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坂本龍一さんに聞く ネット時代の音楽表現とは

2008年12月18日

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写真マンハッタンの自身のスタジオ=米・ニューヨーク

 インターネットの普及、とりわけ近年の動画サイト人気は「音楽表現のありよう」を大きく変えつつある。レコード会社に属さずに音楽活動をすることがさらに容易になり、テクノロジーの進化は新しいポピュラー音楽の形を生み出す可能性を秘める。一方でネットは「何のために表現するのか」という根源的な問題を職業音楽家に突きつけてもいる。ネット時代にどんな思いで創作しているのか。米ニューヨークで活動する作曲家の坂本龍一らに聞いた。

――ネットの普及で、音楽はどんな影響を受けたのでしょうか。

 「レコードからCD、ネット配信へと媒体が進化し、複製と流通コストが下がったことで、1曲あたりの販売単価は下がった。簡単にコピーやダウンロードをできるようになり、違法な複製も日常化した。音楽の経済的な価値は限りなくゼロに近づいてしまった。これは予想していなかった」

――ネットに期待をしてきた?

 「ネットは一種の民主化を起こした。それはよいことだと思っています。かつては、多額の投資をして工場を運営する一部の人や企業しか音楽の複製と頒布ができなかったが、この独占が崩れた。ネットの登場で、工場もお店もいらなくなった。質を劣化させずに、大量複製ができるようになった。誰でも曲を発表し流通させることができる。プロとアマチュアの境目はなくなりつつある。マイスペースなどネット空間では素人も有名人もフラットに扱われる」

 「『著作権』以前の時代に戻った感じだ。考えてみれば、著作権という制度で音楽が守られていたのはたかだか100年余りの話。著作権は作り手を守るための権利として生まれたと思っていたが、おおもとは、出版・印刷業者を保護する制度だった。そんな業者たちがあげる利潤のおこぼれで、作曲家が守られてきたともいえる」

――坂本さん自身、ネットで新しい取り組みもしてきましたね。

 「イラク戦争が始まったときに、何かしたいという思いでチェーンミュージックの試みを始めた。ネット版の連歌みたいなものです。前の人が作った部分の後ろに音を付け加え、次の人を指名する。まあ、遊びですね。HASYMOのミュージックビデオはファンに公募もしました」

――ネット時代に、どんな思いで創作をしていますか。

 「ネットでは圧倒的多数に視聴され話題にされないといけない。ブログでいえば、とにかく受けないといけない。やがてアクセス数をかせぐことが目的になってしまう。でもぼくはブログを書いているうち『君たちのためにやっているわけじゃないよ』という気持ちになり、ブログを閉じちゃった」

 「ネットのおかげで、ぼくはたくさんの人に聞いてもらうことが音楽を作る動機にならないことが逆に分かった。アマチュア時代に戻ったような新鮮な感覚だ。顔の見えない、何をおもしろがるのか分からない大量のユーザーのために音楽を作る必要性を感じない。作りたい音楽があるからやっている。テクノロジーも100%は信用していない。結局はぼく自身の体にしかよりどころはない。自分の耳がどんなメロディーを聴きたいか。それを突き詰めていく」

――50年後、100年後の音楽はどうなると思いますか?

 「CDが完全に消えるとは思わない。人間には、触ることのできるものを持っておきたい欲望がある。ぼくもネット経由で大量にダウンロードする一方、手元に残したい曲はレコードやCDで買う。最近はアナログ版のレコードが売れて、よいビジネスになっている。500部限定の現代詩の詩集と同様、CDやレコードも希少性が強みだ。ぼくも、バッハらの30巻の豪華な全集を作っている」

 「それでも、音楽家は、一握りのヒットメーカーを除いて職業とすることは難しくなるだろう。ぼくはメガヒットメーカーには入れない。口うるさい古本屋のオヤジになって、ブログとかを書いているかもしれない。あるいは学校の先生になって音楽について教えているかもしれない」

(ニューヨーク=赤田康和)

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