エピローグ

 周りの空間が開けている立地なのがよかった。余所よそに燃え広がる心配がない。

 深夜だから野次馬が集まるのもまだ時間がかかるだろう。


 僕は二度と訪れることのないアトリエを、ゆっくりと後にする。

 背には遠い熱気と、人一人ぶんの重み。

 無論のこと、背負っているのは頭が胴体にくっついているほうの身体だ。

 いくら愛着があるとはいえ、さすがに首が外れてしまったほうはもう駄目だろう。死臭もしてたし。


 これからどうするかな、と考えた。


 マンションにあった札束は、不運な働き者だった彼の拘束を解くついでにそのポケットに突っ込んできてしまった。当面の金もない。行き場もない。

 一人で考えてもわからなかったので、軽く首をひねって訊いてみた。


「これからどうする?」


 背中の人間、少し前までは僕だった僕ではない顔をした誰かは、依然として目を閉じたまま。呼吸はしている……と思う。寝ているのは薬のせいか、その他の理由のせいか。


 目覚めたとき、その身体の中にいるのは――はたして、誰なのか。


 叔母さんの証言を信じるなら〝隣死体験〟のルールは、入れ替わりだ。

 空いた僕の身体には殺された被害者の魂のかす(?)みたいなものが一応は入る。本来、それは既に生を手放したものであるから、すぐに消えてしまうのだろう。だが僕の意識が不慮の生還のために向こう側から返ってこなければ……そのまま目覚めてしまうこともある、ということだろうか。


 だが、そのスタート地点が僕の元々の身体でなかったらどうなる?

 同じことがそのまま起こるのか? わからない。何も確証はない。

 けれど、山田殺子がそこにいる可能性があるなら、放り出すことはできなかった。


「なんでかって? ……責任を取ってほしい、のかな? 違うか」


 自分を殺してまで復讐を望んだ彼女の、紛れもない狂気。

 それは痛々しく、しかし同時に、僕が今までの人生で見たことがないほど純粋であるのは疑いようがなかった。せめてその想いは、動ける自分が果たしてあげなくては、と思ってしまう程度には。

 その純粋さのせいで、僕は彼女と殺人鬼仲間になってしまったのだ。


 ただ、その事実の延長として今の歩みがある。後悔も迷いもなく。

 ということは、何なのだ?

 僕が今こうしている理由は何なのだ?


「…………」


 返事が返ってこないことを当然とした発声、すなわち独り言を解禁してしまったら、止まらなくなった。無目的で無計画な夜の歩みには相性がよすぎた。


「正直に感想を言おう。君は凄いよ」


 そんなにも純粋な感情を持てるなんて。

 そんなにも純粋に、人を愛せるなんて。


 ある意味叔母さんもそうだったけど、うん、なんていうか、覚悟の話。


「結構長く一緒にいたからさ。君は薄々勘づいていたんじゃないかな。正直、僕には誰かを愛するってことがよくわかってないんだ」


 大事とか。好き嫌いとか。そういうのはわかるけれど。

 自分の命を投げ出しても、取り返しがつかないことでもなお全てを捧げてもいいというほどの、ありとあらゆる合理と正気を塗り潰す熱情。


 そういうものを、知らない。


「多分、体質のせいかな。ずっと〝隣死体験〟なんてイカれたもので他人の死とか味わってきてると、どうもね。多感な思春期からの付き合いだよ? あれは実に教育に悪い。レイプされながら殺されたときもあったし、逆に突っ込んでるときに反撃されて刃物でグッサリ、ナイス正当防衛、ってときもあったし。自我とかぐちゃぐちゃになって、自分が誰かとか性別とか実感が湧かない時代もあって……我ながらよく成長できたと思うよ。まあ一部おかしいままだったりするけどさ。君のお兄ちゃんなら、ひょっとして僕みたいな一人称の存在も例の概念に当て嵌めて喜ぶのかな? 知らないけど」


 冷たい夜風がスカートを浮かせ、素足を撫でる。涼しい。

 穿、なんだか新鮮だ。


 まあ、僕のことはそのあたりにして。

 山田殺子。


「率直に言って、君は最悪の殺人鬼だろうけど。絶対に裁かれるべきで、絶対に罪を償うべきで、絶対に許されてはいけない人間なんだろうけど」


「――でも、その愛だけは、羨ましいよ」


 僕を歩ませるのは、羨望だった。


 あまりにも壊れていて、あまりにも間違いすぎているけれど、それでも、背中にあるのは僕にとっての理由だった。


「いつか僕にも、わかるようになるのかな。――君と一緒にいたら」


 ほとんど全てが間違っていて、正しいものをそれしか持っていない、君と一緒にいたら。


 哀しいほどの純度の高さが、僕に大事なものを教えてはくれないだろうか。

 それを確かめさせてほしかった。どうせもう他には何もないのだし。


「だから、早く起きてほしいんだけどさ」


 もし目覚めたら、君は。


 自分がお兄ちゃんの身体に入っていることに、驚くだろうか。


 喜ぶだろうか。

 悲しむだろうか。


 その身体で何をするだろうか。


 何を思うだろうか。

 何を感じるだろうか。


 わかるのは、どうあれ、君がお兄ちゃんへの愛を失わないことだけだ。


「……」


 彼女の兄のほうが殺子よりも当然ながら背が高く、おんぶは大変だった。不格好にならざるを得ない。頭が僕の肩から先にずり落ちるようになっている。顔が僕のすぐ横にある。


 妹がいて、妹に萌える兄がいたとして。

 その兄の目を一発で覚めさせる方法を、僕は知っていた。

 彼女が自慢げに言っていたし、実行もした。


 ならば今度は僕がやっても何の不思議もないだろう。

 僕こそが、今は妹であり殺人鬼である萌えっ娘なのだし。


 深呼吸してから。

 首をひねって、粘膜同士。


 結果がどうなったかは、きっと、言うまでもないことだ。

                             終

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今さら少女殺人鬼に萌えるお兄ちゃんたちに捧ぐ 水瀬葉月 @minase_hazuki

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