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雑学曼陀羅

『日本人とユダヤ人』の『全員一致による決定』とは

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 イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』の真実


 
 狭い島国の中で醸成された『全員一致による決定』を強要する民族性は日本人のお家芸である。

 西洋と異なり、「個の確立」が習慣化しておらず、恥の文化に重しがかかり、知的文化の発達が遅れを取った。

 現代では、そんな因習は緩和されつつあるだろう? が、組織・共同体の中で離反したら、村八分、仲間外れ、いじめ、に逢うのは昔とあまり変わらない。死活問題なのだ。

 その結果、右顧左眄、追従、ご機嫌取り、の『忖度人種』が増殖・闊歩している。




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 『日本人とユダヤ人』の『全員一致による決定』とは



 全員一致による決定は無効とする。というのはイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』で紹介された古代ユダヤの国会兼最高裁のような機関での決まりである。全員一致は全員が誤りを犯している可能性(ex天動説)があり、それを検証できないからだそうだ。

まだこんなはなし信じてるの? と思って「サンヘドリン 全員一致」でヤフ(ググって‥不潔な音感)ってみると、まだ真に受けている人が結構いるのがわかる。


 〔イエスの裁判が誤判である〕というのは、サンヘドリンには明確な規定があった。すなわち「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」と。この場合どう処置するかには二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし、としている。
(『日本人とユダヤ人』、角川文庫、101ページ)


で、これはもちろんのこと浅見定雄の『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫)で批判しているが、現在この本は品切れであるようなので、当該箇所を簡単に紹介しておく。


『日本人とユダヤ人』の当該箇所のネタ元が『イエス時代の日常生活』(ダニエル・ロプス、山本書店)の「もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』」という箇所であると推定する。そのうえで、タルムード第4章第1節に次のような規定があることを指摘している。


 死刑罪でない裁判(直訳すれば「財産の裁判」)はその日のうちに完了してよい。しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。
(『にせユダヤ人と日本人』、69ページ)


つまり判決が「繰り越し」となるのは全員一致かどうかによるのではなく、死刑判決であるかどうかによる、ということ。


 死刑罪でない裁判では、全員が(被告の)有罪を主張しても無罪を主張してもよい。しかし死刑罪の裁判では、無罪の主張は全員がしてもよいが、有罪の主張は全員でしてはならない。
(『にせユダヤ人と日本人』、71ページ)


要するに死刑が科されない罪についての裁判は「全員一致」の判決でかまわないし、死刑罪の場合でも「無罪」判決は「全員一致」でかまわない。死刑を宣告する場合にのみ「全員一致」の判決は回避されることになるが、それは「全員一致は無効だから」ではなく、「被告人の生死にかかわる場合には必ずだれか弁護をする側に廻るよう義務づけるため」である。




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