憲法第九条の終わりに

 

 

“L’Italia ripudia la guerra come strumento di offesa alla libertà degli altri popoli e come mezzo di risoluzione delle controversie internazionali; consente, in condizioni di parità con gli altri Stati, alle limitazioni di sovranità necessarie ad un ordinamento che assicuri la pace e la giustizia fra le Nazioni; promuove e favorisce le organizzazioni internazionali rivolte a tale scopo.”

イタリア語だと、なにがなんだか訳がわからないかも知れないが、いまはグーグル翻訳という便利なものがあるので、それで訳してみるとわかるのかも知れない。

憲法の条文で、読んでみると、戦争の放棄、ただし自衛権に基づく戦争と国際機関の同意によるピースキーピングだけはやってもよいことになっている。
なんで日本の憲法第9条の改正案が、おまけにイタリア語でここに、と早まってはならなくて、注意して見渡すと、これは憲法第11条であって、有名なイタリア憲法の戦争放棄条項です。

「アメリカに押しつけられた」
「いやあれは幣原喜重郎が自分の案だと書いている」
「マッカーサーの発案に決まっている」
憲法9条の話が出るたびに、「ほんとうは誰がつくったのか?」という議論が巻き起こるが、どうでもよい、と言えなくもなくて、どうでもよい、はいくらなんでも酷いと思うだろうが、イタリアの憲法11条と日本の憲法9条がなぜ同じく外交紛争の解決手段としての戦争放棄を謳っているのかを考えれば、「誰が直截に言い出したのか」は、あまり本質的な問題と思えなくなる。

1939年に始まった第二次世界大戦の欧州西部戦線が「イギリスの戦い」の連合王国側の勝利でひといきついたあと、1941年8月、HMSプリンス・オブ・ウエールズの艦上でフランクリン・ルーズベルトとウインストン・チャーチルは後で国際連合として知られることになる国際平和維持機構の構想について合意した。

ドイツの世界征服の可能性が消滅し、日本に至ってはなぜ降伏しないのか疑われるような悲惨な戦いに終始しだした1943年の11月にはアメリカ・イギリス・ソビエトロシア・中国の四ヶ国を「世界の4人の警察官」として平和を維持することを決定したカイロ宣言が生み出される。

世界には4つの独立した意志を持つ暴力があれば、それで平和は維持できるので、他の国に軍備はいらない、という「警察官たち」の意志が明瞭になったこのカイロでの会談がつくった枠組みをもとに、戦後の世界が構想されたので、日本の第9条もその構想のなかでうまれる。

日本国憲法第九条の、もうひとつの大きな意味は「日本が戦争を始めるための口実を完全に封じること」で、世界の近代史を通じて突出した戦争屋として有名な好戦的な民族日本人を四つの島を終身刑務所として永遠に封じ込めておくことは、特にアジア諸国にとっては切実な課題だった。

あとでヘンリー・キッシンジャーが周恩来との会談で、アメリカが日本に巨大な駐留軍を残している理由を、(大きな被害を受けた中国人が最もよく知っているはずだが)日本という戦争に特化された戦争を始めたい圧力を常に持っている社会を持った国には、その圧力を力で抑えつけるための「栓」が必要なのだ、と述べているが、1941年の12月7日以来、「たったあれだけの国力で、よくもまあ太平洋全体を戦域にする誇大妄想的な戦争をしかけてきたものだ」とアメリカを呆れさせ、アメリカとイギリスが、裏庭から空白化した東南アジアの利権をめあてに留守宅を狙って襲ってきたような日本とは異なって、ジャーマン・ナチという、こちらは正真正銘のブラックドラゴン、当時の戦争の戦争遂行力の目安だった鉄鋼生産量においても征服したフランスをはじめ大陸欧州諸国、それに表向きは中立だったがナチの隠微な協力者であったスウェーデンのような国を含めると、優に戦争を勝利に導けるだけの鉄鋼生産量と科学力をもっていた強敵と戦っているときに、常に背後から切りかけてくる、うるさい敵についての記憶はアメリカ人に二度とこの戦争大好き民族に戦争をさせる機会を与えてはならない、という決意をさせていた。

ツイッタでも述べたが、したがって日本以外の国から観れば、日本の憲法第9条の最も重大な意味は「日本に戦争をさせないこと」で、この条文という歯止めがなくなると、アジア全体に惨禍をまきちらしておいて、いまだに冷笑を浮かべたまま反省の色をみせない日本民族が、再び武器を手に、近隣諸国と口実をもうけて戦争を仕掛けてくるに違いないことで、「科学」調査捕鯨なら、日本の人の屁理屈を黙殺することも出来るが、戦争になれば、それとは比較にならない深刻な状況で日本の屁理屈を聞かされなければならなくなるのは、慰安婦問題や南京虐殺への日本社会の居直りをみれば明かであるとみなが思っている。

第二次安倍政権はタイミングがよかった。
第一次安倍政権の失敗と不人気の本質は、安倍晋三の政治的信念である「誇り高い日本の復活」「世界を堂々と胸を張って闊歩しうる強国日本の蘇生」には、(彼の考えによれば)どうしても「自分の考えだけで戦争をやれる強大な軍隊」が必要だが、その情緒的と表現してもよい政治的信念の実現にばかり性急になって経済政策に顧を与えなかった結果、国際的にも国内的にも呆れられてしまって、病気によって辞職する前に、すでに一国の首相としては幼稚すぎて能力がない、というスティッカーを貼られてしまっていたことだった。

日本の国民が政権担当能力が不足するのを知りながら、保守的な国民性を考えれば乾坤一擲の勇気をふるい起こして政権につけた民主党は、歴史にも珍しいほど国民の期待を裏切って崩壊した。
日本の人は、戦後初めて、と言ってもよいくらいの大きな「民主政治的な賭け」に負けてしまった。
しかもそれは「目もあてられない」と言いたくなるほど手ひどい失敗だった。

そのあとに政権を獲得したのは、かつての広汎な政治傾向の集団を含む、マネーバッグとしてのまとまりであった自民党から、中道・左派の部分を剥落した、「ネオ自民党」というべき右派中心の政党で、目を近づけてみると、かつての自民党とは名前は同じでも実際の政党としては似ても似つかない政党だった。

その「右手だけの自民党」を率いて選挙に大勝したのが第二次安倍政権で、前回の失敗に懲りて、今度は「わたしが首相なら、みんな儲かるからね」を前面に出してうまくいった。

アベノミクスについては2回記事を書いて、また次をもうすぐ書くのだと思うが、この「経済に実体なんているかよ。グーグルもアップルもいらねーよ。ムードですよ、ムード」の経済政策がうけたので安倍晋三としては、経済は、あとはスタッフに任せて、自分がどうしても実現したかった政治的信念の実現に全力を傾注したかった。

タイミングがよかった、というのは片務同盟国盟主で、日本という分家からみると本家筋のアメリカ合衆国のオバマ・アドミニストレーションは実務政治においては能力が期待を下回って、特に軍事力に問題を抱えている。
最盛時には三正面で軍隊を展開する能力を持っていたアメリカは二正面の維持がやっとになり、現状は正面一個の展開がやっとであるところまでおちぶれている。
アフガニスタンはもうどうにもならないので、ヤンピにして、闇雲な「ダイジョブ」の繰り返しでなんとかするにしても、中国は新左派、新毛派の影響が年年強くなる習近平がやる気をだしており、プーチンのロシアは「ロシア人がいる近隣国家は全部ロシアにする」意志をまごうかたなくみせていて、更に国際政治においては最も重要な中近東ではコントロールを完全に失って、ペルシャの優美ともアラブの粗野とも、エジプトの混沌に対しても、どれに対してもコントロールを失っている。

ネヴィル・チェンバレンを思い起こさせる、人間性のやさしさから来る不決断と優柔な情緒は、不足する軍事力とあいまって、取り返しがつかないところまで来てしまった。
クリミアで見せた大きな失態は中南海に尖閣への意欲を燃やさせる材料になっている。

アメリカは、カーテンの向こうで、いわば歴史的な賭けに出たのである。
日本人という戦争に特化された特異な文明を持つ民族に70年はめていた首輪の鎖を解くことにした。
安倍晋三が、その「ゴーサイン」を見誤って、いそいそと靖国神社にでかけてしまい、「アホなのではないか」とアメリカを失望させたのは記憶に新しいが、しかし、アメリカの「警察力」の現状をみれば、いまは靖国参拝が引き起こした外交的誤算の集積のせいで逡巡が生じていても、日本を片務同盟国から双務同盟国に引き上げて、「対中国軍事力」の要に育てていかざるをえないだろう。

もう何度も書いたが、他国人の目には条文だけを読めば嗤うべき夢のような条文と映っても、現実政治というものは素人の想像を常に遙かに越えたもので、「戦争放棄」を謳った憲法第9条は現実に日本という国を、もう少し詳しく述べれば個々の国民を70年にわたって守り抜いてきた。
どんな強大な軍隊よりも、日本で生まれたワカモノをどんな場合でも地獄にしか過ぎない戦場へ出かけることから免れさせてきた。

金大中のときの国家破産以来、英語能力が労働者としてのバロメーターになって、いまは「英語習得」が第一の目的になっているが、人口に比して世界中にたくさんの韓国人たちが暮らしているいまの状態の淵源は徴兵を避けることだった。
韓国の徴兵はシンガポールのような、本人たちに訊いてみると、「ピクニックみたいで、面白いんだよ、あれ」と笑うようなゆるいものではなくて、戦前の旧日本帝国陸軍の伝統に則った、苛酷な教練、兵舎の暗闇のなかでの古年兵の新兵への凄まじい暴力という、言わば軍隊の伝統的文法にそった実質的な兵力養成を目的とした徴兵である。

ベトナム戦争において韓国人たちは、「地獄」を経験した。
日中、「同じアジア人のよしみで」親切に食べ物を分けてくれた村民が、夜になれば暗闇のなかから無慈悲な敵として襲いかかってくる。
自分たちの目になつかしい水田の畦道ではにかんでいた少女が、夜の闇のなかから狡猾で冷血な狙撃兵として、ベトナム人の有名な戦術、「ひとり怪我人をつくっておいて、それを救いに駆け寄る兵士をひとりづつ撃ち殺してゆく」定石にしたがって小隊の半数を射殺する。

ビンディン省では、人間性を破壊するために周到につくられたような戦場のなかで、多くの発狂者をだしながら、丁度、ベトナム派兵を決定した朴正煕が出身した旧日本陸軍士官学校に率いられた日本兵そのものであるかのように悪鬼となって兵・市民を問わず殺戮する。

この「地獄」を通行した韓国人たちが、憲法9条がなければ日本人であったのに間違いないことは、最小の想像力があれば理解するに足りる。
5000人の死者を出し、20000人の負傷者が生まれ、戦争中に犯した市民の虐殺や集団強姦の罪の意識に平時の社会で我に返った途端に苦しめられ、平和な市民社会に適応できずに一生を終わった無惨な韓国の若者たちの人生は、第9条がなければ日本人に訪れるべき運命だった。

くだらない、細かいことを言うと、自衛隊は軍隊の実質として実際に「自衛用」に出来ていて、妙に航続距離が短い移動兵器や火器にしてもショートレンジに偏していて、補給線の長い戦争を単独では戦えない編成になっている。
そういう、いちいちの軍備の現実を独立して戦える軍隊にしていくには通常は時間がかかるが、予算獲得に総務省を通さなくてよくなったという点で重大な意味のある防衛省設立以来、速やかに憲法9条廃止を前提とした「軍隊の改善」に動いているようである。

憲法第9条がなくなれば、たとえば奨学金獲得のために志願して兵になった日本のマジメでビンボなワカモノが、日章旗をたてた装甲車に載ってカイバー峠を越えてアフガニスタンの「山頂陣地」に向かう姿が観られるようになるだろう。

70年は人間の長い歴史のなかでは須臾の間とも言えるが、近代日本人にとっては、やはり長い期間の平和で、憲法第9条の終わりが、文字通りの戦後民主主義の終わりなのである。
「絵空事」「お嬢ちゃんの夢」「平和ぼけした人間の空想」と笑われながら、そういう嘲りを述べる人間たちが立地する、お気楽な観念の土地とは次元を異にする現実国際政治の血の臭いのなかで、その70年という長い年月、日本のワカモノを守り抜いた憲法第9条に対して、通りすがりの外国人にすぎないわしは敬意を感じる。
人間ですらない、固い表現の愛想のない言葉の羅列にすぎないのに、なぜか人間への敬意と友愛に似たものを感じて、せめて、このインターネットの空間の隅で「さよなら」と労りの言葉を述べたいと考える。

手をさしのばしても、とどかないだろうけれど。

 

(この記事は2014年4月14日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)



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