縁結びの地・奥出雲で採れた天然水「仁多水(じんおおすい)」の公式ネットショップ

奥出雲の水「仁多水」

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水は全て繋ぐ

2020年5月

5月
五月の節句、兜と鯉のぼりを飾るのは、男子の立身出世と関わりがあるようです。
兜が使われ始めたのは、人類が戦いを始めた時から。紀元前には世界各地で兜が使われていました。日本に現存する最古の兜は古墳時代のものです。
なぜ人と人は闘うようになったのでしょう。戦いの原因には、人間の思惑を超えた低温化、火山噴火、地震、干ばつ、長雨、地球規模の変化から起こる凶作、疫病、食糧難が大きく関与しました。人々は暴徒と化し、略奪することで生き延びてきたのです。この小さなサバイバルシステムが各地の支配者を頂点に統一され、領地を守り拡大していく戦国時代へと突入していきます。戦場は飢饉や災害、前科持ちとして行き場を失った輩の受け入れ先で、給与がその場で支給され、犯罪歴や借金があってもOK。簡素な防具が与えられ、手柄を立てれば立身出世も夢ではない、一発逆転人生への大舞台でした。
5月
五月の節句、兜と鯉のぼりを飾るのは、男子の立身出世と関わりがあるようです。
兜が使われ始めたのは、人類が戦いを始めた時から。紀元前には世界各地で兜が使われていました。日本に現存する最古の兜は古墳時代のものです。
なぜ人と人は闘うようになったのでしょう。戦いの原因には、人間の思惑を超えた低温化、火山噴火、地震、干ばつ、長雨、地球規模の変化から起こる凶作、疫病、食糧難が大きく関与しました。人々は暴徒と化し、略奪することで生き延びてきたのです。この小さなサバイバルシステムが各地の支配者を頂点に統一され、領地を守り拡大していく戦国時代へと突入していきます。戦場は飢饉や災害、前科持ちとして行き場を失った輩の受け入れ先で、給与がその場で支給され、犯罪歴や借金があってもOK。簡素な防具が与えられ、手柄を立てれば立身出世も夢ではない、一発逆転人生への大舞台でした。

5月
五月の節句、兜と鯉のぼりを飾るのは、男子の立身出世と関わりがあるようです。
兜が使われ始めたのは、人類が戦いを始めた時から。紀元前には世界各地で兜が使われていました。日本に現存する最古の兜は古墳時代のものです。
なぜ人と人は闘うようになったのでしょう。戦いの原因には、人間の思惑を超えた低温化、火山噴火、地震、干ばつ、長雨、地球規模の変化から起こる凶作、疫病、食糧難が大きく関与しました。人々は暴徒と化し、略奪することで生き延びてきたのです。この小さなサバイバルシステムが各地の支配者を頂点に統一され、領地を守り拡大していく戦国時代へと突入していきます。戦場は飢饉や災害、前科持ちとして行き場を失った輩の受け入れ先で、給与がその場で支給され、犯罪歴や借金があってもOK。簡素な防具が与えられ、手柄を立てれば立身出世も夢ではない、一発逆転人生への大舞台でした。

【兜(冑、かぶと)】

戦闘において最も狙われやすく危険な部位は頭部です。兜は、打撃・斬撃や飛来・落下物から頭部を守るための防具で、鎧(甲、よろい)や他の具足と用いられ、合わせて「甲冑」とも呼ばれます。また、兜は、防具としての役割以外にも、着用者に威厳を持たせる役割を担っていました。
兜、冑ともに漢語由来の字で、元来「甲」が鎧、「冑」は兜を表していました。古代中国、殷の時代から亀の甲羅に熱を加え生じたヒビの形状を観て占う亀卜(きぼく)が行われ、占いの結果を彫り込み甲骨文字が生まれたように、人類にとって身近で神聖な亀の甲羅を模した甲冑は、戦闘において身を守るだけでなく、神意を問う亀ト的要素があったのかもしれません。後に甲が十干(甲乙)の初めの意味を持つことから、始まりの頭(かしら)、甲を「兜」の意に混同して用いるようになったようです。
戦闘において最も狙われやすく危険な部位は頭部です。兜は、打撃・斬撃や飛来・落下物から頭部を守るための防具で、鎧(甲、よろい)や他の具足と用いられ、合わせて「甲冑」とも呼ばれます。また、兜は、防具としての役割以外にも、着用者に威厳を持たせる役割を担っていました。
兜、冑ともに漢語由来の字で、元来「甲」が鎧、「冑」は兜を表していました。古代中国、殷の時代から亀の甲羅に熱を加え生じたヒビの形状を観て占う亀卜(きぼく)が行われ、占いの結果を彫り込み甲骨文字が生まれたように、人類にとって身近で神聖な亀の甲羅を模した甲冑は、戦闘において身を守るだけでなく、神意を問う亀ト的要素があったのかもしれません。後に甲が十干(甲乙)の初めの意味を持つことから、始まりの頭(かしら)、甲を「兜」の意に混同して用いるようになったようです。

戦闘において最も狙われやすく危険な部位は頭部です。兜は、打撃・斬撃や飛来・落下物から頭部を守るための防具で、鎧(甲、よろい)や他の具足と用いられ、合わせて「甲冑」とも呼ばれます。また、兜は、防具としての役割以外にも、着用者に威厳を持たせる役割を担っていました。
兜、冑ともに漢語由来の字で、元来「甲」が鎧、「冑」は兜を表していました。古代中国、殷の時代から亀の甲羅に熱を加え生じたヒビの形状を観て占う亀卜(きぼく)が行われ、占いの結果を彫り込み甲骨文字が生まれたように、人類にとって身近で神聖な亀の甲羅を模した甲冑は、戦闘において身を守るだけでなく、神意を問う亀ト的要素があったのかもしれません。後に甲が十干(甲乙)の初めの意味を持つことから、始まりの頭(かしら)、甲を「兜」の意に混同して用いるようになったようです。

【兜率天と具足】

兜も具足も、面白いことに仏教に深く関わる文字です。「兜率天に行き弥勒に会い、弥勒と共に下生する」という言葉を残して多くの人が入滅している兜率天は兜が率いる天と書くので、闘いや武具を身につけた神々を連想してしまいます。これは黙示録の悪魔や魔王との戦いなのでしょうか。
一方、具足は足りて身に具わっているという意味で香炉、燭台の一式を指します。
人は不安にかられ、追いたてられるように生きる存在ですが、全てを失ったとしても大地に支えられ、天から光が降り注ぎ、水が巡り、どんな場所からでも花が芽吹く、その普遍の真理に目を向けると、私達は充分なものを既に与えられているのかもしれません。
兜も具足も、面白いことに仏教に深く関わる文字です。「兜率天に行き弥勒に会い、弥勒と共に下生する」という言葉を残して多くの人が入滅している兜率天は兜が率いる天と書くので、闘いや武具を身につけた神々を連想してしまいます。これは黙示録の悪魔や魔王との戦いなのでしょうか。
一方、具足は足りて身に具わっているという意味で香炉、燭台の一式を指します。
人は不安にかられ、追いたてられるように生きる存在ですが、全てを失ったとしても大地に支えられ、天から光が降り注ぎ、水が巡り、どんな場所からでも花が芽吹く、その普遍の真理に目を向けると、私達は充分なものを既に与えられているのかもしれません。

兜も具足も、面白いことに仏教に深く関わる文字です。「兜率天に行き弥勒に会い、弥勒と共に下生する」という言葉を残して多くの人が入滅している兜率天は兜が率いる天と書くので、闘いや武具を身につけた神々を連想してしまいます。これは黙示録の悪魔や魔王との戦いなのでしょうか。
一方、具足は足りて身に具わっているという意味で香炉、燭台の一式を指します。
人は不安にかられ、追いたてられるように生きる存在ですが、全てを失ったとしても大地に支えられ、天から光が降り注ぎ、水が巡り、どんな場所からでも花が芽吹く、その普遍の真理に目を向けると、私達は充分なものを既に与えられているのかもしれません。

【世界の甲冑】

【変わり甲冑】

戦場は悲惨な殺戮の場というだけではなく、晴れがましく或る意味コスプレ的で、立身出世を夢見る祝祭的要素があったようです。戦場において目立つこと、これこそ手柄を横取りされない唯一の防護策で、自己の武勇をアピールするのは大切なことだったようです…。
野望に燃える武将の自己主張として、装飾をゴテゴテ付けた兜が室町時代に誕生、群雄割拠の戦国時代になると兜のデザインは一気にバラエティ豊かになっていきます。魚や貝、動物、虫などの飾りをつけたり、信仰する宗教に関係するモチーフをつけたり、兜の鉢の表面に毛を植えたりなど、様々な工夫を施して己の美意識、信仰心、闘争心、克己心を兜に込め、個性的な「変わり兜」が誕生していきます。
見た目は重そうですが、装飾は和紙をベースに漆を塗ったハリボテが多く、大雨や暴風の日は、いざという時だけ被ったようです。(装飾兜をかぶる大半の人には付き人がいて、下級武士は実用的な鍋のような兜を被っていました)

目立つ兜を被るのは「敵への威嚇」と「味方の志気を高める」2つの目的がありました。黒田長政は朝鮮に渡り1593年の碧蹄館の戦いにも参加。寒い時期で綿帽子を被っていましたが、いざ!と水牛の兜を被った途端、長政が最前線に出たから今日は勝ち戦だと日本軍が沸き立ち、実際に明軍に勝利したのですから、サッカーでも野球でも名プレイヤーは、群れを勝利に導くカリスマなのでしょう。
戦国の世が終わっても「変わり兜」の人気は衰えません。戦国の余韻の残る江戸初期は、有事の時に…と甲冑の準備を怠ることはなかったでしょう。けれど長く平和が続いた後も、武勲にあやかりたいとか、甲冑好きな裕福な好事家によって、変わり兜の文化は途絶えることなく続いていきます。
戦場は悲惨な殺戮の場というだけではなく、晴れがましく或る意味コスプレ的で、立身出世を夢見る祝祭的要素があったようです。戦場において目立つこと、これこそ手柄を横取りされない唯一の防護策で、自己の武勇をアピールするのは大切なことだったようです…。
野望に燃える武将の自己主張として、装飾をゴテゴテ付けた兜が室町時代に誕生、群雄割拠の戦国時代になると兜のデザインは一気にバラエティ豊かになっていきます。魚や貝、動物、虫などの飾りをつけたり、信仰する宗教に関係するモチーフをつけたり、兜の鉢の表面に毛を植えたりなど、様々な工夫を施して己の美意識、信仰心、闘争心、克己心を兜に込め、個性的な「変わり兜」が誕生していきます。
見た目は重そうですが、装飾は和紙をベースに漆を塗ったハリボテが多く、大雨や暴風の日は、いざという時だけ被ったようです。(装飾兜をかぶる大半の人には付き人がいて、下級武士は実用的な鍋のような兜を被っていました)

目立つ兜を被るのは「敵への威嚇」と「味方の志気を高める」2つの目的がありました。黒田長政は朝鮮に渡り1593年の碧蹄館の戦いにも参加。寒い時期で綿帽子を被っていましたが、いざ!と水牛の兜を被った途端、長政が最前線に出たから今日は勝ち戦だと日本軍が沸き立ち、実際に明軍に勝利したのですから、サッカーでも野球でも名プレイヤーは、群れを勝利に導くカリスマなのでしょう。
戦国の世が終わっても「変わり兜」の人気は衰えません。戦国の余韻の残る江戸初期は、有事の時に…と甲冑の準備を怠ることはなかったでしょう。けれど長く平和が続いた後も、武勲にあやかりたいとか、甲冑好きな裕福な好事家によって、変わり兜の文化は途絶えることなく続いていきます。

戦場は悲惨な殺戮の場というだけではなく、晴れがましく或る意味コスプレ的で、立身出世を夢見る祝祭的要素があったようです。戦場において目立つこと、これこそ手柄を横取りされない唯一の防護策で、自己の武勇をアピールするのは大切なことだったようです…。
野望に燃える武将の自己主張として、装飾をゴテゴテ付けた兜が室町時代に誕生、群雄割拠の戦国時代になると兜のデザインは一気にバラエティ豊かになっていきます。魚や貝、動物、虫などの飾りをつけたり、信仰する宗教に関係するモチーフをつけたり、兜の鉢の表面に毛を植えたりなど、様々な工夫を施して己の美意識、信仰心、闘争心、克己心を兜に込め、個性的な「変わり兜」が誕生していきます。
見た目は重そうですが、装飾は和紙をベースに漆を塗ったハリボテが多く、大雨や暴風の日は、いざという時だけ被ったようです。(装飾兜をかぶる大半の人には付き人がいて、下級武士は実用的な鍋のような兜を被っていました)

目立つ兜を被るのは「敵への威嚇」と「味方の志気を高める」2つの目的がありました。黒田長政は朝鮮に渡り1593年の碧蹄館の戦いにも参加。寒い時期で綿帽子を被っていましたが、いざ!と水牛の兜を被った途端、長政が最前線に出たから今日は勝ち戦だと日本軍が沸き立ち、実際に明軍に勝利したのですから、サッカーでも野球でも名プレイヤーは、群れを勝利に導くカリスマなのでしょう。
戦国の世が終わっても「変わり兜」の人気は衰えません。戦国の余韻の残る江戸初期は、有事の時に…と甲冑の準備を怠ることはなかったでしょう。けれど長く平和が続いた後も、武勲にあやかりたいとか、甲冑好きな裕福な好事家によって、変わり兜の文化は途絶えることなく続いていきます。

【え?二本足の鹿?…と思わず三度見…】    本多忠勝「黒漆塗十二枚筋兜」

漆黒の炎の如く天に向かって伸びる2本の太い鹿の角。前立の目玉がジロリと睨みをきかせています。兜と同じく鎧も漆黒で、強キャラ感ハンパない禍々しさ…。この威圧感に溢れた甲冑の持ち主は、徳川家康の三河時代の忠臣・本多忠勝。斬新なアイデアと人徳、信仰心を持ち合わせた相手方の武田に「家康の過ぎたるものが2つあり、唐のかしら(ヤクの毛で造られた兜)に本多平八」とまで謳われた人物。首から大きな数珠をかけている肖像画を見ると猛将というだけでなく、戦場で敵の魂を弔う宗教心もあった人のように見えます。
漆黒の炎の如く天に向かって伸びる2本の太い鹿の角。前立の目玉がジロリと睨みをきかせています。兜と同じく鎧も漆黒で、強キャラ感ハンパない禍々しさ…。この威圧感に溢れた甲冑の持ち主は、徳川家康の三河時代の忠臣・本多忠勝。斬新なアイデアと人徳、信仰心を持ち合わせた相手方の武田に「家康の過ぎたるものが2つあり、唐のかしら(ヤクの毛で造られた兜)に本多平八」とまで謳われた人物。首から大きな数珠をかけている肖像画を見ると猛将というだけでなく、戦場で敵の魂を弔う宗教心もあった人のように見えます。

漆黒の炎の如く天に向かって伸びる2本の太い鹿の角。前立の目玉がジロリと睨みをきかせています。兜と同じく鎧も漆黒で、強キャラ感ハンパない禍々しさ…。この威圧感に溢れた甲冑の持ち主は、徳川家康の三河時代の忠臣・本多忠勝。斬新なアイデアと人徳、信仰心を持ち合わせた相手方の武田に「家康の過ぎたるものが2つあり、唐のかしら(ヤクの毛で造られた兜)に本多平八」とまで謳われた人物。首から大きな数珠をかけている肖像画を見ると猛将というだけでなく、戦場で敵の魂を弔う宗教心もあった人のように見えます。

【息を呑む妖しさ…】天海大僧正「麒麟前立付兜」

抜群の政治的手腕で「黒衣の宰相」といわれた天海大僧正が使用していたもの。天下人・徳川家康のブレーンの一人で、徳川幕府創建後は多大な影響力を及ぼした人物。
兜の正面には焔に包まれた麒麟の前立がカッと口を開け、両側からは真っ赤な水牛の角がにょっきり。その外側には巨大な円を描く2本の飾り…これは鎧の銅の背後から出ています。…となると、僧侶らしく仏像の後光を表現した感もありますね…。いずれにせよ、謎めいた権力者ならではの妖しさで、インパクト大。
抜群の政治的手腕で「黒衣の宰相」といわれた天海大僧正が使用していたもの。天下人・徳川家康のブレーンの一人で、徳川幕府創建後は多大な影響力を及ぼした人物。
兜の正面には焔に包まれた麒麟の前立がカッと口を開け、両側からは真っ赤な水牛の角がにょっきり。その外側には巨大な円を描く2本の飾り…これは鎧の銅の背後から出ています。…となると、僧侶らしく仏像の後光を表現した感もありますね…。いずれにせよ、謎めいた権力者ならではの妖しさで、インパクト大。

抜群の政治的手腕で「黒衣の宰相」といわれた天海大僧正が使用していたもの。天下人・徳川家康のブレーンの一人で、徳川幕府創建後は多大な影響力を及ぼした人物。
兜の正面には焔に包まれた麒麟の前立がカッと口を開け、両側からは真っ赤な水牛の角がにょっきり。その外側には巨大な円を描く2本の飾り…これは鎧の銅の背後から出ています。…となると、僧侶らしく仏像の後光を表現した感もありますね…。いずれにせよ、謎めいた権力者ならではの妖しさで、インパクト大。

【江戸時代のもの】 実際に戦場で使われたことはない好事家のコレクション:「黒漆塗執金剛杵形兜」「鉄八枚張椎形眼鏡付兜」「鯱形兜鉢」

左)「黒漆塗執金剛杵形兜」
「やる気」の具現化「ガッツ!」天高く突き上げられた拳には、煩悩を打ち砕く「金剛杵」が握られています。現代でも、会社の入口オブジェとしておかしくない。え?就活生が来なくなる?
中央)「鉄八枚張椎形眼鏡付兜」
ゴーグル付き兜。宮崎駿監督の天空の城ラピュタでパズーが被っていたヘルメットにやたら似てます…。でも江戸時代のもの。注文したの誰?泰平の世に高じた趣味、暇とお金をもてあました人が注文したということでしょうね…。ゴーグルみたいな部分には近視用のレンズが入っていて、細部まで凝っています。両サイドの羽は天狗が持っている団扇(ウチワ)で風を起こす不思議な霊力の象徴。
右)「鯱形兜鉢」
名古屋城の天守閣に輝いている想像上の生き物「鯱(しゃち)」は火除けのお守り。怒りの焔、煩悩の火消しなら戦場向きとは思えませんが、縁起のいいものは何でもくっ付けた、ということですね。
左)「黒漆塗執金剛杵形兜」
「やる気」の具現化「ガッツ!」天高く突き上げられた拳には、煩悩を打ち砕く「金剛杵」が握られています。現代でも、会社の入口オブジェとしておかしくない。え?就活生が来なくなる?
中央)「鉄八枚張椎形眼鏡付兜」
ゴーグル付き兜。宮崎駿監督の天空の城ラピュタでパズーが被っていたヘルメットにやたら似てます…。でも江戸時代のもの。注文したの誰?泰平の世に高じた趣味、暇とお金をもてあました人が注文したということでしょうね…。ゴーグルみたいな部分には近視用のレンズが入っていて、細部まで凝っています。両サイドの羽は天狗が持っている団扇(ウチワ)で風を起こす不思議な霊力の象徴。
右)「鯱形兜鉢」
名古屋城の天守閣に輝いている想像上の生き物「鯱(しゃち)」は火除けのお守り。怒りの焔、煩悩の火消しなら戦場向きとは思えませんが、縁起のいいものは何でもくっ付けた、ということですね。

左)「黒漆塗執金剛杵形兜」
「やる気」の具現化「ガッツ!」天高く突き上げられた拳には、煩悩を打ち砕く「金剛杵」が握られています。現代でも、会社の入口オブジェとしておかしくない。え?就活生が来なくなる?
中央)「鉄八枚張椎形眼鏡付兜」
ゴーグル付き兜。宮崎駿監督の天空の城ラピュタでパズーが被っていたヘルメットにやたら似てます…。でも江戸時代のもの。注文したの誰?泰平の世に高じた趣味、暇とお金をもてあました人が注文したということでしょうね…。ゴーグルみたいな部分には近視用のレンズが入っていて、細部まで凝っています。両サイドの羽は天狗が持っている団扇(ウチワ)で風を起こす不思議な霊力の象徴。
右)「鯱形兜鉢」
名古屋城の天守閣に輝いている想像上の生き物「鯱(しゃち)」は火除けのお守り。怒りの焔、煩悩の火消しなら戦場向きとは思えませんが、縁起のいいものは何でもくっ付けた、ということですね。

【富士山系】 加藤嘉明「銀箔押富士山形張懸兜」

豊臣秀吉の配下で「賤ヶ岳の7本槍」の一人といわれた加藤嘉明のもの。信仰の山・富士山を象ったようですが、イカに見える…。イカしたイカ?イカれたイカ?イカスミのような漆黒の輝き…、勝てる気はしないな…。ロボットアニメに登場しそう…。
豊臣秀吉の配下で「賤ヶ岳の7本槍」の一人といわれた加藤嘉明のもの。信仰の山・富士山を象ったようですが、イカに見える…。イカしたイカ?イカれたイカ?イカスミのような漆黒の輝き…、勝てる気はしないな…。ロボットアニメに登場しそう…。

豊臣秀吉の配下で「賤ヶ岳の7本槍」の一人といわれた加藤嘉明のもの。信仰の山・富士山を象ったようですが、イカに見える…。イカしたイカ?イカれたイカ?イカスミのような漆黒の輝き…、勝てる気はしないな…。ロボットアニメに登場しそう…。

【戦場の阿修羅】 上杉謙信「三宝荒神形張懸兜」

「鬼面」ではなく、仏法・法宝・僧宝の三宝を守り三方に睨みをきかす「三宝荒神」という仏教の神様で、阿修羅像のように憤怒の形相の三面が赤(朱)、黒(黒紫)、青(青緑)の3色に塗り分けられ、兜から取り外し可能。牙を剥き出した口から覗く舌も動くようです。ただのキワモノではなく、信心深い謙信公らしい兜ですね。
「鬼面」ではなく、仏法・法宝・僧宝の三宝を守り三方に睨みをきかす「三宝荒神」という仏教の神様で、阿修羅像のように憤怒の形相の三面が赤(朱)、黒(黒紫)、青(青緑)の3色に塗り分けられ、兜から取り外し可能。牙を剥き出した口から覗く舌も動くようです。ただのキワモノではなく、信心深い謙信公らしい兜ですね。

「鬼面」ではなく、仏法・法宝・僧宝の三宝を守り三方に睨みをきかす「三宝荒神」という仏教の神様で、阿修羅像のように憤怒の形相の三面が赤(朱)、黒(黒紫)、青(青緑)の3色に塗り分けられ、兜から取り外し可能。牙を剥き出した口から覗く舌も動くようです。ただのキワモノではなく、信心深い謙信公らしい兜ですね。

【秀吉は派手好み】   豊臣秀吉「馬藺後立兜」

兜の後ろの29本の線は「馬藺(ばりん)」。武家で縁起物とされた菖蒲の仲間「ネジアヤメ」を象っています。秀吉らしい奇抜さで、後光というよりも昇る朝日の赴きですね。コケコッコ―。
兜の後ろの29本の線は「馬藺(ばりん)」。武家で縁起物とされた菖蒲の仲間「ネジアヤメ」を象っています。秀吉らしい奇抜さで、後光というよりも昇る朝日の赴きですね。コケコッコ―。

兜の後ろの29本の線は「馬藺(ばりん)」。武家で縁起物とされた菖蒲の仲間「ネジアヤメ」を象っています。秀吉らしい奇抜さで、後光というよりも昇る朝日の赴きですね。コケコッコ―。

【植物系】  「菖蒲脇立付烏帽子形兜」

戦国時代の美しい兜。シャキッ!子供の日に欠かせない菖蒲の葉っぱを模したもの。菖蒲は「尚武(武を尊ぶ)」「勝負」に通じる縁起物で武家に人気のモチーフです。
戦国時代の美しい兜。シャキッ!子供の日に欠かせない菖蒲の葉っぱを模したもの。菖蒲は「尚武(武を尊ぶ)」「勝負」に通じる縁起物で武家に人気のモチーフです。

戦国時代の美しい兜。シャキッ!子供の日に欠かせない菖蒲の葉っぱを模したもの。菖蒲は「尚武(武を尊ぶ)」「勝負」に通じる縁起物で武家に人気のモチーフです。

番外編【黄金のサザエ】「金魚鱗小札二枚胴具足」「栄螺形兜」

どうしてサザエ?じつはサザエ兜「頑丈な貝殻を持つ栄螺の鉄壁の防御力にあやかりたい」と武将に人気があったそう…。この兜とセットの具足も魚鱗になっています。
どうしてサザエ?じつはサザエ兜「頑丈な貝殻を持つ栄螺の鉄壁の防御力にあやかりたい」と武将に人気があったそう…。この兜とセットの具足も魚鱗になっています。

どうしてサザエ?じつはサザエ兜「頑丈な貝殻を持つ栄螺の鉄壁の防御力にあやかりたい」と武将に人気があったそう…。この兜とセットの具足も魚鱗になっています。

番外編【黄金の軍配】「銀伊予札白糸威胴丸具足」

またも秀吉、金色の軍配2本を盛ってしまう。この発想は類をみない…言葉を失う。さすがだ…。この前衛的な兜と鎧、恐ろしいことに豊臣秀吉から伊達政宗に下賜…。もらった政宗公のリアクションを考えたくない…。密かにパワハラしたかったわけ? …でも、このようなキワモノ甲冑、託せる武将は政宗以外にいないか…。秀吉って、天下取るだけあって、鋭いのね…。
またも秀吉、金色の軍配2本を盛ってしまう。この発想は類をみない…言葉を失う。さすがだ…。この前衛的な兜と鎧、恐ろしいことに豊臣秀吉から伊達政宗に下賜…。もらった政宗公のリアクションを考えたくない…。密かにパワハラしたかったわけ? …でも、このようなキワモノ甲冑、託せる武将は政宗以外にいないか…。秀吉って、天下取るだけあって、鋭いのね…。

またも秀吉、金色の軍配2本を盛ってしまう。この発想は類をみない…言葉を失う。さすがだ…。この前衛的な兜と鎧、恐ろしいことに豊臣秀吉から伊達政宗に下賜…。もらった政宗公のリアクションを考えたくない…。密かにパワハラしたかったわけ? …でも、このようなキワモノ甲冑、託せる武将は政宗以外にいないか…。秀吉って、天下取るだけあって、鋭いのね…。

【愚直なまでの重厚感】             徳川家康「水牛角黒漆塗兜」

戦国乱世に終止符を打ち江戸幕府を開いた天下人・保守的なイメージの徳川家康公も当時流行りの変わり兜を持っていました。そのひとつがこちら。
目を引く巨大なツノ!桐で水牛の角を模し、兜の鉢に熊の毛が植えられ、さらに鎧も毛むくじゃら。熊が持つ圧倒的パワーにあやかろうと思ったんでしょうか。顔面を守る「面頬(めんぼう)」は朱赤で血染めのようです。
この兜に因んで家康は「関東の猛牛」といわれたそうな…。強いけど牛の如くって、褒め言葉?…皮肉めいていて、なんとなく言いたいことはわかるけどね…。
戦国乱世に終止符を打ち江戸幕府を開いた天下人・保守的なイメージの徳川家康公も当時流行りの変わり兜を持っていました。そのひとつがこちら。
目を引く巨大なツノ!桐で水牛の角を模し、兜の鉢に熊の毛が植えられ、さらに鎧も毛むくじゃら。熊が持つ圧倒的パワーにあやかろうと思ったんでしょうか。顔面を守る「面頬(めんぼう)」は朱赤で血染めのようです。
この兜に因んで家康は「関東の猛牛」といわれたそうな…。強いけど牛の如くって、褒め言葉?…皮肉めいていて、なんとなく言いたいことはわかるけどね…。

戦国乱世に終止符を打ち江戸幕府を開いた天下人・保守的なイメージの徳川家康公も当時流行りの変わり兜を持っていました。そのひとつがこちら。
目を引く巨大なツノ!桐で水牛の角を模し、兜の鉢に熊の毛が植えられ、さらに鎧も毛むくじゃら。熊が持つ圧倒的パワーにあやかろうと思ったんでしょうか。顔面を守る「面頬(めんぼう)」は朱赤で血染めのようです。
この兜に因んで家康は「関東の猛牛」といわれたそうな…。強いけど牛の如くって、褒め言葉?…皮肉めいていて、なんとなく言いたいことはわかるけどね…。

【クール さすがの圧倒美】 伊達政宗「黒漆塗六十二間筋兜」

漆黒の鎧に細長い月黄金に光る、この印象的な兜は、独眼竜政宗の代名詞。戦国武将の中でダントツの美意識、粋な洒落者、薫るダンディズム…。政宗は漆黒の鎧を愛用、部下も漆黒の鎧で統一された「黒の軍団」、格好いいですね。
「スター・ウォーズ」を製作する際、スタッフが政宗の鎧兜を調べて、ダース・ベイダーのモデルにしたという逸話があるのも、妙に納得…。
伊達家の兜は代々月を前立にしているそうですが、政宗の父上(輝宗)と政宗は細い三日月、それ以降は半月の前立です。(背後は日輪をデザインした伊達家の旗)
若い頃から苦労の連続だった伊達政宗は、泰平の世となった江戸の三代将軍・家光の時代まで生きていました。様々な教えを身につけ、成熟した「戦国時代を生き抜いた最後の猛将」として、満ち足りた晩年を、穏やかに謳歌したようです。
漆黒の鎧に細長い月黄金に光る、この印象的な兜は、独眼竜政宗の代名詞。戦国武将の中でダントツの美意識、粋な洒落者、薫るダンディズム…。政宗は漆黒の鎧を愛用、部下も漆黒の鎧で統一された「黒の軍団」、格好いいですね。
「スター・ウォーズ」を製作する際、スタッフが政宗の鎧兜を調べて、ダース・ベイダーのモデルにしたという逸話があるのも、妙に納得…。
伊達家の兜は代々月を前立にしているそうですが、政宗の父上(輝宗)と政宗は細い三日月、それ以降は半月の前立です。(背後は日輪をデザインした伊達家の旗)
若い頃から苦労の連続だった伊達政宗は、泰平の世となった江戸の三代将軍・家光の時代まで生きていました。様々な教えを身につけ、成熟した「戦国時代を生き抜いた最後の猛将」として、満ち足りた晩年を、穏やかに謳歌したようです。

漆黒の鎧に細長い月黄金に光る、この印象的な兜は、独眼竜政宗の代名詞。戦国武将の中でダントツの美意識、粋な洒落者、薫るダンディズム…。政宗は漆黒の鎧を愛用、部下も漆黒の鎧で統一された「黒の軍団」、格好いいですね。
「スター・ウォーズ」を製作する際、スタッフが政宗の鎧兜を調べて、ダース・ベイダーのモデルにしたという逸話があるのも、妙に納得…。
伊達家の兜は代々月を前立にしているそうですが、政宗の父上(輝宗)と政宗は細い三日月、それ以降は半月の前立です。(背後は日輪をデザインした伊達家の旗)
若い頃から苦労の連続だった伊達政宗は、泰平の世となった江戸の三代将軍・家光の時代まで生きていました。様々な教えを身につけ、成熟した「戦国時代を生き抜いた最後の猛将」として、満ち足りた晩年を、穏やかに謳歌したようです。

【赤い彗星】 井伊直政「金箔押張懸天衝脇立付兜」

伊達が真黒なら、真赤の井伊!と、非現実なほどに真っ赤でキンキラキンの完成形。徳川四天王の一人で家康の腹心中の腹心「井伊の赤鬼」井伊直政の赤尽くし甲冑。直政が率いる井伊家軍団は部下たちも真っ赤に統一。「井伊の赤備え」と呼ばれ、徳川家臣最強軍団としてその名を轟かせました。(現代のサポーター軍団の原型はここにあるのか…)乱戦の中、赤で目立つから敵軍との見分けには役立つ…。
このクワガタみたいなデザインは井伊家当主の兜として代々受け継がれていきます。
伊達が真黒なら、真赤の井伊!と、非現実なほどに真っ赤でキンキラキンの完成形。徳川四天王の一人で家康の腹心中の腹心「井伊の赤鬼」井伊直政の赤尽くし甲冑。直政が率いる井伊家軍団は部下たちも真っ赤に統一。「井伊の赤備え」と呼ばれ、徳川家臣最強軍団としてその名を轟かせました。(現代のサポーター軍団の原型はここにあるのか…)乱戦の中、赤で目立つから敵軍との見分けには役立つ…。
このクワガタみたいなデザインは井伊家当主の兜として代々受け継がれていきます。

伊達が真黒なら、真赤の井伊!と、非現実なほどに真っ赤でキンキラキンの完成形。徳川四天王の一人で家康の腹心中の腹心「井伊の赤鬼」井伊直政の赤尽くし甲冑。直政が率いる井伊家軍団は部下たちも真っ赤に統一。「井伊の赤備え」と呼ばれ、徳川家臣最強軍団としてその名を轟かせました。(現代のサポーター軍団の原型はここにあるのか…)乱戦の中、赤で目立つから敵軍との見分けには役立つ…。
このクワガタみたいなデザインは井伊家当主の兜として代々受け継がれていきます。

【美しき兜】黒田長政「黒漆塗桃形大水牛脇立兜 前立有」「黒漆塗桃形大水牛脇立兜 前立無」黒田家に伝わる福島正則の「銀箔押一の谷形兜」と「黒田長政騎馬像」

強烈なインパクトを放つ水牛の角が印象的な「ボスキャラ」兜の持ち主は黒田長政、名軍師・黒田官兵衛の息子でもある。大水牛兜は数々の戦場で武功をあげた長政のトレードマークで、3種類現存。前立てに日輪の付いた華やかな物からシンプルな構成のいぶし銀のような物まで、気分によって替えていたんでしょうね。

長政は、特に朝鮮出兵の際の奮戦ぶりが有名。この朝鮮出兵の頃、黒田長政は福島正則(秀吉配下の武断派筆頭の猛将)と些細なことから喧嘩になり、周囲もハラハラ。でも、朝鮮出兵終了後、両者は和解。友情の証としてお互い愛用の兜を交換。長政は大水牛兜を、正則は一の谷兜を。1600年「関ヶ原の戦い」で、長政も正則も徳川家康の東軍に参加。この時2人が被っていたのが、かつて交換した兜でした。
強烈なインパクトを放つ水牛の角が印象的な「ボスキャラ」兜の持ち主は黒田長政、名軍師・黒田官兵衛の息子でもある。大水牛兜は数々の戦場で武功をあげた長政のトレードマークで、3種類現存。前立てに日輪の付いた華やかな物からシンプルな構成のいぶし銀のような物まで、気分によって替えていたんでしょうね。

長政は、特に朝鮮出兵の際の奮戦ぶりが有名。この朝鮮出兵の頃、黒田長政は福島正則(秀吉配下の武断派筆頭の猛将)と些細なことから喧嘩になり、周囲もハラハラ。でも、朝鮮出兵終了後、両者は和解。友情の証としてお互い愛用の兜を交換。長政は大水牛兜を、正則は一の谷兜を。1600年「関ヶ原の戦い」で、長政も正則も徳川家康の東軍に参加。この時2人が被っていたのが、かつて交換した兜でした。

強烈なインパクトを放つ水牛の角が印象的な「ボスキャラ」兜の持ち主は黒田長政、名軍師・黒田官兵衛の息子でもある。大水牛兜は数々の戦場で武功をあげた長政のトレードマークで、3種類現存。前立てに日輪の付いた華やかな物からシンプルな構成のいぶし銀のような物まで、気分によって替えていたんでしょうね。

長政は、特に朝鮮出兵の際の奮戦ぶりが有名。この朝鮮出兵の頃、黒田長政は福島正則(秀吉配下の武断派筆頭の猛将)と些細なことから喧嘩になり、周囲もハラハラ。でも、朝鮮出兵終了後、両者は和解。友情の証としてお互い愛用の兜を交換。長政は大水牛兜を、正則は一の谷兜を。1600年「関ヶ原の戦い」で、長政も正則も徳川家康の東軍に参加。この時2人が被っていたのが、かつて交換した兜でした。

【引き寄せ系  磁力に頼る?】

一)真田昌幸「鉄地黒漆塗突盔形兜」:兜の前立は虫の触覚のようでもあり、巨大な磁石のようでもある。触覚で危険を感知し、磁力で勝運引き寄せたのかな…。着用していたのは真田幸村の父、信州が生んだ知将・真田昌幸。徳川にとって昌幸は天敵ともいえる存在でした。
二)上杉謙信「鉄三枚張峯界形張懸兜」:パラボラアンテナのような兜。何かを受信しそう。敵の足音か、神のお告げか…。連なる山々をデザインしたというけど、山には見えない…。斧に近い…。
一)真田昌幸「鉄地黒漆塗突盔形兜」:兜の前立は虫の触覚のようでもあり、巨大な磁石のようでもある。触覚で危険を感知し、磁力で勝運引き寄せたのかな…。着用していたのは真田幸村の父、信州が生んだ知将・真田昌幸。徳川にとって昌幸は天敵ともいえる存在でした。
二)上杉謙信「鉄三枚張峯界形張懸兜」:パラボラアンテナのような兜。何かを受信しそう。敵の足音か、神のお告げか…。連なる山々をデザインしたというけど、山には見えない…。斧に近い…。

一)真田昌幸「鉄地黒漆塗突盔形兜」:兜の前立は虫の触覚のようでもあり、巨大な磁石のようでもある。触覚で危険を感知し、磁力で勝運引き寄せたのかな…。着用していたのは真田幸村の父、信州が生んだ知将・真田昌幸。徳川にとって昌幸は天敵ともいえる存在でした。
二)上杉謙信「鉄三枚張峯界形張懸兜」:パラボラアンテナのような兜。何かを受信しそう。敵の足音か、神のお告げか…。連なる山々をデザインしたというけど、山には見えない…。斧に近い…。

【引き寄せ系 的(まと)になっちゃわない?】

一)水野勝成「永楽銭紋入黒熊毛入二枚胴具足」:鎧の永楽銭が遠くからも目立って、射って~♡といわんばかり。矢が飛んできそうですね。兜も全体を熊の毛が覆い、鹿の角まで生えています。関が原でも活躍、鬼日向という名を朝廷から賜った福山藩初代藩主、戦国時代を生き抜いた水野勝成が「島原の乱」でも、これを着用。時に75歳。大阪夏の陣から23年ぶりの戦いで、九州以外の大名として唯一参戦。関ケ原以降に生まれ実務経験のない武将の多い中、織田・豊臣・徳川と共に戦った戦歴を買われ幕府からの特命が下りました。島原の一揆軍もこんな昔の個性的な甲冑、初めて見たのでは?「お爺ちゃん…アツい…」
二)加藤清正「白檀塗蛇目紋蒔絵仏胴具足」:加藤家の家紋である蛇の目があちこちにデザインされていて、兜も加藤家特有の烏帽子スタイル。代々伝わる大切な家紋とはいえ、矢を引き寄せるリスクあり…。鍛錬を重ねた弓の名人にとっては、格好の標的。射ってみたい衝動にかられます…。  
一)水野勝成「永楽銭紋入黒熊毛入二枚胴具足」:鎧の永楽銭が遠くからも目立って、射って~♡といわんばかり。矢が飛んできそうですね。兜も全体を熊の毛が覆い、鹿の角まで生えています。関が原でも活躍、鬼日向という名を朝廷から賜った福山藩初代藩主、戦国時代を生き抜いた水野勝成が「島原の乱」でも、これを着用。時に75歳。大阪夏の陣から23年ぶりの戦いで、九州以外の大名として唯一参戦。関ケ原以降に生まれ実務経験のない武将の多い中、織田・豊臣・徳川と共に戦った戦歴を買われ幕府からの特命が下りました。島原の一揆軍もこんな昔の個性的な甲冑、初めて見たのでは?「お爺ちゃん…アツい…」
二)加藤清正「白檀塗蛇目紋蒔絵仏胴具足」:加藤家の家紋である蛇の目があちこちにデザインされていて、兜も加藤家特有の烏帽子スタイル。代々伝わる大切な家紋とはいえ、矢を引き寄せるリスクあり…。鍛錬を重ねた弓の名人にとっては、格好の標的。射ってみたい衝動にかられます…。  

一)水野勝成「永楽銭紋入黒熊毛入二枚胴具足」:鎧の永楽銭が遠くからも目立って、射って~♡といわんばかり。矢が飛んできそうですね。兜も全体を熊の毛が覆い、鹿の角まで生えています。関が原でも活躍、鬼日向という名を朝廷から賜った福山藩初代藩主、戦国時代を生き抜いた水野勝成が「島原の乱」でも、これを着用。時に75歳。大阪夏の陣から23年ぶりの戦いで、九州以外の大名として唯一参戦。関ケ原以降に生まれ実務経験のない武将の多い中、織田・豊臣・徳川と共に戦った戦歴を買われ幕府からの特命が下りました。島原の一揆軍もこんな昔の個性的な甲冑、初めて見たのでは?「お爺ちゃん…アツい…」
二)加藤清正「白檀塗蛇目紋蒔絵仏胴具足」:加藤家の家紋である蛇の目があちこちにデザインされていて、兜も加藤家特有の烏帽子スタイル。代々伝わる大切な家紋とはいえ、矢を引き寄せるリスクあり…。鍛錬を重ねた弓の名人にとっては、格好の標的。射ってみたい衝動にかられます…。  

【瑞雲系】 結城秀康「飛雲脇立付唐冠形兜」

両脇からスラリと伸びる角(ツノ)が模したのは飛雲。雲中菩薩が見守りそうです。兜本体は昔の中国の偉い人が被っていた「唐冠」を象っています。
この兜がひときわ目をひくのは優美な曲線にあり、直線で鋭角的な兜の戦場に叩きつけた曲線美、生命世界の挑戦状のようなものすら感じる…。
この垢抜けた兜の持ち主は波乱の人生を送った徳川家康の次男・結城秀康。家康の次男なのに3歳まで父の家康と会ったこともなく、豊臣秀吉に養子(人質)に出され、後継者には選ばれず、時代の運命に翻弄された感があります。でも、武勇に優れ豪胆な性格で、養父・秀吉からは実の息子のように愛されたといわれます。この兜から見ると、教養の高い繊細な面も持ち合わせた人物のように思います。
両脇からスラリと伸びる角(ツノ)が模したのは飛雲。雲中菩薩が見守りそうです。兜本体は昔の中国の偉い人が被っていた「唐冠」を象っています。
この兜がひときわ目をひくのは優美な曲線にあり、直線で鋭角的な兜の戦場に叩きつけた曲線美、生命世界の挑戦状のようなものすら感じる…。
この垢抜けた兜の持ち主は波乱の人生を送った徳川家康の次男・結城秀康。家康の次男なのに3歳まで父の家康と会ったこともなく、豊臣秀吉に養子(人質)に出され、後継者には選ばれず、時代の運命に翻弄された感があります。でも、武勇に優れ豪胆な性格で、養父・秀吉からは実の息子のように愛されたといわれます。この兜から見ると、教養の高い繊細な面も持ち合わせた人物のように思います。

両脇からスラリと伸びる角(ツノ)が模したのは飛雲。雲中菩薩が見守りそうです。兜本体は昔の中国の偉い人が被っていた「唐冠」を象っています。
この兜がひときわ目をひくのは優美な曲線にあり、直線で鋭角的な兜の戦場に叩きつけた曲線美、生命世界の挑戦状のようなものすら感じる…。
この垢抜けた兜の持ち主は波乱の人生を送った徳川家康の次男・結城秀康。家康の次男なのに3歳まで父の家康と会ったこともなく、豊臣秀吉に養子(人質)に出され、後継者には選ばれず、時代の運命に翻弄された感があります。でも、武勇に優れ豪胆な性格で、養父・秀吉からは実の息子のように愛されたといわれます。この兜から見ると、教養の高い繊細な面も持ち合わせた人物のように思います。

【鋭利系 刺さりそう】

左)徳川家康「黒漆塗一の谷形大釘後立兜」:兜の頭頂部にある壁は「一の谷」と呼ばれる飾りで、源義経率いる騎馬隊が駆け下りた断崖絶壁のデザイン化、奇襲の成功にあやかろうと武将の間で「一の谷」兜はかなり流行。後立(兜の後につける飾り)の「大釘」は硬いものでも貫く意匠で、志を貫徹できるという戦場での縁起物。(一の谷は革製、大釘は木製)
右)藤堂高虎「黒漆塗唐冠形兜」:何でこんなに尖がってるの?隣にいたくない。プロペラのように回転したら、張りぼてでも武器になる…。背の高さによっては、顔面に直撃するな。この兜は豊臣秀吉からの拝領品。持ち主は何度も主君を変えたことで有名な戦国武将の藤堂高虎。高虎は身長190センチを超える大男だったから周りに害が及ばないと思って、これあげたの?
左)徳川家康「黒漆塗一の谷形大釘後立兜」:兜の頭頂部にある壁は「一の谷」と呼ばれる飾りで、源義経率いる騎馬隊が駆け下りた断崖絶壁のデザイン化、奇襲の成功にあやかろうと武将の間で「一の谷」兜はかなり流行。後立(兜の後につける飾り)の「大釘」は硬いものでも貫く意匠で、志を貫徹できるという戦場での縁起物。(一の谷は革製、大釘は木製)
右)藤堂高虎「黒漆塗唐冠形兜」:何でこんなに尖がってるの?隣にいたくない。プロペラのように回転したら、張りぼてでも武器になる…。背の高さによっては、顔面に直撃するな。この兜は豊臣秀吉からの拝領品。持ち主は何度も主君を変えたことで有名な戦国武将の藤堂高虎。高虎は身長190センチを超える大男だったから周りに害が及ばないと思って、これあげたの?

左)徳川家康「黒漆塗一の谷形大釘後立兜」:兜の頭頂部にある壁は「一の谷」と呼ばれる飾りで、源義経率いる騎馬隊が駆け下りた断崖絶壁のデザイン化、奇襲の成功にあやかろうと武将の間で「一の谷」兜はかなり流行。後立(兜の後につける飾り)の「大釘」は硬いものでも貫く意匠で、志を貫徹できるという戦場での縁起物。(一の谷は革製、大釘は木製)
右)藤堂高虎「黒漆塗唐冠形兜」:何でこんなに尖がってるの?隣にいたくない。プロペラのように回転したら、張りぼてでも武器になる…。背の高さによっては、顔面に直撃するな。この兜は豊臣秀吉からの拝領品。持ち主は何度も主君を変えたことで有名な戦国武将の藤堂高虎。高虎は身長190センチを超える大男だったから周りに害が及ばないと思って、これあげたの?

【うさ耳 戦場の人気もの】

兎のぴょんぴょんという俊敏さにあやかりたいという武将の願いに加え、帝釈天が化けた老人をもてなすのに、兎が身を焼いて己を供し、その誠実さが称えられ月に棲むことになった(今昔物語)お話から、吉祥の動物と好まれるようになったようです。
でも、本音は、お仕事終わったら、うさちゃんのいるキャバクラにくりだそうね~♡と、今も昔も言ってた……わけないか…。
兎のぴょんぴょんという俊敏さにあやかりたいという武将の願いに加え、帝釈天が化けた老人をもてなすのに、兎が身を焼いて己を供し、その誠実さが称えられ月に棲むことになった(今昔物語)お話から、吉祥の動物と好まれるようになったようです。
でも、本音は、お仕事終わったら、うさちゃんのいるキャバクラにくりだそうね~♡と、今も昔も言ってた……わけないか…。

兎のぴょんぴょんという俊敏さにあやかりたいという武将の願いに加え、帝釈天が化けた老人をもてなすのに、兎が身を焼いて己を供し、その誠実さが称えられ月に棲むことになった(今昔物語)お話から、吉祥の動物と好まれるようになったようです。
でも、本音は、お仕事終わったら、うさちゃんのいるキャバクラにくりだそうね~♡と、今も昔も言ってた……わけないか…。

一)「兎耳形(とじなり)兜」:耳だけじゃ嫌…。丸ごと兎のドヤ感。耳や眉や顎にも毛が生えていて、後ろ足も尾もついていているフル装備。
二)「兎耳脇立小星兜」:ピーン、緊張系うさ耳。
三)「兎耳形兜」(江戸):小さめうさ耳。ウサギといえば月。やはり美しい月が輝いています。
四)脇坂安元「黒漆塗唐冠形兜」:ピッ!兜の脇からにょっきり生えたうさ耳。鎧の足元にも黄金の兎さんがいる。
五)上杉謙信「銀箔押張懸兎耳形兜」:軍神・上杉謙信公のウサ耳はゴツい…。実践に特化した越中頭形兜の上に、無愛想なウサ耳が乗ってます。
一)「兎耳形(とじなり)兜」:耳だけじゃ嫌…。丸ごと兎のドヤ感。耳や眉や顎にも毛が生えていて、後ろ足も尾もついていているフル装備。
二)「兎耳脇立小星兜」:ピーン、緊張系うさ耳。
三)「兎耳形兜」(江戸):小さめうさ耳。ウサギといえば月。やはり美しい月が輝いています。
四)脇坂安元「黒漆塗唐冠形兜」:ピッ!兜の脇からにょっきり生えたうさ耳。鎧の足元にも黄金の兎さんがいる。
五)上杉謙信「銀箔押張懸兎耳形兜」:軍神・上杉謙信公のウサ耳はゴツい…。実践に特化した越中頭形兜の上に、無愛想なウサ耳が乗ってます。

一)「兎耳形(とじなり)兜」:耳だけじゃ嫌…。丸ごと兎のドヤ感。耳や眉や顎にも毛が生えていて、後ろ足も尾もついていているフル装備。
二)「兎耳脇立小星兜」:ピーン、緊張系うさ耳。
三)「兎耳形兜」(江戸):小さめうさ耳。ウサギといえば月。やはり美しい月が輝いています。
四)脇坂安元「黒漆塗唐冠形兜」:ピッ!兜の脇からにょっきり生えたうさ耳。鎧の足元にも黄金の兎さんがいる。
五)上杉謙信「銀箔押張懸兎耳形兜」:軍神・上杉謙信公のウサ耳はゴツい…。実践に特化した越中頭形兜の上に、無愛想なウサ耳が乗ってます。

【いきものがたり 兜】 

左)「名称不明」:戦場の猫?徳川家康が家臣の松平信一に拝領したこの兜、ネコ耳ではなくミミズクを模したもの。
右)「割蛤張懸兜」:安土桃山時代、戦場に派遣されたミッキー?ではなく、貝みみ。ハマグリの貝殻をここにつけるとは…。


もう、ここまで個性的な甲冑を見てくると、戦場のイメージが変わります。(江戸と表記している以外の兜は、実践に使用された兜です)
そこで、伝統的甲冑を…。
左)「名称不明」:戦場の猫?徳川家康が家臣の松平信一に拝領したこの兜、ネコ耳ではなくミミズクを模したもの。
右)「割蛤張懸兜」:安土桃山時代、戦場に派遣されたミッキー?ではなく、貝みみ。ハマグリの貝殻をここにつけるとは…。


もう、ここまで個性的な甲冑を見てくると、戦場のイメージが変わります。(江戸と表記している以外の兜は、実践に使用された兜です)
そこで、伝統的甲冑を…。

左)「名称不明」:戦場の猫?徳川家康が家臣の松平信一に拝領したこの兜、ネコ耳ではなくミミズクを模したもの。
右)「割蛤張懸兜」:安土桃山時代、戦場に派遣されたミッキー?ではなく、貝みみ。ハマグリの貝殻をここにつけるとは…。


もう、ここまで個性的な甲冑を見てくると、戦場のイメージが変わります。(江戸と表記している以外の兜は、実践に使用された兜です)
そこで、伝統的甲冑を…。

【美しく散った猛将の伝統的甲冑】 後藤又兵衛 「熊毛総髪形兜」

鎧の胴部分には太陽に月、龍のモチーフが描かれ、兜も熊の毛がびっしり植えられてます。猛々しいだけでなく、それに纏わる人間の悲哀、戦わざるを得ない悲壮感がにじんでいるところからみると、じつに伝統的な甲冑といえましょう。実際、この鎧兜は大坂冬の陣・夏の陣で知られる猛将・後藤又兵衛(基次)のもの。敵将の徳川家康からも一目置かれた又兵衛でしたが、奮闘むなしく戦いの中で命を落としました。
鎧の胴部分には太陽に月、龍のモチーフが描かれ、兜も熊の毛がびっしり植えられてます。猛々しいだけでなく、それに纏わる人間の悲哀、戦わざるを得ない悲壮感がにじんでいるところからみると、じつに伝統的な甲冑といえましょう。実際、この鎧兜は大坂冬の陣・夏の陣で知られる猛将・後藤又兵衛(基次)のもの。敵将の徳川家康からも一目置かれた又兵衛でしたが、奮闘むなしく戦いの中で命を落としました。

鎧の胴部分には太陽に月、龍のモチーフが描かれ、兜も熊の毛がびっしり植えられてます。猛々しいだけでなく、それに纏わる人間の悲哀、戦わざるを得ない悲壮感がにじんでいるところからみると、じつに伝統的な甲冑といえましょう。実際、この鎧兜は大坂冬の陣・夏の陣で知られる猛将・後藤又兵衛(基次)のもの。敵将の徳川家康からも一目置かれた又兵衛でしたが、奮闘むなしく戦いの中で命を落としました。

【ひこにゃん】

なんか、兜ばかり見ていると疲れるので、ここらで休憩…。柏餅でもどうぞ。
井伊直政は赤い軍団でしたが彦根城のゆるキャラ「ひこにゃん」も一応赤い兜です。

なんか、兜ばかり見ていると疲れるので、ここらで休憩…。柏餅でもどうぞ。
井伊直政は赤い軍団でしたが彦根城のゆるキャラ「ひこにゃん」も一応赤い兜です。

なんか、兜ばかり見ていると疲れるので、ここらで休憩…。柏餅でもどうぞ。
井伊直政は赤い軍団でしたが彦根城のゆるキャラ「ひこにゃん」も一応赤い兜です。

【華麗に戦う】「黒漆塗三十二間筋兜 鉄線前立 三日月前立付」(江戸時代)

戦場の防具、兜は当然、厳ついデザインです。その中で異彩を放つプリティな兜…。正面には三日月が輝き、目庇には北斗七星が光る。月を囲むように伸びた茎から可憐な花が咲いています。
こちらは江戸時代のものなので、実践用ではなく飾る兜だったようですが、このデザインの意図は何だったのでしょう…。イギリスを拠点とする匿名ストリートアーティスト、政治活動家、そして映画監督、バンクシーの風刺アートに通じていたら面白いですね…。手榴弾ではなく花束を!
戦場の防具、兜は当然、厳ついデザインです。その中で異彩を放つプリティな兜…。正面には三日月が輝き、目庇には北斗七星が光る。月を囲むように伸びた茎から可憐な花が咲いています。
こちらは江戸時代のものなので、実践用ではなく飾る兜だったようですが、このデザインの意図は何だったのでしょう…。イギリスを拠点とする匿名ストリートアーティスト、政治活動家、そして映画監督、バンクシーの風刺アートに通じていたら面白いですね…。手榴弾ではなく花束を!

戦場の防具、兜は当然、厳ついデザインです。その中で異彩を放つプリティな兜…。正面には三日月が輝き、目庇には北斗七星が光る。月を囲むように伸びた茎から可憐な花が咲いています。
こちらは江戸時代のものなので、実践用ではなく飾る兜だったようですが、このデザインの意図は何だったのでしょう…。イギリスを拠点とする匿名ストリートアーティスト、政治活動家、そして映画監督、バンクシーの風刺アートに通じていたら面白いですね…。手榴弾ではなく花束を!

【折り紙の兜】

お子さんやお孫さんの初節句のお祝いに立派なお人形も素晴らしいですが、なりたての父親の初仕事として、お父様自ら、息子さんに兜を折ってさしあげては如何ですか?でき上がった大きな兜をお子さんが被って、皆で記念写真。素朴でよい思い出になります。
お子さんやお孫さんの初節句のお祝いに立派なお人形も素晴らしいですが、なりたての父親の初仕事として、お父様自ら、息子さんに兜を折ってさしあげては如何ですか?でき上がった大きな兜をお子さんが被って、皆で記念写真。素朴でよい思い出になります。

お子さんやお孫さんの初節句のお祝いに立派なお人形も素晴らしいですが、なりたての父親の初仕事として、お父様自ら、息子さんに兜を折ってさしあげては如何ですか?でき上がった大きな兜をお子さんが被って、皆で記念写真。素朴でよい思い出になります。

兜の折り方はいろいろバリエーションがあります。おや? 加藤嘉明公の「銀箔押富士山形張懸兜」もあるし、お父さんがハマリそうな本気度MAXの物までありますね。どれも折り映えがする出来上がりの美しいものばかりですから、お試しあれ。
兜の折り方はいろいろバリエーションがあります。おや? 加藤嘉明公の「銀箔押富士山形張懸兜」もあるし、お父さんがハマリそうな本気度MAXの物までありますね。どれも折り映えがする出来上がりの美しいものばかりですから、お試しあれ。

兜の折り方はいろいろバリエーションがあります。おや? 加藤嘉明公の「銀箔押富士山形張懸兜」もあるし、お父さんがハマリそうな本気度MAXの物までありますね。どれも折り映えがする出来上がりの美しいものばかりですから、お試しあれ。

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