今回からしばらく「支那」という言葉について考えて見ます。中国人が「忌み嫌う」呼称をあえて取り上げるのは、この言葉について日本人も中国人ももう少し考えてみた方がよいと思うからです。
■「支那」と言い出したのは中国
まず最初に私の立場をご説明しておきます。私は「支那、シナ」という言葉を使おうとは思いません。理由は簡単。相手がいやがっているから。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし同時に「支那という言葉を使うな」という中国人の主張にも、実は無理がある。この点についても、論じてみたい。
ご存知の方も多いと思いますが、支那という言葉に本来、見下す意味はまったくありませんでした。また、支那ということばが登場したのは、日本でではありません。中国国内です。
まず、支那の語源は「秦(チン)」。始皇帝による統一中国。広域領土国家としての中国の誕生といってもよい。周辺民族にとっても強力な中国の誕生は一大事件だった。中国では歴史上、王朝が変わると国号自体ががらりと変わります。ほかの国では、そのようなことがそれほど多くない。だから、秦が滅びた後も、周辺の諸民族は、「あの国はチンだ」と言いつづけた。
■記憶に残った王朝名が、中国の通称に
このあたり、日本でも似た現象が発生しています。日本が歴史上、最も大きな影響を受けたのは「唐」だった。だから、唐がとっくに滅びた後も、中国人を「唐人」などと呼ぶことが多かった。中国を「唐土」と呼ぶことも多かった。
■「支那」と言い出したのは中国
まず最初に私の立場をご説明しておきます。私は「支那、シナ」という言葉を使おうとは思いません。理由は簡単。相手がいやがっているから。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし同時に「支那という言葉を使うな」という中国人の主張にも、実は無理がある。この点についても、論じてみたい。
ご存知の方も多いと思いますが、支那という言葉に本来、見下す意味はまったくありませんでした。また、支那ということばが登場したのは、日本でではありません。中国国内です。
まず、支那の語源は「秦(チン)」。始皇帝による統一中国。広域領土国家としての中国の誕生といってもよい。周辺民族にとっても強力な中国の誕生は一大事件だった。中国では歴史上、王朝が変わると国号自体ががらりと変わります。ほかの国では、そのようなことがそれほど多くない。だから、秦が滅びた後も、周辺の諸民族は、「あの国はチンだ」と言いつづけた。
■記憶に残った王朝名が、中国の通称に
このあたり、日本でも似た現象が発生しています。日本が歴史上、最も大きな影響を受けたのは「唐」だった。だから、唐がとっくに滅びた後も、中国人を「唐人」などと呼ぶことが多かった。中国を「唐土」と呼ぶことも多かった。