去ってゆくtwitter

Twitterの運営が、ますますデタラメになって、英語だけでなく、他言語にも「いったい、どうなってんだ。ツイッタに代わるSNSないの?」の「どうすりゃいんだモスラのスパッツ」騒ぎは拡がっている。

 すみません、ふざけすぎてしまいました。

「タコの褌」という言葉を、さっきおぼえたので、使いたかったが、いざとなると、勇気がでませんでした。

Twitterから突然、「凍結中のあなたのアカウントは、残念ながら再開できません」と通知が来たという友だちが、ほんとうは凍結されていないアカウントで、これから凍結されるのか? と面白がっている。

「いま調べています」emailが「ケースはクローズされました。不満がある場合は、もういちど調査を依頼してください」の直後にやってくる。

なんなんだ、これは、で、他に遊び場がある人は、そっちに遊びに行ってしまって、

いちばんケッサクな例では、ツイ廃作家をやっていたのが、ツイッタが廃屋になってしまったので、つまらなくなって、やむを得ず仕事をしていたら、売れっ子になってしまって、

ツイッタのフォロワー数よりも本の部数が出たりしている。

各人、めいめい、七転八倒の大笑いで、

あ、七転八倒は可笑しいときの表現じゃないか、うーんと、

七転び八起きでもないし、

抱腹絶倒

でも抱腹絶倒って、形態描写として七転八倒じゃんね。

まあ、いいや、大笑いで、

それでも大勢(たいせい)としては、ツイッタは、ゆっくりと「終わりに近付いて」いるんだな、というのは、観ていて判ります。

ボオッと観ているだけだと、当然ながら、判らなくても、twitter社となにかの要件があって、

衝突したり交渉まで行かなくて、ぷよぷよと人差し指で押してみるくらいでも、

Twitter管理部門に触れてみて判るのは、もうほんとに、デッタラメなカオスであることで、

オカネ払ってもいいからブルーバッジなしで編集機能と拡張文字制限使えないの?

と訊いたりすると、ホリエモン以降の日本語「想定外」であるらしくて、見るからにパニクって、

アワアワ言うだけの対応になる。

ユーザーサポートは、ほぼ全自動でシステム化される、と豪語していたイーロン・マスクが、もっかは「えっ?ぼく、そんなこと言ったっけ?」になっているのは、本人も、そんなこと無理じゃん、という自覚が出てきたからでしょう。

かと言って、サポートみたいなものに社員を金輪際雇いたくない人で、テスラで言えば、売るまではいいがサポートはめちゃめちゃ、売るまで、というか売買契約にサインされるまでは、夢を語り、先進的なコミュニティの暖かさを語り、地球環境の大切さを、キラキラお星様が入った目で心地よい、ライト・ターボな熱狂を込めて語ってくれるのに、ついこのあいだも、オークランドでテスラXを買った人が、受け取りに行ってみたら、ひっかき傷だらけで、二目と見られない姿になっていて、

いえ、その買い主の女の人のほうがひっかかれて包帯だらけではなくて、クルマのボディのほうなんだけど、「こんな状態のクルマでは受け取れません。受け取りを拒否する」と述べているのに、もうサインしちゃったんだから、持って帰ってくれないと契約違反で訴えますと言われて、

きれて、マスメディアやなんかで、大大的に報道されていた。

どうもイーロン系の会社はサポートはひどいようだ、と話しているのを聴いて、

スペースXで軌道に打ち上げられた人が、回収用のロケットは、予定していたものが故障で、あと5年間、予定はありません、とスペースXサポートに告げられるところを想像してニヤニヤしてしまったが、

Here am I sitting in my tin can

軌道を永遠に周回することに較べれば、twitterアカウントのアバターが、なんの理由もなく、どっかに行ってしまうくらい、たいしたことではないと言えなくもない。

それやこれやで、みんな嫌気がさしているtwitterが、でも、すごおくゆっくりしか、従来からのユーザがいなくなっていかないのは、英語でも日本語でも、トロルが延ばしてきた手の甲をペシッとぶったり、

ブロックしたり、ミュートしたり、だんだん気が合う者同士で話を積み重ねてきたりして、自然にカスタマイズされた、大切にしている盆栽みたいなタイムラインがあるからで、

止めると言っても、アカウントを閉じてしまったり、鍵を掛けっぱなしにしたりする人はすくなくて、ほっぽらかしにして、twitter言語空間に、たゆたわせている、という例が多いようです。

そこにおもいだしたように「この雑誌に書いたかんね」

「このライブハウスで演奏やるかんね」

「今度、本が出るからね」

のお報せが入る。

同じSNSでも、マストドンとtwitterでは長屋の向こう三軒両隣に、

「このたびはロックンロールナイトを開く運びとなりまして」と挨拶するのと、

スマホでいっせい通報するのくらい波及力が異なっていて、届いていく人間の数が異なって、

作家やパフォーマーが、なかなかtwitterを捨てられないのは、この「波及力」のせいでしょう。

やむをえないので、twitterのブルーバッジの代わりにナルトの絵文字を貼ったりしながら、ズルズルと続けている。

ジャック・ドーシーのBlueskyに期待した人は、多くて、ぼくも仄かな期待を抱いていたが、

ATプロトコルのプラットフォームとしてつくってみる以外、あんまりやる気がないようで、

一般公募でアカウント希望者を募って、百万だっけ、二百万だっけ、どっと希望者が来て、アカウントを配布しだしたのは2月だったが、5月のいまになっても、配布希望者にはアカウントが届かなくて、プログラマとかSNS社員とか、渡すといいことがありそうな人のところだけ、選択して渡している程度であるようです。

もっかはマストドンとどこが違うねん、という、コミュニティになっていて、冴えないたらありゃしなくて、仮にATプロトコルが次世代の共通プロトコルになるにして、それに基づいた、新しいSNSがツイッタの規模に追いつくのには、時間がかかりそうで、えええー、まだツイッタとの腐れ縁切れないのお、と皆が嘆いている。

ついでなので、またまた余計なことを述べると、イーロン・マスクは現在のtwitterは「発展的に解消」するつもりであるようで、「twitter社」という会社は、すでに解散になっています。

IT雀のあいだの定説?では、ATプロトコルやなんかに対抗してXプロトコルをつくって、これをSNSの標準プロトコルにすべく目論でいるそうで、このXプロトコルを使った新プラットフォーム「X」に会員からなにから移行させるつもりらしい。

Twitterを買ったのは、いろいろ言っているけれども、実は、この「X」プロジェクトを会員ゼロから始めるのはあまりに大変なので、twitterの会員団塊が欲しかったようで、なるほど、それはいろいろな不思議を合理的に説明してくれますね、と考えました。

自分のことなど、どうでもいいようなものだけど、もっかどうなっているかというと、

「次のフェーズ」に移行してしまって、なにしろ10年以上経っているだから、当たり前だが、

やってることは、以前とはまったく異なっている。

収入は、相変わらず偉い勢いで増え続けているが、不遜なことをいうと、これは以前にデザインした収入の道が、英語圏のバブル経済に乗って、急成長して、天井に届きそうなところで自動運転のパッシブな投資に切り替えてしまっただけで、いわば惰性で収入が増えているが、予想通りマーケットは崩れ始めているので、少しペースを落として、受動的な恒速巡航に入っている。

なんでオカネのことなんかから話を始めているのかというと、向こう十年くらいは、ひと続きの膨大な時間の塊が使えるからで、それで、次のフェーズに移ることにして、ほぼ、うまく移行しました。

生活スタイルからなにから変わってしまっているので、日本語でも、そういうことがチラッと見えて「あれ?」とおもうお友達もいるかも知れないが、まあ、そういう事情で、

日本語でなにをやっているか説明しても、いいことはなにもないのが判っているので不要な説明はしないが、もともと大望を持たないせいもあるが、と書こうとしたら「体毛を持たない」と変換されて、ひとりで喜んでしまったが、希望して計画したよりも、ずっとうまくいって(Touch wood!) 本人は、かなり満足しています。

日本語は相変わらず好きな言語で、あまつさえネットを通して日本語で醸成された「知」とも巡り会うことができて、別にやめる必要もないので、規模や使う時間はずっと小さくなるかも知れないが、細々と続いていくのではないか。

そのときに、「ツイッタは、いくらなんでもあかんわ」になれば、とりあえず用事があったら、

Vivaldiコミュニティの @jamesjames1910 か、

WordPress

https://james1983.com/

で会おうぜ、ということになっていて、

要するに、カフェ・ツイッタがダメになったら、ほら、三丁目の角にVivaldiって、店があんじゃん、あそこにいるから、ちゅうようなことです。

企業や業界にとってはtwitterがなくなったりするのはニュースでも、使うほうからすれば、

要するに友だちに、どこにいるか伝われば、そこに移動するだけのことで、

メガホン持って主張をがなり立てるおっちゃんでもあるまいし、

例えばツイッタからマストドンに越すと、いきなりフォロワーが百分の一以下になるのは常識だが、もともと自分が会いたいのは、その百分の一なわけで、

残りは物見遊山に来てくれた人なだけで、

縁がないんだからしょうがない、としか言いようがない。

Face Bookは、ご存知の通り、札付きで、行ってきた悪事の数々は言い逃れ出来るようなものでもないので、初めからないのと同じで、twitterに代わるプラットフォームはなかなか出来ないだろうけど、お互いに、この立っているソーシャル地面が、だんだん溶けてなくなっていっているのは知っておこうね、というだけの記事になってしまった。

Xプロトコル+プラットホームが、意外や意外、大成功を収める、という可能性もなくはないが、

イーロン・マスクはソーシャルメディアのセンスがゼロどころかマイナスです。

彼の特徴はビジネスマンとしての異常なほどの有能さと、人間性のゲーマー族然とした、お下品さだが、ソーシャルメディアビジネスでは、お下品を憎む人もおおくて、

英語人には「ちゃん文化にtwitterを蹴落とした」と憎む人もおおい。

母親ゆずりなのか、注目されて人気者になるのが好きな人なので、自分がtweetしてるうちに、ええい、会社ごと買っちゃえ、になった面もあるとおもうが、こっちの側面では、いまごろ後悔ばかりしていることでしょう。

近くか遠くか、ある日、突然、twitterから消える、という日が来るに決まってるが、

そういうわけで、お友達のひとびとは、慌てず騒がず、Vivaldiコミュニティ避難所か、

WordPressの「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.7」あらため「James F.の日本語ノート」を訪問してくれれば、相変わらず、へらへらして、テーブルの横に腰掛けている。

いったん切ってあったRSSも再結線しておきます。

ついでのついでに、どうでもいいことを付け加えると、ver5.や未公開分も含めて、過去記事を2000余り、「一挙公開」(^^;)する予定です。

そういう気持ちになるのは、自分でも、幽かに、

そろそろ日本語ともお別れかなあ、という気持ちがあるからなのではないかとおもうが、

こればっかりは、自分でも、判りません。

でわ



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