私、入居するまではDVシェルターって女性を助ける、手助けしてくれる施設だと思っていました。
まさか、女性のお金を根こそぎ取り、自立の邪魔をし、自由を奪い、支援団体の言いなりにならないといけない場所だなんて思ってなかった。
私は保護されてからひとり暮らしをするまでに数年、施設内で知り合った友人は7年かかった。
なぜだと思いますか?
支援団体と行政がグルになり、施設から出してくれないんです。
どうしても出たいなら脱走しかありません。お金もスマホも判子や通帳、身分証も取られているから、脱走者はそんなに多くないけど、2ヶ月に1人位のペースで脱走者はいた。
脱走したらホームレスになるしかないからね…
自立を阻害する保護なんて支援じゃないよ…保護されて病む人本当に多いんだよ?
生活保護ビジネス、救済ビジネス、貧困ビジネス、これこそ社会問題じゃないの?
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会話
いつの時代もどこにでも泥棒が居るように【貧困ビジネス】は無くならないかも知れないけど、【行政】もグルになっていることは辞めさせられる。SNSの力を使えば変えられるはずと信じてる。うさぽんさんいつも発信ありがとうございます。
多分生活保護もこういうことになっていて、本当に必要な人に渡らないようになっているんでしょうね。
ナニカのシノギで、なんとか派遣村の連中みたいなのにチューチューされていることが予測されます。
支援団体、支援施設は、そんな悪質なものばかりではないと思います。
暑質な施設、団体の被害が広まらないように、匿名の別アカウントでもいいので、具体名を挙げて注意喚起していただけると、助かる人も多いと思います。
10年以上前になりますが、反社がホームレスを集めて、一部屋に数人住まわせ食事はカップラーメン程度出しただけ。保護費を搾取されたと裁判がありましたが、衣食住確保してるので無罪。その後の詳細は分かりませんが、司法に対し落胆した事を思いだしました。
貧困ビジネスは生活保護や年金に紐っいた
年寄り相手のビジネスだけと思っては
いけないですね。
支援団体の装いをした駆け込み寺ビジネス
もあるのですね、
怖いです酷いです、許してはなりません
弱者をわざわざ作り上げ、自分達が利益を貪る仕組み、欲しいのは弱者になってくれる人数だけ、それに利用されただけ。本当に非人道的で悪意だけの商売ですね。
めちゃくちゃやばい団体だな
知り合いの男が昔DVシェルターとかいうのに助けを求めた時電話口でゲラゲラ笑われたらしいけど、まあそんな団体の受付なら笑うわな
それは準備不足のまま施設から出たら、
また売春したり
また麻薬を買ったり
またホストに貢いでしまう人が多いからなのでは?
そういう「要支援者の心の中の悪魔」に努力を無駄にされる経験を支援組織は沢山してきているはず。
依存からの脱却がちゃんとできた上での自立でなければ。
昔から言われてましたが
生活保護ビジネス、救済ビジネス、貧困ビジネス、は自立させず、巻き上げるのを目的としたビジネスです
昔から山谷などひどいものです
これは今時の話ですか?DVシェルターって母子寮の事かな?私は母子寮に何年も何ヶ所もいた記憶があります。が昭和終わりから平成の1桁世代までなのでそんな場所じゃ無かったと思います。そんなんシェルター違いますやん
突然失礼いたします。施設から出してもらえないこと、行政がグルというのはどういうことでしょうか
主さんやご友人の方は、DVシェルター入居中に生活保護を受給したのでしょうか
DVシェルターを利用した際に、安全が確保されるまで隔離することは、利用者を守るための行為ではないということですか?
あなたが利用されたシェルターが酷かった事はお気の毒ですが、全てのシェルターがそうでるような場所であると誤解を生みませんか?保護を必要としている方が、利用を躊躇する可能性もありますよ。
外から失礼します。聞くところによると、DVの裁判は勝てる確率が高いので、弁護士の卵の練習する場所にもなっているとか…ほぼ毎日シェルターに会いに来て、相手が悪いと言うのを催眠の様に聞かされるとか聞いた事あるのですが、実際どうでしょうか?
私も小さな子供を連れて離婚したときに、シェルターに相談しましたが、子供まで自由がなくなるのを聞いて、ゾーとしました。結局自力で最安値のボロアパートを借りて、追ってくるdv夫から身を隠しつつ、裁判に臨みました。
どこの自治体の、何というシェルターですか?運営者は誰ですか?可能であれば、全て書き出してください。社会資源足り得るシェルターでないのであれば、即刻改善が必要です。密室化しやすい施設の現状を訴えるには、それしかありません。
20年くらい前、栃木の老人ホームで入居者が焼死する事件があった。
ベニヤで仕切られてベッドがやっと置けるだけの粗末な施設。
そこは都内のホームレスに生活保護を与えて入居させて所だった。
当時の担当者は「自分たちに出来る支援」と胸を張っていた。