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思い出の選りすぐりのシーンだけ、集めてみました。 今日は特集:2018/19 V-1 日立市池の川さくらアリーナ大会⑤です。  

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ビートルズのうち、デビュー直前に加入したリンゴ・スター。

ジョン曰く、彼はリバプール時代からスターで、収入もビートルズのメンバーより高く、車を乗り回していたとのこと。

何でも、人懐っこいジョージ・ハリスンがリンゴの加入に積極的だったとか。

このリンゴの加入には一悶着あって、前のドラマーのピート・ベストのファンと乱闘騒ぎがあったとのこと。

人格者のリンゴが加わったこともありビートルズは徹底した民主主義。メンバー全員が納得しないとことが進まない体質になった。そんなリンゴも癇癪を起こしたことがあった。

いわゆる、ホワイトアルバムを作成していた頃、リンゴのドラミングに1から10まで注文を付けるポール・マッカートニーに切れて、スタジオを飛び出してしまい、戻らなくなってしまった。

困り果てたポールはリンゴのドラムを誉めちぎり、ジョンは励ましの電報を送り、ジョージはスタジオ中に花を飾ってリンゴを迎え入れたという。

この頃リンゴはジョンに「僕以外の君たち3人は仲が良いから辞める」というと、ジョンは「仲が良いのは君たち三人だろ?」と答え、ポールに同じことを尋ねると「仲が良いのは君たちだろ」とジョンと同じことを答えたという。

結局ビートルズは、そののち解散することになるのだが、この頃4人はそれぞれ家庭を持ち、生活も興味の方向も変わっていた。

ポールを除く全員が解散を望んでいたが、それをポールが待ったを掛けた。
そして、ポールの脱退が引き金でビートルズは解散することとなり、しばらくジョンとポールの不仲は続いた。


しかし、数年後ジョンとポールは少しずつ仲直りし、セッションを共にするまでに回復していた。

残念ながらジョンは1980年自宅近くで凶弾に倒れ、帰らぬ人となったが、あんなことがなければ、ビートルズの再結成はあったかもしれない。

ちなみに、過去何度かジョンの息子、ジュリアン・レノンを招いてビートルズ再結成が企画されたりしたこともあったが実現せず、ジョージも鬼籍に入った今、存命はポールとリンゴのみとなった。