1979年5月の東京サミットでさえ
も、このような交通規制は無かっ
た。
あの日、東京サミット反対行動
に起った万余の学生たちに、雨
が降りつけた。
放水ではなく本物の雨。
土砂降りの雨が、都内の街路を
歩き続ける大集団のヘルメット
と身体を濡らした。
関西派と10何年ぶりかで共同行
動をした。今度は10.8羽田の時
のように首都高を逆走などとい
うヘマはしない。首都圏派が仕
切って指揮した。
その時、初めてインターナショ
ナルの歌詞が東京と大阪で違う
という事を知った。
我々はインターナショナルは獲
得できていなかった。
たとえインターナルであってさ
えも、何も。
私が「我々」という言い方をや
めて「私」になるには、それか
らさらに数年を要した。
たとえきょうは果てしもなく
冷たい雨が降っていても、私は
いつか故郷に出会う日をきっと
信じてドアを出て旅を続けてい
たのだ。