アフガニスタンのタリバン政権が2月25日午後(日本時間)、ロシアのウクライナ侵攻について、双方に暴力の停止と対話による平和的な解決を求める声明を出した。
アフガン外務省のアブドルカーヒル・バルヒ報道官が、自らのTwitterアカウントで英文の声明文をツイートした。SNS上では世界中で驚きの声もあがっているが、これには歴史的な背景がある。
タリバンの声明、その中身は
声明でタリバン政権は「ウクライナの状況を注視しており、民間人の犠牲者が増える可能性を懸念している」としたうえで、
「イスラム首長国(タリバン政権の自称)は、両当事者に抑制を呼びかける。イスラム首長国は中立外交政策に沿い、対話と平和的手段を通じて危機を解決するよう紛争の両側に呼びかける」と対話を求めた。
また、ウクライナに暮らすアフガン人の保護を求めた。
声明に世界で驚きの声
タリバンと言えば、2020年8月に米軍撤退と前アフガン政府の崩壊で復権するまで、アフガン各地で構成員の自爆テロなどを繰り返し、米軍や前政府の攻撃を続けてきた。
そのタリバンが「平和的解決」を呼びかけていることに、Twitter上では世界中から「「オニオン(*アメリカのパロディニュースサイト)かと思ったら本物だった」「おまいう」「タリバンが抑制をよびかける....だ?」といった反応が相次いでいる。
タリバンは米だけでなくロシアとも距離
しかし、これには歴史的な背景がある。
アフガニスタンでは1979年に旧ソビエト連邦軍が侵攻。抵抗するイスラム勢力などと10年にわたる凄惨な戦闘を続け、敗退した。
ソ連と冷戦状態にあったアメリカは当時、イスラム勢力を直接、間接に支援した。
その1人が、2001年9月11日に米同時多発テロを起こすことになる国際テロ組織アルカイダの首領オサマ・ビンラディンだ。
ソ連軍撤退後の混乱と内戦が続いていた1994年に「イスラムに従った世直し」を掲げて発足したタリバンは、1996年にアフガンの大半を平定。首都カブールを掌握した。
しかし、ビンラディンを「客人」として保護していたことから、同時多発テロの直後「テロとの闘い」を掲げる米軍による攻撃を受けて政権を失った。
その後20年にわたって地方部に潜伏し、じわじわと勢力を再拡大。昨夏に再び政権を再奪取した。
こうした経緯から、タリバンはアメリカと激しく対立してきた一方、アフガンの混乱の要因となった侵攻を行ったソ連の後継国家ロシアにも、強い警戒感を抱いている。
そして、かつては「反政府勢力」として攻撃を続けたものの、いまや政権の座に就き、国連大使の派遣受け入れも求めている。政府として自国民を保護する義務もある。そうである以上、「暴力による現状の変更は認めない」という国際社会の基本的な考え方を尊重する必要があり、このような声明を出したとみられる。
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