第4話 三ヶ月後の晩夏
金森区に三つある金色の公衆電話は異世界に電話をかけることができる。
そんな根も葉もない噂が立ったのは平成六年頃。嘘か誠か——結局それは脚色された都市伝説に過ぎないと一笑にふされた。
というのも件の電話自体が金森区はおろか豊富市自体にないこと、異世界への番号は普通に桁がおかしいこと、謎の文言といい胡散臭さ満載で、最近動画投稿サイトのミーチューブで行われた検証動画で、結局嘘ということがわかったのが決め手である。
けれどそれは実在する。
「納豆巻きには?」
「溶き卵。サンチュには」
「上カルビ。白飯には」
「海苔の佃煮。バゲットは」
「撲殺兵器。……用はなんだ」
「
その電話は傍目にはグリーン。しかし、専用の眼鏡越しには見事に金色だ。
先ほどの質問には意味などない。ただの挨拶のようなものだ。
「それは工房への発注依頼ということか? 金がなきゃ受けんぞ」
「あなたの貸しをチャラにしてやるさ。嫌なら、明日までに総額でだいたい二〇〇〇万になるだけを用意してもらってもいいんだぞ」
「足元、みやがって。わかった。とびきりのを作ってやる。お前のよりうんといいのをな」
「楽しみにしているよ」
受話器を戻し、一人の若い女は電話ボックスから出てきた。
身に纏うのは安物の白いシャツに、下はダメージジーンズ。ウエストポーチに差したペットボトルを抜き、夏の終わりの中の晴れ間——夏の終わりを感じさせる、九月下旬の日光を浴びながら麦茶を呷った。
「和坊は見つかったかね」
×
ドスッ、ドッ、ドッ、と鋭く重い音を立て、サンドバッグが派手に揺れる。
軽いフットワークから繰り出される重低音を伴う打撃。もともと身体能力だけは良かった彼は、この三ヶ月の徹底的なトレーニングで肉体が徐々に仕上がりつつあった。
それにはもちろん、妖怪が行う修行も含まれており、劇毒もかくやというほどに酷い味の精進料理を食べて過ごしたのもある。
その甲斐あり、体脂肪率は一桁台。しかし体重は増え、筋肉質な体になっていた。
「頼人、和彦さんが見つかりました」
ビル四階のジムでトレーニングをしていた頼人に、典子が声をかけた。
精神的にも鍛えている——顔に動揺はさほど浮かばないが、それでもグローブをはめた手が止まった。
「といっても、右腕だけ」
「池で?」
「ええ。魚に喰われたというのが検視官の見立てね」
バガンッ、と音を立ててサンドバッグが割れた。布の切れ端がパラパラ舞う。
無意識とはいえ、攻撃的に収斂させた妖力が拳に纏い付いていた。グローブも粉々になり、顕になった拳には数えきれない傷跡が刻まれている。
「弔わなきゃ。叔父貴を墓に入れてやろう」
頼人は左手のグローブも外し、ヘッドギアを脱ぎ捨てる。マウスピースは噛み砕くだけなのではめていない。
そばにあった水筒からリンゴジュースを飲んで、タオルを引っ掴んでシャワーブースに入った。
涙を流さぬように、まるで骨身まで焼け付くばかりの温度の湯を浴びる。皮膚がヒリヒリしてきても、しばらく浴びていた。
温度は外からでもいじれるし、頼人の安全を気にする典子のことだからいつもなら最高でも四三度に戻すだろうが、今日ばかりはそうしなかった。
シャワーブースから出て着替え、頼人はジムを出た。二階は所員の居住区で、一階のテナントはコンビニと書店である。そこから従業員用の駐車場に典子に誘導された。
おかっぱ頭の人間に化けていたラックがすでにミニバンのエンジンを温めていた。
和彦の車であるが、すでに持ち主はラックに変更されている。
「警察署に行くわ。大丈夫?」
ラックが気遣わしげに聞いてきた。頼人は頷いて、
「大丈夫。覚悟はとっくにできてた」
三ヶ月前に運命が急転直下を始め、そして今。
狐目の術師を、老狸が叩き伏せて一週間後に目を覚ました頼人は、取り調べ中に歯に仕込んでいた青酸カリであの術師が自殺したことを知った。
伊織和彦の殺害示唆にはザ・クリーナーの関与が疑われたが物的証拠はなく、術師——犯罪に加担する呪術師が関与する以上退魔師の案件だということで警察はほとんど動けなくなった。
それでも呪術殺人の確証がないため、一般殺人のケースと合わせて警察は退魔師と協力して蛟ヶ池で捜索をしていたらしい。
その捜査に協力する術師とも、この期間の間に会い、そして様々なことをしっかりと考えた上で、頼人は叔父の仇を打つことを決めた。
叔父の無念を晴らすため、自分の心に決まりをつけるために。
車は中央区の豊富警察署についた。
事前に連絡を取っていた警官に案内され、頼人たちは霊安室に向かう。
そこにいた若い刑事と、その先輩と思しき寸銅体系のやや脂ぎったおじさん刑事が節目がちに一礼し、「こちらが伊織和彦さんのご遺体です」と言った。
木箱の中を覗き、頼人は眉をひそめた。
凄惨な現場に慣れろと教練担当の退魔師から、実際の現場に連れて行かれ、死体を見ていたりもした。
けれど魚に喰われ、水を吸ってぶくぶくに膨らみ、腐乱した叔父の右腕は見るに耐えないものだった。
喉まで競り上がってきた夕食を、頼人は無理矢理に飲み下す。
「大丈夫かい?」
若い刑事が背中をさすってくれて、頼人は短く小刻みに頷いた。
「犯人は?」
ラックが震える声でそう聞いた。今の震えは悲しみと、そして強い怒りからくるものだった。
「現場付近にザ・クリーナーが身につけるものと同じ生地の衣服、その繊維が落ちていた。君たちは確か怪異探偵ということだから共有したが……この一件は我々警察と退魔師に任せるように」
中年刑事がそういった。
だからといって、泣き寝入りなどできない。頼人は奥歯をキツく噛み締めた。
「そうだ、君たちに会いたいという女性が来ている。待合室にいるから、落ち着いたら案内しよう」
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