第2話 王なる者の古の鼓動

1:新しい力(1)



 生暖かい、甘ったるい風に、セミショートの癖毛が揺れる。蒼い瞳は、サイト越しに獲物を睨んでいた。


 吸血鬼の男の襲撃から二週間ほどが経過した夜。燈真はすっかり日課になった魍魎狩りに勤しんでいた。


 火薬の爆ぜる撃発音とマズルファイアが立ち上り、硝煙の香りが漂う中、燈真はより洗練された射撃スタイルを取っていた。CARシステム、と呼ばれるものだ。


 目標に対し体を横に向け、肘を曲げて銃を体の方へ引きつけて保持する。左手で右手を包むようにし、意図的に片目を潰すように銃を構える。


 様々な利点があるが、燈真にとっての一番の利点は即座に白兵戦闘へ切り替えられるというところが大きかった。


 今日も今日とて、魍魎は出る。年々増加傾向にあったとはいえ、ここ五年の出現率の高さは異常を言わざるを得ないというほどらしい。


 燈真はこの二週間の間にもともと持っていたのか、それとも戦鬼の心臓を受け継いだことで覚醒したのか、とにかく戦闘の才能を開花させ、射撃の腕も好調に上がっていた。


 今では目を瞑っていても――は流石に無理だが、十メートル圏内の相手であれば多少動いていてもヘッドショットを決められる。


 大型犬のような魍魎にヘッドショットを決めて倒していき、壁の向こうから飛び出してきた人型に一瞬息を飲む。


 驚いたわけではない。M・O・Wかと思っただけだ。だがよく見れば違うとわかった。


 そいつはM・O・Wが持っていた嫌悪を抱くほどに人間に近い外見ではなく、明らかに人の形を逸脱した化け物だった。


 胴は一つだが頭部は二つあり、まるでオカルトサイトで読んだリョウメンスクナのような見た目をしている。


 それらがわらわらと湧いて出てきて、燈真は弾切れした銃を弾倉交換し、どちらの頭を狙えばいいんだ? と僅かに迷った末、両方撃てばいいと単細胞の本領を発揮し、二つの頭を撃ち抜いた。


 音速で飛翔する九ミリ弾がリョウメンスクナの二つの頭部を穿ち、霧散させていく。燈真は内心よし、と快哉を叫びながら続けざまほかのリョウメンスクナにも銃弾を浴びせていく。


 確実に数を減らすリョウメンスクナに、もう一人の闖入者が飛び込んでくる。


 波紋のない漆黒の無刃刀を手に握る五尾の妖狐、稲尾椿姫だ。


 風になびく白い髪と、先端が紫になった尻尾。


 突然現れた妖狐に、しかしリョウメンスクナは動物めいた勢いで彼女に殺到。


「そこに立つな! お前にもあたるだろうが!」


「なんのための力よ。使いなさい。それに慣れるために戦うんでしょう、今日は」


 そう言えばそうだったか。


 燈真は「やれやれ」とため息をつき、安全装置をかけて撃鉄を下ろした拳銃を腰のホルスターにしまうと、鼓動を意識して熱量を加速させる。


 渦巻く奔流が鼓動とシンクロしたとき、燈真の右の額からめきりと、蒼い脈の走ったグラファイトのような物質で出来た角が生えた。


 異変はそれだけにとどまらない。燈真の右腕前腕がグラファイトを思わせる、けれど光沢のないマットな装殻に覆われ、異形のモノを形成する。


 燈真はその戦鬼化した――とこの状態をそう呼んでいる――腕から、剣を生やした。


 柄を握るようにして握りしめた拳から幾筋もの管が走り、それが絡み合って巨大な剣を形作っている。それもまた角と同じ質感で、蒼い脈が走っていた。


 刃渡りだけで百六十センチはあろうそれは、常識的に考えれば生身の人間に振るえた代物ではない。


 しかし燈真は半人半妖。戦鬼の心臓を受け継ぐ存在だ。その膂力があれば、これだけ大きく重い剣も容易く扱える。計ったことはないので具体的な重さはわからないが、体感で三十キロ以上はあるだろうと思う。


 燈真に剣道の経験はないため、当然扱う剣技は我流だ。けれど柊曰く、筋は悪くない、らしい。


 燈真は柄のように伸びた筋――面倒なので柄と呼んでいる――に左手を添え、リョウメンスクナの群れに突っ込んだ。


「おぉらぁッ!」


 三体をまとめて斬り飛ばし、燈真は剣のスラスターから噴き出す推進力――蒼い波動を操る妖術・〈波浪衝濤はろうしょうとう〉の勢いで剣の振り抜いた姿勢を強引に戻すと、飛び掛かって来た一体に剣を斬り上げ、薙ぎ飛ばす。


 燈真は飛び上がって壁を蹴り上げ、戦場を俯瞰する。


 迷路のように張り巡らされた模壁鬼もへききに、点在する魍魎がこちらに集まってきている。都合がいいと言えば都合がいい展開だ。


 燈真は着地ざま目の前の一体を脳天唐竹割に斬り割り、群がるリョウメンスクナをその場で回転して斬り飛ばす。


 黒い靄が散り、燈真は次から次へと迫るリョウメンスクナに舌打ちする。


(一体、人間の欲望ってのはどこまで際限のないものなんだ?)


 呆れてものも言えないとはこのことだ。実際、言葉に出すのも疲れるほどだった。


 ところで、魍魎はときどき武器を持つことがある。


 そうしたものを夜廻りたちは飾り気なく『武器持ち』と呼ぶのだが、これはなかなか馬鹿にできないもので、元となった思念体の核にその武器を使ったことのある記憶が染みついていることが多く、かなり上手い使い手であることが大半だ。


 また通常種は白羊しろひつじと言われているが、中には人の思念のを色濃く反映した黒羊くろひつじ、そして人格すら獲得した羊飼ひつじかいまでいる。


 当然白より黒が、黒より羊飼の方が圧倒的な戦闘能力を有している。


 幸い今日は今のところ全てが白羊だ。こればっかりは事前にわかるものではないので、ぶっつけ本番で確かめるしかない。


 幽世はあらゆる通信を遮断してしまうため、ドローンを飛ばして事前に情報収集、と言ったようなことができないのだ。


 雑魚をあらかた蹴散らした燈真と椿姫は周囲に気配がないかを探った後、口を開いた。


「残るはデカブツ一体、ってところか」


「ええ。雰囲気からして恐らくは黒羊」


「わかるのか?」


「なんとなくだけどね。妖狐は感知能力が高いから」


 便利だな、と燈真は思った。



2:新たな力(2)



 鬼の壁打ちで迷路のように張り巡らされた幽世内の、比較的開けた空間。幽世は元となった土地の風景を色濃く残す性質があるので、そこはアスファルトで路面を覆われた路地裏の雰囲気をそのままに残していた。


 燈真は腕から生えた生理的嫌悪を感じさせるほどに生々しい、剣というよりは生体器官と言った方がしっくり来るような巨剣を肩に担ぎ、燈真は気配とやらを探る。


 漠然と嫌な予感がする、という程度の感覚しかわからないが、次第にそうしたものを必要としない、はっきりと近づいてきているとわかる気配が耳朶を震わせた。


 足音だ。


 ずん、ずん、と振動を伴う足音が迫り、燈真は上唇を舐めた。


「これはまた随分な化け物っぷりで」


「二週間も経てば、軽口を叩くくらいの余裕はできるのね」


「嫌味かよ」


「べっつにー」


 椿姫は可愛い弟を取られたことを根に持っているのか、少し燈真に冷たく当たる節がある。


 壁の向こうから現れたのは、巨大なサソリのような生物だった。


 八本の足に長い尾。


 そこまでならまだただのサソリだが、通常のサソリとは異なるのは、頭部から人間の女性の胴体が生えていることだ。全体が黒いこと、そして瞳が独特の、白目が黒に、瞳が金になったところはほかの魍魎と同じだ。


 全高五メートルにも達するサソリ女は本来なら腕が生えている場所に肉厚な鋏を持ち、それを打ち合わせて威嚇するように鳴いた。


 燈真は左前腕を装殻で覆い、即座に筒に変える。昔の横スクロールアクションゲームの主人公のようだ。


 これを燈真は手砲しゅほうと呼んでいた。放つ砲弾は、当然妖術の〈波浪衝濤はろうしょうとう〉だ。


「〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉――行けッ!」


 放たれた蒼い波動砲弾が直進し、サソリ女に激突。熱を伴わない衝撃波だけの爆発が巻き起こり、黒い殻皮が弾け飛ぶ。


 初弾は命中。燈真は距離を詰められる前に浴びせられるだけ〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉を撃ち込む。


 爆音が幽世を揺らし、燈真の呼吸が少し荒くなり、額に汗が浮かぶ。涼しい田舎の夏の夜は半袖でいればそれほど汗をかくこともないのだが――実際夜も扇風機なしで寝られる――、ここまで激しく動くと発汗は避けられない。


 サソリ女は鋏を盾にして爆撃を防ぎ、距離を詰めるとその鋏を鎚のように振るった。


 頭上から迫るそれを燈真は横に跳んで躱し、細い足目掛けて巨剣を薙ぐ。


「硬いな」


「当然でしょう。あれだけの巨体を支える足なんだから」


 椿姫は紫の炎を纏った無刃刀を振るい、燈真が与えた掠り傷を二度打ちする形で斬り込む。


 深く斬り込んだ。椿姫の〈千紫万劫せんしばんこう〉は凄まじい温度を生み、それが纏わりつく刀はどんなに硬いものでも容易く斬り裂いてしまう。


 とはいえ大型の魍魎相手に一撃必殺は流石に不可能であり、小さな傷を少しずつ加えていくことしかできない。


 サソリ女が邪魔だと言わんばかりに回転しながら尾を振るった。


 椿姫は転ぶのではないかというほどの低姿勢で回避し、燈真は跳躍。


 落下ざま、燈真は巨剣を振り下ろす。


「〈波動斬はどうざん〉・ファイア!」


 スラスターからいぃん、とジェットエンジンめいた音がして波動が吹き荒れ、剣の速度と威力を跳ね上げる。


 鋏を交差して受け止めるサソリ女だったが、鋏にぴしりとひびが入った。


 サソリ女の注意が燈真に向いている隙に、椿姫は耐熱合金製の鞘に納めた刀を、天を閃く雷光の如き速度で抜いた。


「〈狐閃雲耀剣こせんうんようけん〉!」


 刀身から炎を噴射し、その速度で抜く神速の抜刀術。鞘はカタパルトの役割を果たし、外気に曝された刀身は全てを斬り裂く刃となる。


 椿姫が学ぶ狐閃一刀流こせんいっとうりゅうの奥義にして、神髄。


 抜き放たれた無刃刀はサソリ女の右足二本を纏めて斬り裂き、両断。サソリ女が姿勢を崩した。


 が、それも一瞬のこと。


 靄が収束したかと思うや否や、新たな足を形成して傷を治癒させる。


 無造作に鋏を振るい、燈真はガード。巨剣の腹で受け止め、地面を踏みしめてノックバックを最小限にとどめる。


 その隙にサソリ女は剣のような尾を椿姫に向かって振り下ろす。


 風切り音がして尾が地面に突き刺さり、躱されたとわかるや即座に振り下ろす。連続で尾が振るい落とされ、椿姫はそのことごとくを避けていく。


 弱点の心臓を潰さない限りらちが明かない。


 燈真は地面を蹴って女の胴体に刺突を放つ。刃物、というには万人が想像するであろう形を大きく逸脱した巨剣が真っ直ぐに胸を狙う。


 サソリ女は鋏でそれを受け止め、挟んだ。


「うおっ」


 巨剣を挟んだサソリ女はそのまま燈真ごと掴んだ得物を振り回し、投げ飛ばす。


 燈真は壁に背中から激突し、呼吸を阻害された。


 思わず痛みで浮かんだ涙を左手で拭い、椿姫を狙うサソリ女に手砲――〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉を撃ち込んだ。


 ちょうど剣に当たった波動砲弾は穂先を叩き折り、椿姫はその間隙を縫って再び鞘に刀を納める。


 サソリ女が足に力を籠め、回転。


「〈狐閃雲耀剣こせんうんようけん〉ッ!」


 それに合わせ、椿姫の居合術が弾ける。


 サソリ女が甲高い悲鳴を上げた。


 尻尾が半ばから斬り落とされ、バランスを崩したサソリ女が倒れ込む。


 魍魎は妖気からできているため、妖気が充満した幽世内では極めて高い治癒能力を持つ。とはいえそれにも限界はあり、サソリ女の治癒速度は目に見えて落ち込んでいた。


 立ち上がったサソリ女に、燈真は〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉を三発叩き込む。


 鋏でガードするが、装殻が飛び散り完全に防ぎきれているわけではなかった。


 椿姫が〈熔刀ようとう紫炎しえん〉を発動した無刃刀で足を切断。姿勢維持をできなくなったサソリ女は、それでもなお立ち上がらんとしたが、そこまでだ。


「仕上げだ」


 跳躍し、燈真は大上段に巨剣を振りかぶる。


「〈波動斬はどうざん〉・バースト!」


 ファイアの凡そ三倍の勢いでスラスターが波動を噴き、サソリ女は慌てたように鋏を上げて胴体を守る。


 巨剣と鋏が激突し、歯が軋るような背筋がぞわりとする音を立てた。


「おおぉおおおあああああッ!」


 砲号に呼応するようにスラスターが轟然と唸り、鋏に亀裂。


 構わない。このまま斬り砕く!


 鈍い破砕音がして、交差していた鋏が粉々に砕け散った。


 守る術を失ったサソリ女は、魍魎でも恐怖を感じたりするのか、大声を上げて威嚇する。だが、今さらそんなことをされても寒々しいだけだ。


 燈真の巨剣が頭部から胸、腹、下腹部、そしてサソリ本体に抜ける。


 着地し、巨剣を血振るいすると、サソリ女の巨体が靄になって消えた。


 壁が霧散し、赤い月が輝きを失い、帰ってきた元の青白い月光が照らす風景は、魅雲村の寂れた路地だった。


「流石九尾に比肩されるだけの妖怪ね」


「半分は人間だけどな」


「吸血鬼が輸血して、仲間を増やすみたいな感じかしら? 吸血鬼も純血とか半純血とかあるみたいだし」


「さあな」


 燈真は角と装殻を収め、火照った体に涼を取り入れようと、シャツの胸元をばたばたと扇いだ。


「帰りましょ」


「ああ」


 椿姫はまだ免許がないので――というかまだ十五歳なので教習所にも行けない――通学用の自転車に跨り、燈真はフルフェイスヘルメットをかぶって愛車にしたアドベンチャーツアラーのエンジンを始動する。


(もう少ししたら、学校だな)


 謂われない暴力事件の犯人に仕立て上げられ、教師・クラスぐるみの見て見ぬふりをされた燈真は、正直学校は乗り気ではなかった。


(妖怪の学校だし、人間の学校よりましだといいんだけどな)


 燈真はアクセルを開き、帰路についた。



3:尻尾キラー



「こゃー」


 玉藻狐の鳴き声がして、燈真はまだ眠い目を擦った。


「おはよ、玉藻狐様」


「おはようございます、燈真様」


 呆れたため息をつき、燈真はベッドの上で腹筋運動の要領で上体を起こす。


「お前な、いい加減諦めるってことを学べよ」


 半眼になった燈真の視線の先には、麗艶な佇まいでミラが立っていた。手には針と救急箱。


「ここまで惑わせる燈真様の血が悪いのではないかと思われますが」


「俺が悪いのかよ……」


 燈真はもう一度、ギネス記録に挑戦するような人間の限界であるようなため息をついて、ばりばりと頭を掻いた。


 言っても無駄だ。大人しく、指を差し出す。


「失礼致します」


 ミラは燈真の右人差し指にぷすりと針を突き出すと、自主規制をすべき音を立てて血を啜った。わざとやっているのではないか、というほど音が出る。


 意味もなく防音性の優れた家であるため部屋の外にこの卑猥な音が漏れることはないだろうが、いい気分ではない。


 ミラが満足する頃には、燈真の心は疲れ切っていた。


「もういいだろ」


 まだ指をしゃぶりたそうなミラの頭を掴んで引き離すと、救急箱をひったくって、すっかり慣れた応急処置を済ませる。


 戦鬼の力を解放しているときには馬鹿げた治癒力を発揮するが、そうでないときの代謝能力は常人のそれとそう変わらない。それでも傷の治りは早くなったし、身体能力も上がった、と実感できるほどだが、それでも戦鬼のときと比べると児戯に等しい程度のことだ。


「傷が治るのなら、いっそのこと喉笛を……」


「ほんとにやめろよ」


「冗談ですよ」


 くすりとミラは笑うが、一瞬本気に近い色が見え、燈真はうんざりした。


「着替えるから、女どもは出てろ」


 燈真はミラと玉藻狐――玉藻狐も雌だ――を部屋から追い出し、収納スペースに置いた衣装ケースから部屋着兼外歩き用のTシャツとジーンズを取り出し、寝汗を男用の消臭シートで拭ってから着替える。


 夜廻りと正式認可されたその日から渡されるようになった二枚組のドッグタグとライセンスを入れたパスケースは肌身離さず持つ。銃や手榴弾は最悪無くても戦えるが、これらがないといざというときに困ることになる。


 一階に下り、歯を磨いてから居間に入る。すると早寝早起きを信条とする竜胆はもう部屋にいて、上座の左側の二番目に座って燈真のことを待ち構えていた。


「こっちこっち!」


「はいはい」


 二本の尻尾をぱたぱたと振るわせながら燈真を呼ぶ幼い妖狐に従い、上座のすぐ傍に腰を下ろす。普通こういうところは偉い人が座るものじゃないのかと思うが、妖怪屋敷にはそういう堅苦しい礼節はなかった。


「燈真様、朝のコーヒーでございます」


「ありがと、オズワルド」


 オズワルドが運んできたブラックコーヒーを口に入れ、豆の芳香を味わうように苦味のある温かい液体を口の中で転がす。


 コーヒーをブラックで飲むなんて、と今まで思っていたが、淹れ方が良ければブラックも悪くない、と燈真は思うようになっていた。


「とーま、もふもふして」


「わかったよ」


 竜胆が寄りかかって来て、尻尾を押し付けてくる。燈真は指の間からとろけて零れていきそうなほど柔らかい尻尾を撫でたり、掻きまわしたり、とにかくもふもふする。


 玉藻狐や竜胆の反応を見るに、どうも燈真のもふもふテクニックは相当高いらしく、かなり好まれる傾向にあった。


「私にもやってくれよ」


 と、そこに朝のシャワーを済ませたフランがやってきた。あちこち跳ねた茶髪をタオルで乱雑に拭いながら、燈真の傍にどっかりと男らしく座り込み、尻尾を差し出してくる。


「お前らにとって尻尾ってのは人間の女で言う胸なんだろ? 見ず知らずの男に触られて嫌なじゃないのか」


「家族だろ? そう固いこと言うなよ。それともなに? 私に惚れてんのか?」


「誰がお前みたいながさつなやつなんか好きになるか」


 返しながら、燈真は左手で竜胆を、右手でフランの尻尾をもふもふする。


「ほー、なかなか上手いじゃん」


(なんなんだこの状況は……)


 まさか自分に尻尾キラーの素質があったとは。


 そこにちらほらと住民が顔を出し、朝食が始まった。さんまの塩焼きに豚汁、出汁巻き卵にニンジンとほうれん草の胡麻和え。燈真は大きなお椀に山盛り一杯の白米を完食し、まだもふってくれと甘える竜胆の相手をした。


「燈真様、食後のコーヒーはどうなさいます?」


「キャラメル・マキアートに、生クリームとチョコチップを乗せて」


「かしこまりました。椿姫様は?」


「アイスココア。よろしくね。竜胆はオレンジジュース?」


「うん!」


「わかりました、今お持ち致します」


 オズワルドが一礼して去っていく。


 竜胆の隣、燈真の一つ向こうに座った椿姫が、


「それ、食後のコーヒーじゃなくてデザートでしょ」


「いいだろ、別に。こういうときに贅沢するために普段頑張ってんだから」


 実際、燈真の体重や体脂肪率などは変化していないし、ほぼ毎日血を飲むミラも燈真の血の味が変わったと言ってない。血糖値にも変化はないのだろう。


 椿姫が竜胆の尻尾をもふろうとすると、竜胆は明らかに嫌がって燈真の傍に逃げる。椿姫が親の仇でも見るような目で燈真を睨んだ。


(俺がなにをしたって言うんだ)


 しばらくしてオズワルドがオーダーした飲み物を持ってきた。


 礼を告げてから燈真はキャラメル・マキアートを一口啜った。キャラメルソースの甘みが口いっぱいに広がる。


 そのときなんとはなしに見ていたテレビから、声が聞こえた。


「速報です。昨夜未明にここ、ルーマニア、トランシルヴァニア地方で発生した市民の一斉暴徒化事件に進展がありました! 現地警察の活躍により事態は沈静化しましたが――」


「どこもかしこも忙しいな」


 燈真は他人事のように――実際海の向こうの出来事など他人事だ――呟いた。



4:ブラックシープ(1)



 その日も、夜廻りの仕事があった。時刻は午後十時四十二分。薄く雲のかかった月が光をはなち、木々が織りなす葉叢を照らしている。


 ここ五年で急増した魍魎被害は前例のないことであり、村の夜廻り衆総出でどうにか対処できているという状況だ。ここにしか現れない魍魎とはいえ、村が滅べば――夜廻りがいなくなればどこまで被害が増えるかわからない。


 ここが分水嶺だ。万が一にでも溢れ出る濁流が人間社会へと紛れ込めば、世界的な混乱は避けられない。


 別に人間社会がどうなろうと燈真の知ったことではない。大切なのはここで暮らす新しい家族だ。


 燈真はバイクを山道に停め、エンジンを切ってキーを抜く。


「椿姫、どうだ」


 タンデムシートの後ろに乗っていた椿姫がフルフェイスヘルメットを脱ぎながら答えた。


 本来バイクの二人乗りは免許取得から一年後に許される行為だが、燈真は夜廻りライセンスの権力を使って、公的に許しを得ていた。職権乱用気味な気がしないでもないが、即時対応ができなければなんのための夜廻りかわからない。


「大きいのが一体いる。ここからでもわかるってことは、多分、黒羊だと思う」


「話には聞いてたけど、初めての相手だな」


「今までの相手と同じだと思わないでね。まあ、九尾並みの妖怪の心臓を持ってるあなたならそれほど過敏になる必要はないけど」


「数は?」


「それなりの規模の群れ。普段なら小さい幽世を形成するだけで精一杯。とはいえこうしてそこそこの規模の幽世を形成しているくらいだからね、やっぱり大物は黒羊よ。武器持ちである可能性もある」


 燈真は頷き、角を解放。右の前腕を戦鬼装殻で覆い、巨剣を形成させる。三十キロ近いそれは、普段の状態では持ち上げられても振り回すには相当のスタミナを使うが、今ならそこらの棒切れのように容易く振るえる。


 幽世化している領域付近には妖気が漏れるため、感知能力の高い妖怪ならどこに幽世があるのかを察知できる。村役場には超感知能力を持つ妖怪が複数勤めており、夜廻りに連絡を入れ派遣させる。


 明確な境目がないので目に見えてわかるものではないが、幽世内に入るとあの生暖かく甘ったるい雰囲気が肌に纏わりつき、見上げると月が血のように赤く染まっている。


「さて、どこだ」


 魍魎はさほど頭のいい存在ではない。黒羊も羊飼も人を襲う能力――つまり戦闘能力には特化しているが、獲物と狩人を判断できるほどの知能はない。自分の領域に獲物が入ったとわかれば、すぐに襲い掛かってくる。


「お出ましよ」


 椿姫は〈千紫万劫せんしばんこう熔刀ようとう紫炎しえん〉を発動し、漆黒の無刃刀に紫の火炎を纏わせる。


「気味の悪い……虫か、こいつらは」


 現れたのは、八本の節足を持つ、蜘蛛のような魍魎だった。


 だが節くれだった節足は足ではなく、人の手だ。膨らんだ腹部に連なる頭は苦悶の表情で塗り固められた人の顔をしていて、金の瞳をこちらに向ける。鋏角の代わりに生えた人間を思わせる歯が並んだ口を鳴らし、威嚇。


識別名コード、マヌスね」


「魍魎に名前なんてあるのか?」


「知らなかったの?」


「ああ。マヌス、ってのは、確かラテン語で手を意味するんだっけか」


 椿姫は「へえ」と鼻息を漏らす。


「なんだよ」


「一見無教養そうに見えて、そういう知識があるんだなって思っただけ」


「漫画とかゲームとかが知識源だよ。まじめに勉強したのは高校入試の三ヶ月前くらいからだったな」


 無駄口を叩いている間に、マヌスというらしい魍魎が迫ってくる。燈真は銃を使おうかとも思ったが、わざわざ戦鬼化を解いて使うほどでもないし、戦鬼の力が使えなくなったときのことを考えて銃は温存しておくことにした。


 人と虫の相子のような外見の魍魎が二十ほど。


 カエルじみた跳躍で飛び掛かって来たマヌスに、燈真は巨剣を下段から脳天へ斬り抜けるように振り上げた。剣術において逆風さかかぜと呼ばれる斬撃だ。


 血が飛び散るが、マヌスの生命反応が途切れると同時に返り血も振り撒かれた肉片も靄となって消滅した。


 マヌスが鋭い爪を閃かせ、燈真の首を掻かんと腕を振るう。燈真は巨剣の柄に形成したナックルガードでその一撃をいなした。盾とは真正面から防ぐのではなく、角度をつけて攻撃をいなしたりするのが反撃に転じやすい。


 姿勢を崩したマヌスに巨剣を突き立て、右に回った一体を薙ぎ払い、左から腕を伸ばす手の蜘蛛に刺突を放つ。


 燈真が巨剣を力任せに振るう野性的な闘法をするのなら、椿姫は冴え渡る技で敵を圧倒する風になびくシルクのような、美しい舞踏のような戦法をしていた。


 決して力んでいるわけではない。全身が上手く連動し、力の流れが流麗であり、速いというよりは早い動きで敵を圧倒する。


 彼女が学ぶ狐閃一刀流は多数対一を想定した剣術であり、そして異形を狩ることに特化した狩猟の剣だ。才覚はあったとはいえ、昨日今日まで剣術のけの字も知らなかった燈真とは埋めがたい実力差がある。


 椿姫の演武じみた足捌きとどこに力を入れているのかわからない、風にそよぐ絹のような動きにマヌスは反応しきれない。


 無論、振るうのは剣だけではない。


 椿姫の蹴りがガードに使われたマヌスの腕を圧し折り、姿勢を崩させたところで上段から刀を振るい、断ち割る。


 剣術とは、剣を扱う術だけ・・を知ればいいというものではない。


 刀を失った際にも戦えるように、徒手格闘も学ぶ。


 よくフィクションでは刀を失った剣士は弱い、と描写されるが、実際にはそんなことはないのだ。それに椿姫には、〈千紫万劫せんしばんこう〉という妖術がある。


 妖術は生命力――つまり体力がものをいう。妖素という妖術を発生させるエネルギー元素を循環させるためにはそれに耐えうるだけの肉体が必要であり、ゲームのような『打たれ弱い魔法使い』というような妖術使いは現実には存在しなかった。


 椿姫の戦い方は手本にしたいほど上手いが、正直なところ参考になるかと言われれば答えは否としか答えられなかった。


 というのも、実力に開きがありすぎてなんのインスピレーションも湧かないのだ。才覚があるとはいえ、燈真はまだ夜廻りになって半月程度。何年もこの稼業に身を置いている先輩方には到底及ばない。


 と、群れを成していたマヌスの一体を始末したとき、戦闘音は止んだ。


「シニ、タク……ナイ」


 声。


 砂利を飲み込んだ、痰が絡んだようなだみ声がした。


「黒羊……」


 椿姫が呟く。脇構えに刀を取り、足を開く。


「シニタクナイ!」


 ぬばたまの闇から、巨体が現れる。


 牛の頭を持った、身長四メートルにも達する筋骨隆々の肉体をした魍魎。全ての異形に共通する黒い肉体と、独特の目。


「ミノタウロスね。やっぱり、武器持ち」


 ミノタウロスとは言い得て妙だ。確かに、牛頭の巨人にはその名以外に相応しいものはないだろう。


 牛頭は骨から削り出したかのような乳白色の大剣を両手に持ち、壊れたレコードのように繰り返し「シニタクナイ」と口にしながら、それとは相反する行動――攻撃に移った。



5:ブラックシープ(2)



 逆巻く風を纏いながら、視認も難しい速度で大剣が振るわれる。燈真はその一撃をナックルガードで防ぐが、覚醒して日が浅いせいか、それとも半人半妖の限界がここなのか、戦鬼の力を以てしてもその一撃は防ぎきれなかった。


 ばきん、と音がして護拳ごけんが砕け散った。角にも装殻にも神経は通っているようであり、鋭い痛みが脳まで駆け抜けた。


 それに加えて肉体に連なる器官が破壊された不快感か、それとも力が通用しなかったという驚愕からか、とにかくそうしたものがぞわりと肌を粟立たせ、燈真は舌を打った。


 即座に左前腕を手砲に変え、


「〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉!」


波浪衝濤はろうしょうとう〉の爆発系波動砲弾を撃ち出す。


 狙いは胸。


 ミノタウロスは右の大剣の腹でそれを受け止めると、左の大剣を中段に構えて突進。


 椿姫が即応し、伸びた腕に〈千紫万劫せんしばんこう熔刀ようとう紫炎しえん〉を発動した無刃刀を振り下ろす。


 知能を補うように発達したのか、それとも黒羊に加え武器持ちという特性からか、ミノタウロスは野生の獣のように危険を嗅ぎ取ると、体を捻って腕を庇う。隆起した背筋が刃を受け止め、斬り裂かれる寸前のところで旋転し、右の大剣を椿姫に向かって薙ぐ。


「ぐぅッ」


 椿姫は鎬でそれをガードし衝撃を逃がすように刀を泳がせるが、尋常ではない怪力を完全にいなすことはできず、二転三転地面を転がり勢いを殺した。


 即座にナックルガードを再生させ、燈真は斬り払った攻撃後の隙を突いてミノタウロスに袈裟懸けに斬りかかる。


 左の大剣が燈真の巨剣と激突。火花を散らし、構わず燈真は袈裟懸けで斬り下ろした刀身を返して刃を相手に向けると、右脇腹から左肩へと抜ける裏切上軌道に巨剣を振り上げる。


 防御は間に合わないと思ったのか、ミノタウロスは半身になって斬撃を避けた。薄く胸板を裂き、血の筋を刻む。


 しかし、燈真の予想は外れていた。


「シニタクナイ」


 ミノタウロスはガードできなかったのではなく、しなかったのだ。あえて一撃を受け、返す一撃で燈真を差し貫かんと左の大剣を突き出した。


「――――ッ!」


 貫かれた、と思った。胸筋を引き裂かれ肋骨を粉砕され、肺と戦鬼の力の核である心臓を破壊されたと。


「がはっ、……っぐ」


 違う。


 咳き込めるということは、呼吸ができるということ。呼吸ができるということは、肺があるということの証左だ。


 どうやら無意識に巨剣で刺突をブロックしていたらしい。


 皮肉にも、こういうときに小中学生時代の頃の喧嘩の経験が役に立つ。常勝無敗の喧嘩人生だったが、負けたことはなかったというだけで負けそうになったことは何度もあった。中にはナイフまで持つ馬鹿もいて、燈真は武器への対処法も本能レベルで獲得していたようだ。


 誇れるようなことではないので、生き残った喜びよりも呆れた思いの方が強かった。好きで喧嘩していたわけではない。両親の悪い所を合算したような、敵を作りやすい顔と複雑な家庭環境が作り上げた性格のせいで、そうならざるを得なかっただけだ。


 巨剣を杖代わりに立ち上がり、燈真が呼吸を整えている間、その隙を埋めるためか椿姫が果敢に斬り込んでいた。


 重量を全く感じさせない勢いで振るわれる大剣の合間を縫って、椿姫は上段霞の構えから一気に間合いを詰め、刺突を繰り出す。


「〈狐閃牙穿こせんがせん〉!」


 俗に縮地と呼ばれる一瞬で彼我の距離を詰める歩法からの突き。躱せる道理はない。


 ミノタウロスはそれでも心臓だけは守り、右胸でその一撃を受け止める。


「シニタクナイ!」


 叫びながら、椿姫を斬り裂かんと左右の大剣を振り下ろす。


「俺をハブるなっての!」


 そこに燈真が割って入り、巨剣で二本の大剣を防ぐ。ショートブーツが土にめり込み、膝を屈しかける。


「ぬぅ……ぐ、ぉぉおおお!」


 手負いの狼のような呻きを上げ、燈真は踏ん張る。


 椿姫が刀を引き抜いて下段から頭上へ抜ける跳躍斬撃。


「〈狐閃翔こせんしょう〉ッ!」


 ミノタウロスの左腕の肘から先が宙を舞った。


 軽くなる。


 燈真は右の剣を弾き、半歩の加速から抜き胴。


 しかし、武器持ちの黒羊は甘くなかった。


 腕を失ったことに混乱は来たさず、そうあるかのように設定されたプログラムをこなすように身を捻って回避。刃先が脇腹を抉るが、やつにとっては即座に再生させられる程度の掠り傷にも及ばない損傷だ。


 宙にある左腕が靄になって消え、即座にその靄が切断面に凝集し、腕を再形成。燈真はそれでも今の一撃に意味があると考えていた。


 なぜならやつは一つの得物を失ったからだ。


 離れたところへ大剣が転がり、ミノタウロスはそれを拾うかどうかなどという逡巡は素振りすら見せず、捨ておく。


 必ずしも剣は両手で握れば強く振るえるというわけでもないが、やつが持っているような力に任せて相手を叩き斬る剣に関して言えば、両手で振るえるとなれば威力は増す。


 燈真は巨剣のスラスターから波動を噴き出させ、滑空するような勢いで肉薄。時速にして百五十キロを超える勢いで総重量九十キロもの人間砲弾がミノタウロスに激突。


 巨剣と大剣がぶつかり合い、燈真の剣がミノタウロスの剣に亀裂を入れ、食い込ませる。


 そのままファイア。轟然と波動がえ、さらに巨剣が食い込む。


 燈真に押されて両手を塞がれたミノタウロスは怒りの雄叫びを上げた。


「〈劫炎紫龍ごうえんしりゅう〉!」


 椿姫が己が持つ〈千紫万劫せんしばんこう〉の中で最も最大にして、最も体力を使う妖術を発動する。


 凄まじい勢いで噴流する火炎で形作られた東洋の龍がミノタウロスに迫る。


 燈真は意図的に装殻を引っ込め、押しこんでいたミノタウロスをその勢いのままにつんのめらせる。燈真自身は姿勢を崩したミノタウロスの股の下から潜り抜け、〈劫炎紫龍ごうえんしりゅう〉の加害範囲から逃れた。


 紫炎の爆轟がミノタウロスを飲み込み、その全身を焼き、粉砕。未練がましく剣だけは必死に伸ばすが、その切っ先が燈真の鼻先に突きつけられる寸前、肉体が霧散した。


 不快感を催させる幽世特有の気配が遠ざかり、樹冠から覗く月光が青白いものへと戻る。


「はぁ……」


 我知らず、燈真は木によりかかって大きく息をついた。


「疲れたの?」


「そんなところだ」


「ま、戦鬼って言っても覚醒して日が浅いし、仕方ないわね。そのうち力の使い方にも慣れてくるわ」


「継続は力なり、か」


「そういうこと。さ、帰りましょ。汗かいたし、熱いシャワーを浴びたい」


「同感」


 燈真は呼吸を整え、角を収めて大きく伸びをした。緊張した筋肉を弛緩させ、都会にはない自然の緑の空気を味わうように深呼吸した。



6:王の血



 八月も中頃、ヒートアイランド現象で都市部が記録的な酷暑を迎える中、熱くはあるが出掛けることを躊躇うほどでもない気温の魅雲村の昼下がりには、人々が行き交っていた。


 夏休み中の魅雲高校の学生が小突き合いながら談笑し、ご婦人方が家事の隙間時間を使ってささやかな休息を取っている。その傍で小さな子供がはしゃぎ合い、底抜けに明るい嬌声を上げていた。


 そんな中をミラは目的もなく歩いていた。


 妖艶さを際立たせる赤髪に、ミステリアスな赤い瞳。燈真には半ば変態として認識されているが、血への執着を除けば、ミラはトップクラスのモデルでさえ裸足で逃げるような美貌とプロポーションを誇っている。


 血啖器を扱うために露出の多い、挑発的な黒革のコルセットにタイトスカート。銃を持ち歩いているので夜廻りとわかるのか誰もそんなことはしないが、武器を持てない都会でこんな格好をして出歩けば、痴漢と出くわすかもしれない。


 それは、こんな半ば世間から忘れ去られ、特殊な事情を持つ魅雲村だからこそできる自由な格好だった。


(さて、どうしましょう。燈真様と椿姫様は忙しいですし、私がいても邪魔になるだけですしね……)


 妖怪、だなんていう人間とは隔絶した存在だが、好き勝手できるわけではない。稲尾家はその役割――村の統制と、ほかにもなにかあるが、それは知らない――によって、国から補償金を出されているので働かなくても生きていける。


 だがその稲尾家で暮らしておきながら、家に泥を塗るような行いをすれば国からの信用は地に落ち一家揃って路頭に迷う羽目になりかねない。


 それに、ミラにとって稲尾家は恩義ある大切な家だ。命を賭して守ることはあれ、その家名を汚すようなことはできない。


(たまには、一人でスイーツでも堪能するのも悪くないですね)


 そうと決まれば、話は早い。


 ミラは大通りから小道に入ったところに居を構える喫茶店『八重霞』へと入った。村に数件ある喫茶店のうち、甘いものを食べるのならばここだと言われている店だ。


「いらっしゃいませ」


 糊の利いたワイシャツ姿の初老の男性が「お一人様で?」と訊いてくるので、ミラは微笑みを返して「ええ」と答える。


「カウンター席になりますが、よろしいでしょうか」


「構いません」


「では、こちらへ」


 テーブル席は満席。カップルとおぼしき学生、仕事中の主人の目を逃れて優雅なアフタヌーンティーを楽しむおばさまたちが雑談に興じながら、思い思いの甘味を口に運んでいる。


 ミラはふと隣を見た。


 こんな真夏だというのに、長袖の黒いパーカーを着こみ、フードを目深に被った男が座っている。


「ご注文は?」


 はっとして我に返る。


「アイスミルクティーと、そうですね……ティラミスを一つ」


「かしこまりました」


 男性は厨房にオーダーを告げると、精算するためにレジに向かった客の対応にミラの傍を離れる。あと二十歳若ければ、一夜限りの関係になっても悪くない、なかなかダンディな男性だった。


 しかし――


(冷房が効きすぎているというわけでもないのに、この男はなにを思ってこんな格好を)


 頭の中を見られたわけではないだろうが、隣の男が喉の奥を鳴らして笑った。


 男はフードを取り去り、素顔をこちらに向ける。


「久しいな、ミラ」


 赤い瞳。この男は吸血鬼。それも――


「……ダミアン」


 知っている男だった。


「数百年ぶりだな。そう、俺だよ。先日はお前のところのガキに邪魔されて、こんな使い走りをさせられる羽目になった」


「貴様が竜胆様を傷つけたのか。……殺すぞ」


 口調が崩れる。殺気は抑えたつもりだったが、比喩抜きで周囲の気温が下がった。


「そう怒るな。昔なじみじゃないか」


「よくもぬけぬけと……」


「しかし、昔と変わらないな。数世紀生きてきたが、お前以上の美人は見たことがない」


 ミラはこの場でなければ惨殺しているであろう男に向け、静かに問う。


「なんの用だ」


「アルカードの歴史を再建する」


「寝言は安い女を買ってからベッドで言え。ヴラドは死んだ。骸も封じた」


 ダミアンは喉の奥を震わす、ミラにとっては虫唾が走る笑いを漏らす。


「ニュースは見ているか? 昔に比べ、情報の伝達速度が向上した昨今だ。お前も耳に挟んでいるだろう」


「……トランシルヴァニア地方の市民の一斉暴徒化事件か」


「ああ。俺たちのM・O・W寄生体を使って混乱を起こした、というのが真相だ。そしてその目的は……」


「まさか……」


「そう、ブラン城地下に安置されたヴラド様の骸の回収だ。ここまで言えば、俺がここに来た理由もわかるだろう」


 ダミアンはチョコレートケーキを口に運ぶ。


「お待たせしました」


 ミラの前にアイスミルクティーとティラミスが運ばれてくるが、それには目も向けず、


「ヴラドの直系である私の血、か」


「そうだ。注射器一本分もあればそれでいい。本当なら無理やりにでも奪いたいが……九尾に目をつけられては面倒だ。それに、こんな平穏な村を戦場にはしたくない」


「どの口がそれを言う」


「強力しろ、ミラ。ギース様も、お前の帰りを待っている」


「断る。アルカードは滅んだ。私の親友であるガブリエラ・ベルモンドとエルフリーデ・ヘルシングがこの世から消し去った歴史だ。……リエラとリーデの願いを反故にするくらいなら……私は血も残さずこの世から消える」


「あの小便臭いガキ共か。ベルモンドとヘルシングには手痛くやられた……」


「諦めろ。そして二度と私の視界に入るな」


「何世紀も逃げ回って、平和惚けしたか。俺たちの狩人の血は、そこに刻まれた闘争の遺伝子は決して消えないし、黙らない」


 ダミアンはコーヒーを飲み干し、立ち上がった。


「ああ、そうだ。ギース様が、戻ってくるのならお前を嫁にしてやると」


「反吐が出る」


「……その態度、後悔するぞ」



7:襲撃(1)



 その日の夜、いつものように仕事を終えた燈真たちは、帰り道でバイクを走らせていた。山道から主要道路に入る直前、突然目の前に外套に身を包んだ人影が躍り出た。


「危ない!」


 椿姫が叫ぶ。燈真は咄嗟にブレーキを利かせ、バイクを捻って急停車。


「おい、なにしてる!」


 思わず怒鳴ると、人影は外套を脱ぎ捨て、突然襲い掛かって来た。


 腕から赤黒い長剣のようなものを生やし、あれがミラから聞いていなければ血啖器――つまり吸血鬼だとは気が付かなかっただろう。


 赤い瞳が闇で煌めき、燈真はついにそれが吸血鬼であることを悟る。


「どこかで見た顔だな」


「ああ。久しいな。俺はダミアン。覚えているか? 妖狐のガキの拉致は、お前のせいで失敗した」


 燈真の中に勃然と怒りが湧くのをどうすることもできなかった。


 瞬時に腰のホルスターに手を伸ばし、拳銃を抜く。即座に安全装置を外して遊底を引いて初弾を装填。撃つ。


 制動しつつ連射。撃ちまくる。だが以前の焼き増しというべきか、ダミアンに銃弾は当たらない。ゆらりと幽霊のような歩みで射撃を回避していく。


 一つ舌打ちし、燈真は残弾の残った拳銃を安全装置をかけてハンマーを下ろし、ホルスターに戻すと、戦鬼の力を解放する。


「二対一だ。諦めろ」


「おっと、覚醒初期とはいえ戦鬼に加え妖狐相手に一人で挑んだりはしない」


 そのとき、木陰からわらわらと四つの影が現れる。


 形勢逆転。五対二。


「椿姫、音頭を取ってる馬鹿は任せる」


「わ、わかった」


 なぜか上ずった声で返した椿姫をいぶかしみながらも、燈真は可能な限り殺さぬように角の解放にとどめ、拳は装殻には覆わずに四人と対峙する。


 長身の女と太った男、チビな男に痩せさらばえた男。


 燈真は最も近くにいたチビに一息で間を詰めると、鳩尾を狙って拳を打ち出す。


 チビは腰から鞭――サーペントタイプの血啖器を生やすと、燈真の拳を弾性で富むそれで受け止めて勢いを殺す。


 一対のサーペントは片方が燈真の拳を、もう片方が燈真の首を圧し折らんと迫る。燈真は首に伸びてきたそれを左手で受け止め、引っ張り合いに持ち込む。


 と、長身の女が背中からレイヴンタイプの血啖器を発現させ、棘のようなものを射出。燈真は咄嗟の判断でチビを引き寄せる。


 思わぬ怪力につんのめったチビの体に棘が突き立つ。治癒力に優れる吸血鬼とはいえ、これだけの傷は戦闘不能レベルだろう。胸に、腹に、太腿に棘が突き刺さり、大量の出血。


 燈真はチビに拳銃を向け、安全装置を外して撃鉄を起こす。


「抵抗するなら仲間を殺す」


 端的に言えば、脅しだった。


「やれば? 無駄だけどね」


「出来ないと思うのか。お前らは俺の家族を傷つけた。ミンチにして親子供にその肉を食わせてもまだ腹の虫がおさまらない」


 脅しではあったが、嘘ではない。燈真は照準を頭部から外し、太腿に向けると一発弾丸を放った。


「それで?」


 女は悠然と、デブとガリは半笑いを浮かべている。


(こいつらに仲間意識はないのか?)


 そう思った刹那、ドムッとくぐもった音がチビからした。


 何事かと思って目を向けると、チビの眼球が左右バラバラの方向を向き、耳と鼻からどす黒い血をこぼしていた。


「私たちの脳には超小型爆弾が仕掛けられてる。任務に失敗するか、気密が漏れかねないほど負傷すると作動する。脅しは、無意味よ」


 舌打ち。燈真は女に銃を向け発砲。


 レイヴンを盾にして銃弾を防いだ女は、距離を置きながら燈真に棘を放つ。


 どの道、最終的には殺すことになるのなら、意味もなく博愛主義やヒューマニストを気取る必要はない。


 燈真は最も得意とする得物である戦鬼装殻の剣を形成。ただし相手が人型なので、大型魍魎に対処するための大きな巨剣ではなく、刃渡り七十センチ弱のナックルガード付きの直剣を作り出す。そうして左前腕は手砲に変えた。


 直剣でハウンドタイプのデブとガリの剣を弾き飛ばし、遠距離から鬱陶しい棘を放つ女に波動砲弾――〈連爆波動砲れんばくはどうほう〉を放った。一撃あたりの威力は〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉に劣るが、速射性能は高い。


 あの男――ダミアンが諦めずに攻めてきたら、という可能性を考えていた燈真は、事前にミラから吸血鬼との戦い方を学んでいた。


 レイヴン型は中距離、遠距離からの援護射撃を得意とする吸血鬼であり、チームに優れたレイヴンが一人いるだけで総合した戦闘能力は飛躍的に向上するが、接近戦には極めて脆弱だという。


 それを補うのがハウンドであり、剣や籠手をはじめとする近接攻撃手段で動きを封じ、レイヴンやサーペントからの決定打を打ち込ませる隙を捻じ込んでくる。


 サーペントはレイヴンやハウンドほど特化した性能はないが、その分万能に戦えるため一対一であれば極めて厄介だという。


 そういう意味では、初撃でサーペント使いのチビを倒せたのは大きい。


 女は〈連爆波動砲れんばくはどうほう〉を凌ぎつつ、それでも完全には防ぎきれていない。翼状器官で受け止めきれない爆風が皮膚を斬り裂き、出血させている。


 レイヴンは打たれ弱い、という弱点がある。ハウンドは耐久力は高いが治癒力が低く、サーペントが一番治癒能力に秀でている。


 左腕を剣に変えたデブが斬りかかってくる。


 燈真は手砲を盾代わりに上段斬りを防ぎ、隙間のない密着状態から〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉を撃った。


 自分への反動を考慮しない攻撃に、相手も意表を突かれ直撃を受ける。


 魍魎の頑強な殻皮すら吹き飛ばす波動砲弾の爆風は凄まじく、燈真は天地の境目を見失うほど転がり、なんとか起き上がったときには視界が激しく歪み、吐き気がする。


 デブは、その胸から上を失っていた。


「……っつ、っぐ、ぉおおえぇッ!」


 三半規管へのダメージと、悪党とはいえ人を殺してしまったという精神的なダメージが胃袋をしごき上げ、家で食べた食物を逆流させた。


 甘酸っぱい臭いがして、さらに気持ち悪くなって胃液まで吐き戻す。


「はぁっ、はっ、はぁ……っ」


 呼吸を整える数秒の間に、棘が飛来。


 燈真はナックルガードで心臓を守り、しかし上腕と下腹部に棘がめり込む。


 焼けるような痛みに呻きながら、しかし傷口は常識を嗤笑ししょうするかのような勢いで治癒していく。


 棘が吐き出され、肉が絡み合って傷を塞ぐ。急速に造血された新しい血が全身を熱と共に巡り、戦鬼装殻の蒼い筋が脈打つ。


 燈真は悪党であろうとなんであろうと命を奪った事実を受け止め、今にも壊れそうな脆弱な精神に、それでもなお守りたいものへの強い感情を注ぎこみ、逃げ道を塞いだ。


 正当防衛だろうと、なんであろうと、人殺しは人殺しだ。


 けれど、例え本物の鬼になったとしても、俺には守りたいものがある。


 血の繋がりを断ち切ったあんな家族じゃない。


 血の繋がりすらない厄介者の俺を心の底から愛してくれる人たちのために、戦う。


 あの家に報いることができるのなら、地獄で永遠の責め苦を与えられたって、構わない。



8:襲撃(2)



 動きが変わった、と女は思った。燈真の動きから躊躇が消え、覚悟に裏打ちされた確かな戦闘者としての動きへと、体が変化した。


 事実燈真は変化していた。


 心の持ちよう一つでこうも変われるものなのかと燈真は思いつつ、レイヴンの女に容赦なく波動砲弾を浴びせた。今までは急所を外して狙っていたが、今度はしっかりと心臓や頭を狙うことにする。


 ガリが斬りかかって来て、燈真は右の腕力だけでなぎ倒すと、女に肉薄。驚きに目を見開く彼女の首に直剣を突き立てる。


 がごぼっ、と悲鳴を上げ、遅れてくぐもった爆発音。頭の中で超小型爆弾が炸裂し、眼球がバラバラに向いて穴という穴からどす黒い血液をこぼす。


「やるな。流石戦鬼だ。覚醒初期とはいえ、こちらも油断していた」


 ガリが悠揚迫らざる歩みで近づいてくる。


「あとはお前一人だ」


「わかっている。……むしろ、邪魔ものがいなくなって清々していたところだ」


「……?」


 言うや否や、男の腰からサーペント型の血啖器が伸びる。


「な……」


「俺はダミアン同様ドラキュラクラスの血を持っていてな。発現する血啖器もやつと同じハウンドとサーペントだ。当然だな、兄弟なのだから」


「ドラキュラクラス……」


 その話も、ミラから聞いていた。


 通常の吸血鬼は血啖器を一つしか持たないノーマルクラス。しかし中にはドラキュラクラスと呼ばれる二つの血啖器を持った存在もおり、そしてごく稀だがミラと同じアルカードクラスともなると、三種類全ての血啖器を持つ。


 燈真は血啖器を真似て、肩甲骨の辺りから装殻を生やす。首筋から服を覆うように戦鬼装殻が伸び、胸甲のように胸と背中を装殻が覆う。背中に黒い殻の翼が象られ、燈真は左前腕も直剣に変える。


「覚醒初期……という評価は間違いだな。上手く使いこなしている」


 燈真の剣はシャダマハルのように、拳の先が刃になっているものではない。手から生えてはいるが、その形状は剣を握っているかのようであり、拳を守るようにバックラーを兼ねた大きめのナックルガードがついているのが特徴だった。


 峰には〈波浪衝濤はろうしょうとう〉を噴射するスラスター。そして翼はその妖術の力で刃状の装殻――刃殻じんかくを放つ器官だ。


 今の燈真にできる、最大の戦力を注ぎこんだ状態である。


 燈真は揺さぶりをかけるため刃殻を射出した。翼から〈波浪衝濤はろうしょうとう〉の推力を得た刃の形をした装殻が飛翔する。


 ガリはサーペントを盾にしてそれらを受け止めると、即座に尾状鞭器官を再生。高い治癒能力を持つサーペント型の特徴は受け継がれているようだ。


 接近戦の間合いになり、燈真は双剣を振るう。相手もハウンドで双剣を形成すると、動物的本能の鋭さはないものの、経験に裏打ちされた老獪な剣捌きで燈真の猛攻を凌ぐ。


「我流だな。だが、筋は悪くない」


「――ッ!」


 頭部を狙った刺突を首を捻って回避するが、刃が頬を裂く。その程度の傷なら活性化した戦鬼の力が治癒させるが、痛みがないわけではない。


 一対のサーペントが地面に突き立てられ、半ば本能で燈真は飛びずさる。


 たった今までいた場所を、足許から尾状器官が貫いていた。あのまま突っ立っていれば、股から脳天までを串刺しにされていただろう。


 ガリは即座にサーペントを引き抜くと燈真に向かって右の剣を突き出す。


 燈真は左剣の護拳で弾きパリィ。刺突軌道にあるそれを払い除ける動作でかち上げると、右の剣で腹を刺さんと下段から直剣を突き立てる。


 だが尾の鞭が右剣を絡めとり、燈真の姿勢を崩した。


 体が宙に舞う。


「ぉ――ッ!」


 瞬時の判断で燈真は刃殻を射出。旋転した視界の中で敵に狙いを定め、冷酷なまでの射撃を見舞う。


 ガリは攻撃に転じようとしていた剣を交差して刃殻を防ぐと、燈真はその隙に地面を転がって姿勢を整える。


「なかなかやるな。今まで斬って来た有象無象とはやはり違うな」


「諦めるってんなら、今だぞ」


「ドタマに爆弾を仕掛けられた時点で、逃げられやしない」


 燈真は弾丸のような勢いで突っ込んできたガリを剣で受け止める。再び始まる双剣の応酬。


「嫌で戦ってんのか? 命令された、ただそれだけで人を殺してるのか?」


「それもある。だがな」


 サーペントを斬り落とし、しかし振るいきった剣を足でストンプされ、引き抜けなくなる。


 目の前に、相手の刃。


「殺しってのは、得難い快楽なんだよ」


 ドスッ、と突き刺さる音がした。


 腕を覆っていた刃が分解消滅し、消える。


「が……ッ」


 果たして倒れたのは、燈真ではなかった。


 燈真の翼状器官が、伸びている。


波浪衝濤はろうしょうとう〉で放つ刃殻を鞭状にした鞭殻べんかくが腰から生え伸びて、ガリの心臓をピンポイントで貫いていたのだ。


 圧倒的な生命力を誇る吸血鬼が持つ二つの弱点である脳と心臓。そのうちの一つを潰した鞭殻は、役割を終えると胸から引き抜かれ、傷口から血を振り撒く。


「言い残すことは」


「直接言う主義でね。お前に一言、地獄で待つ、と」


「……気長に待ってろ」


 拳銃を抜き、頭部を撃ち抜く。燈真はホールドオープンしたM9に新たな弾倉を叩き込むなり、剣戟の音がする方へ向かった。


 そこでは椿姫とダミアンが戦っていた。


 ガリと同じ能力――とは言っていたが、ダミアンはハウンドしか使っていない。にもかかわらず戦歴は燈真を圧倒的に上回る椿姫を圧倒していた。……いや、違う。


 椿姫が、本来の動きを出来ていない。


「なにやってる! 殺せ!」


 燈真が叫ぶと、椿姫は雷に打たれたかのように動きを止めた。


 それが敵にとっての格好の隙となる。


 舌打ち。燈真は刃殻の弾幕を張り、ダミアンはその連撃を幅の広い剣の腹で防ぐと、肩を竦めて「やれやれ」と吐き捨てた。


「使えん部下だ。四人がかりでガキ一人の始末もできんとは。それどころか覚醒を促す一助になっている」


 ダミアンは油断なく構えつつ、焦った様子など微塵もないまま口を開く。


「知っているか、少年。誰もかれもが戦鬼の力を受容できるわけではない。その昔、吸血鬼がその版図を広げるように戦鬼の血を投与するという行為が蔓延った時期があってな」


「それが?」


「結果は失敗だ。拒絶反応を起こした受容者たちは細胞が壊死して死んだ。お前は血どころか心臓を受け継いで、それを使いこなしている。あの男の息子、同様にな」


「……俺以外にも戦鬼の心臓を持ったやつがいるのか?」


「おっと、喋りすぎたな。まあいい。今回の任務は威力偵察だからな。退かせてもらう」


「逃がすと思うのか?」


「残念だが、そうなる」


 からん、と音がして、なんだと思ったときには遅すぎた。


 百七十デシベル、二百万カンデラの爆発的閃光と爆音をまき散らす化学投擲弾フラッシュバンが炸裂し、密室空間で使おうものなら骨を砕くほどの圧力衝撃波を発するそれを食らって視界と聴覚を攪乱かくらんされる。


 見当識を取り戻したときには、戦闘の跡が残る景色だけが残っていた。



9:息抜き



 警察の事情聴取はうんざりするほど長たらしい上に同じことを延々と繰り返し説明させられることになるので、燈真はすっかり疲れていた。


 警察の世話になるのは、初めてじゃない。


 学生時代――今もまだ学生だが――非行少年だった燈真はしょっちゅう警察の世話になっていたから警察がどういう目的で何度も同じ話をさせるのかは知っていた。


 繰り返し同じ話をさせる。それは前後の供述で矛盾した点はないか、それを探るための常套手段だ。


 幸い魅雲村の警官はこちらに理解のある人だったので――妖怪ではなく人間だった――頭ごなしな非難は受けなかったが、夜廻り資格がなければ銃刀法違反だけで厄介になっていただろうことは想像に難くない。


「この前も吸血鬼らしき集団に子供をさらわれたと一一〇番を貰ってね」――とは、小太りの人の良さげな警官が漏らした言葉だった。


 燈真たちを狙った吸血鬼と同一犯ではない、と考えるにはあまりにも楽観的だ。あのダミアンとか言うやつは、ここでなにをしようとしているのだろうか。


 ちなみにそのダミアンについてミラに訊いてみたが、知らない、と言われた。同じ吸血鬼なのでなにか接点があるのかとも思ったが、どうやらないらしい。ただそのあと、血を吸いに来た彼女が血を吸わずに去ったのが、少し――というかかなり――不思議だった。


「ごめんなさいねえ」


 隣から柔らかい声がして、燈真の思考は八月半ばの魅雲村に戻った。


 中天に差し掛かった陽光は殺人的な熱線を地上に降り注がせ、黒い戯画化した狐がプリントされたTシャツにジーンズという格好の燈真を焼き殺さんとしいているかのようだった。


 隣を歩くのは、初日に燈真の風呂に乱入してきた痴女ドラゴン、クラム・シェンフィールドだ。


 白いワンピースとクリーム色の髪を照らす陽光は、彼女に対してだけは柔らかく、スポットライトのように優しく包み込んでいるかのような錯覚に陥る。


「警察のお世話になって昨日今日でデートなんて」


「デートじゃなくて家族サービスな。別にいいよ。いい気分転換だし」


 嘘ではなかった。あのまま家にいても、することはなかった。竜胆と遊ぶのも悪くはないのだが、彼は今日お祭りで出会った椿姫の級友である万里恵とその椿姫、そして万里恵の相棒だという少年とカフェへランチに出掛けている。


 この魅雲村には三つの喫茶店、スイーツの充実した八重霞、食べ盛りの男子層に人気を誇るベリーハングリー、女性向けの野イチゴとある。


 椿姫たちは野イチゴへ、そして燈真たちが向かうのはベリーハングリーだ。


 クラムもどちらかと言えばよく食べる方なので――以前椿姫が憎々しげに「だから胸に脂肪がたまるのよ」と嫉妬丸出しで言っていた――食べ盛りの燈真としてもこの店に向かうことに文句はなかった。


 ベリーハングリーは大通りに面したテラス席のある店で、ここの学校では部活が禁止されているとはいえ身体を動かしたい盛りの男子学生たちはサッカーチームを作って活動しているという。


 スポーツ帰りらしき男子たちの目がクラムに注がれ、すぐにその視線が胸に落ちた。挑発的なワンピースのおかげで、大きな胸の谷間が覗いている。


 クラムはなれているのか、軽く手を振ると、私にはもう相手がいますからと言わんばかりに燈真に腕を絡める。


 燈真も健全な男子。人並みに異性には興味があるし、機会があれば付き合いたいと思っているが、いきなり自分にクラムほどの美人はハードルが高過ぎる。身分不相応だ。彼女にはもっと相応しい男がいるだろう。


 熱いことに辟易していた二人は冷房の利いた店内の奥まった丸テーブルに座り、メニューを覗き込んだ。


「へえ。カフェっていうからパスタとかそういうのしかないって思ってたけど、かつ丼とかあるんだな」


「ええ。照り焼きチキン丼なんかも美味しそうですよ」


「ドラゴンも鶏が好きなのか?」


「どうなんでしょうね。お肉全般が好きって感じですよ」


 ああでもないこうでもないと悩むことたっぷり五分、燈真たちは偶然通りかかったウエイトレスに声をかけた。


「注文、いいですか?」


 燈真が問うと、犬人カニススロープの女性はにっこりと営業スマイルを浮かべ、


「はい、どうぞ。なにをお召し上がりになりますか?」


「俺がキャラメル・マキアートと、半熟卵の唐揚げ丼で大盛で……」


「私がアイスミルクティーと、照り焼きチキン丼を、大盛で」


「かしこまりました。お飲み物は先でよろしいですか?」


「ああ、頼みます」


 燈真は運ばれてきた冷水を一口呷り、陽光で火照った体に冷たい水分を巡らせる。頼んだのが温かい飲み物だったのは失敗だったかな、と思ったが、今さら取り換えろなんて言うこともできない。


 そこまで無神経に我を通せるほど、燈真は恥知らずではなかった。それにオズワルド以外が淹れるキャラメル・マキアートに興味もあった。


「燈真は、本当に甘いものが好きですねえ」


「変、か?」


「偏見と言われればそれまでですが、甘いもの好きの男性って少数派だと思ってました」


「俺も、喫茶店で丼ものの大盛を頼む女はかなり少ないと思ってた」


 クラムがくすくす笑う。


「皮肉屋、って言われませんか?」


「敵を作りやすい発言をしてる自覚はある」


「それを是正しないのもどうかと思いますけど」


「十六年付き合って来た性分だ。今さら変えられないよ。俺はお前らと違って、長寿ってわけじゃないし。それに、別に友だちとかそういうのは、正直疲れた」


 ドリンクが運ばれてくる。


 燈真はキャラメルソースのかかったカフェオレを啜り、意外といけることに驚く。値段からして期待していなかったが、東京のそこらの店より遥かに美味い。


「それって、どういう意味です?」


「言ってなかったけ。俺は暴力事件の犯人っていう濡れ衣を着せられて転校を余儀なくされたんだ。家族に関しては……まあ、稲尾家のおかげで捨てたもんじゃないって思えるようになったけど……学校には、正直行きたくない」


「そうだったんですね。……私は家に来る以前の記憶がないので、気の利いたことは言えませんけど……」


「いや、いいんだ。話を聞いてもらえるだけで、大分楽になるから」


「なら、いいんですけど。……でも、それなら無理に学校に行く必要はないんじゃないんですか?」


「今の時代、大学出てないとろくな職に就けないからな。このまま夜廻りを続けるつもりではいるけど、なにが起こるかわからないし」


「……人間社会って、大変ですね」


「大変で煩瑣はんさにしてるのも人間だけどな。人間のやることは、十六年人間として生きてきた俺にもさっぱりわからない」


 そうこうしているうちに頼んだ料理が運ばれてきた。


 二人は手を合わせて「いただきます」と唱和し、箸を手に取った。



10:夏休みを堪能しよう



 椿姫は燈真と一緒にいたいとうるさい竜胆を連れ、喫茶店・野イチゴに訪れていた。家を出るのが少し早かったこともあり少し待つことになったが、約束の時間には万里恵とその相棒である金髪を逆立てた少年、山本秀次やまもとしゅうじが現れた。


「よっ、待たせたか?」


「ううん。こっちが早く来すぎただけ」


 秀次は狼のような耳と尻尾を持った、外見は完全に人狼のそれをしている少年だ。座るときに邪魔になると、担いできた刃渡り百四十センチ、全長は彼の背丈ほどもある大きな金砕棒を脇にかけ、どっかりと椅子に腰掛ける。


 金砕棒は所謂鬼の武器である。八角形の棒に、無数の棘を取りつけたものだ。


 その隣には一般的な高校生より背の高い秀次よりもずっと背の低い――椿姫よりも十センチ以上背が低い――万里恵が座る。小さいくせに出るところはしっかり出ていて、羨ましいことこの上ない。


「しゅうじだ」


 竜胆が面識のある相手を見つけて、喜ぶ。


 女を見るよりも男を見て喜ぶ彼に、将来的な不安がないと言えば嘘になるが、まあ小さいうちは誰もかれもこんな感じだろうと椿姫は思っている。友だち感覚で、接しやすいのが同性というだけだろう。


「おー竜胆。姉ちゃんと一緒にデートか?」


「ちがうよ。おいしいごはんがあるからついてきただけ」


 秀次は笑った。


「飯で釣ったのかよ、椿姫」


「じゃないと燈真燈真ってうるさいのよ」


「あー、万里恵が言ってたな。奇妙な匂いのする人間だっけか」


「うん。それについては本人から直接聞くのがいいけど、夜廻りとしてはなかなかの腕前だと思うわ」


「椿姫にそこまで言わせるって、なかなかだな」


「私をなんだと思ってるの?」


「いいや、別に。可愛いとは思うけど、俺の琴線には触れないし、それにもう将来を誓い合った子がいるからな」


 秀次の家は代々優秀な夜廻りを輩出してきた家で、とうとう秀次の代で村長の娘との結婚が決まったらしい。


 彼は最初勝手に結婚相手を決められたことに難色を示していたが、何度か会ううちに互いに惹かれあい、今では堂々と、聞いているこっちが恥ずかしくなるようなことまで言い出すようになった。


 注文を取りに来たウエイターにそれぞれ食べ物と飲み物をオーダーする。


 女性向けの店なので取り扱っているものもそんな感じで、秀次はナポリタン、万里恵はカルボナーラ、椿姫と竜胆はチキンカツサンドを頼んだ。


 飲み物は適当に、秀次はメロンソーダを、万里恵と椿姫はアイスココアを、竜胆はオレンジジュースをそれぞれ頼む。


「にしても、夏休みなんてあっちゅー間だな」


「ほんとね。夜廻りの仕事があるんだから、学校も公欠できる日数を増やしてもいいんじゃないの?」


 秀次の一言に万里恵が愚痴をこぼす。彼女の意見に関しては、椿姫も同感だった。もう少し休みが欲しい。せめて土曜日を半ドンから丸一日休日にしてほしかった。


「でもいざ公欠日数が増えても、こんどはそれを取らすまいと学校も躍起になるぞ。人間社会の有給と同じでさ」


 秀次の一言に、万里恵は「うへえ」と顔をしかめた。


「汚いなあ、人間って」


「人間っつか、日本人だよな。不合理な上に非合理で目先の利益にしか頭が働かない近視眼的な金の亡者エコノミック・アニマルだ」


「なんか、おんなじ日本人として見られるの恥ずかしいかも」


 万里恵が運ばれてきたアイスココアを啜りながら、呟く。椿姫はそれに対し、


「私たちを日本人だと認めたくないのはこの国もだと思うけどね。九尾の妖狐を匿ってるわけだし、いざとなれば軍事的介入の口実になりかねないもの」


「ひいらぎってそんなにすごいひとなのー?」


「竜胆にはわかんないでしょうけど、柊は本気になれば一人で大陸を焦土に変えられるほどの力を持った、神に最も近い妖怪なのよ。村長……ぬらりひょんの一族と組んでここに妖怪の隠れ里的な村を作ったのもあの人だし」


「ふぅん」


「まあでも、お国も暗殺だなんだってこたしねえだろうよ。九尾に加えて吸血鬼の王に、バーバ・ヤーガと言われた魔女の末裔。伝説のドラゴンを統べる族長の娘までいるんだから。敵に回すとどうなるかなんて、火を見るよりも明らかだ」


「そんなことより」と秀次はメロンソーダの上のアイスクリームを口に運びながら、


「残りの夏休みをどうするかっつーほうが重要だろ。このままずるずるなにもしないまま終わらせるんじゃ、せっかくの青春時代が台無しだぜ。一度きりしかないんだからよ」


「許嫁さんとデートでもすれば?」


 椿姫が言うと、秀次は「そうしたいのは山々なんだが」と答える。


「今、神主がいないから社を空けるわけにはいかないってさ。学校が始まるまでには戻ってくるって話だけどな」


「じゃあ、私たちだけでなんかすんの?」


 万里恵がそう口を開くと同時に、オーダーした食べ物が運ばれてきた。竜胆はチキンカツの匂いに興奮気味に「いただきましゅ!」と叫ぶなりすぐに齧りつく。


「そうなるな。でも、四人じゃつまらないだろ」


「具体的には、どういうプランなの?」


 椿姫が問う。


 当然、こんな辺鄙な村に遊園地などない。昔は計画があり、村の外れに観覧車やジェットコースターの骨組みが残っているところもあるが、そんなちぐはぐな話はこの村にはゴマンとある。


 先々代の村長が村を解放的に見せるべきだと主張する人だったらしく、遊園地計画や敷地内の村の外れにある高いホテルなどはその名残だ。スーパーマーケットに比して大きな立体駐車場があるのも、元々はパチンコ屋だかゲームセンターを作るためのものだったらしい。


 ゲームセンター自体は村の電気屋にもあるが、そういう小さなものではなく、都会並みに充実したものを作ろうとした結果のものらしい。


 秀次はフォークにくるくる巻いたナポリタンを飲み込んでから、


「川で水遊びでもしながら、バーベキューってとこかな」


「ばーべきゅー?」


「外でやる焼肉みたいなものよ」


 椿姫が捕捉すると、竜胆は早速興味を持った。


「ぼくやってみたい!」


「よーし、じゃあこれは決定稿か?」


 竜胆がやりたいというのなら、無理に諦めさせるのもかわいそうだし、それに自分もたまにはそういうアウトドアを楽しみたかったので便乗する。


「そうね。でも四人じゃつまらないし、何人か人を集めたいんだけど……」


「そうだなあ。どうせ学校で顔を合わせるつっても、同じ夜廻りなら、まずは夜廻り仲間だけで顔合わせとかしたいし、その燈真ってやつを呼ぶのはどうだ?」


「いいんじゃないかしら。あいつがこういうのに興味があるのかどうかは知らないけど、ほかにうちの暇そうな人たちを呼んでくればいい?」


「そうだな。何人も知らない顔があると疲れちまうし、気心知れた相手が多い方がいいだろ」


「そうね。じゃあ、こっちから適当に声をかけておくわ」


 その後は日程調整と、愚痴の言い合いをして、四人は暗くならないうちに解散した。



11:命を秤にかけるか



 稲尾家の屋敷の二階。


 開け放った窓から吹き込む夜風に髪を洗わせていたミラは、そこに一羽の蝙蝠がやってくるのを目にし、舌打ちした。


(とうとう来たか)


 あの名前を聞いて以来、いずれこんな日が来るとは思っていた。


 ミラはベッドの棚を開けてヒールに履き替えると、全身を蝙蝠と化して部屋から飛び出す。


 玄関を使わなかったので、誰にも気づかれなかったはずだ。


 稲尾家所有ではない山中に入り、ミラは人型に戻る。


「出てこい」


 静かにミラが口を開くと、樹上から人影が二つ、落ちてきた。


 それだけならまだ見逃す・・・つもりだったが・・・・・・・、明らかに害意を持って血啖器を発現させているのを見て、ミラも強制活性剤を口にした。


 バーバ・ヤーガの子孫が調合した、人間の血の高濃度圧縮液。長い年月をかけ通常の吸血では覚醒しないようになったミラのための特殊血液である。


 口の中に金臭さが広がり、ミラは強烈な血の匂いに酔いそうになるのを堪える。


 瞳が発光し、牙が伸びる。


「ふッ!」


 伸びてきたサーペントの鞭を素手で打ち払い、返す一撃で薙がれた鞭を右腕を剣に化して斬り払う。


 相手は、二人組みの男女だった。どちらもドラキュラクラスであり、女はハウンドとサーペント、男はハウンドとレイヴン。


 ミラはハウンドの剣で男女と斬り結ぶ。五合ほど剣戟を交わしたところで男が下がり、レイヴンで援護射撃。


 女の腹を蹴飛ばしてミラはサーペントで棘を防ぐと、お返しとばかりに自身もレイヴンで棘を放つ。


 男は棘に被弾するが、行動不能には陥らない。致命傷となりうる棘は剣で弾き飛ばし、防いでいる。


 転がった女はサーペントで攻撃を仕掛けてくる。一対の鞭が獲物に飛び掛かる蛇さながらに突っ込んで来て、ミラは左腕をガントレットで覆い殴り飛ばす。


 弾いたサーペントのキルゾーンの内側に入り込み、根元から右剣で斬り飛ばすと、ガントレット化して左手で女の首を掴んでそのまま圧し折った。


 殺すことに抵抗がなかったわけではない。だが相手がギースだと聞いていたときに、嫌な予感はできていた。


 そしてその嫌な予感は当たり、くぐもった爆発音がしたかと思うや、女の頭部の中でなにかが炸裂したのか目玉が左右で違った方向を向き、頭部の穴という穴から血が漏れている。


 ギースは忠誠を好み、裏切りをなによりも嫌う。恐らく頭部に爆薬が仕掛けられていたのだろう。信じていなかったわけではないが、以前魍魎狩りの帰りに燈真を襲撃してきた連中と同一人物だったのだ。


 ということは、どこかにダミアンがいるはず――


 男が雄叫びを上げながら斬りかかってくる。


 ミラは剣で一撃を跳ね上げると、下段から擦り上げるように二対のサーペントを振るい、左右一本で両腕を封じ、一本で首を締め上げ、残る一本を鋭い槍のように変じて男に向ける。


「ギースはどこだ?」


「ぐ……く……」


「最後通告だ。ギースは、どこだ」


 そのとき、ボムッと音がして、男の頭部から白煙と血が零れた。


 膨れ上がる殺気。


 長らく忘れていた肌の粟立つ感覚。


 ミラは男を投げ捨て、そちらを睨んだ。


「ひさしぶりだね、ミラ」


 中世の貴族のようなデザインの黒い服に身を包んだ、貴公子然とした美青年。外見だけ言えば、そんな感じだ。だが服の各部に血啖器を覗かせるためのスリットが入っており、それが彼も戦えるということを暗に語っている。


 そしてその実力は、王の直系の血族であるミラと比べても、長い間ぬるま湯に浸かっていたために彼女との差は縮まっているだろう。


 いや、それどころか――


「数世紀ぶりの再会だっていうのに、つれないなあ」


「黙れ」


「虚勢はやめなよ。特殊な血がなければ覚醒もできない今の君に、僕は倒せない」


 強制活性剤の効果は一本で三時間。それは二十四時間に四度までという制限があり、一回の服用ごとに一時間のインターバルが必要になる。しかもそれで解放できる力は、よくて・・・本来の・・・四十パーセント程度。


 二十四時間百パーセントの力で戦える今のギースとは、分が悪い。


「なんの用でここに来た」


久闊きゅうかつじょするため、というのは理由にならないかな」


「……戯言を」


「ひどいなあ。同じ血を持つ仲じゃないか。それとも、君は純血主義だったかな? いかんせん何百年も前のことだったから、忘れちゃって」


「さっさと要件を言え」


 ミラが睨むと、ギースは肩を竦めて優男のような面に薄ら寒い笑みを浮かべた。


「それに関しては、うちの部下がもう伝えてると思うけどね」


「ヴラド復活のために私の血が欲しい、と」


「そうだ。僕の血でも復活しないことはないけれど、きっと物凄く喉が渇いた状態で目覚めると思う。そんな状態でヴラドが目覚めれば、数万人程度・・・・・の血なんてあっと言う間に吸い尽くされるだろうね」


「なにを……言ってる?」


「なぜわざわざ僕らが日本に来たか。本来吸血鬼が大嫌いな川と海を死に物狂いで渡ってここまで来たのか……それがわからないほど日和ひよったのかい?」


「この村でヴラドを復活させるつもりか!?」


「君が協力しなければ、結果的にはそうなる。それどころか、この国が滅びる可能性だってあるだろうね。ま、九尾がいる限りそんなことにはならないだろうけれど、少なくともこの村の住民は間違いなく干からびて死ぬ」


 ギースは本気に違いなかった。


 昔からそうだったのだ。質の悪い冗談を、現実にして黒い愉悦に浸る。吸血鬼の中でもその本質に最も近いサディストの享楽的快楽主義者。クォーターとはいえ、その血を存分に反映させたアルカードの本質の体現。


「でも、ここまで言っても現実的ではないと思う。突然村が消えるなんて言われても信じられないだろうし。だからね……ダミアン」


「はっ」


 そこに、竜胆をさらおうとしたあの男が降り立つ。


 彼の腕の中には、呼吸はあるがぐったりとして動かない五、六歳の童女の姿があった。


「貴様ら……!」


「時間をあげるよ、ミラ。この子を見殺しにするか、僕らの元に戻って来てアルカードの歴史をやり直すか……それとも君は、命を秤にかけるかな?」


「…………ッ!」


「行くよ。ダミアン」


「はっ」


 ギースとダミアンは頷き合うと、凄まじい勢いで童女を抱えたまま、明後日の方向へ飛び去っていった。


 今ミラが追ったところで出来ることなどないだろう。下手に刺激すれば、最悪あの子供を殺されかねない。


 ミラは己の無力を噛みしめ、傍にあった木を殴りつけた。



12:バーベキュー



「へえ、お前が燈真ってやつか」


 彼は、燈真の背では少し見上げなければならないほど体格に恵まれていた。


 大きいのは背ばかりではなく、喧嘩で腕を鳴らした程度の燈真を遥かに超える筋肉量を誇っており、腕周りは燈真の太腿ほどもある。


 だが威圧的かと言われれば必ずしもそうではなく、威圧的に見える逆立てた金髪は人懐っこそうな緑色の瞳で中和され、太くて長い狼のような尻尾が場違いな愛嬌を振り撒いている。


「あ、ああ」


 燈真は悪いやつじゃないんだろうな、と、彼の尻尾にじゃれつく竜胆を見て思う。


「わり、名乗るのが先だよな。俺は山本秀次。種族は雷獣だ」


 雷獣とは、天に住む妖怪だったかと、燈真は無駄に強い雑学知識で考える。雷に乗って地上に降り立つとかなんとか。


「漆崎燈真。半人半妖で、半分は戦鬼だ」


「ほへー、戦鬼か。すげえなおい」


 疑うということを知らないのか、それとも事前に知っていたのか、秀次は疑念の眼差しを向けることもなく信じてしまう。


「疑わないのか?」


 思わず聞いてしまう。


「嘘にしちゃハードル高すぎるだろ、戦鬼って。それに夜廻りなんだろ? 嘘言って寿命を縮める馬鹿はそうそういねえよ。それにお前も俺を疑わなかったしな。ちょい、気圧されたって顔はしてるけど」


「悪い……そういうつもりじゃ」


「事情があるんだろ? こんな辺鄙な人外魔境に来るって時点で、なかなかに訳ありだって察しはつくぜ」


「深く詮索されないのは、助かる」


「でも、いつかは聞かせてくれよ。これからくつわを並べて戦う仲なんだしよ」


「ああ。暇を作って、話すよ」


「おう。それよりさっさと食おうぜ。腹減っちまった」


 男子厨房に入らず、と言ってバーベキューセットから燈真たちを遠ざけた椿姫と万里恵、そしてクラムとミラは楽しそうに肉や野菜を焼いている。ミラは少し、表情に陰りが見えるが……。


 ちなみに全員が水着姿で、正直クラムと万里恵の胸元は直視しがたい。椿姫の平均的なサイズの胸も、毒になるわけではないが全体の均整がとれているので、やはり青少年男子にはきついものがある。


「おい竜胆、いい加減俺の尻尾から離れちゃくれねえか? クッションじゃねえんだけど」


「きもちいいんだもーん」


「そうかそうか、お前ももふってほしいんだな? おら!」


 秀次が竜胆を捕まえ、尻尾に顔を埋める。


「もにゃー!」


 竜胆がじたばたするが、圧倒的な筋力差で勝負にならない。燈真をして、仮に彼が人間でも喧嘩は避けたいと思わせるほどだ。けれど流石に加減はしている。


「参ったかチビギツネ!」


「まいらない!」


 真夏の炎天下の下、よくもまあこんな元気でいられるものだと思いながら、燈真はクーラーボックスから出した炭酸のグレープジュースを飲む。


 オズワルドのおかげでコーヒーも悪くないと思えるようになってきたが、やはりまだ稚拙な高校生。甘くて炭酸の刺激のある飲み物が欲しくなる。


「できたわよ!」


 椿姫が大声を上げ、トングを振り回す。


 燈真たち男子三人は遊びを切り上げ、じゅうじゅうと脂の爆ぜる音を立てるバーベキューコンロに近づく。


 紙の取り皿と割り箸を手に、燈真は豚のリブロースを取る。肉の割合としては鶏六割、豚と牛が二割ずつという感じだ。


 飴色に焼けたタマネギとピーマンも取り、燈真は熱々のタマネギを齧る。


「竜胆、ちゃんと野菜も食べなさいよ」


「おねえちゃんきらい」


「嫌いでもなんでもだめ。燈真だって食べてるでしょ」


「……がんばる」


 燈真の名前を出した途端、竜胆はキャベツに齧りついた。


「懐かれてんなあお前」


「なんでこんなに懐かれたんだかわかんないけどな」


「うーん、俺たち妖怪は人の本質を見ちまうからな。いいやつか悪いやつかが、論理じゃなくて直感でわかっちまう」


 リブにかぶりつき、塩と胡椒だけの飾り気のない質実剛健な味わいを楽しみつつ、


「秀次から見て、俺はどんな感じなんだ?」


「いいやつ、ってところかな。ちょっと陰りはあるけど、まあ人間社会に十六年もいりゃそうなるわな。寧ろ、闇に染まらなかったことが奇跡だ」


「妖怪から見た人間社会ってそんなに酷いのかよ」


「一言で言えば、地獄だな、ありゃ。俺じゃ三日も耐えられねえ」


 スーパーで買ったカルビを頬張りながら、秀次は肩を竦めた。


「そ・れ・よ・り・も」


 万里恵が割って入る。


「んだよ」


 秀次が面倒くさそうにため息をついた。


「こういうとき、男っていうのは女の子に序列をつけるでしょ? 誰が一番可愛いかなって」


「俺は依子よりこさん一択だ」


「依子さん?」


 燈真が問うと、秀次は「俺の許嫁だ」と答えた。


「じゃあ竜胆……はまだそういうのに理解がないか。となると、燈真に決めてもらうしかないわね」


(うわめんどくせえ。だから女ってのは……)


 燈真の顔を見た秀次が心の内を読んだのか、同情するように肩を叩いた。


「さ、誰が一番?」


 万里恵がポーズを決める。


「当然私ですよね、燈真。一緒にお風呂に入った仲なんですから! ついでに言えば、デートもしました!」


「世迷言を。燈真様は私を選ぶに決まっています」


「どうでもいいけど、私をそういう変な目でみないでよね」


 三者三様に言いながらも、女は序列争いに燃えているのか、それとなく威圧感を押し付けてくる。


「心底どうでもいい」


 燈真が素直な意見を口にすると、椿姫が「ふん」と鼻を鳴らした。


「ひょっとして、そういう趣味なの? 秀次と楽しそうにしてるし」


「違う」


「なら選びなさいよ」


(クソめんどくせえ)


 燈真はしばし考え、開き直れ、と自棄になった。


「そうだな……俺は胸が大きいだけじゃ興味の対象にならない」


「嘘!? 大抵の男は私の胸を見るのに!?」


「そうですよ! それでも男ですか!?」


 万里恵とクラムが声を揃えて落胆を露わにする。椿姫が少し勝ち誇ったような顔をした。


「次に、俺は外見で人を判断したくない。第一印象で先入観を持つことはあるけど、できるならちゃんとその人の本質を見てから判断したい」


「じゃあ私の圧勝じゃない。私以外にできた女なんて、いるの?」


「そして、俺は自意識過剰な生意気な女が大嫌いだ」


「な……」


「よって、消去法でミラに軍配が上がる」


「ふふ……そうなることはわかっていましたよ。燈真様と私は相思相愛――」


 燈真は桃色妄想に浸るミラに待ったをかけるように、


「あと、毎朝注意しても勝手に部屋に入って来て針と救急箱を持って指を舐めまわす垢舐め真っ青の変態は願い下げだ」


 ミラが意気消沈した。


「あと俺は、男色の趣味はない。確かに可愛い子を見ると魅力を感じる。けど、女って生き物は苦手だ」


 四人が閉口した。


 竜胆は興味がないのか鶏肉を貪り、秀次が一人で大笑いしている。


「お前結構毒舌だな! お前となら仲良くやっていけそうだわ」


「そうか? 本当のことを言っただけなんだけどな」


 つまり今の意見は嘘でも脚色でもないという残酷な発言である。それがまさに秀次の言う毒舌なのだが、本人には自覚が全くない。こういうところが、昔から敵を作る要因なのだ。


「おねえちゃん、とうまにふられたの?」


 竜胆のあどけない声に、椿姫が彼の頭をすぱんとはたいた。



13:陰り



 さっきまでは肉が乗っていた網の上には、秀次と椿姫が釣ってきた、はらわたを処理された串刺しのイワナとニジマスが並んでいる。


 食べ盛りの高校生集団はあっという間に持ってきた具材を食べ尽くし、足りないとばかりに釣りのスキルがある秀次と椿姫が川で魚を獲っているのだ。


 燈真は河原でちょうどいい大きさの石の上に座り、ぼんやりと空を眺めていた。遠くに入道雲が見える。あの下は凄いことになっているんだろうな、と他人事のように思った。


 ぱしゃぱしゃと水が跳ねる音がして、なんとなく視線をそちらに向けると、ミラが水切りをしていた。吸血鬼のくせに、随分と庶民的な遊びをするんだな、と燈真も立ち上がる。


 無言で隣に立ち、平たい石を見つけて投げる。手首のスナップを利かせ、石を水面で跳ねさせる。


「なかなか上手いですね」


「役に立たない技能だけどな」


「手榴弾を投げる練習にはなるでしょう」


「そういうもんかね」


 ミラが石を投げる。対岸まで届いた。燈真の投げる石は、途中で水没する。


「なにか、悩んでるのか?」


「……なぜ?」


「いや、さっきから暗い顔してるからさ」


「そう……でしょうか」


 ミラは石を拾い、しばし手を止めた。


「燈真様」


「ん?」


「……燈真様には、避けたい人はいますか?」


 どういう意図の質問なのだろう。だがこちらから悩みを聞いておいて答えないのも悪い。


「何人もいる。俺に罪を擦り付けたクソ野郎に、親父に、義理の母親……いや、違うな。ここに来る以前の全てを、拒絶したいんだ」


「……そうですか。……では、そうした人と、避けられない邂逅を果たしてしまったら、どうしますか?」


「人によって違うかな。あのクソ野郎はボコボコにぶん殴って馬の糞を口に放り込んでやりたいし、親父にははっきりと絶縁を口にしたい。義母には……女に手を上げるのは反則だってわかってるけど、平手打ちの一発をかましてやりたい」


 ミラは石を投げる。対岸に届かず、川に沈んだ。


「前向きですね、燈真様」


「そうでもない。今言っただろ、拒絶したいって。できればもう二度と関わりたくないんだ」


「……私は」


「……?」


「逃げたら、犠牲になる人が出るとしたら……どうしますか?」


「昔の俺なら、周りのことを考えずに逃げただろうな。けど今は戦える力がある。暴力だけじゃない。上手く立ち回って、犠牲を回避して、道を作る」


「…………。……ありがとうございます」


 ミラは石を掴み、投げた。今度は対岸まで届いた。


「ふぅ、少し疲れましたね。水切りって、意外と全身を使いますから」


 とは言うが、ミラは汗の一つもかいていない。


「それよりも、秀次様と椿姫様はなにを張り合っているのでしょうね」


 耳をすませば、遠くから言い合いが聞こえる。笑い混じりだが、なにかを競っているようだった。


「数とか大きさとかじゃないか?」


「二人とも立派な夜廻りですが、こうしてみると歳相応なんだと実感させられます」


「三人、とは言わないんだな」


「燈真様は子供扱いされるのが好きなのですか?」


「そういうわけじゃないけど……」


 燈真とミラが二人の元へ行くと、彼らは数で競い合っていた。


「数は私の方が上よ!」


「いいや、数より質だ! 俺の方が大きいし、美味そうだろ!」


 燈真は呆れて天を仰ぐ。


「子供じゃあるまいし、どっちでもいいだろ」


「じゃああんたがジャッジしなさいよ」


「そうしてもらおうぜ。第三者の意見が大事だ」


「喧嘩両成敗だ」


 我ながら適当な意見だと思う。


 二人はそれでも意地になっていたが、クラムが「焼けましたよー!」と告げると、バケツを手に釣竿を担いだ。


「今回は引き分けでいいわ。けど次は私が勝つから」


「馬鹿言え。釣りで俺に勝てるかよ」


 コンロの傍には既に竜胆がいて、焼き魚を食べていた。鶏肉が好き、野菜が嫌い、などと言う彼だが、いざ出されればなんでも食べるあたりやはり子供だ。


 燈真は特になにも働いていないが、一応面倒な女同士の争いや椿姫と秀次のジャッジもしたし、権利はあるだろうと魚を手に取る。


 炭火で焙っただけの焼き魚だが、香辛料やなんかで誤魔化していない素直な味わいはこの辺り一帯の自然が豊かであることを物語るようで、臭みもなく食べやすい。


 都市開発で世界中の自然が失われていく中、魅雲村のような存在はかなり珍しいのだろうと燈真は思う。


「それにしても、燈真、お前ここのものを躊躇いなく食べるんだな」


 秀次が二匹目を手に取りながら、訊いてくる。


「変か?」


黄泉戸喫よもつぐへいって知ってるか?」


「あれだろ、あの世のものを食べると戻ってこられなくなるっていう」


「そ、それ。妖怪の土地のものを食べることに、抵抗はないのか?」


「そういや初めから気にならなかったな。別に、帰りたいとも思わないし」


「都会の方がなにかと楽だろ?」


 確かにそうだが、同時に疲れるのも事実だ。


「あの齷齪あくせくした空気は肌に合わないんだよ」


「田舎生まれの人間は、大抵は都会に憧れるもんなんだが……ま、俺らは妖怪だからそんなこたねえけど、ここで生まれた少数の人間は、大抵都会に行くって言うんだよ」


「隣の芝生は青く見える、ってやつかな」


「かもな」


 秀次は笑い、燈真も頬が緩んだ。


「とうま、たのしそうだね」


 竜胆が椿姫に呟く。


「……ま、家には同性が少ないし、いても同世代じゃないし。……なんていうか、燈真って最初に来たときより、陰りが消えたかな」


「……なんか、おねえちゃんもたのしそう」


「え……? どこが?」


「確かに、燈真が来てから椿姫はちょっと活き活きしてますね」


「クラムまでなに言ってるのよ。そ、そう、仕事の手間が少し減ったから、その分余裕ができただけ!」


 なぜ頬が熱くなるのかわからない。


「燈真様には、もしかしたら人の陰りを溶かすような力があるのかもしれませんね」


 ミラが、どこか決意の滲む声で言った。


 それがなぜだか、椿姫には不吉な予感を孕む声に聞こえた。



14:決断のとき



 ミラは、あの山に来ていた。もう二度と稲尾家には戻らない覚悟で、一言『さようなら』つ綴った手紙を置いて。


「やあ、ミラ。待ってたよ」


 ギースとダミアン、そしてミラの知らない新参者と思しき吸血鬼たちが、合計で十人ほどいる。


 親戚筋の、薄いとはいえ血の繋がりのあるいとこをこんな憎悪を抱えて見つめるとは、思いもしなかった。すっかり、あの家に馴染んでしまっていた。


「子供は?」


「君が屋敷を出たことを確認して、解放した。あの子はここ数日の出来事を悪い夢だと思うだろうね」


 血の匂いはしない。殺してはいないのだろう。そこは安心すべきか。


「さて、ここに来てくれたということは、覚悟は出来たということでいいのかな?」


「ああ。血をくれてやる。だから、ここから出ていけ。金輪際、この土地を踏むな」


「ミラはどうするんだい?」


「私は、去る。この村の無事を確認でき次第な」


 ギースは鷹揚に頷いた。


「わかった。じゃあ、血を貰おうか。ダミアン」


「はっ」


 ダミアンが針の太い大きな注射器を持って、ミラの腕の血管にそれを突き立てた。


 シリンダーに血が吸い込まれていき、ミラはそれを見つめて謝罪した。この村一つのためだけに、私は世界のどこかを滅ぼす手伝いをしている。


 血の回収が終わり、その途端ギースが笑い出した。


「なんだ。なにがおかしい」


「いや、君も随分と丸くなったなと思ってね」


「……なに?」


「わかった、とは言った。けれどここでヴラドを復活させないという約束に同意したわけじゃない」


 背筋が凍る。


 同時に、ミラはレッグホルスターから強制活性剤を取り出そうとしたが、飛び掛かって来た取り巻き四人に押し倒され、拘束される。


「貴様!」


「悪いけど、僕らにはバックがいてね。彼らからのお達しだ。この村を地獄に変えろ、とね」


 ギースが部下の一人に持ってこさせた包帯に巻かれたなにかに触れる。


「これがヴラド。君の父祖であり、僕らの力の源。そして、世界を統べる王――僕の道具だ」


 ダミアンが包帯越しに注射器を差し込み、ピストンを押す。真っ赤な血が吸い込まれ、包帯の中身がびくん、と跳ねた。


 嫌な気配。悪寒。邪気。殺気。脊髄せきずいを氷が滑っていくような不快感。幽世に踏み入ったときの比ではないプレッシャー。


 包帯がぎちぎちと軋み、やがてそこから赤黒い翼が伸びる。続いて鋭い爪の並んだ手が飛び出し、サーペントと思われる尾状器官が露わになる。


「さあ、余興だ。手始めに、ここの妖怪どもを駆逐し――」


 ギースが興奮冷めやらぬ声でまくしたてる中、突如として銃声が轟く。


 ミラの右腕を押さえつけていた男が頭部から血を吐き出し、昏倒。なにが起きたのか――わからないが、千載一遇のチャンス。


 瞬時に強制活性剤に手を伸ばし、キャップを外して中身を飲み下す。濃い血の味が口の中に広がり、瞳が発光。


 ノーマルクラスに過ぎない吸血鬼を圧倒するには充分過ぎる力がみなぎり、ミラは裏拳で左腕を押さえていた女の顎を砕き、腕の力だけで逆立ちになるとその場で回転。回した足で残る二人を吹き飛ばす。


「誰だ」


 ギースの底冷えするような声に応じたのは、新しく家族になったあの少年のものだった。


「漆崎燈真。そこの変態吸血鬼の輸血袋だよ」


「燈真……なるほど、君がダミアンの邪魔をした半戦鬼か」


 ミラに吹き飛ばされた三人と、残る三人が臨戦態勢を取る。


 青白い月明りに照らされて闇からフェードインしたのは、やはり紛うことなく燈真だ。


     ◆


「燈真様!?」


「バーベキューのちょっと前から様子がおかしかったから目を凝らしてたら、こっちに蝙蝠の大群が飛んでいくのが見えた。まさかとは思ったけど、こんなことになってたなんてな」


「なぜ来たのですか!」


「理屈で物事を考えることは苦手だし、俺の直感は大体当たる。嫌な予感がしたから、家を抜け出したんだ」


 不意打ちならともかく、燈真は吸血鬼相手に銃は分が悪いと学んでいるので、拳銃をしまって角を解放。戦鬼装殻がパキパキと音を立てて指先から肘までを覆い、胸と背中には首筋から伸びた胸甲と翼状の装殻が服を覆って伸びていく。


「で、そこの色男はなにをしたいんだ?」


 ギースは挑発的な態度の燈真に笑いを浮かべ、


「アルカードの歴史をやり直す。今度はヨーロッパだけじゃない。この世界を手に入れ、僕が王として君臨する」


「なんでそんなことをする必要がある? こんな腐りきった世界を欲しがるなんて、余程の馬鹿だ」


「だからこそ、さ。人間の手で毒された世界を救済するんだよ」


「そのためにこの村を滅ぼすと?」


「そうだ。地ならしの第一歩さ」


 燈真はため息をつき、右手を刃渡り七十センチ弱の直剣に変えた。対人戦に特化した片手剣形態である。


「俺に愛国心はないし、世界平和と言われてもなんとやら、って感じだ」


「なら君も僕と来るがいい。君ほどの力があれば、どんなことだって思い通りだ」


「断る」


 六人の吸血鬼がじり、と間合いを図る。


「もう少し、考えるということをした方がいいんじゃないかい?」


「生憎、数学は苦手なんだ。損得勘定なんて、俺にはできない。俺は俺の守りたいものを守るってだけだ。それを壊そうとするんなら、どんな聖人君子だろうと叩きのめす」


「相容れないか。正義の味方ってのは、頑固者揃いだね」


「悪いが、俺は自分を正義だと思ったことなんてない。俺はどちらかと言えば悪人だ。自分のエゴのために暴力を振るってるんだからな」


「ふん。ダミアン、そこの生意気なガキを処理しろ。僕はヴラドに制御胚せいぎょはいを埋め込む」


「わかりました」


 ギースが奇妙な生体器官があちこちから飛び出した包帯を抱え、飛び去っていく。


「追え、ミラ! ここは俺がやる!」


「わかりました。ご武運を、燈真様」



15:六人のノーマルクラス



 六人は、それぞれハウンドとレイヴン、サーペントが二人ずつというタイプに分類されていた。


 一人の女が遠距離から棘を撃ち込み、燈真は走って弾幕を潜っていく。まずはレイヴンから叩かなくては、削られるように負けが転がり込んでくる。


 燈真は左手を手砲に変え、〈連爆波動砲れんばくはどうほう〉を放った。


波浪衝濤はろうしょうとう〉のショックウェーブが爆ぜ、梢を大きく揺らす。葉が舞い散り、燈真は波動砲弾で捻じ込んだ隙にレイヴンの女に斬りかかる。


 翼で受け止められるが、燈真は瞬時に左手も直剣に変えた。


 女が目を見開き回避しようと足をたわめるが、燈真は女の爪先を踏みつけたまま肩から体当たり。


 衝撃を減殺することのできない踏みつけ状態からの体当たりは、戦鬼の力も相まって凄まじい威力に達する。


 女を大木に叩きつけ、左剣を心臓に捻じ込む。そのまま刃を捻って傷口を広げた。掠り傷程度なら即座に回復する吸血鬼でも、心臓を破壊されてはどうにもならない。ミラの話では血があれば治癒するというが、ここにそんなものはない。


 一人を無力化した直後、背後に殺気を感じ、燈真は反射だけで右の剣で後頭部をカバー。ずん、と衝撃が走り、燈真は左腕を籠手に変え振り返ると同時に裏拳を放つ。


 背の高い男が、両腕を籠手に変えていた。打撃特化のハウンドタイプだ。


 燈真の裏拳は男の鼻先を掠め、相手は軽いフットワークで懐に踏み込んでくるとレバーブローを打ち込んでくる。


 直剣で受け止め、しかしその間隙を縫ってもう一人のレイヴンタイプの男が棘を撃つ。


「鬱陶しい……!」


 燈真は二対の翼殻よくかくを展開してガード。お返しに刃殻を放ち、動きを掣肘。


 翼の一対を鞭殻に変じさせ、ガントレット男に突き出す。


 男は半円を描くように手の甲で鞭を弾くと、燈真の顔面目掛け拳を振るう。


 直感で屈んだのは、正解だった。


 ガントレット男の拳と前後して、横合いからサーペントの尾が薙がれていた。あのまま回避ではなく防御を選んでいたら、頭と体が泣き別れになっていたかもしれない。


 燈真は拳を振り切ったガントレット男の顔面を左手で掴むと、戦鬼の馬鹿げた筋力を総動員し、握撃あくげき。男の苦鳴が絶叫に変わり、頭部が熟れたトマトのように弾けた。


(あと四人……)


 燈真は伸びてきた四本のサーペントを直剣で斬り払い、邪魔なレイヴンに刃殻を放つ。


 レイヴンタイプの男は木陰に飛び込んで回避。燈真は斬りかかってきたもう一人のハウンドの女と剣を打ち合わせる。


「退け!」


 足の裏全体を使って相手を蹴り出す前蹴りを放ち、女の肺を潰す。姿勢を崩したところへ脳天へ真っ向唐竹割。頭頂部から下腹部まで剣がめり込んだ。


 あと三人。


 残ったのはサーペントタイプ二人に、レイヴンが一人。


 燈真は突っ込んできたサーペントタイプの女にM9を抜き撃ちクイックドロー。にわか仕込みの高速射撃。胸と腹にヒット。九ミリ音速弾の運動エネルギーによる衝撃力で女はたたらを踏む。


 そこにレイヴンによる援護射撃。燈真は屈んで棘を避けた。狙いを失った棘が木々にめり込んで幹を吹き飛ばす。


 弾切れをするまで撃ち、サーペントの女を掣肘。尾を振るって弾丸を弾き続けていたが、燈真が接近するには充分な時間を稼げた。


 右手を巨剣に変え、燈真は左手で柄代わりの筋を握り、両手の膂力で三十キロにも及ぶ巨剣を振るい落とす。


 ブロックに使われた尻尾ごと両断された女は大きく喀血し、倒れ伏す。


(あと二人……!)


 燈真は巨剣から直剣二刀流に切り替え、レイヴンに突進。棘の弾幕を掻い潜りながら肉薄して斬りかかる。


 翼で右剣を防がれ、下段から擦り上げるように燈真は左剣を振り上げる。下腹部を斬り裂いたそれは決して浅くない裂傷を刻んだ。だがレイヴンの男は痛みを噛み殺したのか、それともコカインのような興奮剤でも使っているのか、平然と拳を振るう。


 装殻に覆われていない脇腹に拳がめり込み、燈真は痛みに顔をしかめる。半歩後退ったところへサーペントが飛び込み、燈真は第六感を頼りに横っ飛びにそれを避ける。


 鋭い尾がさっきまで立っていたところを擦過し、無人の空間を斬り裂き風切り音を立てた。


 首筋の毛が逆立つような恐怖を感じつつも、燈真は翼殻から刃殻を放ってサーペントの男を釘付けにする。


 距離を取ろうとレイヴンが足をたわめ、燈真は動きを読んで左手を剣から籠手に変えてフラグを取り出した。点火ピンを歯で抜いて安全レバーを飛ばすと、回避位置を予測して投擲。


 きっかり三秒後、フラグが爆ぜた。レイヴンの男は左足を吹き飛ばされ、同時に右足にも夥しい量の破片を食らって倒れ伏す。


 だがレイヴンそのものは無傷であり、下半身に甚大な被害を受けながらも無数の棘を飛ばしてきた。


 燈真は焼夷手榴弾テルミットを抜いて投擲。男が身を捩るが遅い。撒き散らされた五千度にも及ぶ火炎が男を飲み込み、焼き尽くす。髪の毛のタンパク質が焦げる嫌な臭いが広がった。


 残るは一人。


 燈真は直剣から最も得意とする巨剣に切り替え、突き出される一対の尾を最低限の動作で回避しながら斬り込む。


 男は尾を束ね太みを増したサーペントで巨剣を受け止め、左拳を半歩の踏み込みから打ち出す。燈真はそれを身を捻って避け、カウンターに左のアッパーカットを打つ。


 相手は上半身を反らしてアッパーカットを逃れるや振りかぶった頭を思い切り振るい、燈真の顔面に頭突きを食らわさんとする。


 燈真はそれを頭突きで返した。


 分厚い頭蓋骨同士が激突し、じん、と熱を持ったような痛みが前頭部に広がる。だが前歯や鼻骨を折られるほどの激痛に比べればどうということはない。


 相手が痛みに呻く間に旋転して巨剣を上段霞からの刺突。回転力を乗せた突きは半端な防御力の尾を貫通し、男の心臓を確実に貫いた。


 捩じり込まれた巨剣が引き抜かれると、最後の一人は口から黒ずんだ血を零し、どうと倒れ伏した。


 燈真は巨剣に粘りつく血を振るい落とし、ダミアンを睨む。


「ふん。ノーマルクラス程度では束になっても敵わんか。覚醒から日が浅いとはいえ、流石は戦鬼と言ったところか。その強さは、やはり驚異的だ」


「次はお前だ。竜胆を泣かせた落とし前、つけさせてもらう」



16:私を変えたもの



 担いでいたヴラドを下ろし、ギースはミラに向き直った。ヴラドは芋虫のように這いずって消えていく。あれも危険だが、今はギースをどうにかしなくてはならない。


「どうして僕の邪魔をする。アルカード家復権のなにがおかしい!」


「なにもかもだ、ギース。あんな家の歴史など、あってはならない」


「君がいる今の家とどう違う!? 人外の巣窟であることに変わらない!」


「違う! 稲尾家は……違う。あの人たちは、優しくて、温かくて、他人思いで……私にはなくてはならない存在なのだ。あの家を失うくらいなら、私は死を選ぶ」


 ギースは呆れたようにため息をつく。そしてシリンダーに充填された赤黒い血を手に、


「下らない。ならまずはあの家を潰して、君の本当の居場所というものを思い出させる」


「……それは?」


「ヴラドの血だ。これを――」


 ギースはシリンダーのキャップを外し、圧搾注射式なのか、口を首筋に押し当てると尻のボタンを押しこむ。中身が吸い込まれた。


「――ぅっぐ……ぉおおおおおおおおああああああッ!」


 ヴラドの血。現代ではヴラド自身か、王族直系のミラにしか流れていないものだ。


 ミラは奥歯を噛んだ。


(そこまでしてあの家をやり直したいのか……ある意味見上げたものだ)


 うかうかしていられない。あれを使われたのなら、こちらも相応の対応をしなくてはやられる。


 ミラはレッグホルスターの中から赤いラベルが取りつけられた赤黒いシリンダーを抜いた。


 真強制活性剤。


 ミラの吸血鬼としての力ではなく、吸血鬼の王としての力を一時的に活性化させる薬液だ。


 一週間に一度きり、効果時間は一時間前後。莫大な力を与えるが消耗も凄まじく、使用後三日は起き上がれなくなる。最悪命を落とすことだってある。


(構うものか!)


『……出来れば使わないでください。話し相手が来なくなると、寂しいです』


 ロシア人の魔女の言葉を振り払い、キャップを外して中身を飲み下す。思わず顔をしかめるような強烈な血の味と、苦味が広がる。


 ギースとミラはほぼ同時に、変異を始めた。


 ばきばきと異様な音を立てて皮膚が盛り上がり、双方ともに上背は二メートルに達する。背中から二対の翼と、腰から二対の尾が生え、胸や腰の部分を黒い殻皮が覆う。皮膚が青白く染まり、瞳が赤く輝く。


 仕掛けたのは、ギースだった。


 右腕を異形の大剣に変え、半身になって身を捻る。剣を体の横で切っ先を天に向ける欧州剣術はフォム・ダッハからの斬り下ろし。


 ミラは左手をカイトシールドに変えて受け止める。ず、と足が土を削りノックバック。やはり吸血鬼としての力の差はギースに軍配が上がる。


 だが、不思議と負けのビジョンが浮かんでくることはなかった。


 この六百年近く、戦いといえば魍魎との戦いだけだった。たまに吸血鬼の力を使うことはあっても、王の力まで使ったことはない。


 しかし数百年ぶりに使う王の力は、不思議と骨身に染み渡っていた。


 ギースが大剣を薙ぐ。その筋を見切って左半身を捻って後方に下げると、発生した衝撃波だけで土が捲れ上がり木々が薙ぎ倒される。轟音、と言って差し支えない音が上がり、ミラは浮かんでもいない冷や汗の嫌な感触を背中に感じた。


 振り下ろした大剣を身を捻りつつ振り上げたギースは、ミラが射出した棘を剣の腹で受け止め飛び退く。ミラはサーペントを四本四方から伸ばし、逃げ場を失わせる軌道でもって突っ込ませる。


 ギースも負けじと応戦。サーペントを二本束ね一対にすると、強度を上げたそれで二本をはたき落とし、欧州剣術において俗に風車斬りと呼ばれる技法で剣を回転させ残る二本を斬り落とす。


 翼をこちらに向け、ギースは棘を射出。ミラはカイトシールドで受け止めながら前進。盾の死角で右腕を円錐形の騎馬槍ランスに変える。


 振り下ろされた大剣を弾きパリィ。隙を捻じ込み、ミラは腰の捻りを加えたランスの刺突を繰り出す。


 ギースの対応は冷静かつ迅速だった。左手をバックラーに変えると丸みを帯びた表面で角度を作りランスの切っ先を逸らす。点を打つランスの絶対的な弱点。的への入射角がずれるとすぐに威力を減殺されてしまう。


 体が泳いだミラの腹にギースの膝蹴りが決まる。殻皮に覆われた全身鎧状態の蹴りは吸血鬼の王の膂力も相まって凄まじい破壊力を秘めていた。


 ミラは肺の中身を絞り出され、しかしそれでも呼吸よりも反撃を優先。カイトシールドで打撃を加え、顔面を打擲すると動きが鈍った隙にドロップキック。両足の底がギースの胸骨を砕いて吹き飛ばす。


「はぁっ、はぁ、はぁ……」


 なんとか呼吸を整え、ミラは盾に騎馬槍という出で立ちで敵を睨む。


 木の幹に叩きつけられたギースは砕けた殻皮をその下の皮膚ごと再生させ立ち上がる。やはり表面的な傷では駄目だ。心臓を潰す一手がなければ、この戦いは終わらない。


「ぐぅう……ぅぅうううおおおおおおッ!」


 起き上がったギースはさらに異形化。


 その姿はなんとか人型を保っているが、四メートル近い上背はどう見ても怪物のそれだ。ミラはその姿に嫌悪を覚える。人と長らく接してきたミラは、その異様さに思わず息を飲んだ。


 確かに自分は人の世に長く浸りすぎたのかもしれない。平和惚けしているのかもしれない。


 だが、それのなにが悪いというのだ?


 平和に惚けていられるほど市井から危険な事態が遠ざかっているのなら、それでいいではないか。


 そして、だからこそその平和の中で温かさを享受する人たちを、冷たい殺意に曝してはならないのだ。


 ギースがやろうとしていることは、魅雲村一つに留まることではない。日本を――いや、世界を巻き込む死の嵐を吹き荒らすだろう。


 何百年も生き、そしてミラ自身もその手を血で染めたことがある。だから今更いい人ぶるつもりなどない。


 いや、だから、ミラは奪ってきた命を背負ってその罪を償わなければならないのだ。


 あの家を守る。世界を守る。リエラ、リーデの願いを果たす。


 そのためになら、遠い血を分けたアルカードであろうとも、その心臓を握り潰してやる。



17:救援(1)



 サーペントを後ろに下がって躱し、担ぐように構えた巨剣を振り下ろす。なんだかんだ直剣だのなんだのと使って来たが、籠手か巨剣が一番しっくりくる。


 燈真はダミアンの尾を千切り飛ばすと、刀身を即座に返し振り上げる。日本剣術において燕返しと言われる技法の運剣術だ。


 にわか仕込みの燕返しはダミアンの左剣で防がれ、しかし三十キロ近い巨剣が生む運動エネルギーはそうそう殺しきれるものではない。勢いに押されたダミアンは姿勢を一瞬崩し、そこを見逃さず燈真は左の拳骨を打つ。


 砲弾めいた勢いの拳がダミアンの顔面をぶち抜き、衝撃が視覚化されたほどのインパクト音が鳴り響く。


 鼻骨と前歯を砕かれたダミアンは後ろに下がって呻く。


「そんなもの、竜胆が味わった恐怖の百分の一にも満たない。お前だけは許さない」


 底冷えするような声だった。奈落の底から吹き込む亡者の怒号のような、冷涼だが肌を粟立てるような冷徹な声音。家族には聞かせられない恫喝。沸点を超えた怒りは激しく燃え上がるが、それをも上回るとかえって静かになる。その体現。


「あんなガキのために……倫理観も捨て人殺しになるか」


「十六年生きて来て、やっと見つけた大切なものだ。母さんには悪いけど、でも俺はあいつらを守るためなら地獄にだって出向いてやる」


「下らん」


 ダミアンは吐き捨てると、腰から注射器を取り出した。針のない圧力式のものだ。


「……拒絶反応など知ったことか。俺に敗北などあってはならんのだ。ギース様の右腕の座は誰にも渡さん!」


 ピストンが赤黒い中身をダミアンの首筋に流し込んだ。


 なにをした、と問う間もなかった。ダミアンが苦痛の呻きとも快楽の嬌声ともつかない声を上げてその肉体を異形のそれへと変えていった。


 上背は三メートルに達するか。四つん這いになり、背中から一対の腕を生やす。まるで狼のようだが、背中から生えた腕が異様だ。体の関節部を守るように殻皮が生まれ、覆っていく。


 全長は八メートル近い。大型の魍魎にも引けを取らないだろう。あの中規模殻皮の前では刃殻はほとんど役に立たない。〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉か、衝撃波を噴射した巨剣で叩き斬るしかないだろう。


 狼化したダミアンが吼え、なんの工夫もなく愚直に正面突撃。だがその勢いは戦車並みであり、巨剣の腹で受け止めた燈真は二十メートル近く擦過。踏みしめた土が大きく抉れ、山を作る。


 全身の筋肉という筋肉を総動員して顔面に頭突き。鼻梁に額を叩きつけ、怯んだところへ巨剣を振るう。


 ダミアンは前足を跳ねさせ燈真の一閃を避けると、背中の腕を伸ばした。握り拳が突風を逆巻かせながら迫る。


 横へ跳んでその一撃を避ける。燈真の代わりに一撃を貰った木の根が粉砕され、クレーターのような跡を刻んだ。馬鹿げたパワーだ。


 燈真は左手を手砲に変えて〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉を放つ。〈波浪衝濤はろうしょうとう〉の衝撃波砲弾がダミアンの横っ腹で炸裂。硬い殻皮が飛び散り、血が舞った。


 だがそれもすぐに治癒していく。決定打には程遠い。


 一撃。〈波動斬はどうざん〉・バーストを放てれば倒せる。だがその隙をどう作る?


 じりじりと間合いを計りながら、燈真は必死に考える。一人で来るんじゃなかったという後悔が滲み出し、舌打ち。ないものねだりをするほどの状況じゃないだろうと叱咤する。


 ダミアンが地面を蹴った。


 燈真は横っ飛びに躱すが、しかし背中の腕を計算に入れていなかった。足を掴まれ、そのまま走った勢いに任せ木に叩きつけられる。砕けた木片が背中に突き刺さり、圧し折れた木々を無視してダミアンは燈真を地面に叩きつけた。


 そのまま右の背腕せわんを振り上げた。まずい、避けられない。


 燈真は巨剣をタワーシールドに変じさせ、かろうじて心臓は守る。だが体が深く地面に埋まった。ダミアンは盾ごと叩き潰さんと背腕を乱打する。


 びきん、と嫌な音。腕を介して伝わる装殻にひびが入った感触。


 冷や汗が服の下で噴出した。


 死に捕まえられる。首筋に刃を擬せられたようなそんな恐怖が背筋を凍らせた、そのときだった。


「おぉおらぁッ!」


 裂帛れっぱくの気合と共に、打撃音。ダミアンが飛び退き、燈真は割れた盾を解除して声の主を見る。


「秀次……!?」


「魍魎狩りの帰りになんかすげえ音がするからなにかと思えば……大丈夫かよ、燈真」


「ああ。悪い、助かった」


 秀次は金砕棒を担ぎ、ダミアンを睨む。


「で、ありゃなんだ」


「M・O・Wを作った組織の吸血鬼だ。端的に言えば悪モンだよ」


「竜胆をさらった、ってやつか」


 敵とわかっただけで、秀次は臨戦態勢を取った。


「どうするつもりだ、燈真」


「確信的な犯罪者だ。言って止まるような相手じゃない。殺して始末するしかない」


 ダミアンが低く唸る。


「具体的な案は」


「隙を作ってくれ。俺が決める」


「わかった。――行くぞ!」


 秀次が飛び込む。ダミアンが腕を振り上げて応じるが、人狼にしか見えなくとも雷獣。天の使いとも言われる妖怪である。並外れた運動神経を発揮し、腕を掻い潜ると金砕棒を振り下ろし腕を叩き折る。


 負けじとダミアンは背中の腕を振るったが、それは燈真が対応。〈轟爆波動砲ごうばくはどうほう〉が爆ぜ、背腕を半ばから吹き飛ばす。


 金砕棒が唸りを上げて振り上げられ、ダミアンの下顎を砕いた。仰け反り、秀次がその場で回転してさらに金砕棒を下から上へ擦り上げる。


 その一撃でダミアンは完全にひっくり返った。


 格好の隙。


 燈真は駆け出しながら跳躍。上空で巨剣を大上段に構え、


「〈波動斬はどうざん〉・バースト!」


 衝撃波を噴射しながら、その勢いを上乗せした真っ向唐竹割を繰り出した。


 巨剣の刃はダミアンの胸の殻皮を粉砕し、皮膚を引き裂く。肋骨をまとめて砕き割り、その下で脈打つ心臓を破壊した。


 ダミアンが絶叫を上げる。


「うるせえんだよ、野良犬が」


 秀次が愛用の金砕棒・巌砕がんさいを振るって、ダミアンの頭を叩き潰した。



18:救援(2)



 見上げるほどに巨大になったギースは最早人の声の範疇を超えた咆哮を上げ、地面を蹴立てて本能に忠実な猛獣のようにミラを執拗に攻撃した。


 丸太のような腕の一撃を躱し、飛び散る木片から目を庇う。反撃に放った棘がギースの腕に突き刺さるが大した傷にならない。


 だが希望がないわけではない。ここからでも見える、赤光を放つ心臓。網目状の肉に覆われた揺り籠さながらの胸に剣が届けば、あの怪物を黙らせることもできるかもしれない。


 ミラは試しに心臓目掛け棘を放つが、やはりというかギースは腕で心臓を守った。殻皮が棘を弾き、明後日の方向へ吹き飛ばしていく。


「グゥゥウウウアアアアアアアッ!!」


 ギースがこの世のものとは思えない大音声を張り上げ、腕を変貌させる。何枚もの鎌を束ねたような奇形。爪ともウォーサイスとも言えるそれが豪速で迫り、ミラは右腕を盾に変えてなんとか防ぐ。


 嫌な音と感触。吸血鬼の王の血を最大限まで活性化させたこの状態のハウンドは対物ライフルの一撃をも弾き返す無双の硬度を誇る。それが、破られたというのか?


 信じられないという思いと、ヴラドの血なら或いは、という思いが湧く。


 だが思索は一瞬。


 勢いを逃がすように転がったところへ、馬鹿げた大きさの棘が突き立つ。と、体に奇妙な悪寒が走る。


 勘に従って飛び退いた瞬間、地面からサーペントが生えていた。


 躱した。


 ――そう思っていたからこそ、そのサーペントが枝分かれしてこちらに伸びてきたときには対応が後手に回った。


 枝分かれしたサーペントはミラの脇腹に食い込み、吸血し始める。


「ぐぅっ!?」


 血啖器。文字通り、血を啖う器官。本来はこうして突き刺し、相手から血を啜るものだ。


 ミラはハウンドの剣でサーペントを切り離すが、かなりの勢いで吸血されてしまった。視野が狭窄きょうさくし、視界が霞む。


 嫌なことは重なる。


 吸血鬼の王の形態が解除され、それどころか吸血鬼としての覚醒状態まで消えた。元の、少し頑丈で身体能力に優れた程度の肉体に戻る。


 こんな状態ではとてもではないがギースに太刀打ちできない。


「ハハハハッ! トウトウウンニマデミハナサレタナ!」


 勝ち誇るギース。


 ミラは最後の手段を考える。


 腰に手を伸ばし、焼夷手榴弾を握る。


 これで、自分の体を焼き、血を残さず消し去る。それ以外に、ヴラドの血を消し去る方法はない。


 その動きを見咎めたギースがすぐにミラを掴み、持ち上げた。


「ぐぁッ!」


「ニンゲンドモニドクサレタオウナドイラナイ。ボクガオウトナリセカイヲミチビク!」


 体がぎちぎちと嫌な軋みを立てる。


「オマエノチハノコサズボクガタベル。ジャマヲシテクレタ、ベルモンドトヘルシングヲコロシ、イマイマシイヴァンパイアハンタードモモケシサッテヤル!」


 暴発同然で手榴弾を炸裂させるかと考えた瞬間、ギースがミラを投げ飛ばした。


 大木に叩きつけられたミラは喘ぎながらそれを見る。


 二本の小太刀を手にした猫又の少女――椿姫の同級生の万里恵が、ギースに一太刀浴びせていた。


「ミラさん!」


「万里恵様!? どうしてここに?」


「近くで仕事してたら、帰りに凄い音がして……あれは、魍魎……?」


「いや、私と同じ吸血鬼だ。危険な怪物だよ。止めなくては、村どころか世界が危ない」


 ギースは二人に増えた敵を見て、雄叫びを上げる。


「ノラネコイッピキニナニガデキル!?」


 万里恵は小太刀――右の天龍、左の地龍を逆手に構える。


「あの赤く光っている心臓。あれが弱点?」


「そうです。一つ、策があります。時間を稼いでいただけますか?」


「わかった!」


 ミラは万里恵に背中を任せ、その場を離れた。


「ニゲテモムダダ! マタミツケダシ、コロシテヤル!」


 すぐに目当てのものを見つけた。慌てていたのかキーは差しっぱなし。ミラはそれに――二五〇ccアドベンチャーツアラーに跨ると、アクセルを開いて走らせる。


 獰猛なエンジンの唸りが響き渡り、万里恵と斬り結んでいたギースが何事かと振り返った。


 ミラは座席から飛んで、バイクをギースに激突させた。凄まじい速度で大質量物体が激突する勢いはそうそう殺しきれるものではない。


 だが、ギースは踏ん張った。


「コンナモノデボクヲトメラレルトデモ……」


「いいや、終わりだよ」


 ミラはそれ・・を見せる。


 それは、手榴弾の点火ピン。


「――――――ッ!!」


 悲鳴は手榴弾と引火したガソリンが巻き起こす爆音にかき消された。


「グゥ――ォォォォオオオオアアアアアアッ!」


 全身が燃え上がり、ギースはよろよろと下がっていく。崖の寸前で踏みとどまり、ミラは皮膚が抉れて剥き出しになっている心臓に、デザートイーグルを照準。


「それが、お前を焼く聖火だ」


 撃発。


 五〇口径弾は狙い過たず心臓を破壊。ギースの全身から力が抜け、体が元に戻っていく。


「み、ら……き、さま……どこ、まで……ッ」


「貴様の野望はここで終わりだ。さようなら、私の最後の家族」


 もう一発、撃った。


 腹に命中し、衝撃でギースが崖下に吹っ飛んだ。


「ミラァアアアアアアアアアアアアッ!!」


 末期の絶叫が闇夜に響き渡る。この高さだ。まず助からない。水とはいえこの落差。コンクリートの路面に叩きつけられるも同然のダメージを受けるに違いない。仮に生き延びたところで海に流され、鮫に食われる。


「ミラさん!」


「すみません、万里恵様。お手を煩わせました」


「いいえ。でも……家族、って……」


「ええ。血は遠いですが、彼は私の一族の者です。ですが邪悪な思想を唱え、この村を滅ぼそうとした。それに言葉で言って止まるような者でもないでしょう。もしそれだけの聞きわけがあるのなら、何百年も私を探したりしなかったはずです」


 途端に、ミラの下肢から力が抜けた。


 視界に土が迫り、ミラは全身が重くなるのを感じて、目を開けていられなくなる。


「ミラさん!? ミラさん!」


 万里恵の声が遠い。


「ヴ、ラド……?」


 最後に力を振り絞って、その存在を探る。いればたとえ地球の反対側にいてもわかるほどの妖力を放つ怪物。


 その気配は、全く感じられなかった。



19:ここにいても



 稲尾家の屋敷には、トレーニング場がある。様々な器具が並び、気分転換や筋トレに使うために設えられたもので、燈真はここを利用していた。


 百十キロものバーベルを抱え、スクワットをする、所謂バーベルスクワットを百回。これを三セットこなすのが、朝の日課だった。


 寝起きにこれだけの運動はきついものがある、と感じたのは最初の一週間だけで、慣れてしまえばルーチンワークの一つとしてすっかり馴染んでしまった。


 あと三日で学校が始まると思うと胃の辺りが重い吐き気をこみ上げさせてくるのは、今までの反動なのだろうと思う。短い半生の大半を占めた学生生活で得た教訓は、燈真を酷く厭世的にした。


 妖怪が人を脅かす存在であるという先入観こそ消えたが、いやだからこそ、人と変わらない感性を持つとわかったからこそ、それが組織する学校もまた人間のそれと変わらないのではないかと思えてならないのだ。


 考えれば考えるほど嫌になる。それを払拭するために、燈真はバーベルを上下させた。


 汗が滲み、筋肉がびきびきと悲鳴のような音を立てる。人間の肉体は――筋肉は傷つけば傷つくほど強くなる。この声は、強くなることへの渇望であり証だ。


 強くならなくてはならない。奪われたくなければ奪うしかない。いつだって、世界はそうやってできていて、回ってきた。今さらそれが変わるものではない。


 燈真は三セットを終えると、タオルで顔を拭ってトレーニング場を出た。時間は六時。少し前なら寝ていた時間だ。普段ならミラか竜胆が起こしにくる。


 あらかじめ持ってきた部屋着のジャージを持って、燈真は風呂場に直行した。すれ違った椿姫から汗臭いと言われたが、無視した。だから風呂場に行くのだ。


 熱めのお湯で汗を流し、体を洗う。シトラス系の香りがする男物のシャンプーは最近燈真が買って来たもので、男の頭皮汚れにも効くらしい。嘘か本当かはわからないが、どの道これ以外にリーズナブルな価格で手に入るものがないので、これを使う以外に選択肢はない。


 体を洗い終わって着替えていると、戸を叩く音がした。


「入ってる」


「燈真、私です。ミラが目を覚ましました」


 クラムの声だ。言われたことに、燈真は着替える手を早める。


「今行く」


 あれから三日。ミラは昏睡状態に陥り、村の外科医と内科医、果てには産婦人科にまで診てもらったが、経過を見守るほかないという答えしか返ってこなかった。


 ギースとの戦闘を目の当たりにした万里恵が言うには、とどめを刺した後意識を失ったとのことで、家にいる魔女の話では滅多なことがない限り使うなと釘を刺した薬品を使った形跡があるとのことだった。


 後遺症はないだろうか。そんな不安が真っ先に頭を占める。昏睡状態がたったの三日で済んだことを喜ぶべきことなのか、わからなかった。


 蹴躓かんばかりの勢いで風呂場を出て、階段を上がって二階へ。ミラが寝かされている彼女の私室へと足を入れる。


「ミラ!」


 自分でも驚くほど大きな声が出ていた。


「燈真様……」


 ベッドの上で上半身を起こし、菖蒲から水を受け取っていたミラが微笑んだ。


「よかった……体は? 痛いところはないか?」


「少し、空腹感があります。それ以外は問題ありません」


「じゃあ、私、お粥を作ってくるわね。出来たら持ってくるから、安静にしてて」


 そう言って菖蒲は退出した。


 二人きりになり、燈真は菖蒲が使っていた椅子をそのまま借り、座る。


「なんていうか……よかったよ。目を覚ましてくれて」


「すみません、ご心配をおかけしました。あの……」


「なんだ?」


「ヴラドの気配が、あのあと全くしなかったのですが、燈真様が倒されたのですか?」


「いや、俺も見てない。あのあと万里恵にお前を頼んだ後、秀次と見て回ったんだけどなにもなかったんだ。そのあとほかの夜廻りや警察にも協力してもらって捜索したんだけど、この三日で見つかったのは黄ばんだ包帯だけだった」


 ミラは「そうですか」と言って、続けた。


「アルカードの血筋は、定期的にヴラドから血を授けられることで王の力を発揮します。私はこの数世紀、ヴラドの血を摂取していません。つまり、王の血族でありながらその血は薄くなり、弱まっていたのです」


「つまり、どういうことだ?」


「ヴラドを蘇らせるにはヴラドの血が要ります。ギースは王の直系である私の血を代用にすることでそれを成し遂げようとしたのです」


「だけどお前の血は薄くて、ヴラドの再生を促せなかった?」


「はい。でも、だとしたら死体がないとおかしいのです。吸血鬼の死体は魍魎のように靄になって消えたりはしません。黄ばんだ包帯……恐らくヴラドを包んでいた布切れがあったのならその近くに死体がないと、おかしいのです」


 燈真は唸った。


「ヴラドはまだ生きている、と?」


「そう断定することもできません。ですが生きていたとしたら、とても危険です。ヴラドの力は九尾にすら匹敵します。あれが完全に復活してしまえば、それこそ核爆弾でも使わない限り消し去ることは不可能でしょう」


「そんなものを核兵器がなかった時代にどう倒したんだ?」


「私と、ガブリエラ・ベルモンド、エルフリーデ・ヘルシングというヴァンパイアハンターの三人であれを倒しました。ですが死体が……いえ、ヴラドの肉体が残っていたことからもわかる通り、殺したわけではないのです」


「じゃあ、どういうことなんだ」


「眠らせたのです。セイレーンの笛と呼ばれる道具を使い、眠らせ、そして血を抜いて身体機能を著しく低下させ、封印したのです。ですがセイレーンの笛は脆く、一度の使用で崩壊しました。同じ手は使えません」


 ため息をついた。


「核爆弾を落としてやっとの相手が生死不明で彷徨ってる、か。とんでもないな」


 ミラは視線を落とす。


「そうなってしまった責任は、全て私にあります。私が我が身可愛さにのうのうと生きていなければ、こんなことにはならなかった」


「なにを……」


「同じ過ちは犯せません。……私は、この家にも、この世界にもいるべきではないと、この一件で痛いほどよくわかりました」


 燈真は胸を掻きむしりたくなるような感情を抱いた。怒りとも悲しみとも違う。言葉にできない、けれど誰もが持つであろう焦燥にも似た感情。


「……ヴラドを活性化させるのは、私の血です。私がこの世界から消えれば――むぐむ」


 ミラの口を、燈真は右手でつまんだ。


「自分勝手が許されるのは小さいうちだけだ。お前、何歳だよ」


「むぐ……」


「十六の俺でもわかることを、その何十倍も生きてきたお前がわからないわけないだろ」


 手を離し、燈真は真っ直ぐにミラを見つめる。


「この家に……私は……」


「いられるだろ。ずっと。ここの家の人はな、底抜けの馬鹿なんだよ。昨日今日来た俺を家族だなんて言う寝言を真顔で言って、それを実践する日本でも屈指の馬鹿だ」


「私は……ここにいてもいいのでしょうか」


「……俺は、いてほしい」


「えっ」


「勘違いするな。目覚ましがないと困るだろ」


 ミラは呆けたような顔をして――笑った。


「はい。毎朝、伺います」


     ◆


「船長、網に死体が!」


「なんの?」


「人です! 赤い髪をしてて……がっ」


「どうした? おい!?」


 小さな漁船で上がる悲鳴、悲鳴、悲鳴。


「はぁっ、はぁっ、はぁ――」


 ギース・アルカードは生きていた。


 十二人の血を啜り、生き永らえた。


「ミラ……悲しいやつだ」


 夜明け前の海の上、吸血鬼は呟く。


「アルカードの名に懸けて、必ず救って殺してあげるよ」

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