これ。
ようするに「スーパーマリオの映画には、別にマイノリティが出てこないし、人種差別もLGBTも差別問題も出てこない」
ということ。
つまり、アメリカの映画評論家が突きやすい社会問題が投影されていないということだ。
という話だ。
娯楽作品に何でもかんでも社会問題を入れるのは、それが作品に作用することはあるが「絶対的なルール」ではない。
差別に苦しんでいる人間以外にも、娯楽作品で楽しみたいひとはいっぱいいる。
マリオやルイージの住むスーパーマリオの世界は、いわゆる「バカでのろまで、失敗続きの優しい二人が、勇気を出して困難に立ち向かう」
という映画だった。
わかりやすい被差別のアイコンは出て来ないが、十分普遍的なテーマだったと思う。
ゲイでもトランスジェンダーでも、有色人種でもないが、上手く行ってない、社会から軽んじられている二人の物語だった。
多くの観客は、それで十分。
なぜなら、その二人は、かつて自分の分身として、ゲームの中で悪戦苦闘をともにしてきた、古くからの友人だからだ。
それ以上は余計なものだった。
任天堂信者はアホやなあ 映画評論家が映画として評価した結果であり 任天堂信者がマリオの映像作品を評価したわけじゃないんだよ
映画評論家なんて教養ないライターの掃きだめ。人文の教養なくても何か言ったつもりになれるから社会問題の視点があるだけ。蓮実みたいな例外はいるが、彼はそんな下らんレベルで...
イタリア移民のブルーカラーってマイノリティじゃないのか……
マイノリティじゃない。というか批評家にそう認識されてないのがハリウッドの病巣を表してると思う。
イタリア移民がマイノリティじゃない? あーそういう病気の方ですか
何がマイノリティだ、甘えるなって感じ。純血の日本人の方がよほどマイノリティだろうに。
日本人が海外に行けばマイノリティにはなるだろう。海外に行けばな
つまりアメリカの批評家が病気ってこと?
世界中にファンが多いから一番の理由
社会問題が投影されてないから、でなく、単純にスーパーマリオや任天堂ゲームの知識がないからだと思うぞ スピードスケートの専門家がフィギュアスケートを見て「全然速くない。ゴ...
そもそも批評家はつまるつまらないという基準で評価してるわけじゃないだろ 単体の映画としてどうなのか見ているだけだ んで「原作知らなきゃゴミ」って映画は酷評されるのは当たり...
100人いたら99人は知ってそうな題材で「原作知らなきゃ」みたいな目線で語る評論家は流石に思考停止じゃねえかなあ
イタリア移民は社会問題じゃねーのな
新聞記者ってゴミ映画が典型だけど、無能な作り手と無能な評論家が底辺視聴者相手に組んでるだけやで。ポリコレは馬鹿でも理解出来るし、それくらいが馬鹿の理解出来る限界なんや...