ライブが終わった後の日本武道館はスモークと多幸感で満ちていた。
この場所では何度もライブを見ている。けれど、その感情はどのライブ後にも感じたことのないものだった。
それはアーティストLiSAが生み出したものだ。
だから、アニソンとロック、両方のファンを魅了する稀有なアーティストである彼女に聞きたいことがあった。
なぜ、あなたのライブは人を幸せにするのだろうか。
ソロとして初のシングルは人気アニメ『Fate/Zero』のタイアップ。デビューから3年で日本武道館公演。その後、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナでライブを行い、ロックフェスにも出演と、活躍の場はアニメだけに止まらない。
LiSAの軌跡は、まさにシンデレラストーリーと言える。
けれど過去を振り返れば、挫折、挫折、挫折。「音楽の女神」にずっと、フラれ続けてきた半生だった。

ミュージカルの学校に通い、歌が大好きだった小学生時代。SPEEDに憧れ、ダンススクールのオーディションを受け、合格した。
スクールは親元から離れ、遠方に行く本格的なもの。
「母親に『本気でやりたいんだったら、ちゃんとやっていらっしゃい』と言ってもらい、ホームステイみたいな感じで。違う土地で生活するのは楽しそうって感覚がありました」
スクールがある土地の学校に通い、放課後は歌とダンスを学ぶ。自分のやりたいことがやれる日々は楽しかったし、プロのミュージシャンを目指す毎日は輝いていた。
けれど中学2年生の頃、あることに気づいてしまう。

「スクールでは定期的に歌披露の機会があって、そこでレーベルの目に留まるとデビューできるんです。その時に見てもらっているものが自分の音楽ではなく、商品価値があるかなんだと気づいて。何のために頑張っているんだろうと一気に冷めてしまって」
周囲のレベルの高さに、デビューが厳しいと感じている自分もいた。結局、母に「芸能界は諦める」と約束して、岐阜に戻ってきた。
それでも自分がどれだけできるか試したくて、東京の事務所のオーディションを受験し、合格する。

「もう1人女の子も合格していて。2人で多分ユニットを組ませたかったと思うんです」
これでデビューできる。音楽の仕事ができる。そう思っていた。
けれどデビューには事務所だけでなく、CDを出すレーベルとの契約が必要で、そのために再び、数多くのオーディションを受けなければいけなかった。
「その頃の私はよく分かっていなくて、もうデビューできるものだと思っていました。1か月に1回東京に来て、ボイトレとダンスのレッスンを受けながら、オーディションをいっぱい受ける。デビューまだかなと待っていたら、いつの間にか1年が過ぎていて…」

手が届きそうで届かないデビュー。先が分からない中での努力。ダンス熱はどんどんと冷めていき、事務所との契約も切れた。
そんな時、学校の一つ上の先輩から「卒業ライブで1回バンドで歌ってくれない?」と誘われて歌うことになった。デビュー間近までいった、いわばセミプロ。当然、歌はうまい。
「だから、地元では『あいつ、歌えるらしいよ』と知られるようになって(笑)」
高校に入ると歌って踊る、これまでやってきた音楽とは違う、バンドでの音楽に一気にのめり込んだ。
アヴリル・ラヴィーン、グリーンデイ、NOFX、ブリンク182...。メロコアを中心にカバー。バンドが彼女の希望になった。



バンド、バンド、バンド。
LiSAの青春は全てバンドに捧げられた。
学校はそっちのけ。ライブをするためにバイト。そしてまたライブ。その繰り返しで日々は過ぎていった。
「ライブに出るとチケットのノルマがある。でも友達は毎回来てくれるわけではないので(笑)。リハ代もかかるし、ライブをするにもチケットを売りさばけない分、自分たちで会場代を払わないといけなくて、そのためにバイトをする。そういう生活を高校から20歳までやってました」
オリジナル曲を持って、東京や大阪でライブを行い、長野で開催されたフェスにも参加した。プロになれる。デビューができるかもしれない。そう思っていた。

けれど、他のメンバーたちはより現実を見ていた。
高校を卒業後に就職し、趣味でバンドができればいいと考える社会人となったメンバーとLiSAとの間にずれが生じてきた。
結局バンドは解散。青春を全て費やしても、音楽の女神を振り向かせるまでには至らなかった。
「でも私は、これまでの自分の軌跡を振り返った時に、音楽しかやってきていなくて、歌しかやってきていなくて。勉強もしないでバンドをやってきて。自分が人生を賭けられるとしたら歌しかないと思っていました」
音楽には何度も裏切られてきた。それでも、もう音楽しかなかった。

年齢は20歳。ラストチャンス。「自分のやってきたことに価値をつけたくて」東京行きを決意した。
岐阜に戻った時に交わした「芸能界を諦める」と言う約束もあり、母は猛反対。家出同然で上京した。帰る場所はなくなったが、人に何を言われても止まれなかった。
東京でもライブ活動をしながらチャンスをうかがった。上京前に貯めた100万円はあっという間に底をついた。
朝から夜まで3つのバイトを掛け持ちし、その後スタジオに入って練習した。部屋には布団一枚があるだけだった。
必死に頑張って、チャンスを探したけれど、東京ではその欠片すら、なかなか見つからない。

「オーディションって、年齢制限が低いものばかり。だから受けられるものがすごく少なくて。受けられるもの全部に送っても、音楽はあって1つか2つ。すごく希みが薄かったので、とにかく自分が必要としてもらえるところに送ってみました」
当時のLiSAのブログを見ると、明るいことを書いていた翌日に、絶望的な気持ちをつづる。常に自問自答をする日々だったことが伝わる。
「最終的に自分が必要とされる場所があれば、趣味で歌を歌うのもいいと考えて、とにかく『やれることは何でもやります』となって。受けられるものは全部受けました」
実際、音楽以外のもので合格したものもあった。けれど音楽を諦められない自分がいた。そんな時に見つけたのが「Girls Dead Monster」(ガルデモ)のオーディションだ。

2010年に放送されたテレビアニメ『Angel Beats!』に登場するバンド「Girls Dead Monster」の2代目ボーカル・ユイの歌部分を担当(声優は喜多村英梨)する仕事だった。
アニメとは正直、縁遠いとは思った。けれど抵抗感はなかった。
「歌えることもあったけど、キャラクターがバンドだったことがすごく大きくて。自分に全くわからないことだったら、すごく不安だったと思うんですけど、バンドという共通点があって、これだったら私にもできるかもしれないと思って」
オーディションには合格。やっと音楽の女神の後ろ髪をつかむことができた。その手を離すわけにはいかなかった。


今やアニソンは広い年代の支持を得ている。それでも他ジャンルのファンからは「違ったもの」として見られることもある。
「偏見は今もあると思います。私は今は正直、何とも思ってないんですけど、ファンの子たちは『LiSAをアニソンと書かれるとほかのジャンルの人が入って来にくくなる』と言う。たぶん周りから言われるんだろうなって思います」
LiSA自身も岐阜でのバンド時代を知る人間が自分をどう見ているか、「魂を売った」と思われていないか、気にした時期があった。
「でも私はすごく確信があって。私がアニメに受け入れられるということは、メロコアの人たちの好きな部分がアニソンに、アニソンを好きな人にとってはメロコアに好きなところが絶対あるって思ったんです」

アニソンに対しての誇りを持てたのは、ガルデモと出会えたからだった。
「ガルデモはそもそも半年間、シングル2枚で終わりのはずだったんですけど、麻枝さん(准=『Angel Beats!』のシナリオライターで音楽プロデューサー)がすごく大事にしてくれて、アルバムまで作ってくれて。ライブツアー、最終的にファイナルライブまでやらせてもらえました」
活動を通して、世の中にこんなにも愛されるコンテンツがあるのだと驚いた。
「アニメが始まる前に『打ち入り』というスタッフが集まる会があるんですけど、その時に制作の方が『Angel Beats!』にかけた思いを一人ひとり大切に語っていらっしゃって。こんなにも愛情をかけるものが今もまだあるんだということにとても感動して。この思いを私は音楽で伝えなくちゃと思って、レコーディングをしていました」
そして、その愛は、LiSAにも向けられた。
シングルのリリースイベントに出るとアニメのファンからは歓声が上がり、曲を一緒に歌ってくれた。

「バンドをやっている時、一番後ろの人に手を挙げてもらうことが30分の中でできたら、もう大成功だったんです。一方、誰も私を知らないはずのイベントでは、『Angel Beats!』という作品を信頼しているファンが手を挙げてくれていることに感動して」
「こんな素晴らしい世界がアニメにはあるんだ。だったら、私もこの作品にたくさん愛情をかけたら、愛してもらえるかもしれない。愛を届けられるという思い、向き合い方を勉強させてもらいました」
ガルデモの活動中に、LiSAはソロデビューの話を持ちかけられた。だが「夢が簡単に叶うわけがない」と、CDが出るまでは信じていなかった。
「簡単に愛情をもらえるわけがない」と思っていたからだ。

けれど、ガルデモで一緒に仕事をした関係者が、今度はガルデモのユイではない、LiSAというアーティストを売るために愛情をかけて、一生懸命にプランを考えてくれた。
「そうしたみんなの愛情がすごく嬉しくて。CDができたことはもちろん、自分が大事なものとして受け入れてもらった感じがとてもしました。この人たちと一緒に頑張るという気持ちが強かった気がします」
2011年4月、ミニアルバム『Letters to U』をリリース。これから LiSAとして何のために歌を歌うのか。その答えを1曲目の『Believe in myself』に込めた。
Believe in myself
いつか この曲聴いた 誰かが
今を 愛せたらいい
アニソンを通して知ったのは愛されることだった。そして、ここまでの道のりで得たものを今度は聞く人に伝えたいと思った。
それは歌での所信表明だった。


ソロデビューは、ステージ上で常に明るく振る舞う「LiSA」としての音楽活動のスタートだった。
「自分の名前のつくものは『私保証書』みたいな感じ、信頼関係だと思ったんですよね。だから『LiSA』を傷つけないように私は生きていかなくちゃいけないし、『LiSA』を通して楽しんでもらうもので、昔、自分が思ってしまった“世の中こんなものだな”という気持ちに絶対ファンをさせない」
「アニメを通して教えてもらったように、愛情をきちんと誠実に注いで届ければ、それが受け取った人にも伝わることを知ってほしい。音楽の純粋な道筋を私は裏切っちゃいけないと思いました」
アーティストとしての強い覚悟。同時にそれは織部里沙という人間の弱さを吐き出しにくいことにもつながった。
「隠しているつもりなんですけど、素直に曲を作らせてもらっている分、音楽の中では伝わって。特に初めての武道館までは、ずっと自分の内に秘めているものは誰にもバレてないぞと思っていたんですけど、すっかりバレていて(笑)」

LiSAには苦い思い出がある。2014年1月3日に開催された最初の日本武道館ライブ。ソロデビューのとき、目標にしていた場所だった。
けれど、ライブが近づいた年末に体調を崩した。本番までにはなんとか治さなければと年末年始を過ごしたが、願いは届かず、体調不良のままライブ本番を迎えた。
「完全に...。精神的に怖くて。でも、みんなの前ではLiSAとして『期待しかしないでね』『デートに来てね』と言って。ニコニコやっていたからこそ、ヤバい、どうしようと自分にすごくプレッシャーを与えていて」

開演前、手は震えていたが、緊張していないと強がった。1曲目から異変を感じ、3曲目で声が出なくなった。
「ヤバい。バレた。でも、もうどうにもできない。みんな怒ってるかも。がっかりして帰っちゃって誰もいなくなっちゃうかも。それこそ私の人生終わったと」
それでもステージを止めるわけにはいかない。
「LiSAという責任を背負ってステージに立っているのだから、どんなに嫌われても、がっかりされてもしょうがないと思ってました。与えられた今日をきちんとやり切らなければと、最後までやりました」
そう振り返るとLiSAの目には涙があふれた。
絶望を感じたライブ後に書いたブログでは、それでもLiSAを演じた。「この悔しさは一生忘れません」「期待しかしないでね」。最後はいつもと同じ「今日もいい日だっ。」との言葉で締めた。

そしてブログを書いた後、3日間泣き続けた。
「ライブ中、それこそ引退だと思ったんです。たくさんの人が来てくれて、その人たちを裏切って、期待に応えられなかったという気持ちを武道館の2時間半すごく考えて。でも最終的にたくさんの人が最後まで一緒に歌ってくれて。この人たちに、私は返さなきゃいけないことがあると思ったんです」
「3日間泣いた後、こんなに傷ついている気持ちを書けるのは今しかないと思って。今、感じているこの気持ちを書かないと、これが人に許されてしまったら、もう曲にならなくなるから。人に許される前に、この懺悔の気持ちと、覚悟と、今のこの気持ちをちゃんと書いておかなきゃと思いました」
傷ついた経験が生み出した曲が『Rising Hope』だ。
孤独なまま時が経ったって 逃げる事覚えたって
新しい今日が来ちゃうけど
この願い例え魔法が無くたって 叶えなきゃ 誓った
僕はキミとまだ見たい未来あるんだよ
泣きそうでも悔しくても 止まっていられない
握ったメッセージ that’s rising hope
アニメ「魔法科高校の劣等生」の世界観と自身の思いが見事に重なった曲は、多くの人に受け入れられ、LiSAの代名詞となった。
『Rising Hope』
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翌年の1月、LiSAは再び日本武道館のステージに立った。しかも2Days。リベンジだった。
1年ぶりの武道館は以前と違う顔を見せた。
「本当に1回目の武道館のときは、もう武道館に魔物が見えていたんですけど、でも2回目の武道館で『あっ、敵じゃなかった』と気づいて。だから武道館に勝ったというより、仲間にした感じ。遊べる場所になった感じがしていて。だからもっともっとライブを楽しむ仲間を増やせるかもという、すごく漠然とした希望みたいなものがありました」
その言葉通り、幕張メッセ、横浜アリーナ、さいたまスーパーアリーナとLiSAのステージ、「遊び場所」は広がっていった。


最初はデビューすること自体が目標だった。次の目標の「武道館でのライブ」も達成。それからはLiSAという音楽をみんなで楽しんでもらいたい。そんな思いで活動していた。
けれど5月に発売されたベストアルバム『LiSA BEST -Day-』『LiSA BEST -Way-』直前には辛さも感じていた。
「ずっと、すごく命を削って、愛情を込めて曲を作ってきたから。それを喜んでくれる人のためにやりたいという気持ちは大きくて。喜んでもらえたら嬉しいし、違ったら『頑張らなきゃ』となる。その『頑張らなきゃ』という気持ちが大きかったんです」
「でも、私のことを知ってくれる人が増えていく中、いっぱい傷つけられたり、私のことをわかっていない人の言葉もやっぱりすごく刺さったりして。それが『頑張らなきゃ』を越えてしまって。何のためにやっているんだから、わからなくなってました」
だが、ベストアルバムのリリース後のツアーでファンの顔を見る中、考えが変わってきた。
「ツアーで、自分が何のために音楽を始めたのかという、根本を思い出しました。私はやっぱりみんなが私と歌ってくれる景色がすごく好きで、みんなと一緒に作る今日がすごく好きで。傷つけられることもすごく大きいけれど、それよりも大きな、大切なものがここにはある。目の前にいる、この人たちのことを考えようとなって、音楽がまた好きになりました」
6月14、15日には3度目となる日本武道館でのライブを開催。終演後に涙した理由について「ほっとしたんだと思います」と話す。
「『Catch the Moment』にも書いてますけど、その一瞬一瞬で物事っていっぱい変わっていくと思って。みんなとの空間がやっぱり素晴らしくて。その人たちと起こせる革命だったりとか、自分のLiSAとして歌っていく、戦っていく覚悟を決めたツアーでした」
「自分の終わり方は、人に傷つけられて辞めるんじゃなくて、自分で決める。自分の魂の置き場所、自分で決めたところまでやり抜く覚悟を、ちゃんと決めました。途中では挫折しないぞという意思表明を、今すぐみんなにしなくちゃって。このステージで思ったこの気持ちをちゃんと書いて、それを今すぐみんなに届けなきゃと思いました」
だから新曲『ADAMAS』はCDの発売よりも2か月早く先行配信された。
LiSAの確固たる意思。それは歌詞にも表れている。
SHiNY SWORD MY DiAMOND
純粋と希望の結晶体に
OH SHiNE ON MY TEARS
強さの光を秘めている
紛い物と争う時間は 僕にはないさ
渾身の鉱石 磨いた
屈強の勲章 燃え尽きるまで
『ADAMAS』
YouTubeでこの動画を見る

2015年には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」、「COUNTDOWN JAPAN」、2016年には「SUMMER SONIC」、2017年には「RISING SUN ROCK FESTIVAL」、そして今年の年末には再び「COUNTDOWN JAPAN」と大型ロックフェスに次々参加し、ロックファンの支持も獲得している。
ターニングポイントとなったのは、2014年、初めてロックフェスに出演した東海エリアの夏フェス「TREASURE05X」だった。
ほぼ男性バンドしか出演しないゴリゴリのロックイベント。女性で、ソロシンガーでアニソンシンガーという、異例づくめの出演。「受け入れてもらえないのでは」と不安を感じていた。

「不安はすごくありました。けど、もともと地元でバンドをしていた時に繋がっていた、『SiM』のMAHさん、『cinema staff』や『TOTALFAT』が、私のことを“昔からの仲間なんだよ”と言って、毛嫌いしないで、胸を張って『よっ』って、変わらない感覚で接してくれたのが大きくって。だから、その人たちを信頼しているファンやスタッフの人も受け入れてくれて...」
何より、自分が高校時代から大好きだったバンドの音楽が流れる場所で、「LiSAの音楽」が受け入れられるのが嬉しかった。
「それはやっぱり、今まで音楽を続けてきてくれた仲間がいて、その人たちが自信を持って、人に何を言われたって、私のことを『あいつは俺らの仲間だから』と言ってくれたから。その人たちから学んだ姿を信じて、自分でもそれを人に伝えている感覚です」
「SiM」MAHは雑誌でLiSAについて「たたき上げのロックシンガー」と評した。
一方、同じアニソンシンガーの藍井エイルは最新シングル「アイリス」の取材でLiSAについてこう語った。
「本当に自分にとっては太陽みたいな人。私は不安を感じやすい人間で、この先どうやって歌っていこうと不安を感じた時、その気持ちを伝えなくても、汲み取ってくれて、勇気付けてくれる言葉をさらっと言ってくれるんです」
同じプロのアーティストからも信頼される存在だとわかる。
どんな時でも前を向ける強さ。本当に凄いことだなって思う。 やっぱり私にとってLiSAちゃんは太陽みたいな存在。 https://t.co/djBlU4N5DM


取材をする中、見つけたライブの映像。『Believe in myself』の曲間、LiSAは客席に向かい、こう声をかけていた。
「自分を信じてあげられなくなったら、私が信じてあげるからね」
今年の武道館ライブの終盤、涙を浮かべながら客席に語った。
「今日、ここに来るために私はきちんと歌を歌ってこれたんだなと思いました。みんなが私の存在を肯定してくれたんです」
LiSAがファンの存在を肯定すると同時に、ファンもLiSAの存在を肯定する。武道館のライブの後に感じた、多幸感の答えだと思った。
LiSAさんの音楽って、肯定の音楽ですね。
そう話すと、LiSAは「そうですね。そうありたいと思ってます」と笑って、そして少し泣いた。
強がりで少し泣き虫な赤髪のシンガーは、これからも時に傷つきながら、それでも歌い続けていくだろう。
いつか曲を聴いた誰かが、今を愛せるように。
その目とこの目で映しあったら
もっと光が溢れ出すから
一緒に作り上げた景色の向こう側を見たいんだ
『Believe in ourselves』から
〈編集後記〉
インタビューでは、野暮だと知りつつも「次の目標は?」と聞いてしまう。
今回の取材でも質問すると、LiSAは「世界征服。昨日決めました。夢すごい聞かれるから」と笑いながら答えてくれた。
自分が何か成し遂げることを夢にはもう置いていない。
「例えば私の音楽を聞いた人がつくったお菓子が誰かのもとに届いて、それがすごく食べた人がめっちゃ幸せになる。連鎖していくその先の人たちへ、幸せや愛情が伝わっていけばいいなと思っています」
この記事で、LiSAのそうした思いが少しでも届けば幸いだ。
〈LiSA〉 アーティスト
岐阜県出身、6 月24 日生まれ。2011年にミニアルバム「Letters to U」でソロデビュー。その後、数々の人気アニメの主題歌を担当し、2018年5月にリリースしたベストアルバムは女性アーティスト4組目のベストアルバム1位・2位独占を果たした。最新シングル『赤い罠(who loves it?) / ADAMAS』を12月12日にリリース。2019年1月29日からは全国Zeppツアー「LiVE is Smile Always~eNcore~」を開催する。
「平成」が終わる、いま。この時代に生まれ、活躍する人たちが見る現在とこれからを、BuzzFeed Japanがインタビューする「平成の神々」。新しい時代を迎える神々たちの言葉をお届けします。
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