第三章 殺人装置(萌)(その1)

 僕たちは病院の屋上にいる。


 先ほど慎重に覗いた病室には、あの看護師の言うとおり誰の姿もなかった。今も探し回っているのか、叔母の姿もだ。

 窓は開いたまま、シーツが剥がされ、荷物はひっくり返され、誰かの混乱が見て取れる惨状。あの叔母がそれほど取り乱す姿はあまり想像できなかったが、突然の眠り病で意識不明だった家族が、いつのまにかいなくなったとすれば――そうなることもありうるのかもしれない。


 僕たちも病院内を適当に捜索してはみたが、医師や看護師たちもさんざん探したという話だ。結局見つけられず、こうして屋上で一息つくことになった。

 フェンスの向こうから届く風に他人の髪をなびかせて、僕は呟く。


「どうなってるんだ?」

「絶対におかしいわ。お兄ちゃんが起きたのなら、私に連絡くらいはあるはずなのに」


 画面に変化のない自分のスマホを見つつ、殺子は眉をひそめている。


「パターン①、誰かに眠ったまま連れ去られた。②、起きて自分で移動したけど連絡できない状況にある。連絡手段がないとか記憶が混濁してて番号が思い出せないとか。③、それ以外……ってところか」


 わかった。何もわからないということがわかった。

 僕は嘆息する。


「最悪のことばかり起きるな。起きたら僕の身体が行方不明になってるし、今までにないような〝隣死体験〟はするし……」

「したの? そう言えば起きたときの様子がおかしかったわね。お兄ちゃん関連?」


 僕は殺子の顔をじっと見返した。

 あれが、殺子の兄に関連している可能性?

 そんなのは――


「わかるわけない。だから……まあ、教えるよ。いろいろ初体験な殺人すぎて、さすがの僕も誰かの意見を聞きたいと思ってたところだし」


 僕の身体の行方について考えすぎると、正直、不安でどうにかなってしまいそうだった。それを誤魔化すためにも、記憶に意識を集中させながら昨夜の体験を語る。


 僕は下着姿の女であったこと。磔のような状態で固定されていたこと。謎の機構。足剥き器、首に巻かれるニーソックス、腰横の届かない回転ノコギリ――


「うーん。言葉だけじゃいまいちわからないわね。……こんな感じ?」


 殺子がスッスッとスマホに指を走らせたのを見ると、そこには僕の説明を受けての図解がお絵かきアプリで描かれていた。簡易的でデフォルメされたものではあったが、肝要な部分は過不足なく捉えている。


「意外な才能だ」

「そう? これくらい誰でもできると思うけれど」


 意識していなかったが、殺子はリアル女子高生だ。今時の若い子はそういうものなのかもしれない。


「それから……リモコンみたいなものがあって、文字が書いてあったんだ。『ニーソックス萌えの本質を差し出すべし』、ボタンがあった裏側には『ニーソックスを一気に脱ぐボタン(順番に注意!)』だったかな」

「……それで?」

「それでも何も。ボタンを押したよ。人間は死亡確定の状況なら何だってするんだ。いや、ボタンが押せるくらいの、最後の一呼吸レベルの動作が許されるのも珍しいことなんだけどさ。とにかく、そしたら何だか下半身の機械の動きが変わって……太股ふとももが足剥ぎのスタート地点でぶった切られて……で、気付いたら首に巻き付いてたのが限界を超えて、死んだ」


 言っててまた意味がわからなくなってきた。あれは理不尽すぎた。


「まったく。ボタンの意味がわからなすぎる。どうすりゃよかったんだろうね」

「わからないの? 言われた通りだと思うわ。ニーソックス萌えの本質を差し出せば、ひょっとしたら助かっていたかもしれないのに」


 気付く。

 殺子は声もなく笑っていた。

 屋上の涼風に心地良さを覚えているかのように、目元を幸せそうに緩ませていた。


「お兄ちゃんもニーソックスが好きだったから、よく言っていたわ。言いながら私のその本質部分を舐めていたわ。格言もあるのよ。『人はニーソックスに萌えているとき、その上の太股を見ている』――お兄ちゃんはそれを全人類が認めるべき真理だと言っていたわね」


 つまりね、と彼女はスマホ上でその部分を指さした。


「なんて言ったかしら。この、ニーソックスの上で、下着とかスカートの下の……ぷにって出る太股ふとももの部分。そう、絶対……絶対領域? っていうの? 知ってる?」

「知らないけど。何か聞いたことはある、ような。昔の漫画とかで」

「とにかく、ニーソックス萌えの本質はその絶対領域だってことよ。だったらそれを言葉通りに差し出すべきだったんでしょう。ああ、そうね。首を絞めるニーソックスはただの道具。足の皮を剥ぐのは、血を足の下の方に垂らして赤いニーソックスに見立てるため。絶対領域を差し出すためには……なるほど、だから回転ノコギリが横にあったのね。アハ体験だわ」

「……わからない。教えてくれ」


 殺子は憐れなものを見るような視線を僕に向け、肩を竦めた。それからスマホの画面に矢印を書き込みつつ、


「ボタンを押すと、この血のニーソックスの初期位置から太股ふとももが切断された。そうよね? でもこれはただの準備で、もう一つやらなくちゃいけないことがあったの。この身体の両脇にあったっていう回転ノコギリ……身体から離せなかったって言ってたけど、近付ける方向には動かせたんじゃない?」

「ああ。動かすわけないけど」

「動かすのが答えよ。多分これは、刃を近付けると脚の付け根から切断されるようにアームの長さを調整されてたはず。ボタンで先に太股から下ニーソックス切り脱ぎ捨てたあと、これで根元からさらに脚を切断したら――ことになるわね。ボタンとノコギリアームの角度、きっとその両方を動かすことが、首にニーソックスを巻いてた機械を停止するスイッチだったのよ」


 頭がくらくらしてきた。何だ? 何を言ってる?

 いや、殺子の中での理屈は通っているのかもしれないが、理屈しか通っていなくて、そんな映画の中の殺人ゲームみたいなことが本当にあるわけが、


「ああ。だからここに(順番に注意)って書いてあったのね。先に根元から足を切ってしまったら、固定具から微妙に外れて、後でニーソックス部分を切り落とすのがうまくいかなくなってしまうもの」


 嬉々として話す殺子に吐き気がする。嫌な予感に吐き気がする。


「わかった。僕が体験した殺人機械には、両足を犠牲にする代わりに機械を止められる正解の手順があったとしよう。でも、そんな回りくどい方法で殺人が行われるなんてのは、本当に映画とかゲームの中の話だと僕は思う。そうじゃない可能性は、どれくらいある? 君は……どんな奴が、そんなことをするんだと思う?」


 彼女は、探し求めていた運命の相手をついに見つけたというような、

 そのまま映画のポスターにでも使えそうな、爽やかな風に黒髪をなびかせながらの、

 幸福感と達成感に満ちた笑顔で言った。


「わかってるでしょう? ――お兄ちゃんよ。お兄ちゃんでしかありえないわ」


         †


 殺子は目的地に向かって街を歩きながら力説するのだった。


「うん、何度考えてもそれはとてもお兄ちゃんっぽいわ。萌えを殺人に取り込むなんてお兄ちゃんぐらいしか考えないことよ。ニーソックスをテーマにした装置で人を殺すとか、普通ありえないでしょ?」

「そうだね。本当に、普通は、ありえない……そもそもの質問をするけど」


 僕は一つ大きな呼吸を入れてから、


「君のお兄ちゃんは、人を殺すタイプのお兄ちゃんなのかな?」

「言わなかったかしら。私のお兄ちゃんだもの。人だって軽く殺すに決まっているわ」


 ああそう。説得力ある理論だ。


「むしろ私がいないと殺すって言い方もできるかも。萌える私が誰かを殺すところを見ると、欲求が発散できて気分が落ち着くみたいなんだけど。今はきっと欲求不満よ。だからやってしまったのよ。早く助けてあげないと。待っててね、お兄ちゃん……!」


 どこかうっとりした表情で殺子は言った。兄の気配が感じられて興奮しているのだろう。対照的に僕は肩を落としながら足を動かすしかない。


 そうか、そうだろうね。頭のおかしい殺人鬼の妹がいるんだ。その兄貴が頭のおかしな殺人鬼でも何もおかしなことはないんだろう。


 視界には、何の変哲もない日常の街を行き交う人々。その裏側には何食わぬ顔でこんな殺人鬼たちが紛れ込んでいる。表沙汰にはならないだけで、昨日のような被害者たちを理解できない理由で量産している。他人の死を間借りして覗き見する僕が事件を通報できることなんて、ほんの一握りだ。犯人逮捕に至っているのはさらにその何割かにすぎないだろう。優秀な警察さんたちの成果を真の意味で僕が知り、確かめる機会などないのだから。


 昨日の被害者は誰だったのだろうか。

 なんで、どうして自分が、わけがわからない、と思いながら機械に殺されたのだろう。僕はそれを誰よりも理解する。あるいは助けられた可能性もあったのかもしれないという悔いと共に、思いを馳せる。助けられたとか助けるべきだったとかそういう英雄願望ではなく、ただ数学的な、そういう可能性があったのに掴めなかったという事実に嫌な気分になる。もったいない、の精神に近い。


 自暴自棄に、いっそ全てを誰かにぶちまけてしまおうかという気分に一瞬襲われた。叔母とか。警察とか。実はこいつ殺人鬼なんです。兄貴もそうみたいなんです。僕の身体でどこかで楽しんでいるかもしれないんです。――言えるわけがない。


 社会の平和を脅かすものに、誰よりも近い位置にいながら。

 まったくもってその平和を守ることに貢献できない存在であるのがこの僕だ。自分の身体をこの事態そのものに人質に取られているとも言える。人並みの正義感しか持っていない僕だけれど、さすがに嫌な気分になってしまうね、まったく。

 だから僕は惰性で足を動かしながら聞くのだ。


「で、どこに向かってるんだっけ。考えがある、って君が言うから動いてるわけだけど。お兄さんの居場所でも掴んだ?」

「それはまだよ。相変わらず連絡がないのはせないわ。仕方ないから、こちらから探すしかないでしょう……お兄ちゃんはね、萌える相手を、その萌えに関わる方法で殺して興奮する可愛い性癖を持っているの。直接じゃなくて、いろいろ手の込んだ機械を使ったりしてね。たとえばニーソックスのよく似合う子を、ニーソックスの仕掛けで殺したり」


 ――――。


 何か。頭の奥底でさらに不快で不安な気分になる電気信号が発生した。

 けれど僕は意識的にそこから焦点をずらす。


「そう聞くと、君がお兄さんの仕業だと確信してるのもわからなくはない。それで?」

「つまり、お兄ちゃんが思わず殺してしまいそうな、萌える相手を探せばいいのよ。お兄ちゃんのお眼鏡に叶う相手なんて、私みたいな最萌え妹でもない限りそうそういるものじゃないわ。見つけて監視してたら、同じ獲物を見つけたお兄ちゃんと出会えるかも」

「正直に言って、確率は低そうに思える」

「そう? あなたの『体質』、だいたいこの市内ぐらいの範囲なんでしょう? だったら昨日見えたものもその範囲内ってことだし、つまりお兄ちゃんが市内にいる可能性は高い。日本全国の萌え対象者じゃなくて、この市内にいる奴を探すだけよ。というわけで――」


 殺子は足を止める。いつのまにか見覚えのある場所の前に辿り着いていた。


「ヒントを貰うべく、ここにやってきたというわけ。萌えには装備も重要だもの」


 先日制服を買うために立ち寄った、あのアダルト書店だった。


         †


「おや、連日のお越し、いらっしゃい。何をお探しかな?」


 相変わらず、こんな場所にはふさわしくないイケメンの店主がにこやかにカウンターから挨拶してくる。背景にある多種多様のAVのポスターとの対比で、逆にどんな変態的な性癖を持っているのか疑ってしまうくらい爽やかな笑顔だ。


「今日は聞きたいことがあって来たの」

「へえ?」

「最近、ここの萌えアイテムを買っていった客はいるかしら? 猫耳とか巫女服とか、ジャンルは問わないわ。とにかく『こいつこれから萌えをアピールする気だな』と思えるような客よ」

「直近で言うと、普段はセーラー服なのに、プライベートのためだけにブレザーの制服を買っていった子がいるね。かなりのブレザー萌えを発揮したんじゃないかと思う」

「……直近でなくともいいわ。とにかくこの店に訪れた中で、一番萌えという概念に近いと思える人間について教えなさい」


 店主は一層笑みを深くして、正面にいるセーラー服の女を指さした。

 対照的に、殺子は瞳の温度を一段階下げる。


「嘘はつかないで。対価は払っているはずよ、表も裏も」


 僕には理解できない言葉だったが、店主には通じたらしい。ぴくりと肩を震わせる。ただし表情は変えないまま、殺子を見返していた。


「私が黙っているのは、この店とあなたがそれなりに有用だから。それ以外に理由はないわ。足りないというなら、今からバックヤードかトイレにでも行く? あなたに覚悟があるのならね。対価の求めすぎは死を招くと理解しなさい」


 店主はふっと唇を曲げて、降参したように両手を上げた。


「もちろん、もちろん。君は大切なお客様だ。本当に大切な。その不興を買うことはしたくないし、可能な限り便宜を図ってあげたいと思っている。嘘はないよ。ただ思い当たらないのも事実で……そうだな、販売記録でも見返してみようか。何か思い出せるかもしれない」

「だったらやって」


 殺子が顎をしゃくると、店主はカウンターのパソコンに向き直ってキーボードを軽く叩き始めた。その隙に僕は小声で、


「今の、何の話?」

「気にしなくていいわ」


 ……? よくわからないが、まあ、店主が積極的に協力してくれるようになったというのはわかる。どれだけ効果的なことかは知らないが。

 その懸念通り、


「うーん。最近はそもそもグッズ系はあまり出ていなくて……ここ一ヶ月くらいの購入記録を見ても、だいたいは男の常連さんがあれ買っていったなあ、とか思い出すばかりだね。女の子は本当に君だけだ。その常連さんたちが誰にどうそのアイテムを使ったのかも、さすがに僕にはわからない。男女でこんなところに来るのも君たちだけだしね」


 使えないわね、と殺子は失望を隠そうともせずに呟きながら嘆息した。店主はご希望に添えずに申し訳ない、とブロマイドとして売られていそうな困り顔を見せていた。


「だったらせめて他の部分で協力してほしいわね。あなたも心得はあるはずよ。この街で『萌え』を持っている女の子を知らない? 私以外よ」

「さっきも思ったけど、今さらそんなストレートな言葉を使われるのって新鮮だね。昔はあれだけ言ってたのに、今はなんだか気恥ずかしく……いや、萌え、萌えだね。そうだなあ」


 以下はほとんど雑談のようなものだった。少なくとも僕にはそうとしか思えなかった。

 どこそこで見た誰かがアレ系で。ソレ系みたいな顔立ちで。駅で見たのはコレ系。

 それに対して「お兄ちゃんの好みとは少し違うわね」などと殺子が品評家然とした面持ちでさらなる証言を求めていく。ようやく彼女の食指が動いた情報は『近くのカフェ店員の眼鏡っ娘が最高』というものだった。


「眼鏡っ娘。いいわね。お兄ちゃんが好きそう。私も定期的に眼鏡をかけた眼鏡っ娘妹デーが開催されるわ」


 この作戦が本当に彼女の兄を見つけるために有用かどうかなど、僕には実感を持っては判断できない。正直に言えば、まったくもって現実的ではない作戦のような気はしている。今のところそれしか有効そうな手がないというだけだ。

 だが、ある意味他人事のようなものであったその気分は、実際にカフェに行ってみたところで一変する。


 そこで働いていた眼鏡っ娘は。

 見舞いにも来てくれた僕の友人、くびき鍵姫かぎひめだったからである。

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