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いつか落ちた恋を拾い上げる
ATTENTION
・ネームレス夢主
・原作で言及されていないスメール植物の捏造
・誤字脱字ご容赦ください
上記の内容が大丈夫な方は、是非楽しんでいってください。
*
なにをするにも知識はあらゆるものの土台となる。日々の機微に感じる不便の消化、自身の思考をスムーズに伝えるための語彙育成、好奇心で進化してきた人類の本能に基づく知的欲求の充足。学術的な面ではもちろん、日常的な面…そして、私のような芸術人にとっても、知識はあらゆる面で役に立つ。
誰かに何かを言われたわけでもないのに、私はそれを最近になって漸く実感してきた。まるでコーヒーの湯気を眺めたときにふとインスピレーションが湧くように、ただ一人の写真家である私は思ったのだ。
思い立ったが吉日と言う。特に場所に縛られてもいない、やや放浪的である写真家の私は簡単に手荷物を纏めて、知恵者の権化と呼ばれるその国へ足を運んだ。
それが今に至るまでの要約である。思考も行動もかなりあっさりしていると思われるかもしれないが、大した大義も持たぬたった一人の写真家からすればそんなものは美しい一瞬を記録するためのお膳立てに過ぎないことを理解して欲しい。そう、私はただ「いい写真」が撮りたい。人々がパッと見て、足を止めてしまうような、目を留めてしまうような、息を止めてしまうような写真を撮りたいだけなのだ。そう思ったからにはもちろん探求する知識の目処もついている。
それをここ数週間は知り合いづてに入館を許諾された知恵の殿堂で一人調べていた。一人、調べていたのだが、今日は意外なことに声を掛けられた。
「失礼、隣をいいだろうか?」
声が自分の座高からしてもかなり高いところからしたので、私は気持ちやや上を向きながら声のする方向に振り返った。そこには学者という割にはがっしりとした体つきの男が灰色の髪を揺らしていた。やや長めな前髪の隙間から覗いた瞳孔が特徴的で、その思考をも見透かされてしまいそうな揺らぎに思わずどきりとする。
「ええ、どうぞ。」
彼の瞳に思考を一瞬奪われたが、私は何とか彼の行動が少し常軌を逸してることに気づくことが出来た。私の認識が正しければ、こういった図書館のような場では必要以上に席を詰めることはないはずだ。今は平日の昼間で席もそれなりに空いているのに、この灰色の男はわざわざ私の隣席を頂きたいと申告した。ならばそれに見合った理由があるのだろうと思っていると、彼は案の定言葉を続けた。
「君は外国から来た学者か何かか?」
その質問を予期こそしていなかったものの、疑問を持つのもおかしくない箇所に目をつけられたものだから、私は思わず少し気が抜けたように笑った。
「あははっ、そりゃこの格好で知恵の殿堂に通ってたら勘違いするよね。期待させたなら悪いけど、私はただの写真家だよ。外国から来たことに関しては合ってるけどね。」
「ふむ、そうか…質問続きで恐縮だが、写真家であるあなたが何のために学術書籍を?」
彼は顎に手を当てながら、私の手元にある生論派の書籍に視線を移した。私は数週間ここに通っていたが、毎度読むのは主に生論派から出版されている学術書籍であった。言葉からするに、彼はそのことも知った上で私に質問を投じているのだろう。
「別におかしなことではないはずだよ。自分の理想とする写真を求める途中で、少しばかり知識の助けが必要になっただけ…伝説の生き物だとか植物だとかを、写真家なら撮りたいと思って当然でしょ?でももちろん、それが一端の者には厳しいことだとも分かってる。だから、その中でも伝説という名から脱せられそうな植物の文献に目を通してたんだ。」
話し終わってから彼の反応を伺うと、私の返事が彼の知的欲求に応えられたのか、私の写真家でありながら知識を求める姿勢に感心したのか、先程よりも思慮深そうにその睫毛を上下させながら、私が先程まで目を通していた文献を再度見つめ直した。瞳孔の動きからするに、軽く内容に目を通しているのだろう。にしてもさすが学者と言うべきか、あまりの速読ぶりに圧巻してしまう。
「フッブローズ…今より50年ほど前に絶滅したとされる植物か。伝説の名を脱す可能性があると言っていたが、それについての君の見解を聞かせて貰っても?」
「それ以上踏み込むなら、せめて名前の一つくらい聞かせて欲しいけどなぁ。」
質問続きで恐縮、と言えた頃は、きっと彼の知的欲求よりも理性が勝っていた頃だろう。その姿勢から、聞かずとも彼が学者であることは容易に察せられた。
「ふむ…俺の名はアルハイゼン。これでいいか。」
「淡白だね〜!まあ構わないけれど、人物像を形成するために、一応何をしてる人なのかも教えて欲しいかな。」
「教令院で書記官をやっている。」
「書記官のアルハイゼンね、覚えたよ。それじゃ、ご清聴頂いちゃおうかな。」
そこから私は、素人ながらフッブローズについての見解をアルハイゼンに語った。こういった絶滅種の書籍となると、その種の更生方法やその実現性について書いてあるのが一般的だが、基本的にそれらは希望的観測の域を過ぎることはなく、実現されることは殆どない。
それだのに私がわざわざスメールにまで足を運び、書記官と言う如何にも学者としても優秀そうな名を冠するアルハイゼンに自身の見解を語れるのは、もちろんそれ相応の理由がある。実は以前祖父母の墓参りに行った際の帰りに、目を引く鮮やかな花が足元を転がった。風化やらで土から掘り起こされたのだろうが、元々どの墓に供えてあったのかも分からないし、かと言って元は故人を悼んで供えられた愛ある花だ。さすがの私もそのままにして置くのは忍びないと思い、家に持ち帰ってそれなりの世話をしていた。それが数日後目を通した絶滅植物図鑑に載っていたフッブローズだと判明したのだ。私はおかしいと思った。なぜならそれは50年前に絶滅したとされる割には、あまりに綺麗なのだ。それに加え私が気まぐれに世話をしたことも善果となり、その風貌はもう繁殖は出来ない花には、とてもじゃないが見えなかった。詳しい裏事情は知らないが、なんとかこいつを更生させて、主だった墓も判明させることが出来れば…それはもうきっと、大層なインスピレーションが降ってくると私は確信したのだ。
「確かに、種や根なんかが残っていると仮定すれば、更生させるのも夢ではないだろう。俺も絶滅した植物が更生する瞬間には興味がある。こうしよう、俺の友人である著名の生論派学者を紹介するので、その計画の経過を俺にも見せてくれないだろうか。」
「いいじゃん、乗った。」
パチンと指を鳴らした私は、自分でも分かってしまうほどに調子良く笑った。だって、専門家が知識を教授してくれ、私一人じゃ出来るかも分からなかった絶滅植物の更生を手伝ってくれるなんて、そんなのは願ったり叶ったりだ。
「感謝する。近日にでも彼に手紙を飛ばそう。」
「やったー!ありがとう、アルハイゼン!」
写真家である私がつらつらと文字に目を通すのは大して本望でも何でもないので、それから大きく開放される喜びに舞い上がりそうになる。しかしそれはアルハイゼンの言葉によって遮られた。
「そう言えば、君の名を聞いていなかったな。」
「あっ…私も、聞かれてないから名乗ってなかった。」
「俺は名を名乗ることにあまり意義を感じていない。だが、今ここで君の名を記憶することには意義があるように思う。」
彼の言葉を難しく考えずに平たく言うのであれば、「君を認めた」ということなのだろう。伊達ではなさそうなその言葉に私も誇らしくなり、やや儀式的かのように自身の名を彼に告げるのだった。
*
「それで、君がその芸術家の子?」
アルハイゼンから手紙を受けてやって来た知恵の殿堂には、彼の隣にぴるぴると動く立派な獣耳が佇んでいた。その森林を身に包んだかのような装いをした人物は見るからに獣人で、私の見立てが正しければフェネック辺りか。そんな分析を他所に、一先ずお互いに挨拶をすることにした。
「げ、芸術家だなんて、とんでもない。わたしはただ、依頼を受けたら写真を撮ったり…してるだけで…」
「それって写真家って言う芸術家なんじゃないの?あと耳見すぎ。」
少し呆れがちなその声に、自分の視線は思わず相手…ティナリの目に戻された。大地をそのまま嵌め込んだような瞳に自身の姿を映しながら、真面目そうな人だな、なんて外見の情報と先程交したたった二言の言葉で形成された偏見をぶつける。
「耳ならあとでいくらでも見ていいからさ、先に要件を伝えてよ。」
「そ、それもそうだね。てか見ていいんだ、頑張ろ。」
あまりに素直に呟いたせいか、ティナリからふふっと笑みが零れた。それよりアルハイゼンは要件を伝えぬまま、彼をここに呼んだのか…彼、ティナリに対する不憫さや、自身に対する罪悪感を僅かに抱えながら、私は研究内容や参考文献を纏めたノートを机に広げた。アルハイゼンの意見も混ぜつつ、ティナリの意見や主張なんかを聞いていると、私は段々とフッブローズの更生は希望的観測に留まらないかもしれない、と胸を躍らせた。ティナリも私の持ち出した課題に興味を唆られたのか、和気藹々としながらも真摯さは一通して討論を進めることができた。レンジャーであるらしい彼からしても、植物の更生は喜ばしいことなのだろう。
「今日はもう遅いし、これくらいにしておこう。それにしても、僕もわざわざシティまで足を運んだ甲斐があったよ。」
討論中のティナリは常に真面目で隙がなかったが、討論さえ終わればその顔には人懐っこい朗らかな笑みが転がっていた。スイッチが切れたのか、大きな耳はぺたんと垂れている。しかしゆらゆらと揺れている尻尾は討論を心から楽しんだことの表しに思えた。
「君のような人にそこまで言ってもらえるなんて、光栄なことこの上ないよ。それで…その…」
「ああ、耳?いいよ、触ってみる?」
「いいの!?」
くすくすと笑うティナリを他所に、アルハイゼンは「それでは俺は失礼する」と言うと本当にスタスタと歩き始めた。ここ数日で彼に関して分かったことと言えば、定時にやたら厳しいことくらいか。
「アルハイゼンはこんな素晴らしいモフモフに恵まれてるのに、定時だからってあんなにあっさり帰っちゃうんだねぇ…」
「まあ、彼らしいと言ったら彼らしいよね。」
実は私が獣人族を目にするのはこれが初めてで、娯楽小説でそういった設定を見ることはあれど、その実態を実際には詳しく知らない。こんな機会を設けられる日が来るとは思ってもいなかったし、だからこそ慎重がちに話題に触れる。
「私の偏見だと、獣人族はその耳や尻尾で騒がれすぎて、そういった話題に飽きてしまいそうだと思ったんだけど…」
「まあ、違うと言ったら嘘になるかな。でも僕は、君みたいに理性を持って接してくれる人相手になら、触れられても構わないとは思ってるよ。」
その返答からして、ティナリは大分理性的な人なのだろう。私はどちらかと言えば感情で理性を飼い慣らす質なので、この時ばかりは暴走せずにいてくれた感情に感謝せざるを得なかった。こういった問題は一箇所のミスでこちらの印象が大分変わってしまう気がするから。
ティナリの耳の大きさと言えば、私の手はおろか、彼の頭と同じかそれ以上のサイズだった。そっと遠慮がちに耳に手を当てると、ふわりとした触感が私の手を包み込んだ。触れられたことに反応して動く耳に、思わずこちらがビクッとしてしまう。それを見ているティナリは思いのほか楽しそうで、もしかしたら自分の耳を初めて触る人の反応はそこまで嫌いではないのかもしれないと思った。
「お、おお〜〜…!!!」
「あははっ、だらしない声。」
「いやだって、ねえ…!これは…これはすごいぞ…」
「さっきまで論理的に話をしていた君はどこに行ったの?」
疲労からか、すっかり緊張やらが解けた私は許される限りティナリの耳を堪能した。尻尾はまだ早いかと思い今回は遠慮したが、いつかは触らせてもらいたいと心の底で願ってみる。恭しげに感謝したらティナリがまたふふっと笑うものだから、「案外よく笑う人なんだな」と上の空じみたことを思った。
*
あれから時にはアルハイゼンも交えてながらティナリと討論をしていると、私の学術研究はついに終わりが見えてきた。二人とも自分との討論を有意義なものだったと評するものだから、調子に乗った夜は学者にでもなろうかななどとぽやぽや考えたりもした。もちろんそんな考えはティナリが討論時に時折提出する小難しい参考文献を読んでいると消えてなくなるが。
研究結果だけを纏めると、まあ上々だった。ティナリのお手柄でフッブローズは無事に更生を果たし、今では教令院の生論派グループが大事に保管しながら繁殖を促しているらしい。私はと言うと、その中でも最も綺麗に育ったフッブローズを頂戴するとティナリの指導の元丁重に包み込み、事情を綴った手紙も添えて往生堂宛に送った。撮りたがっていた写真についてはグループに話を通してあり、繁殖が進み次第私の元に連絡が来るようになっている。ちなみに私は学者として名を轟かせたいわけではないので、殆どの手柄はティナリに譲り、私のことを詳しく知っているのはその生論派グループくらいだ。元々私はものを揃えてきただけで、大半の功績を叩き出したのがティナリと言うのも事実だと思っている。もちろん、彼を紹介してくれたアルハイゼンも、私の研究を評価した彼の審美眼も大役だ。
研究が終わったなら私がスメールに残る理由はなくなるわけだが、反対に残らない理由もできたりはしない。その証拠に、ティナリからガンダルヴァー村に遊びにおいでと誘われたので、今は手荷物などをまとめて準備をしているところだ。
「楽しみ!ティナリの住んでいるところなんだよね?」
「そうだね、君なら気に入ると思うよ。それと僕には弟子がいてね、よかったら彼女と仲良くしてあげてほしいんだ。」
「もちろんだよ、ティナリのお弟子さんなら喜んで!」
森を嬉々としながら抜ける私は、討論をする時よりいくつも気が抜けてしまっているらしく…水溜まりに突っ込みそうになったり、木の枝に服を引っ掛けたりしていた。その都度ティナリが注意したり対応してくれたりするものだから、森でレンジャー長をやっているだけあるなと感心する。あまりに連続でやらかすと「君は危機管理能力が足りてない」とぷんぷんしながら怒られたものだ。
しかし二人の本質は案外世話焼きと世話焼かれで相性が良くて、過ぎた出来事がない限りはお互い笑い事にしながら森を抜けることができた。ガンダルヴァー村に着くと、私は一面緑に覆われた村に圧巻された。地元でよく見る集落や村とは打って変わって、家に生い茂った葉は清潔感に問題を及ぼすものではなく、寧ろ家と一体化して付加価値すら与えていた。ツリーハウス同士を繋ぐ橋を見て、私は案ずる。
「もしかして、いや絶対そうだと思うんだけど、これを渡って行くんだよね?」
「その通り」
返事をすると、ティナリは早速木の板に足を置いた。ギシ、と鳴る音に思わず「ひぇっ」と声を出しながら後ずさってしまう。それを見かねたティナリが更に強く板を踏みつけ、「見た目より頑丈だし、大丈夫だよ。」と言うが、ギシギシと鳴る音は胃に良くない。しかしここで渋るのはティナリを信用しないこととほぼ同義であるので、観念して足を踏み出す。前を歩くティナリが手を貸してくれたので、それも有難く掴ませてもらうことにする。
「わ。私より大きい」
「当たり前でしょ、男女なんだから」
「身長は大して変わらないからびっくりしたの!」
思ったことをそのまま口にすると、ティナリは呆れたように、しかしどこか嫌ではなさそうに笑ってみせた。その悪戯を許してくれる兄のような顔が、私はなんだか好きだった。
それよりも、男女、か。娯楽小説で体格差を実感してドキドキする描写があるが、まさに今がそうだ。とは言ってもティナリは可愛らしい顔つきな上に、男性にしては小柄なこともあって、私の中では「やっぱり男性なんだ」という再確認の方が大きい。無事橋を渡り切ると、ティナリが優しく手を離してくれたので、「ありがとう」と伝えると「ちょっと待ってて」と待機させられた。
「コレイー、お客さんだよ!」
その反応に私の耳が反応する。なるほど、コレイというのか。恐らくティナリの弟子であろうその名前を反芻し、頭にインプットする。私の場合、名前などは自分が覚えようとしない限り変に間違えてしまうので、そんなことが起きないように。ドアの役割を果たしているらしい葉っぱの奥から、慌ただしくも可愛らしい女の子の声が聞こえた。
「えっ、お客さん!?ち、ちょっと待ってくれ!」
「ティナリと話しながら待つし、全然ゆっくりでいいよ!ごめんね、急にお邪魔しちゃって。」
そう言うと、葉っぱを避けた奥からスメールローズ色の瞳をした女の子が出てきた。肩から垂れ下がっている二枚のマフラーのような布がゆらゆらと揺れるものだから、どうしてもそこに目が行ってしまう。
「いや、いいんだ!師匠が友達を連れてくることは珍しいから、あたしも嬉しいよ。」
もじもじしながら伝えてくるその姿をいじらしくて可愛いと思うけれど、ティナリのお弟子さんなのでその事は喉奥にしまっておく。このタイプはきっと弟子をすこぶる大切にしているタイプだから。
「ティナリ、友達いないの?」
「なにを勘違いしてるのさ…まあ、たしかにすごく多い方ではないけど。」
「大丈夫、私も友達は多くない!」
「だからなにを勘違いしてるの」
私たちの会話を聞いていたコレイちゃんが楽しそうに笑うものなんだから、私もなんだか嬉しくなる。初めて会ったのに、まるで彼女のお姉ちゃん役になった気分だ。ティナリにコレイと仲良くしてほしいと頼まれたことを思い出すが、それを面と向かって伝えるのも如何なものかと自分なりに考えた私は、なるべく自然に話題を転換をする。
「私、年下の女の子の友達ってあんまりいなくて。よかったら仲良くして!」
「あっ、あたしでいいならもちろん!えへへっ、そう言ってくれて嬉しいな…」
「かわいい〜〜」
しまったと思い言葉を滑らせた口に手を当ててティナリを見るが、彼は気にすることなく楽しそうに笑っていた。きっと、お互いがお互いを、とても大切に、家族のように思っているのだ。あまりに素敵な関係に、私はそっと息を呑んでしまう。
「あっ、でも私の件でティナリを長い間借りちゃったし、きっと寂しい思いしちゃったよね。いっぱい甘えるといいよ!」
「ええっ!?あ、甘えたりなんかしないよ!」
「そう?僕は別に甘えてくれたっていいけどね。」
「し、師匠!」
彼らがこんな風に和やかに会話を弾ませるものだから、少しくらい長居したくなってもそれは仕方のないことだと思った。彼らの視線が交差する先を見つめながら、私はコレイちゃんに向かって提案する。
「そうだ、落ち着いたら私にガンダルヴァー村を案内してくれる?」
「ああ!任せてくれ!」
私に頼られたことが嬉しかったのか、コレイちゃんはエヘンと胸元を叩いた。この村にいたら、賑やかさに欠くことはなさそうだ。
*
すっかり調子の良くなったらしいコレイはちゃんは、私にガンダルヴァー村の周辺と自分が知っている限りで植物や森の知識、そして人隣や村人たちの生活習慣なども教えてくれた。ときには休憩も挟んでティナリも一緒にコレイちゃんの作ったピタを食べたり、植物や昆虫などの標本を見せてもらったりした。
そんな時間を過ごしながら、私は不意に写真機でかしゃりと風景の形を記録する。それらがあまりに綺麗なもので、記憶にだけ残すのもかえって贅沢すぎるからと、物として残しておく事を選んだのだ。それを見ていたのか、ティナリが興味深そうに話しかけてきた。
「写真を撮ってたの?よかったら見てもいい?」
「そういえば本業なのに見せたことがなかったね!はい、どうぞ。」
昔から自分の中で芸術的観点や美しさを引き出すために必要な条件を考えながら撮ったそれらは中々に美しがられ、貴婦人などにも写真を撮ってほしいとせびられたことがある。仕事にしているわけだし、それなりに自信を持ちながらティナリに写真を見せた。
「素晴らしいよ!森の風景はおろか、この写真から気温や空気の匂いを感じるほど構図がよく取れてる。植物たちの特徴もきちんと残しているし、それから___」
珍しくきらきらとした目でこちらが恥ずかしくなるほどの賞賛を私に浴びせるティナリに、ストップストップ!と焦りながら彼の口をむんずと塞ぐ。
「き、急にどうしたのさ!そんなに褒めちゃって。」
私からしたら自分の写真を良いと思ってくれたということよりも、あのティナリが興味津々に写真を眺めながら大層な評価を下したことが驚愕だった。議論をしたりする中で、彼は人の理論を褒める時だってすこぶる落ち着いていた。だからこそ、この写真に対する大層な反応の真意を、私は知りたかった。
「ごめん、つい興奮しちゃったね。僕ね、植物図鑑を作ったりしてるんだけど、写真がどうも上手じゃなくて。だから君の写真を見て驚いちゃったんだ。…ねえ、よかったら、僕のために写真を撮ってくれない?もちろんお代は払うからさ。」
ティナリが喋るのに比例して増えていく情報量に私はすっかり混乱してしまった。まさか、図鑑に使いたいと思われるほど、自分の写真を気に入ってくれるとは。こそばゆい気持ちの横で、嬉しいという気持ちも確実に大きくなっていく。
「そんな、お代なんていらないよ。」
焦って手を前に出し、首を横にぶんぶん振った私の所作のせいで、ティナリは断られたのかと勘違いしたのだろう。大きな耳をしゅんと垂れさせるものだから、急いで訂正しながら、彼に唱える。
「ちがうちがう、全然無償でいいってこと!ティナリは友達だし!」
「本当かい!?ありがとう、すっごく助かるよ!」
ティナリは本当に嬉しそうに私の両手を握った。証拠として基本は静かに佇んでいるそのしっぽが愉快にも左右にぶんぶん揺れているものだから、どうやらティナリは植物図鑑に対して相当のこだわりがあるらしいことが判明した。
「私も、図鑑とか見るの好きだし…ティナリと一緒に、植物を見て回るのも楽しそうだしね。なんてったって、雨林一のサバイバルガイドなんだから!」
「もう、急に調子よくなるんだから…でも、君がそれで納得してくれるのなら、僕としても儲けものだ。早速明日にでも森へ向かおう。」
「ああ、その前に…」
なにか準備しようとしていたのか、話を終えてくるっと背を向けたティナリを呼び止める。耳がぴくりと反応してから、その答えを待つようにしてゆっくりと振り返る。
「せっかくならティナリが今まで撮った写真も見せてくれない?コツを掴みさえすれば、誰でもそれなりのものは撮れると思うんだよね。」
「それも一理あるね…よし、じゃあ僕の家に行こうか。」
「………………………家?」
唐突出てきた予期せぬワードに、私はつい身を固めた。ティナリの家?
「何、もしかして僕が変な気を起こすとでも?」
「いやいやいや思ってないよ。ティナリが私に?ハッちゃんちゃらおかしいね!!よし行こう。」
真昼間だのになにを心配してるんだ自分は、そう反省しながら場所もよく覚えてないのにずんずんとティナリの前を往く。
「ま、警戒心があるのはいい事だけどさ…」
取り残されたティナリは一瞬呆気に取られた後、すぐに少し不機嫌そうな顔をして見せたのだとか。
*
すっかり変な考えを振り払った私は、家に入ると内装を一瞥するだけして、すぐに要件に入り始めた。座っているのもなんだし、とティナリが出してくれた椅子に有難く座らせて貰わせ、過去に彼が作ったらしい図鑑を手に掴まされる。植物の説明も気になるものの、今気にかけなければならないのは写真の方なので、パラパラと音を立てて、親指でページを捲りながら色のある部分にだけ目を通す。暫くして私が口に出した言葉はこうだった。
「…普通の写真、だね。」
「うん…」
「特徴は写してあるから図鑑としてはなんの問題もないけど、些か心惹性に欠ける。でも問題点は見えてるから、それほど悩まされそうなことでもないよ。」
ひとつ、ひとつと魅力を潰している点や、逆に魅力を引き出す方法について解説した後、最後に一言添える。
「これができたら、後はフィーリングだね。」
「………はぁ、なんとなくそう来るとは思ってたよ。」
普通の人からしたら、きっと芸術をやっている人の「フィーリング」ほど理解し難いものはないだろう。そんな反応をあのティナリが見せてくれたことに、私は少し得意げになる。
「そのフィーリングを、明日実際に私が解説しよう。今日はもう宿に戻るね。」
「あっ、待って、どうせなら送っていくよ。」
「あ、ほんと?ありがとう!」
彼の言葉を素直に受けとって宿に戻ると、少しばかり明日の予定を話してから別れの挨拶をした。
*
微睡んだ朝に、元気の良い溌剌とした声が私の耳に入る。ドアは葉っぱでできているので、ノックをしようにもそれができないのだろう。声の主はティナリだった。
「起きてる?」
「お、起きて〜…る…」
予期しない時間に声を掛けられてガバっと身を起こすも、朝に弱い私の返事は大分ふにゃふにゃしていたと思う。それを悟ったのだろう、ティナリは準備ができたら僕の家の前までおいで、とだけ言うと、後からは去っていく足音のみが聞こえてきた。泊まらせて頂いている身だというのは自覚しているので、あまり待たせないようにと重い体を引きずるようにして起こす。歯磨き・洗顔を終わらせると、ちゃちゃっといつもの服装に着替えた。ドアの隙間から送られた軽めの朝食を平らげると、葉っぱでできたドアをめくってティナリの家の前まで行くと、そこにはお決まりの二人が並んでいた。
「おはよう、ティナリ、コレイちゃん。」
「お、お前か!おはよう」
「おはよう、寝癖ついてるよ。」
コレイはびっくりしながらも照れ臭そうに、ティナリはいつもの淡々とした調子で挨拶を返してくれた。私はと言うと慌てて寝癖を直しながら、こうして人と朝の挨拶を交わし合うのは久しぶりだなと思う。そのありふれてはいるものの、自分の生活にはなかったありきたりなものに、少し満たされたような気持ちにさえなった。本当はまだ眠いし、更に言うと眠気も飛んでいないが、優しい朝があるだけで気持ちは落ち着くものだ。
「コレイちゃんがいるってことは、一緒に来てくれたり?」
期待を込めた眼差しを送るも、ティナリが「いや、」と否定の姿勢に入る。
「パトロールのルート確認をしてたんだ。僕がいない分、しっかり働いてもらわないと困るからね。」
「うっ、が…頑張ります!」
緊張してしまったのか、敬語になってしまうコレイちゃんからは既にパトロールに対する真剣な意識を感じられた。これなら心配することもないだろうとティナリの顔を伺うと、同じことを思っていたのか、彼も「緊張しなくても大丈夫。コレイならきっと出来るよ。」とコレイを宥めていた。改めて彼らを素晴らしい学術家庭だと思う。
「そっか。一緒に行けないのは寂しいけど、コレイちゃんもお仕事頑張ってね!帰ってきたら写真も見せてあげるね。」
「ああ、ありがとう!それじゃ、行ってくるよ。」
そう言って手を振ると、コレイちゃんはレンジャーの小隊と思われる集まりに向かって足を走らせた。彼女はまさに森の女の子と言うべきか、その笑顔からは草木の芳しい香りさえするような気がした。きっと森に愛されてほしいなと、個人ながらにこっそり願う。そうしていると、ティナリから声が掛かった。
「それじゃ、僕たちも行こっか。」
「こうしてると、レンジャー長さまの時間を私が独り占めしちゃうのは罪な気がしてきたよ。」
わざとらしく落ち込んでみせると、ティナリは「なに言ってるのさ」と言いながら腰に手を当てた。その言葉の続きを乞おうと、視線を上げる。森の光に照らされた彼の姿は、その特徴的な耳や尻尾も相まって不思議に映った。
「僕からお願いしたことなんだし、レンジャーたちも僕がいないくらいでどうにかなったりはしないよ。…大抵の場合はね。」
昔、ティナリがいなかった時にレンジャーがトラブルを連発させたりしていたのだろうか。嫌な記憶の回顧をしたせいか、ティナリの耳もシュンと垂れ下がった。しかしすぐに切り替えのできる性格の持ち主ゆえ、一度瞬きをすれば、そこにはまたピンと元気に立った耳があった。
「へ〜、やっぱ統率を取る者の立場って大変なんだね。私にはできそうにないや」
「そう?君はそういうのに向いてそうだけどね。ほら、案外びしばし物事を言えるだろ?判断も冷静かつ正確だし。」
「ええ〜、そうかなあ…だとしても、自分のことで精一杯なのに他人の面倒や責任まで見てられないよ!ティナリはすごいね。今日は私の面倒も見てね。」
「最後の一言がなければ快く頷いたんだけど…」
一言多いのがモットーとでも言いたげな私のどやついた顔に、ティナリはわざとらしく肩を竦める。
「でもまあ、レンジャー長の名にかけて、道中の安全は保証するよ。」
「頼もしいね!それじゃ、さっそく行こうか!」
「そっちじゃないんだけど」
私がこんな調子だからか、ティナリが不安げに息をついてしまう。反省の意も込めて、私はなるべく従順に彼の指示に従った。未知なものに出くわした際には注意を払ったり、事前にティナリに聞くなどして、私なりに避けられる危険を避けない愚行は控えていた。それに、同じ間違いを繰り返すとティナリのお小言が心配だ。むしろ、そちらに対する恐怖の方が強いのかもしれない。
「着いた、ここだよ。山川草木が豊かだろ?ここは雨林の中でも風向や地形のおかげで暖かい気温を保ちやすく、かつ適度に雨も降るから色んな植物が育ち易いんだ。」
早速始まったティナリの雨林ガイドだが、私は長ったらしい授業のように飽きることなく、それなりに興味深い姿勢を示しながら聞いていた。たまに聞き返したり、感想を述べたりいると、「教え甲斐がある」なんて褒められたが、それはティナリの教え方が分かりやすくすらすら入ってくる故なので、やはり教師としては何日もの長があるんだなと再実感する。
「スメールローズはスメールの特産品として有名で、あちこちに生えていて馴染みがあるだろうし、それから行ってみようか。」
少し離れた場所から顔を覗かせる紫に、私は得意げに目を閉じて鼻を鳴らした。
「ふふん、知ってるよ。地脈マーカーとも呼ばれる植物だよね?」
「おっ、さすがだね。その通りだよ。」
ティナリに褒められたことにより気分が良くなった私は、得意げにしながらスメールローズの周りまで近づいた。しかしまあ、本当にスメールのスタンダードな植物であるので、生論派の本に目を通していると嫌でも覚えてしまう知識なのは間違いない。
花に近づくと、私はその近くを歩き回ったり、時にはしゃがんだりもしながら写真機を色んな角度で構えた。角度、遠近、写り…様々な要因を気にしながら、360°の中から最も的確なスポットを探った。暫くしてから、私の持つ写真機から軽快な音が鳴り響く。
「うん、まあまあじゃないかな。どう?」
撮った写真をひらつかせながらティナリに見せると、ティナリは満足そうな声を上げた。そしてすぐに私の隣までやってきて、撮影の所作を教わろうとしゃがみこむ。
「ほら、例えばここ…花弁が少し萎れちゃってる部分があるでしょ?時にはこういう暗さもインパクトとして必要だけど、今回求めているのは植物の美しさだから、これは手前にある草木などで隠したりするんだ。そしたら、ほら。写真全体が明るくなって、きらきらした感じが伝わってくるでしょ?」
熱意を持って語り終え、ティナリの方を見やると、その大きな瞳とぱっちり目が合った。表せない驚きを本能的に瞬きで表してから、彼に聞く。
「…ちゃんと見てた?」
「…ごめん。聞いてはいたんだけど…」
「もう!写真も見なきゃダメじゃない」
しょうがないな、ともう一度説明をしようと思ったが、それはティナリのとある言葉によって遮られた。と言うより、話が飛んで行ってしまった。
「仕方ないだろ、君に見蕩れてたんだから」
「…………………………は?」
驚いている間もティナリはただくすくすと上品に笑うだけで、その言葉の先を伝えようとする意思が見えないので、やむを得ずこちらから聞き返す。
「…何?口説いてるの?」
「さあ、どうだろう。でも、芸術について語る時の君は、いいなって思って。」
「……そっか………」
「うん」
「おお…」
ティナリのあまりに真っ直ぐな言葉に語彙を奪われていると、それに気づいているはずなのに彼は「次はザイトゥン桃にしよう。」と言って更に奥へと歩いて行った。しかし彼の様子が変だったのはその一時だけで、他は予定通りに淡々と写真を撮り終えることができた。一つ気になることがあるとすれば…
「…なんか今日近くなかった?私の気のせい?それとも、獣人の感覚ってそういうものなの?」
気が衒ってると思われないよう色んな疑問を挟みながら質問すると、ティナリはその大きな瞳を一度閉じて、開いて、答えた。
「そうかも。」
「そうかもって…はぁ、まあいいけどさ。」
カルチャーショック、と言うほどではないが文化の違いでその話を終わらせる。…つもりだったが、先を歩くと今度は彼に手首を掴まれた。決して痛くはない、けれどどこか固執さを感じる掴み方だった。
「…それってさ、君は僕が近くにいても、嫌じゃないってこと?」
「え?そりゃ…逆になんで嫌なの?」
ティナリの抱えていた疑問に、返ってこちらが疑問を浮かべる。近くにいると嫌って思われているのか?となれば別れは案外交友関係に対して慎重なのだろうか。しかし気持ちは分かる、そこそこ仲良くなってきた時期、かえって不安を抱えることには私も心当たりがある。そうして一人で納得していると、ティナリも納得したのか、「そっか」と言うと掴んでいた手をゆっくりと離した。
「急に掴んでごめんね。あとそこ、木の根が突き出てて危なかったから。」
「え?…うわっ、ほんとだ!危なかった…ありがとう」
「どういたしまして。」
手を掴まれた時は流石になんだか様子が変な気がしていたけれど、普通にレンジャーとして身を案じてくれていたのだと知るとそれはそれで気恥しさを覚える。帰路に着いている間のティナリのエスコートは、レンジャー長の名に恥じない、まさに安全としか形容しようがないものであった。
*
あれから私たちは、図鑑を作る上での参考文献を探しにスメールシティまでやって来た。知恵の殿堂は相変わらず静かで、知識を求む者のみが鳴らす靴音は心地よい。ありとあらゆる書籍を参考にしながら、ふとティナリが手を止めて私を呼び止める。
「ねえ」
「なに?」
書物から顔を上げティナリを見ると、彼は穏やかな笑顔で顎の前に両手を組んだ。そして、言った。
「単直に言うと、僕、君のことが好きなんだ。」
今は知恵の殿堂が閉まる直前で、人はそう居ない。それにしても、この場所で、こんな風に、こんな事を言われるだなんて、誰が思っただろうか。
「…あ、あ〜、やっぱり〜…?」
だのに私はさも分かっていたような返事をしてしまう。しかし実際、もしかしたらティナリは自分にそういう気があるのかもしれないとは思っていた。けれど最終的には、彼のような聡明な人に限ってそんなことはありえない!と自己完結したものだが、どうやら本当にもしかしたらしい。
「あははっ、君も鈍感じゃないから、さすがに気づいたか。君はどう?僕のこと、嫌い?」
「そこで『好き?』じゃなくて『嫌い?』って聞くのはどうなの!?」
要は彼が狡い男であるってことだ。「嫌いじゃないならいいじゃない」、でも何故だか、彼はそういうことを言いたいわけでもない気がする。
「分かってるよ。嫌いではないけど、異性として好きかって聞かれたらそうでもないんだろ?別に今承諾して欲しいわけじゃないから大丈夫だよ。」
「うっ、その通りですが…それじゃあ、ティナリは私にはどうしてほしいの…?」
相手は珍しく気の合う友人だ。もちろん関係を壊すなんてことはしたくないし、彼に悲しんで欲しくもない。そもそもなぜ彼のような聡明な人が自分なんかに心打たれたのかも全く持って分からないが、私はただそう聞くしかなかった。
「別に、何もしなくたっていいよ。君を惚れさせるだけだからね。」
「…随分大胆なこと言うね。もしかして簡単な女だと思われてる?」
「そんなわけないだろ。だからこそ僕も、そろそろ本気を出さないと。」
いつもより幾許か真剣に光ったその眼差しを認識し、彼がそっと私の方へ手を伸ばした瞬間_______
「お、お取り込み中のところ大変恐れ入りますが、既に閉館時間が過ぎているので、速やかに退出してくれるととても助かります…」
「「…」」
友人からの告白も中々に気まずいものではあるが、その場面に割り込むのはそれ以上に気まずいと言えるだろう。「お取り込み中のところ…」と言われる際に本当にお取り込み中な時ってあるんだ、なんて思った。そう思っていたから、ティナリが私になにかをしようとしていたことも、すっかり忘れていた。
「すみません、すぐに出ていきます。」
「夜遅くまでお疲れ様です〜…」
「いえいえ、では、私はこちらで…」
そこから二人は無言でせっせとお互いの持ってきた荷物や借りた書籍、調べた資料を纏めていた。その無言は気まずさ所以というよりは、お互い今後の方針について考えていたのだろう。
知恵の殿堂の外に出ると辺りはすっかり暗くなっていて、人通りも少なくなっていた。明日も滞在する予定のため私はティナリが用意してくれた彼と同じ宿に帰る訳だが、どうもこれ以上先を踏み出せない。物理的にも、心理的にも。
「そんなに緊張しないで。今日はなにもしないから。」
「ひ、ひぇ…怖…」
「あ、そうそう。逃げようなんて思わない方がいいよ、レンジャー長の情報収集能力を舐められては困るからね。」
「て、徹底的に口説かれろと…?」
「ん」
返ってきたティナリの笑顔は楽しそうなものだったが、私からして見れば穏やかとは全くかけ離れていた。雑談をしながら宿に向かっている最中も、私は考える。ティナリのことは好きだ。しかし恋愛的にかと言われると"そうじゃない"ではなく"分からない"ことに頭を抱える。普段は厳しいけれど、褒めてくれる時は優しい兄のようで、面倒見も良く人柄も良い…もちろんそんな彼に惹かれないわけもないし、今まで興味のない男性に好意を抱かれた時のような不快感も、ティナリならない。だからこそ、これまでにないくらい頭を悩ませていた。
「ほら、着いたよ。部屋の鍵ちゃんとあるよね?」
「うううぅぅ〜〜分かんない〜〜!」
「何意味の分からないことを唸ってるのさ」
「あなたのせいですけどね!!あと鍵は持ってる!!」
「そう、それならよかった。」
そう言ったティナリの表情があまりに愉快そうなものだから、今こうしてティナリのことで頭がいっぱいになっているという事実すら彼には計算内で、喜ばしいことなのかもしれない。それになんとなく気づいた私は「うぐぐぐ…」とティナリを睨んでみせるが、彼はまたあの上品な小笑いを繰り返すだけだった。
「それじゃあ、おやすみ。…明日から覚悟してね」
部屋に戻る直前、こっそりと深夜の密会のように耳打ちされれば、人間が恥ずかしさにわなわなと震えるのは当たり前のことだ。兎角、本番はここかららしい…
ところで獣人はヒト科なのだろうか…
追記:
なんとなんと、ルーキーランキング35位にお邪魔してたみたいです…!恐縮ながら感謝の意をこの場を借りて述べさせていただきます。皆さま本当にありがとうございます。続編もよかったら楽しんでいってください!