現地調査(静岡)報告
(大屋敷正行さんが失踪した沼津市大瀬崎。駐車場のあたりにバンガローがありました)
【調査会NEWS1294】(25.1.22)
以下、特定失踪者問題調査会1万キロ現地調査第13回(静岡県沼津市・袋井市)の概要の報告です。ご協力下さった皆様ありがとうございました。
1.現地調査の目的
?(1)現地調査により個々の事件及び北朝鮮による拉致・工作活動への認識を深める。
(2)広報啓発活動を通し今後の工作活動を抑止する。
(3)現地で特定失踪者家族から北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」のメッセージを収録する。
2.参加者
(1)調査会役員 荒木・岡田・村尾・杉野・曽田
(2)橘邦彦さん・大屋敷正行さん・鈴木清江さんのご家族・支援者
3.日程
1月20日(日)08:45沼津駅南口スタート
旧橘邦彦さん宅:ご両親・哲夫さん、智子さんの説明聴取・しおかぜ収録
千本浜海岸:非公開Aさんの最終失踪関連地点確認・状況説明
大瀬崎海岸:大屋敷正行さん最終失踪関連地点確認。姉・山口幸子さんの説明聴取。姉・山口さん、姪・岩田さんのしおかぜ収録。
袋井市宇刈:鈴木清江さん最終失踪関連地点での状況確認。母・たみ江さん、妹・とよみさんのしおかぜ収録。実家周辺の状況確認。
4.調査対象者
□氏名:橘邦彦(たちばなくにひこ)さん
生年:1972(昭和47)年
当時住所:静岡県沼津市岡宮
当時身分:専門学校生
失踪日:1991(平成3)年10月15日(当時19歳)
最終失踪関連地点:静岡県沼津市の自宅
特記事項:10月15日夜、「木村」と名乗る中年男性から電話があり、当初、母・智子さんが応対した後、邦彦さんに代わるが、長い時間(約10分間)応対していた。
その後、外出して所在不明となる。
※2008(平成20)年10月30日、1000番リスト(第14次)発表。
□氏名:非公開(男性)
生年:1943(昭和18)年
当時住所:静岡県沼津市
当時身分:会社員
失踪日:1969(昭和44)年7月(当時25歳)
最終失踪関連地点:静岡県沼津市千本浜海岸
特記事項:千本浜海岸でボートに乗っていたがボート内にサンダルなどを残して所在不明となる。
ボートは漂流していた。
□氏名:大屋敷正行(おおやしきまさゆき)さん
生年:1952(昭和27)年
当時住所:東京都江戸川区
当時身分:高校生
失踪日:1969(昭和44)年7月27日(当時16歳)
最終失踪関連地点:静岡県沼津市西浦江梨・大瀬崎海岸
特記事項:複数の友人と同海岸へバイクで海水浴に行き、夜中に「トイレに行く」と席を離れ所在不明となる。
※2003(平成15)年9月24日1000番リスト(第2次)発表。
□氏名:鈴木清江(すずききよえ)さん
生年:1958(昭和33)年
当時住所:静岡県袋井市
当時身分:会社員
失踪日:1982(昭和57)年2月5日(当時23歳)
最終失踪関連地点:静岡県袋井市の自宅周辺
特記事項:静岡県袋井市宇刈の路上で本人と見知らぬ男が立っているのを家族が目撃したのを最後に所在不明となる。
翌日、道路横の空き地に本人が乗っていた車両が鍵を掛けた状態で発見される。
5.調査結果の概要
(1)橘邦彦さん
○当時、邦彦さんが居住していた旧宅前でご両親から当時の周辺状況や失踪当日(10月15日)夜の直前にかかってきた電話やその後の邦彦さんの行動について説明を受け聴取を行った。邦彦さんの電話口での応対の様子から、「木村」と名乗った男は邦彦さんよりも年長者で、そんなには親しくない相手とみられ、長い電話(約10分間)は、「邦彦さんを家の外に呼び出すために何らかの説得に要した時間ではないか?」との推測に至った。
○電話を切った直後に外出しようとする邦彦さんに母・智子さんが「どこに行くの?」と声をかけたにも関わらず無言で家を出ていることから、他の特異な失踪者と同様に「小さな嘘」的な兆候が見られた。
○また、外出時の服装は普段着で手ぶら状態だったこと、失踪後に家族が室内を調べた結果、免許証などは机の上に置かれたままで、財布程度しか持ち出していないことから「ちょっとそこまで」程度のつもりで外出したものと考えられる。
〇本件については事件当初から関係しているのではないかと疑われた男性もいたが、警察が事情聴取等をしており、結果的には何も出てきていない。一旦この人物を視界の外に置いて検討をし直すことも必要かと思われる。
(2)非公開Aさん
○事前にご家族から現地で説明を受けていた事項と当時の報道に基づき、当日の状況について検証を行った。
○当時の報道から、失踪当日は千本浜海岸の状況として海岸にも海上にも多少の人出があったと考えられること、千本浜海岸一帯は、右は静岡市の美保(清水区)、左は西浦江梨(沼津市)の大瀬崎まで視界が開けた海岸であり、海上で暴力的に拉致することは難しいと思われる。拉致であれば考えられるのは例えば陸上で拉致し、ボートに乗っている間の事故ないし自殺を偽装するなどの方法ではないか。(非公開のため、失踪状況についての細部省略)
○また、同じ年月で大瀬崎海岸近くのキャンプ場から失踪し、後に脱北者が北朝鮮での目撃証言を行っている大屋敷正行さんとの関連性も考慮に入れて調査する必要性があるとの結論に至った。
(3)大屋敷正行さん
○当時、大屋敷さん一行がキャンプしていた大瀬崎の現地(現在は駐車場となっている元キャンプ場)で当時の状況について、正行さんの姉・山口幸子さんの説明・聴取を行った。
○姉・幸子さんから、当会が把握していた「バイクでキャンプに行った」との情報について訂正があり、正行さんたち一行は東京から電車で沼津まで来たあと、沼津港から渡船に乗って大瀬崎海岸に来ていたことが確認された。
○前記の結果から失踪当時、正行さんが夜中に単独でキャンプ場から出て何処かに行こうとしても、使える交通手段は徒歩、または第3者の車両に乗って行くしかないと考えられ、地理的な問題(大瀬崎〜沼津間約30キロ)や道路状況(現在のように舗装はされていなかった)から徒歩での移動は無理だったと推測される。
○当時の沼津市の状況は、既に海開き(7月13日)も終わり、海水浴客等で賑わう反面、水難事故も多発していて、各海水浴場等で水難者の捜索が行われたことが当時の報道で確認されているが、姉・幸子さんからは「当時、沼津警察署に捜索願を出したが、捜索してくれなかった」との証言があり、キャンプ場=陸上での失踪については重要と判断されなかったことが確認された。
〇関連の有無は不明だが、大瀬崎の宿にはかつてときどきロシア人が宿泊したことがあり、それを警察が監視していたという。大瀬崎の反対側(外海側)には防衛省技術研究所の大瀬実験場(旧海軍音響研究部大瀬崎臨海実験所)がある。
(4)鈴木清江さん
○最終失踪関連地点で母・たみ江さん、妹・とよみさんの目撃した状況について検証を行った。
○検証の結果、清江さんの私有車(紺色のシビック)が自宅近くの県道271号線沿いにあるJA遠州中央宇刈支店前に差し掛かった地点で同支店前に停車していたか、徐行していた車を追い越した直後、その車が今度は清江さんの車を追い抜きざまに停車して清江さんの車を停止させた様子であることが確認された。また、その後清江さんの車が駐車された状態で発見された場所は、清江さんが停止した位置の直ぐ脇の空き地で、清江さんが停止させられた位置とほとんど変わらない場所であることも判明した。当時、この県道を行き来する車両は非常に少なかく、清江さんの場合、待ち伏せされていた可能性が非常に高いことが検証で判明した。
○清江さんの実家で、失踪前に不審な男たちが夜中に敷地内に入っていたという状況を確認し、また、当時清江さんが使用していたシビックが保管されていたことから、その状況についても検証を行った。
〇当時警察はかなり綿密な捜査を行っており、県警本部からも派遣されて指揮をとっていた。関係のあると思われる知友人には事情聴取もしており、袋井での関係で狙われたというよりは、それ以前に一時期住んだ京都等の関係をより注目すべきとの意見も出された。
6.走行距離 230km(累計3,357km)
以上
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