宮崎駿、高畑勲。この2人に続くアニメーション監督がいる。
湯浅政明だ。2017年に自身初の長編映画『夜明け告げるルーのうた』で、アヌシー国際アニメーション映画祭の長編部門のグランプリにあたるクリスタル賞を受賞した。日本人で受賞したのは、宮崎、高畑、湯浅の3人だけだ。
90年代には『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』への参加、2004年以降は監督として『マインド・ゲーム』『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』『DEVILMAN crybaby』を生み出してきた。
ファンシーなキャラクターで織りなす不思議な世界観は熱狂的な支持を得る。そんな湯浅は長らく「天才」と言われ続けてきた。一方で、自身を「大ヒット作を監督したことがない」「僕の作品は流行を追った絵柄じゃなかった」と分析する。
新作『きみと、波にのれたら』は、これまでのイメージと異なる作品だ。
恋人を失った女性。悲しむ女性が思い出の曲を口ずさむと、水の中から死んだはずの恋人が…。
ベタなのだ。世界的に評価されてきた鬼才は、なぜ、そしてどんな風に王道ラブストーリーを描くのか。
キラキラしている人たちも、実は自信がないのではないか
湯浅は「若い時は、ラブストーリーは見てなかった。ジャンル的に除外みたいな……(笑)。サスペンスの方が好きでした。でも、いつか作るものだと思っていた。アニメーターになり、少しずつ物語というものがわかってきた」と話す。
「とはいえ、二人が出会って悲劇になればストーリーになるのかなと安直に思っていた時期もありました。大恋愛というか……。でも、自分が作るなら『僕たちってこうだったよね?』と思えるような物語を作りたかった」
『きみと、波にのれたら』の序盤では、大学生のひな子と港が過ごす、なんでもない日常が描かれる。
彼氏の方が料理上手だったり、兄妹を紹介されてピリッとしたり、恋人が好きな歌をいつの間にか覚えていたり。思わず自分を投影してしまう描写が散りばめられる。
少女漫画のような流れは、気恥ずかしさすら覚える。「あの湯浅監督が?」と思わなくもない。
「映画の長回しのようなキスシーンとか。アニメーターとして描いてこなかったので、自分としては新鮮。描いたことがないものを描いてみたかった」
そこで選ばれたのが、サーファーと消防士だった。理由は「僕自身から一番遠そうな存在」だったから。自分が歩んでこなかった世界にいる未知の人たちに出会いたい。作品を届けたい。好奇心があった。
サーファーはどんな気持ちで波にのっているのか? 消防士はどんな生活を送っているのか?
取材を重ね、キャラクターを作っていくと「自分とは遠い存在」のイメージが少しずつ崩れていった。
「サーファーにもいろんなタイプの人がいる。良い波を本気で取り合いに行く人もいれば、出勤前に軽く海に浸かる人、仲間とワイワイ高め合うのが好きな人、一人で静かに波にのりたい人もいる」
太陽のもと波とじゃれ合うサーファーは、キラキラしているように見える。しかし、それは表向きの顔。抑えている内なる情動も描こうと決めた。きっかけになったのは映画『桐島、部活やめるってよ』(’12)だ。
「クラスの中心にいるような華やかな人を見ると、アイツになったら人生楽しそうなのに……と思うわけですが、その人なりの悩みがある。上手くいっているように見えても、本当は自信がない。周りの人を見ていても、客観的な評価はさておき、今は自信がない人が多い気がしたんです。」
したたかに生きなければならないという世の中。
湯浅は現代をそう観察している。
メインキャラクターは全員が「一瞥するだけでは見えないが、どこか自信がない」ように描いた。
ベタな世界にだって、必ず裏がある。
例えば、ひな子は明るくあっけらかんとしているが、自分が「何者」であるかをわかっていない。だからこそ、恋人である港を失った際には「どこに向かって泳いで良いのかわからない」と迷走する。悲しみは勿論のこと、確かな軸がないからだ。
「ひな子はプロのサーファーを志しているわけではありません。就職は? やりたいことは? 趣味のサーフィンは現実逃避の装置でモラトリアムの象徴。だから、ひな子は自信がないんです」
その一方で、消防士という職業につき、しっかり人の役に立ちたいという夢を叶えている港はひな子と正反対に見える。職業も「水」と遊ぶひな子と反対に「火」を扱う仕事だ。
消防士は水を使って火を消し、水は火によって蒸発していく。相容れない存在の定番として、火と水を対称的に配置しつつ、お互いが相互に影響しあうように構成される。
実際、作中でも港は、ひな子を「僕のヒーロー」として慕う。港は頼りなさそうに見えるひな子に助けられているのだ。
「自信がない子たちが、お互いに助けられた記憶がある……誰もが誰かのヒーロー。ただ、自分でそれに気づかないだけ」
「誰かを助けるヒーローと聞くと、第一線で活躍したり、自分が弱っているときに助けてもらったり、そういうイメージが湧くかもしれません。でも、この生きづらい世の中で真っ当に生きているだけで、きっと誰かのことを助けているんです」
アニメーションの前に立ちはだかる「実写の壁」
自信に向き合う繊細な心理変化を描写するために、今までと大きくやり方を変えた点がある。
『夜明け告げるルーのうた』までは、キャラクターを多く登場させ、複数人の行動を踏まえ、物語を作ってきたが、本作のメインキャラクターは4人。人数を絞ることで、一人ひとりに感情移入できるよう、思い切りよく作風を変えた。
「人数もストーリーもシンプルに。一方で、画自体は線を増やして背景まできっちり描き込み、フォーカスを使って撮影する。そうすると実写映画のような映像になる」
とはいえ、このやり方にはジレンマもある。アニメでやる意味がなくなってしまうからだ。
リアルに描こうとするときに立ちはだかる「実写の壁」があるのだという。
「アニメーションって、人間の芝居と違って、歩かせるだけではダメなんです。歩かせるなら意味が必要。普通の動作が必ず意味を持ってしまう。わざわざ”描いている”わけですから。逆にそれが面白さでもある」
水になった港と一緒に過ごすため、水を常に携えて行動するようになったひな子。嬉しい歩みは弾むように、悲しみにくれた一歩は重々しく。何気ない普通の仕草をデフォルメし、ダイナミックに描くのが湯浅作品の魅力のひとつでもある。デフォルメと緻密さ。2つのバランスをとった。港以外ではファンタジーな演出を控え、緩急を出した。
この釣合は、「水」の描写でも強く反映される。湯浅にとって水を描くのはライフワークに近い。『夜明け告げるルーのうた』はもちろん、初めてメガホンをとった短編作品『スライム冒険記 海だ、イエ~』(’99)の時から、水の動きを描いてきた。環境に合わせて形や動きが変わる水は、湯浅にとってはキャラクターのひとつなのだ。
「例えば、想像で滝を描こうとすると、下の滝壺まで水を下ろしてしまう。でも本当は、滝として落ちていくときに、飛散して消えたりするんです。水って消えちゃうんだ……そういう情報が自分の中に溜まってくる」
「今回の作品では、千葉の波と湘南の波を描き分けています。湘南の波は所によって静か。一方で千葉の波は大きく荒いので巻いた波が落水した白波がなかなか消えない」
本作における水は、火を消し助けられた存在でありながら、港の命を奪う存在でもある。同時にひな子にとって逃げ場所であり、多面的な顔を持つ。
海を描く際、『ルー』ではすべてをAdobeのFlashを使って描いたが、今回は3割程度になって手描きが増えた。
「手描きとデジタルの良さがそれぞれ出るようにした。Flashは形がゆっくりした動きが得意。作画はランダムな動きがよく出る。躍動感ある飛沫を描くのは手描きの方がいい」
火と水を合わせた世界を描くのと同じように、デジタルと手描きも織り交ぜる。
ハプニングと自信
「昔から実験的な作品と評価をいただくことがあるのですが、そういうつもりはなく。成功する計算をして、物語を作るし、使う道具も変える。駄目なら途中で引き返せばいいと思っているので」
どれがベストかわからないままに、試行錯誤する過程が楽しい。
自分とは遠いと思っていたサーフィンの面白さに気がついたり、脚本家のアドバイスを聞いてみたり、キャラクターデザインは少女漫画のように仕上げてもらったり。予想できなかった発見があると、取り入れたくなる。
ハプニングはアフレコ現場でも起きた。ひな子と港が2人で歌うシーンの収録時、当初は男女別に音を取る予定だった。しかし、港演じる片寄から「(ひな子役の)川栄さんもいるのだから、試しに2人で歌ってみるのはどうか」との提案があり、急遽2人でスタジオに入った。
川栄は当初戸惑ったそうだが、結果的に恋仲の2人がじゃれあうリアルな音が撮れた。恥じらいながら歌うひな子を、港が手を引いているかのようなのだ。
これは、数多くの作品を手掛けた湯浅としても「すごく変わった、新しい演出」だったという。
自信とは自分のやり方だけを信じてできるものではない。
「最終的にうまく行けばいい。仕事を誰かに任せる時も、途中で失敗していい。一生懸命やってくれればいいと思ってます。失敗したら、こちらにも責任があるし、フォローもするし」
「弱いところを見せにくい風潮があると思うんです。失敗の話は、SNSでもわぁっと広がったりしますからね。過度に失敗を恐れてしまったり、自分なんて……と思ってしまったり。もっと寛容でいいのに」
湯浅が目に捉える現代と、その困難さを波として描くのが本作だ。その演出は日常的なシーンにも込められる。
「ひな子はオムライスが好きなのですが、なかなか上手く作れないんです。卵を上手くご飯の上にのせるのが難しい。好きだけど、上手くのれない。これは波に乗れないことのメタファーです」
「自信って、自分を許すことでもある。失敗とか向き不向きとか。僕自身もアニメに向いてないんじゃないか?と自問した時期はありました。でも、自分は一生懸命作っているんだから、悪いことはしていないと言い聞かせて(笑)」
「そういう不安な時に、本当に普通の人たちに勇気づけられてきました。本人たちにそのことを伝えると謙遜するんですけど。頑張ってる姿は誰かを元気付けている」
「ヒーローでもないし政治家でもない。でも自分が一人でやっていることが他の人につながっていく。成功だと思えなくても、必ず誰かが見ているはず。次々作っていくことの方が大事なのかな」
「波と一緒で『自分には無理』と遠ざけてしまう気持ちもわかるし、実際に失敗してしまうこともあるから、正しい躊躇だと思います。でも、波にのれるんじゃないか、と思ってやってみたら出来る時もある。もっと気軽に波にのれたら、と思うんです」
水の中に現れるようになった港は、ひな子に「俺もたくさんの波のひとつ」と語りかける。人生には大小様々な波があるのだ。上手くのれるときもあれば、飲みこまれてしまうときもある。それでもいい。崩れたオムライスだって美味しい。
湯浅はこうつぶやく。
「ラブコメを作ろうとしたらラブストーリーになって、結局は人生についての映画になっていた」
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