娘に会いたいだけなのに
2009年5月、Aさんは弁護士をつけず、離婚調停を申し立てた。
「その年の8月、調停を3回行った時点で決着しました。財産分与は半分ずつ。もめたのは愛実の親権でした。私はこう主張しました。『妻に愛実は育てられないだろう。こちらには面倒を見る人はたくさんいる。それに私自身、回復次第働ける』と」
対する元妻は次のように主張した。
「犯罪者には預けられない。私の家族は私や愛実をしっかり支えてくれる。愛情をこめて愛実を育てられます」
こう主張したが、実際には元妻は家族との付き合いをほとんど絶っていた。父親とはかろうじてつながっていたが、ほとんど会っていない状態だった。それは後にD市や秋田市の児童相談所が把握したり、本件の刑事裁判で検察官が指摘したりしたことだ。
当時、調停委員は、彼女が孤立していることについて、気がついていなかったようだ。それどころか、個別の事情について、注意を払おうともしなかったことが窺える。
「二人の調停委員は、時間に追われた中でいかに早く調停を成立させるかということばかり考えている印象。すべてが事務的で何の感情も挟まずに進行しているようでした」
離婚裁判では、一緒に暮らしている方が有利という「継続性の原則」や「母性優先」という考えが根強く、親権は女性へと認められることが一般的だ。しかもAさんは罪を犯しているという「失点」がある。残念ながら勝ち目はなかった。
「元妻が提案してきた『月に1回程度、愛実と面会をさせる』。という条件で話が決着しました」
調停が終わった後、Aさんはさらに苦境に立たされる。月1回程度という面会の取り決めが事実上、反故にされたのだ。
「『インフルエンザが流行っているから会わせられない』とか、『子供に会わせろじゃなくて、罪に対して謙虚になることの方が先じゃないの』とか、そんな理由で断られ続けました」
Aさんが愛実ちゃんにようやく会えたのは離婚の少し前。離婚調停
近くがたった後のことだ。
「家に入れなかったので自分の荷物を置いたままでしたし、何より愛実のことが心配でした。今から荷物を取りに行くからと連絡を入れてから、元妻に刺される覚悟で家に入りました。
幸い、何事もなく家に入れて、愛実と会えました。虐待とか育児放
何度も『高い高い』をねだられて、重かったけども、それがうれしかった
Aさんに対する警戒心を強くしたのか、その後、元妻は愛実ちゃんを連れて引っ越してしまったのだ。
心配したAさんは、行動を起こす。D市役所へ行ったり、探偵社へ捜索をお願いしたり、幼稚園や地域の民生委員に見守りをお願いして回ったり……。さらには元義父にお願いして教えてもらった住所に「面会させて欲しい」と記した手紙を送ったりもした。
ところがそうしたAさんの必死な行為が元妻の被害妄想を刺激してしまう。
「警察から電話がかかってきたんです。『ストーカー行為で被害届が出ています』とのこと。元妻の言うことを真に受けているようで、私の言い分を全然聞かない。警察から『これは警告ですから。言いましたからね』と言われ、一方的に電話を切られました」
前編では、児童養護施設の院長が母親から被害届が出ていることを確認し、『元夫=危険人物』と見なしたという話を紹介した。そのときの被害届とはこれのことである。
このとき元妻は「DV等支援措置」という制度を利用し、Aさんが連絡できないようにしてもいる。これは、DVやストーカー、虐待などの被害者が、加害者から「住民基本台帳の一部の写しの閲覧」、「住民票(除票を含む)の写し等の交付」、「戸籍の附票(除票を含む)の写しの交付」の請求・申出があっても、これを制限する(拒否する)措置が講じられるというもの。
被害者が戸籍や住民票を置く市町村に申し立てをすることで、措置の効力が発揮される。この措置が問題なのは、被害の内容が精査されないことだ。そのため、実際に被害がなくても申し立てをするというケースが多い。
本件のケースもそれに当たるのだろう。元妻はDVの被害はなかったものの、Aさんが「面会させてほしい」と連絡をしてきたことを理由に、ストーカーの被害を受けているということで警察に被害届を出した。警察が相談機関として窓口になり、DVの有無を十分に確認しないまま、ストーカー被害についての意見書を提出、最終的にはD市がこの措置を決定した。元妻は縁を絶ちたいという目的だけで、この制度を利用してしまった可能性がある。
元妻が支援措置を利用することで、Aさんは元妻や愛実ちゃんの居所を知るすべがなくなってしまった。
「その後、送った手紙すら届かなくなってしまいました。D市役所に訊ねても住所非開示とのこと。こうして完全に消息不明となってしまいました」
そして、最愛の娘が殺されるという事件が発生する――。