。
Categories: 記事
You must be logged in to post a comment.