坂東武者の誓い
表明が真実であることを証し、或いは約束の確実な実行を担保するため、何かに誓うことがある。自分の心に誓うという表現もあるが、誓う対象は普通は神聖なるものである。そして虚言を述べたり約束に違背したときには神仏から罰が下る。罰はときには生命に関わる(規範があり違反に罰則が伴うのは、現在の法規範でも同じ)。
神への誓いは、西洋なら聖書に手を置いて行う。アメリカの大統領の就任のときにもこの儀式がある。日本には起請文という形式がある。起請文は基本的には規範や契約書で、約束や契約の内容を書いた部分が実用的に大切なのであるが、その最後に起請文を差し出す者が信仰する神仏の名前を列挙し、約束を破った場合にはこれらの神仏による罰を受けるという文言が書かれている。この部分が神聖なるものへの誓いである。
たとえば、北条泰時の定めた御成敗式目(貞永式目)の末尾では次の起請文がある。
「者條々子細如此、若雖一事、存曲折令違犯者、梵天帝釋四大天王惣日本國中六十餘州大小神祇、殊伊豆筥根兩所權現三嶋大明神八幡大菩薩天滿大自在天神部類眷屬、神罰冥罰各可罷蒙者也、仍起請如件 貞永元年七月十日」
(てへれば条々子細かくの如し。もし一事たりと雖も曲折を存じ違犯せしめば、梵天帝釈、四大天王、惣じて日本国中六十余州の大小神祇、殊に伊豆箱根両所権現、三島大明神、八幡大菩薩、天満大自在天神、部類眷属、神罰冥罰、各罷り蒙るべきものなり。よつて起請件の如し。)
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ところがこれを読んで、あれと思った人がいる。この起請文にはある神様がいない。そう、天照大神が載せられていないのである。それに気付かれたのが新田一郎さん(「虚言ヲ仰ラルゝ神」『列島の文化史』第6号、1989年)。
まあ式目の文章は、日本國中六十餘州大小神祇の中に天照大神が含まれるとも読める。事実、貞永式目の注釈書『式目抄』において清原宣賢は「神ハ天照大神ヲ始メ奉リ」と書いていて、日本國中六十餘州大小神祇の中に天照大神を含めている。そのような考え方も成り立つであろう。清原宣賢(1475-1550)は国学儒学に通じた歴史上屈指の碩学である(原文は国立国会図書館がデジタルで公開している)。
しかし「殊に・・・」以下で個別に列挙しているのは伊豆と箱根の両所の権現や三島大明神などであって、そこに天照大神がないのは事実である。それが不自然であるのは、参会者にお礼を言うときのことを考えれば明らかである。そのようなときには「皆さん今日は有難う御座いました。特に○○さん、○○さんには格別のご配慮を戴きました」というような表現になるであろう。そのとき大物の名前を無視したら大変なことになる。天照大神の名前がないのはやはり異様である。
では何故天照大神の名前がないのか。
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新田さんによると関東足利学校系の式目注釈書にその理由が書かれていて、関東には天照大神は大国主命を騙してこの国土を取った嘘を言う神であるとの見方があり、そのような神に誓うわけにはいかないという考え方があるというのである*。
天地神明にかけて自分は嘘を言わないと書いたものが起請文である。それを誓う相手である神様自身が嘘を言うというのでは起請文の趣旨に反する。誠にご尤も。
新田さんの説を紹介している網野善彦氏は「京都の人である清原宣賢はこの考え方を一笑に付しているのですが**、こうした認識が関東に現実にあったことは非常に重要な事実であるといえるでしょう」と書かれている(『海と列島の中世』「東と西の地域史 常総を中心に」)。
実に的確な指摘である。網野氏は、日本では東と西という地域差がかなりあることの一例として新田氏を引用されているのであるが、神代の国譲りにまで遡った東国の人々の大和朝廷に対する心理的な距離がこの起請文に反映していると言えるであろう。北条泰時たち関東武士は確信犯で天照大神を排除したのであろう。平将門にも通う感情を感ずる。
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嘘とは、事実と言明の乖離である。両者が一致していれば世の中はずっと楽になるのにね。
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* 新田氏に問い合わせをしたところ、天照大神が嘘を言う神であると記載されているのは「芦雪本御成敗式目抄」など関東足利学校系の式目注釈書の類であるとのお答えをいただいた。ご教示に感謝します。
** この点についても新田氏から清原宣賢の講釈を筆録した『倭朝論鈔』に「近ゴロヲカシイコト」として斥けてある旨のご教示をいただいた。寛永年間とおぼしき古活字本および続史籍集覧に収録されている清原宣賢の『式目抄』には天照大神が嘘を言う神であるという記述はない。また宣賢の孫の清原枝賢の『式目抄』にもそのようなことは記載されていない。
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