あてもなく上京した僕は、巨匠と出会い、そして作家になった。

    平成生まれの絵本作家・長田真作。五味太郎との出会いが、すべてのきっかけだった。

    働き先も見つからないまま上京し、読んだこともない絵本と出会い、そして作家になった。そんな、平成生まれの絵本作家がいる。

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    長田真作、29歳。デビューからたった2年で20冊近くの絵本を出してきた。

    集英社からオファーを受けて『ワンピース』の絵本を描き上げた。さらに、渋谷ヒカリエで個展も開催し、ファッションブランドとのコラボもしている。

    絵本界の注目する、まさに新進気鋭の作家だ。

    そんな彼は、実は絵を専門的に学んだことがない。もともと、絵本作家を志しているわけでもなかった。絵で食べていこう、とも思っているわけではなかった。

    「もともと、絵本はそんなに読んだことがないんです。親に読んでもらったこともなかったし、家にも置いてなくて……」

    そんな彼は、なぜ絵本作家になったのか。

    何のあてもなくやってきた、東京

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    広島県呉市の出身。高校を卒業し、上京したいことを理由に、働き先を決めずに東京に出た。

    「そこから何のあてもない訳ですよ。不安もあんまりなく、深刻に考えることもなかった」

    先に上京していた姉のアパートで暮らしながら始めたのが、ハンディキャップを抱える子どもたちが集まる学童保育だった。

    「社会との折り合いとかを気にせず、ある種自由に遊んで暮らしている、素敵な子どもたちで。とにかく、遊ぶことが仕事だったんですよね」

    近所を歩いていてチラシを見かけたのが、応募のきっかけだったという。

    そんな学童で「遊びを仕事にしている」ような自由気ままな子どもたちのうち一人が、じっくり読んでいたのがとある絵本だった。

    すべてを変えた巨匠との出会い

    作者は、五味太郎だった。

    『きいろいのはちょうちょ』や『みんなうんち』など、これまでの作品は400を超え、世界20カ国以上で出版されている。数世代にわたって愛されている、日本で代表的な絵本作家のひとりだ。

    ただ、長田はその名前を知らなかった。子どもののめりかたをみて、五味のエッセイを手に取った。長田は言う。

    「なんか、この人、本当俺に似た感覚を持っているなと思ったんですよ」

    その考え方を知りたくなり、会おうと決めた。

    大物作家だろうと、躊躇はしなかった。ホームページから電話番号を調べ、アトリエに電話をかけ、いきなりアポを取った。

    初対面から朝まで8時間にわたって話し続けるほど意気投合し、そこから何度もアトリエに足を運ぶようになった。気づけば、引っ越しや別荘での薪割りなどを手伝う仲になっていた。

    「直接話を聞いたら、とっても刺激を受けて。この人がやっていることって面白いな、僕もちょっとやってみたいなと感じたんです。あれが絵本作家になろうと思った、一番強い出来事だったんじゃないかな」

    描けば描くほど広がった想像力

    もともと、自分の気分を表現するために絵を描くことは好きだった。落書きをして、友達に見せるようなことも、よくしていた。学童では、子どもたちに、紙芝居や絵を描いてあげることもあった。

    でも、絵本を作品としてつくりあげるのは初めてだった。それに、色を塗るのも得意ではなかった。

    描き始めると、思いの他に筆は進んだ。描けば描くほど、想像力も広がっていった。長田は笑う。

    「結局、量はいっぱい描きましたよね。そしたらタッチも、自分の気分も、わーっていろいろ出てきた。あ、色っていうのはすごく良いなあって、もっと楽しくなってきたんですよ」

    「大事なのって勘違いだと思うんです。いけるんじゃないかなあ、と肯定的に捉えながら、本腰を入れて描くようになっていったら、絵が好きになったんです」

    そこから長田は、絵本の世界に一気にのめり込んでいった。

    「絵本は飽きが来ないし、最終的な終着点とか、表現の仕方としてはものすごいバリエーションと寛容さ、そして壮大さを持っている」

    「それとね、個人作業なんです。何か自分の感覚を落とし込むってなると、ほんとに一人でできるから、こんな表現手段は、ちょっと手放せないなと思ってしまって」

    質感に宿る「戦争の記憶」

    常に笑顔で、笑い話も交えながら話す長田。

    その爽やかさは、疾走感のある前向きな生き方そのもののようにも見える。しかし、作品そのものが明るいものばかりのわけではない。

    たとえば、『すてきなロウソク』は全編モノクロームだ。

    飛行船の中で物作りをする主人公が、火のついたロウソクを片手に旅をする物語。様々な人々にロウソクが渡るが……単なるハッピーエンドのストーリーではない。どことなく、もの哀しさが滲み出ている。

    2019年1月に発売される「アカルイセカイ三部作」(共和国)でも、長田は戦争や、人の陰を描くという。

    「闇みたいなものとか、陰りとかがあるなと思う作品がいくつかあって。この理由は、出身じゃないかなって思っているんです」

    長田の出身である呉市は、軍港でもあり、空襲を経験している。広島市に隣接することから、被爆の記憶も根深く残っている地域だ。戦争教育も盛んで、体験談を聞くことも多かったという。

    「小さい頃の話ですが、一緒に住んでいた祖父母が、『この家の下は防空壕だったんよ』とか、突然話をすることがある。そうすると、ありとあらゆる想像が湧き上がるんですよ。どんどん、恐怖を感じてしまう」

    「僕が思う戦争の恐怖は、爆撃で人がどうなったっていうものじゃない。なんでそんなことに巻き込まれないといけないんだっていう不条理なんです。死者や被害に埋もれた、何かなんですよね」

    「何千万人が何かで亡くなったとか、道の先に変な男が立ってるっていうような怖さとはちょっと別個の、もうちょっと身体の芯に染み渡ってくるようなもの……どっちかって言うと、人間の憎悪とか」

    それが「畏敬なのか、ただの恐怖なのか」は言葉では表せない。ただ、そうした土地に染み付いた「戦争の記憶」が、自らの「質感」として、作品にも反映されているーー。

    長田は、そう感じている。

    絵本しか、ない

    川崎市にある長田の自宅兼アトリエには、光がいっぱいに入る。

    2年で20冊近いの絵本を出してきた多作の彼は、同時にいくつもの絵本を描いている。数日で描き終えてしまうこともあるという。

    「ずーっと、作品づくりをしているんですよ。馬車馬のようにやっている感じ。目標とか、そういうものを考えている暇もないくらいに、心が忙しいんです」

    「いまも、楽しくてしょうがないんですよ。コンセプトもなく、適当に描いてるところから産まれていくんです。下書きとかラフみたいなものじゃなくて、もっと軽い感覚がいっぱい出ているって、感じです」

    生まれた作品のすべてが、「恐怖」をまとっているわけではない。そもそも長田は絵本を描く際にテーマを決めていないし、伝えたいことがあると感じているわけでも、ないからだ。

    「テーマっていうのは一生持たないでしょうね。僕は今でもテーマが何なのか分からない。テーマを添えるってことは全く、人生の中でしてきたことがなかったから」

    絵本が「子ども向け」のものと捉えられていることにも、違和感を覚える。長田の作品は誰かに限って向けたものでもなく、あくまで彼自身にとっての、ひとつの表現だ。

    「僕には、絵本しかないんですよね」。だから彼は、自らを「絵本作家」と名乗ることをしない。彼は彼、なのだから。


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