渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

コルト・コンバージョン

2023年05月04日 | open



パーカッション(雷管式)のコルト
をベースにした金属薬莢コンバー
ジョンが誕生したからこそ、歴史
的な名銃であるコルト・シングル・
アクション・アーミーが生まれた。

パーカッション式。
火薬、弾丸、雷管を別々にシリ
ンダーに装填する。非常に時間
がかかった。
金属薬莢はS&W社がパテント
を持っていたので、それが失効
する1973年までは他社は金属
薬莢式の拳銃を作れなかった。


苦肉の策として、コルト社は
外部のカスタマーがカスタム
した金属薬莢式としてコンバ
ージョン・カスタムを誕生さ
せた。内実はコルト社のエン
ジニアが開発した。
海軍は.38口径、陸軍は.44口径
モデルだった。


そして、パテントが切れる1873
年を見計らって、1972年にコル
ト社はソリッドフレームの頑強
な小さめの新型銃を開発した。
それは軍のトライアルを勝ち抜
き、米軍に制式化され、コルト・
シングル・アクション・アーミー
と命名された。


銃身は7-1/2インチモデルが標準
で、のちに5-1/2インチ、4-3/4
インチモデルが生産された。
民間には1875年以降発売された。


コルトSAAは爆発的に売れた。
だが、現実的なアメリカの歴史
では、コルト・コンバージョン
モデルは1890年代に入ってまで
も西部で多く使われていた。
まだ十分に稼働できる銃がある
のに、なにも新型銃を新たに買
う必要は開拓農民や市民たちに
は必要ない。
新型銃を好んで買い求めて所持
したのはガンマンと呼ばれたガ
ンスリンガーたちだった。
西部劇のドラマや映画には矢鱈
めったらとSAAピースメーカー
が出てくるが、あれは映像上の
脚色だ。
現実の歴史では、パーカッション
やコンバージョンが普及してい
た。
ただ、1990年代頃にはSAAは
圧倒的な製造数になるので、
それなりにかなり普及していた
のは確かだろう。
そして、1896年に無煙火薬の
弾薬がSAAに採用されて、それ
用にフレームが改良される。
ベースピンを可動式サイドスク
リューで固定するモデルがそれ
であり、その1896年以降のSAA
が西部劇では多く使われた。
なので、1880年代を舞台とする
西部劇でサイドスクリュー式の
SAAが出てくるのは間違いだ。
細かい事ではあるが、その時代
にはこの世に存在しない物を登
場させているからだ。

最近の西部劇では、時代考証が
正確になり、コンバージョンを
多く登場させる映画も増えてい
る。
これは映像作品としては良い
方向だろう。
信長の時代に虎徹の刀や新選組
が登場したらおかしいからだ。

コルト・コンバージョン。
SAAの陰に隠れているが、実質
的に西部の人たちに愛用されて
いたのは、こうした金属薬莢式
に改造されたコンバージョンだ
った。
それは、ブランズウィックの
マスプロキューを切断連結させ
て作られたタイトリスト・コン
バージョンの歴史性と非常に似
ている。
カスタムキューが誕生した1950
年代〜1960年代にかけては、
キュービルダーは全員がタイト
リスト・コンバージョンを製作
した。全員が、である。
当然、腕のあるプレーヤーたち
は、コンバージョン・モデルを
愛用していた。






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